79/Sub:"サマー・フライト"
ユーリは、思わずエリサの方を振り向く。彼女は素知らぬ顔でドリンクを飲んでいた。ユーリは観念したように肩をすくめると、大人しく事情を吐いた。
「アンジーに、惚れた時の事を話してたんだ」
「あら」
ユーリがそう言うと、アンジェリカは怪訝な表情を浮かべる。エリサの方を見ると、何とも言えないような表情を浮かべてちらちらとアンジェリカを見てきていた。その反応を見るに、どうやら本当らしい。
「はぁ……」
アンジェリカはため息をつき、どこか気恥ずかし気な表情を浮かべた。それから、ユーリが飲んでいたグラスを奪い取ると、こく、こく、と喉を鳴らして飲み始めた。
「ああ、僕のモクテル」
ユーリが抗議の声を上げるが、意に介さず、と言わんばかりに半分ほどを飲み干すと、ぷは、と息をついてユーリをじっとりとした視線で見つめた。
「思い出話に花を咲かせるのはいいですけれど」半分ほど飲んだグラスをユーリに返しながら、彼女は言う。「肉が焼けましたわ」
ユーリがアンジェリカの背後の様子を見やると、そこにはプールから上がり、濡れた格好のままのアリアンナ、反応のないアリシアの口に肉を一つずつ突っ込む咲江の姿があった。
「おっと。じゃあ、温かいうちに食べないとね」
ユーリが立ちあがると、エリサも立ち上がる。そろった二人の動きを見て、アンジェリカが小さく眉を顰めた。そしておもむろに、ユーリの腰をかき抱く。
「あ、アンジー?」
直後、彼女はユーリに熱い接吻をしていた。あまりの衝撃にエリサが落としたグラスを、凄まじい反応速度で、彼女は空いた片腕でつかむ。ねっとりと舌を絡め合うキス。傍で見ているエリサの顔がどんどん赤くなっていく。
「な、な、な」
ゆで上がったように顔をどんどん赤くしていくエリサ。そうして満足したかのようにユーリから唇を離すと、アンジェリカは不敵に嗤う。
「貴女が彼の事を想うと勝手ですが、忘れない事ですわね」そう言って、アンジェリカはびし、と自分を親指で指す。「初めての相手は、このわたくしですわ!」
そう言うと、エリサの顔が見る見るうちに憤怒に歪む。あ、とユーリが謎の悪寒を覚えた次の瞬間、エリサはドリンクを盛大に呷る。
「え、エリサさ――むぐっ!?」
ぐい、と強引に抱き寄せられる。
次の瞬間、エリサはユーリの口に吸いついてきた。アンジェリカのように手慣れて味わうようなものではなく、ただ相手を求めるかのような甘いキス。
いや、実際に、エリサのキスは直前に彼女が呷ったバージンモヒートの味がした。甘くて少し酸っぱく、ライムの苦味も少し混ざった、桃の味。思わずユーリが取り落したグラスを、アンジェリカが拾う。
「――ぷはっ!」
肩で息をしながら、エリサがアンジェリカを睨む。ユーリはエリサから解放された途端に、腰を抜かして地面に尻餅をついた。
「ユーリさん」
エリサが、ユーリの方を見やる。ユーリは、ただ茫然と彼女を見やるしかなかった。
「お慕いしております。結婚を前提としたお付き合いを申し込ませていただきます」
「あっはい」
彼女の瞳が、青色に輝いているように見える。ユーリが思わず目をぱちくりと瞬かせると、彼女の青い瞳がユーリを真っすぐ見据えていた。
「ああ、それと」
「はい」
「私、来月から西穂エリサになります。後々穂高エリサになるつもりなので、どうぞよしなに」
「あっはい」
質問も、疑問も、反論も許さない。そのような気迫を持った宣言にして、告白。そうしてエリサは、ようやくアンジェリカと相対する。
「……これで、並びましたわよ」
「ようやく、スタートライン、と言った所ですわね」
アンジェリカは余裕綽々、と言った様子で返す。エリサはそんな彼女の手からドリンクのグラスをひったくるように取ると、それを持ってバーベキューグリルの方に歩いていく。よく見ると、ユーリが持っていたグラスだった。
ユーリは、呆然と尻餅をついたまま空を見上げる。青い空に、白い積雲がまばらに散らばり、その中央で太陽が灼熱で大地を焼く、夏の青空。
す、と差し出されるバーベキューの串。ユーリはそれを受け取り、呆然としたまま頬張った。
スパイスが効いていて、ユーリは思わず、むせた。
ユーリは、暗い廊下をフライトスーツを着て歩く。竜人形態で伸びた翼を尾をぶつけたり、引きずったりしないように注意して進む。そんな彼が纏うフライトスーツは、いつもの暗灰色の物ではなく、ユニオンの試験モデルの、白いものだ。ユニオンの軍人と技術者に前後を挟まれながら、廊下を歩く。廊下の先には、地上へと続く階段。足元に注意しながら、それを昇る。
視界が開けると、そこは滑走路脇だった。ジェット燃料の香りを孕む風が吹き抜け、ユーリの鼻腔をくすぐった。技術者がユーリのフライトスーツに繋げられた端末を見たり、コードを抜いていたりしていると、かけていたヘッドセットに通信が入る。咲江からだった。
