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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
205/217

78/Sub:"残響"

 野菜を切り、串に通す。単純作業だが、それが良かった。心が無になる。


「手伝いますわ」

「ありがとう……って」


 いつの間にか、アンジェリカが隣に並んでいた。ユーリは一瞬困惑するも、串と野菜を分けて串を彼女の方に回す。切った野菜をトレイに乗せていくと、彼女は無言でそれを串に刺していく。ユーリが切り、アンジェリカが刺す。流れ作業が完成していた。


「お肉を切ってくださいまし」

「うす」


 ユーリは野菜を切り終えると、包丁とまな板を洗う。水気の残ったそれを軽く拭くと、ビニールパックから肉を取り出して切り始める。一口サイズに、上手く切り分けていく。スパイシーな香りがほんのりと台所に広がっていった。切った肉を、アンジェリカが無言で串に刺していった。


「……息が合うよね、僕達」

「……ですわね」


 呆れたように、そしてどこか嬉しそうな声色をにじませてアンジェリカが言う。


「アンジー。僕はね」ユーリが、肉を切りながらつぶやく。「あの時、多分怖かったのだと、思う」

「……別に、不思議なことではありませんわ」

「でも、恐怖を克服できてこそ、人間だ」


 だろう? そうユーリが言うのに、アンジェリカは答えない。だが、ユーリはそれでよかった。ユーリの肉を切る手が、止まる。


「過ちを繰り返すかもしれない。だけど、それを反省して、次に活かしたい」ユーリは、アンジェリカの方を向かずに続ける。「だから、もう一度チャンスが、欲しい」

「もう一度だけじゃなく、何度だって」


 アンジェリカが、ユーリの手の上に自分の手を重ねる。ユーリがハッと顔を上げて彼女の方を見ると、アンジェリカが困ったようにユーリにほほ笑んでいた。


「ねぇ、ユーリ」


 アンジェリカが、そっと目を閉じる。


「なに?」

「空で、わたくし達を守ってくれて、ありがとう」


 アンジェリカが、そう言うと、ユーリの目尻に、ツンと来るものがあった。思わず空を仰ぐと、包丁を置いてアンジェリカに抱き着く。手が肉のつけ汁やらでギトギトなので、抱きしめることはできないが。アンジェリカも、そうやってユーリを抱きしめずに抱いた。


「報われる、って。こういうことなんだな」

「おかえりなさい。おかえりなさい、ユーリ」

「うん、ただいま。アンジェリカ」


 お互い身体を離すと、向き合ってほほ笑み合う。ユーリはようやく、帰ってきたという実感に満ちる。それまで、どこか家ではない、あくまで宿にいたような感覚。それが、消えた。


「バーベキューの準備、しないとね」


 ユーリがほほ笑む。アンジェリカも、つられて笑った。


「ええ。エリサも後で来るのに、間に合わせないわけにはいきませんわ」


 それもそうか。

 ユーリとアンジェリカは、二人で粛々と、宴の準備を進めた。




 炭がぱちぱちと音を立てる。アンジェリカはその前で、団扇で風を起こしながら、火の様子を見て、その上の金網に肉串を乗せた。じゅうう、と盛大に肉が焼ける音。


「これねぇ」


 ビーチチェアに寝転んだ咲江が、日差しを浴びながらビール缶を傾けてつぶやく。彼女の桜色のモノキニ姿は大量破壊兵器といわんばかりの破壊力を備えていて、アリシアは『うぉっ……』と呟いたきり再起不能になった。今では水が貼られたビニールプールに水死体のように仰向けに浮かんでいる。家庭用としてはやや大きめのビニールプールは二人で遊ぶのが限界のようだが、アリアンナがそうして浮かぶアリシアのへそにおもちゃを嵌めて遊んでいた。アリシアの反応はなかった。


「……」


 そんな様子を、パラソルの日陰でアウトドア用の椅子に座りながら見つめる、水着姿のエリサ。足元には蚊取り線香が炊かれ、百年前と変わらない夏の香りを漂わせている。


「はい、召し上がれ」


 そう言って横から差し出されるグラス。そこには、飲み物の注がれたグラスをこちらに差し出す、水着姿のユーリがいた。ミントが浮かぶうっすら黄身がかった液体の入ったグラスに、輪切りにしたライムが挿してある。


