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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
05/Chapter:"三花-Three Girl Problem-"
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02/Sub:"物損"

 ユーリは竜人から人の姿になり、半ば肩を借りるようにして咲江の部屋まで歩いていく。部屋にたどり着くと、風呂場に連れていかれた。


「身体をまず拭きましょうか」

「はい……なんだか、少しひりひりします」


 床に座らされたユーリ。咲江が濡れタオルを用意していると、アリシアがユーリの横にしゃがみこんできた。


「どのあたりがひりひりする?」

「えっと、背中の方かな」


 アリシアがそちらを見ると、確かにうっすら跡が残っている。それを確認したアリシアは、小さくため息をつくと、おもむろに自分の右手首に噛みついた。血が手に流れ落ち、床に小さく滴る。そして彼女は、おもむろにその手でユーリの背を撫で始めた。


「あ、アリシア姉さん?」

「こっちの方がアンジーの血がかかってなかったから、傷の治りが不十分だったのね」


 アリシアはそう言いながら生暖かく、ぬめぬめとした血にまみれた手でユーリの背を撫でる。それは最早撫でるというより、血を塗り付ける行為そのものだった。しかし、ユーリの背中に塗られた血はアルコール消毒がごとく端から消えていく。そうして消えたところに、再び手で血を塗りたくる。


「さてユーリ君、身体を……」


 咲江が小さく湯気の立つタオルを持って振り返ると、そこに広がるのは再びスプラッタな光景。黙々と少女が少年の背中に血を塗り付ける光景に、咲江は先程見たばかりの光景が繰り返されたことに眩暈がした。幸い、アンジェリカほど盛大にぶちまけたわけではない血は、すぐにユーリの背中から消えて、アリシアの手首で小さな赤い靄に収まる。そしてそれも、パキパキと結晶化するような光景と共に消え、そこには傷一つないアリシアの細い手首が残された。


「アンジェリカのやつ、テンパってあんなことしちゃって。こういう風にやればいいのよ」


 アリシアがどこか呆れたように言うのに、咲江はどこか冷静になるほど、と理解した。治癒効果がこれでも得られるなら、消耗も少ないアリシアのこのやり方の方がスマートだ。ユーリのドラゴンとしての耐久性を鑑みると、これくらいで丁度いいのかもしれない。そもそも、空中で被雷してあの程度で済むのがおかしいのだ。

 そう思うと、なんだか自分だけ何もしていないような、フィジカルに全て台無しにされたような怒りが湧いてくる。

 咲江は、手の中のタオルを居心地悪げに洗面器に投げ入れると、おもむろに服を脱ぎ始めた。そうとも知らないアリシアがユーリの背中をペタペタ触って具合を確かめていると、唐突に後ろからひょい、と持ち上げられる。その瞬間、アリシアに本能的恐怖が溢れる。後ろを振り向きたいのに、振り向けない。その状態で、咲江はユーリに言う。


「ユーリ君」ユーリも、同じように振り向けなかった。「背中、流してあげるわね」


 ユーリは恐る恐る後ろを振り向く。そこには一糸まとわぬ姿の咲江が屍の様なアリシアを後ろから抱えて仁王立ちしていた。しかしそこに蠱惑だとか、そういうものは一切なく、ただ、圧倒的存在感だけが有無を言わさないということだけを主張していた。その頭から伸び天を突く双角、先端がかぎ状になった黒い尾は、それに十分すぎる根拠としてそこにあった。本能的恐怖からか、思わずユーリは竜人形態に戻る。


「ユーリ君、背中流してあげるわね」

「に、二度言わなくても大丈夫です」


 答えは『はい』か『了解』しかないだろう。後ろでアリシアがなすすべなく剥かれていく気配を感じながら、ユーリは唯一残ったパンツを脱いで、後ろを振り向かないようにしながらそっと風呂場の外に置く。

 べしゃっ、と水音。思わず横を向くと、そこには髪も解かれ、全裸のアリシアが力なく風呂場の壁にもたれかかり、床にへたり込んでいた。その眼に生気はなく、ユーリは思わず小さな悲鳴を上げる。


「じゃあ、頭、流すわね」

「は、はいぃ」


 背後で流れるシャワーの音ですら恐怖になる。しばしの後、ユーリの頭からかけられたのは、絶妙に温かい、ぬるいと言ってもいい温度の湯だった。


「あまり温度が高いと、治ったところが痛むかもしれないから、ね」


 そう言って咲江はユーリの頭を流し、てきぱきと頭を洗っていく。その手際に、先程までの威圧感はなかった。

 あっという間にあれよあれよと身体を丁寧に洗われ、清潔な部屋着に着替えさせられる。その間、アリシアはまるで死体のように咲江に為されるがままであった。そして今、人の姿になったユーリはベッドの上で正座をさせられている。向かい側には、部屋着に着替えた咲江。膝の上では、ゆったりした寝間着に着替えさせられたアリシアが咲江にぬいぐるみのように抱きかかえられている。その豊満な胸部に顔を押し付けられているが、ピクリとも反応していない。


