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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
203/217

76/Sub:"休暇"

 目が覚める。

 見慣れない天井。薄暗い部屋。

 ユーリは、しばらくしてそれが実家の自分の部屋の天井だと気付いた。部屋の中はひんやりとしていて、ユーリの霊力が周囲に染みて気温を下げていた。

 掛布団をそっとのけて起き上がる。速乾性の半袖に短パンが、ユーリの寝汗を吸ってかすかに湿っている。ぼんやりと窓の外を見ると、随分と早い時間に起きてしまったらしい。日はまだ昇っていないようで、窓はまだ暗い。

 妙な時間に起きてしまった。そう思って横になるが、眠気はちっとも湧き上がってこなかった。普段から早起きしているのに加え、時差ボケもまだ残っているようだ。端末で電子書籍でも読もうと思ったが、端末に手を伸ばしかけて、やめた。

 遠くで虫の鳴く音が聞こえる。朝焼けが空を照らす前の、夜の残滓が残る空。鳥の声も聞こえないそこを、音色だけが静かに彩っていた。

 空を飛ばなくなって、一週間。随分と、いろいろな地上の物を見ることになった。この夜明け前の静寂も、その一つだった。普段なら気にもかけず、轟音を響かせて空に舞い上がり、地上に置いてきた風景。

 ユーリは、その音にただ耳を傾ける。横に寝返りを打っても、ただ壁が広がっているだけ。そこにアンジェリカの姿は無い。

 ただひたすらに、一人の部屋の冷たさが、身に染みた。

 剥いだ布団を、かぶり直す。真夏のはずなのに、家の構造と、ユーリの霊力で寒い。布団の中は温かいはずなのに、その広さが、ただ寒さとして心にしみ込んでくる。

 横向きが上手く寝れなくて、再び寝返りを打つ。うつ伏せになって、少し落ち着く。淡く光が迸り、人から竜人の姿になって、翼で自分を抱きしめるように覆う。枕に顔を押し付けると、自分の匂いがした。何とも言えないが、自分の場所だと、なんだか安心する匂い。すべすべとした枕の感触に、頬を押し付けているとなんだか段々と眠くなってきて、ユーリはゆっくりと眠りの世界へと一段、また一段と降りていく。


「朝飯だぞ」


 がらり、と戸を開けて父親が言う。はっとしてユーリが目を覚ますと、辺りはすっかり明るくなっていた。半ば寝ぼけた頭で辺りを見回すと、外はすっかり朝になっていて、鳥のさえずりが鈴の音のように響いている。


「先に顔を洗うか?」

「うん……そうする」


 のそり、と布団から這い出るユーリ。器用に布団をあまり乱さずに布団から出ると、畳の上でへたり込む。


「寝れたか?」

「……多分」


 どこか上の空にユーリが応えると、父親は肩をすくめた。


「朝飯が冷めちまうぞ。先に食べてるからな」

「すぐ、行くよ」


 そう言って、ドアを開けたまま父親は部屋を出ていった。

 ユーリは床にへたり込んだまま辺りを見回す。感覚が鋭敏になっているような気分。大きく欠伸をすると、目に涙がにじむ。ぱちくり、と瞬膜を瞬かせる。


「……顔、洗おっと」


 のそりと立ち上がって、ユーリは部屋から出た。

 静かな廊下を、ミシミシと小さく木の床をきしませて歩く。少し猫背になりながら、一歩一歩、確かめるようにして歩く。

 すぐに洗面所にたどり着く。洗面台の前のガラスには、自分の顔が映る。わらながら、間抜けな表情をしていた。寝汗のせいか、寝癖も酷い。シャワーでも浴びようかとも思ったが、先に食事にしよう。顔だけ洗うと、横にかけてあったタオルで顔を拭く。目ヤニが取れて、幾分か意識もしっかりした気がした。

 居間に向かう。襖を開けると、長机に皆が座って、朝食を食べていた。両親だけではない。祖母――とはいっても、龍の彼女は両親と同じ二十代後半にしか見えない――の奏や姉の真理、妹の理穂に弟の理彦、玉江の姿もある。