「ありがとうございますわ」


 エリサはほほ笑んでユーリからグラスを受け取ると、口元に運ぶ。爽やかなミントの香りに混じって、桃の甘い香りがした。口に運ぶと、自然な桃の甘みと、ミントのさわやかさ、そしてライムの酸味と苦みがアクセントになっている。


「桃のバージンモヒート、召し上がれ」

「素敵ですわ。おいしい」


 夏らしいさわやかさが、喉を潤していく。よく見ると、氷ではなく、小さく切られた凍った桃だった。一口口に運んで噛むと、歯に染みるような冷たさと共に、上品な甘さと香りが口に広がる。


「八百屋さんで、良い桃が並んでいたんだ」ユーリが、エリサの隣に座りながら言う。「折角だから、夏らしいものを、と思って」

「バーテンダーもできるなんて。本当に素敵な方ですわね」


 エリサは、ユーリの方を見てほほ笑んだ。

 二人で、静かにグラスを傾ける。アンジェリカは職人魂に火がついたのか、野菜と肉の串をてきぱきと入れ替えたりひっくり返したりして完全に料理人になっている。咲江は休暇で羽を伸ばすべく、イヤホンで音楽を聴きながら存分に日光浴を楽しんでいる。アリアンナはアリシアの腹の上にアヒルのおもちゃを置いてそれがツボに嵌ったのか大笑いして、流石に起きたアリシアに水をかけられて楽しそうに笑っている。

 手元のグラスに満ちた、夏の味わいが詰まった飲み物。

 そこには、夏休みの景色が、確かに存在した。


「これが、夏休み、でしたのね」


 エリサがどこか感慨深く呟く。


「僕も、アンジェリカ達とこうして楽しむのは、はじめてになる」

「あら。意外でしたわ」

「婚約したのは、今年の春だからね」ユーリは、飲み物を口に運んだ。「まだ半年も経ってないないんて、信じられないよ」


 思えば、あれから随分いろいろあったものだ、とユーリは感傷に浸る。アンジェリカの婚約だけではなく、咲江と出会い、アリアンナとも結ばれ、交友関係も広まった。どれも、一年前には考えられなかったことだ。


「……少し、昔話をしようか」


 アンジェリカもしたことだし、フェアにしないと。そう言うと、ユーリは呟くように語り出す。


「僕が小学校の、世間知らずのガキだった頃だ。自分の翼をどこまでも信じ切って、それで、どこまでも飛んでいけるって思ってた。周りの人の事なんて、気にしてなんていなかった」


 エリサは、少し驚いたような、それでいてどこか納得したような表情を浮かべる。


「きっかけは、ある大会。名前なら、エリサさんも聞いたことがあると思う。有名なエアレースの大会。それに出たんだ」

「ああ、琵琶湖グランプリ。話には聞いていますわ」


 エリサが呟くと、ユーリは懐かしそうな、それでいて苦い表情を浮かべる。


「うん。それの、ジュニア部門だ。それに出て……自慢みたいになるけど、優勝した」だけど、とユーリは呟く。「イカサマを、疑われた」

「まさか、貴方が――」


 そこで、エリサの記憶とユーリの話が、ようやく結びつく。噂では聞いていたユーリに関する過去のいざこざ。そして数年前に起きたレースのイカサマ疑惑()()事件が、急に噛み合う。


「でも、あれは」エリサは、記憶を掘り起こす。「記者が、レースを用いた違法賭博の腹いせに捏造記事を書いたと、そう判明しましたわよね?」

「それまでが、大変だったよ」


 そう言うユーリの表情は、どこか痛みを抑えるような表情だった。


「学校で、いじめられたさ。昨日まで友人だと思っていた子が、一斉に。学校の外じゃ、例の記者だけじゃなく、いろんな記者に追い回されたりもした。みんな、僕を嘘つきだと」