「いい、ユーリ君」

「はい」


 これは、『教官』のモードだ、とユーリは一瞬で理解する。背筋を正して彼女の話を聞く。相変わらずアリシアはピクリとも動かなかった。


「まず、今日の反省点は?」

「……発達中の積乱雲の近くを飛んだのに、被雷対策を怠りました」

「ええ。よろしい」


 咲江はちらり、と外を見る。外はいつの間にか雨が降っていて、大粒の雨が降り注ぎ、低い地響きのような音を立てていた。一瞬、外が光る。少しの間を置いて、轟音が窓を揺らす。


「落雷っていうのは、大気を進めそうなところを少しでも見つけて進んでくるわ」


 例えば、と咲江は言う。


「飛行機雲、なんて通り道には最適よ。他にも、大気密度の違いなんかもある。その進行はあまりにもランダムで、予測するのはほぼ不可能。まさか、と思うような場所にだって放電は起きる。それこそ、積乱雲同士の間でも放電が起きるくらいに」

「ええ。身に染みました」


 でしょうね、と咲江が言う。


「放電索がある戦闘機じゃない、生身の貴方は積乱雲の傍に近づくだけで放電対策をしないといけないの。いいわね?」

「はい」

「なら、よろしい」


 咲江はそれ以上言及しなかった。教訓は既に、十分染み付いている、そう判断した。そうして、彼女は両手を広げる。ユーリが困惑していると、咲江は焦れたように両手を再度広げる。恐る恐るその腕の中に身体を預けると、がっしりと抱きしめられる。彼女の胸の柔らかさと甘い香りが同時に感覚を刺激してきて、思わず心臓がドキリと高鳴る。間に挟まれているアリシアは、静かなままだった。


「被雷した状況で、よく飛行をコントロールして着陸したわね。よく頑張りました」


 えらいえらい、と抱きしめられながら頭を撫でられる。ユーリはなんだか照れくさくて、手持無沙汰になっていた両腕で咲江を恐る恐る抱きしめ返す。


「まぁ、ユーリ君。積極的なのね?」

「こ、これはそういうのじゃ……」


 そうして甘い空気を漂わせていると、もぞり、と舌の方から暗黒の気配。ずぼっ、っと咲江の胸元から顔を出したのは目を怪しく紅く輝かせたアリシアだった。


「アンタら、人がおもちゃにされている最中にイチャコラと……」


 犬歯をきらりと煌めかせるアリシア。しかし、あらあら、と咲江がユーリから腕を離してアリシアを抱きかかえる。


「アリシアちゃん、寂しかったの?」

「むぐうぅっ!」


 思いっきり咲江に抱きかかえられるアリシア。彼女の豊満な女性の象徴に頭部を挟まれている彼女の頭部は、プレス機に挟まれている胡桃の様だった。しばらくもがいていたが、すぐに動かなくなる。ユーリは心の中で十字を切った。


「さ、咲江さん」ユーリは、ベッドから降りながら言う。「スーツ、片づけてきます」

「大丈夫? 手伝いましょうか?」

「いいえ。多分、手伝いはいらないと思います」


 本当に、『片付ける』だけだろう。その一言を飲み込んで、ユーリはそそくさと部屋を後にした。

 廊下を歩く。軋んだ空気をかき分けるようにしてようやく自分とアンジェリカの部屋にたどり着くと、よく馴染んだ扉を開けて、部屋に。部屋は誰もおらず、静かだった。ユーリは風呂場に向かう。

 風呂場の床に投げ捨てられた、フライトスーツの残骸。救護のため切られた切断面はすっぱりと一文字で、アリアンナが『銀朱』をよく研いでいたのが伺える。だが、それ以外はもう、手の付けようがなさそうだった。


「……はは」


 思わず、乾いた笑いが漏れた。

 フライトスーツのインナーは超高電圧、大電流が流れた跡が焼けてめくれ上がり、まるで焼き切ったかのような傷でずたずたになっていた。ただその中で、救護の為の切断面だけが本当にきれいに、秩序を感じさせる切断面をしている。


「……」


 機関部の方を、手に取る。

 ハーネスはまだ使える部分もありそうだが、電流が流れたところは黒く焦げて、繊維が完全に融けて炭化していた。もう、役割は果たせないだろう。フライトシステムの入った、背中のデバイス。霊力を流して起動を試みるが、反応はない。しばし、悪戦苦闘していると、背後のランプが一瞬青く光り、そして消えた。それきり、二度と何も反応しなかった。


「……ああ」


 アンジェリカが日本に来てから、空を目指すために買い、そしてずっとユーリと共に空を飛んできた、ある意味相棒とでも呼べるべき存在。

 別れは、あまりにもあっけなかった。


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