『飛行停止処分明けの空はどう? ステラ2』
無線が飛んでくる。ユーリは耳元に触れると、それに返した。
「翼が鈍ってるような気がします。リハビリしないと」
『でしょうね。今回のテストフライトも、そういうプログラムだもの。勘を取り戻すつもりで、飛ぶように』
「了解」
通信を終えると、再び周囲は遠くに聞こえるジェットエンジンの音がこだまのように響く。周囲では技術者がユーリのフライトスーツの最終チェックを行っている。
「ではユーリさん。フライトスーツにアクセスしてください」
「はい」
術式でフライトスーツの制御系にアクセス。データリンク。ユーリの視界にHMDのように各種センサーから得られた情報が仮想ARの形で投影される。
「視界をチェックします。マークを視線だけで追ってください」
視界の真ん中に表示される、小さな十字マーク。それがつう、と右に動いた。ユーリはそれを目を動かして追う。続いて左に動く。同じように目で追う。
「次は、首を動かして追ってください」
十字マークが二重になり、上に動いた。ユーリはそれを追って首を動かして見上げる。今度は下に動き、それを首で追った。
視線同期、チェック完了。そう技術者が告げると、視界内に一斉にモニターが立ち上がった。フライトに必要なデータだけではない。ユーリの生体モニタリングや、霊力流量などが可視化される。それの一つ一つが、チェックが終わるたびに消えていく。ユーリは待ちぼうけていると、視界に急に水平指示器が表示された。ユーリの周りを水平に取り囲むように表示される、淡い緑の円。それには方位が小さく重ねて表示されている。
そこから小さなピッチスケールが10度ごとに上下に伸びる。ふと頭上を見上げると、頭上には小さな円が表示されていた。小さく、『90』と表示されている。足元を見ると、『-90』と表示されていた。随分直感的だな、とユーリは思った。そうこうしているうちに、技術者がユーリのフライトスーツからコードを次々に抜いていく。
ふと、ユーリの耳に甲高い音がかすかに響いて、基地のノイズのアンサンブルに加わった。そちらの方を見ると、滑走路に進入する機体の姿。片方の垂直尾翼が赤色の、ブラックオウル。垂直尾翼には、星空に羽ばたくフクロウのエンブレム。
『タワーよりステラ1へ。風は方位1―5―0より6ノット。クリアフォアテイクオフ』
無線が聞こえてくる。甲高い音がひときわ嘶いた。
ブラックオウルの前輪がぐん、と沈みこむ。次の瞬間、機体は弾かれたように駆け出すと、あっという間にユーリの目の前を通り過ぎる。
轟音。ヘッドセットを貫いて響くその音は、ユーリの身体をびりびりと揺るがした。エンジンから青い噴射炎をたなびかせ、ふわりとブラックオウルが空に浮かび上がる。滑らかに上昇した機体は、さっと車輪を収納すると、離陸後右に旋回していった。
『タワーよりステラ2へ。滑走路への進入を許可』
「分かりました。ステラ2、滑走路へ進入します」
ユーリはヘッドセットを外し、技術者に渡した。幸運を、とだけ告げられ、小さくお辞儀して滑走路に足を踏み入れると、太陽に照らされ、車輪で蹴りつけられ、エンジンの炎で炙られた滑走路の熱がじりじりと足裏から伝わってくる。白い中央線の所にまで来て、その先を見据える。真っすぐ続く白線の向こうに続くのは、空。ユーリは静かに、クラウチングスタートの姿勢を取った。
翼に青い光が宿る。ユーリの脚の脇と頭から、小さな光の翼が現れる。飛行術式が駆動し、霊力供給量が増すと同時に低い唸り声の様な音が、甲高い高音へと変わっていった。
『タワーよりステラ2へ。風は方位1―6―0から4ノット』
ユーリの視線が、空を捉えた。
『クリアフォーテイクオフ』
ステラ2、テイクオフ。
ユーリはそう宣言する。翼の飛行術式の音がひときわ甲高く嘶くと、翼の後端から青白い噴射光が伸びた。滑走路を蹴る。走り出し、ぐんぐんと加速していく。竜の翼をひと際大きく羽ばたかせ、翼が大気を掴む。
ふわりと、ユーリは重力の鎖を解いて飛び立った。足の裏から、噴射光が伸びる。ぐんぐんと加速し、青空の中へ飛び込んでいく。
『ステラ2の離陸を確認。さて、仕事を終わらせて、早く帰るわよ』
「はい――夕暮れ前までには、皆の下へ」
竜は焼けつくような夏の青空の中へ、白い飛行機雲を一筋、なめらかにたなびかせる。そうして空の向こう側の群青の世界へと、静かに、静かに消えていった。
>くぅ~疲れましたw これにて第四章完結です!
>実は、ただアンジェリカの没案を無駄にしたくなかったのが始まりでした
>本当は縦ロール好きなだけですが←
>アイデアを無駄にするわけには行かないので挑んでみた所存ですw
つづく