「……」

「エリサさん。竜を殺すのに、大層な武器なんていらないんだ」ユーリは、空を見つめながら言う。「ただ、ほんの少しの悪意があれば、それでいい」


 エリサは、ただ黙ってユーリの話に耳を傾けた。


「冤罪が発覚してからも、いじめは止まなかった。いじめをしていた連中が、急に僕の仲間だった、そう言い出して、『乗り遅れた』奴らをいじめだした。もう、誰が友人だったのか、誰の事が好きだったのか、思い出せなくなった」


 だから。そうユーリは続ける。


「そういうしがらみが何もかも嫌になって、地上を棄てようとした。だけど空から返ってきたのは――拒絶だった」

「貴方が言っていた限界とは、まさか」

「ああ。ストラトポーズを超えた、ほんの直後」


 ユーリは、空を見上げながら、ほう、と息をついた。


「コントロールが効かなくなって、失速。高度は落ちていくのに翼は空気を掴まない。地面にぶつかる前に、両親に助けられた」


 正直、そっちの方が堪えたよ。ユーリは、どこか苦々し気に嗤う。


「それから、世界が白黒になった。色はただのスペクトルの一次元的な違いにしか見えなくなって……空だけが、ただ青く見えた」


 エリサは、言葉が見つからなかった。ただユーリの、懺悔にも聞こえる回顧を、黙って聞き続けるしかなかった。


「そんな時だった。アンジェリカが引っ越してきて、転校してきたのは」彼の声色が、僅かに変わる。「始めは、彼女のことも認識できなかったさ。だけどさ、彼女が、いまだに僕をいじめていた子に、手袋を投げつけて言ったんだ。『決闘しなさい! 負けたら、ユーリに土下座して謝れ』って。ろくに彼女の事も見れてなかった、僕のために」


 ユーリの視線が、空から移る。目線の先には、汗をぬぐいながらバーベキューの肉を焼くアンジェリカの姿。


「それで、初めて、白黒だった世界に色が付いたんだ。目に焼き付いて離れない――鮮烈な、赤色が」

「それが、貴方がアンジェリカの事を慕う理由なのですわね」

「うん。恥ずかしいことに、ね」


 どこかユーリは照れくさそうにつぶやく。


「だから、その赤色が望む世界へ、僕は彼女を連れて行きたいと。そう決意したんだ。婚約を告げられた時は困惑もあったけど、それはずっと変わらない。僕の理由そのものだ」


 ユーリは、ゆっくりエリサの方を向く。エリサの青色の目と、ユーリの金色の竜の目。


「綺麗な、スカイブルーだ」

「……私は、全てを失いましたわ」


 エリサは、自嘲するように語り出す。


「お爺様はおそらく、生きて刑務所を出れないでしょう。皐月院の資産も、もうじき全て差し押さえられ、凍結される。それと引き換えに得られたのは、ただこの身一つの自由」

「人生を始めるのに、タイミングなんて要らない」


 それに。ユーリはエリサに向けて、言う。


「本当に大事なものは、抱えているんだろう?」

「……ええ」


 エリサは、どこかスッキリしたように言う。


「アンジェリカは、受け入れてくれるでしょうか」

「今更、かもしれないよ」ユーリは、どこか呆れたように笑う。「みんなを乗せる覚悟も、出来てるよ」

「ところで、先程話していた決闘の話、どうなったのです?」

「それがお笑いでさ」ユーリは、くつくつと笑う。「アンジーがその子の『顔に』向かって手袋を『思いっきり』投げつけちゃったせいで、その子が大泣き。決闘どころじゃなくなっちゃったよ」


 エリサは、思わず噴き出した。


「ちょっ……!」

「でも、大変だったんだよ? クラスの皆が必死に抑えながらも『泣き喚いていないで何か言えばどうなのですこの売女!』って。先生が顔を青くしてたよ」

「い、言いそうですわ……!」


 必死に笑いを堪えるエリサ。

 ふと、太陽が陰る。二人でそちらを見ると、そこには仁王立ちしたアンジェリカの姿。


「あら? 二人で随分愉快な話をしているようですわね?


地上を棄てようとした竜は、ただその赤色に心を灼かれた。

かくしてその竜は、その輝きを空へ上げんとし、己を翼とした。

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