「あら、ユーリ。おはよう」


 真理が言う。他の面々も、ユーリに挨拶をしてきた。


「おはよー、兄ちゃん」

「おはよう、兄さん」

「遅かったな、有理」


 ごん、と母親に小突かれて玉江が挨拶をする。


「お、おはようじゃ、ユーリ」

「……うん、みんな、おはよう」


 丁度一人分開いていた席に、座り込む。朝ごはんはなんてことはない、白米に、味噌汁、焼いた鮭の切り身、野沢菜、納豆。


「いただきます」


 そっと手を合わせて、朝食を食べ始める。少し熱を失っているが、温かい。味噌汁を啜ると、冷えた身体が内側から温まるような気がした。


「ユーリィ」母親が、ユーリに聞いてきた。「よく眠れましたか」

「うん。大丈夫だよ、母さん」

「そうですか」


 あくまで冷静に返す母親。その顔に安堵の表情が浮かんでいるのは、流石にユーリでもわかった。


「今日、何か予定はあるのか?」


 父親が母親の茶碗にお代わりのご飯を、お櫃から盛りながら言う。


「私は、大学の課題に取り掛かるわ。図書館に行ってくる」


 真理が言うと、理彦がげぇ、と舌を出した。


「姉ちゃん。折角忘れてたのに思い出させないでくれよぉ」

「理彦兄さん。宿題は計画的に、ですよ」

「そう言う理穂だって昨日、深夜まで友達と話してて全然進んでなかったじゃないか」

「……なんのことやら」


 はぁ、と母親がため息をつく。


「二人とも、課題はただこなすだけでは意味がありませんよ」


 はーい。二人の声が重なった。

 再び、食卓に沈黙が流れる。ユーリが黙々と朝食を食べていると、祖母が口を開いた。


「有理。お前にも聞いていると思うのだが」


 そこで、ユーリは全員の視線が自分に向いていることに気付いた。


「あー……」


 僕は。そう言おうとして、自分が今日の予定が何もないことに気付く。


「何も、ないよ」


 どこかぶっきらぼうに、そう返すしかなかった。


「兄さん、宿題は?」

「もう、終わらせたよ」

「あー、兄ちゃん、昼間ずっと部屋に籠ってると思ったら……」

「することが、なかったから」


 ユーリはそう言って再び朝食を口に運ぶ。

 彼が言ったことは半分正解で、半分嘘だった。正確には、何かタスクで脳をいっぱいにして、考え事をしたくなかった、が正しかった。

 再び、食卓に沈黙が流れる。母親も、どこか落ち着かなさげに視線をチラチラと姉弟の間で行ったり来たりさせたりしている。一方、それがどこか予想通り、と言ったような表情で父親は空になっていたユーリの茶碗にご飯をよそった。


「なら、丁度いいさ。今朝、電話が来てな」父親は、ユーリに茶碗を渡しながら言う。「アンジェリカちゃんが、いつもの屋敷に来て欲しい、だと」


 びく、とユーリの肩が跳ねる。

 考えないようにしていたことを、直球で撃ち込まれる。狙撃手が放ったヘッドショットの銃弾のように、それはユーリの思考に深く食い込んだ。


「……アンジーは、なんて?」

「さぁ? ただ、朝食は控えめにするように、だってよ」


 ユーリが手元を見る。茶碗のご飯は、少ししか盛られていなかった。


「いつもみたいに、これ以上のお代わりはナシだぞ」


 言っていることの意味は解らなかったが、情報の衝撃で一気に食欲が失せたユーリには、どこか丁度良かった。

 朝食を終え、シャワーをさっと浴び、普段着に着替えてリュックを背負う。玄関まで浮かうと、母親が立っていた。


「母さん」


 思わずユーリが母親に話しかけると、彼女はユーリを見つめながら言った。


「ユーリ。貴方が彼女の事を考えないようにしていたのは理解できますが、そろそろ潮時と言うものです」

「……気づいて、いたんだね」


 当たり前ですよ。そう言う母親は、どこか優しい表情をしていた。


「負い目を感じているようですが、向き合うときが来ただけです。だって彼女は」

「……僕の、妻だから」


 ユーリがそう言うと、母親は小さく目を丸くした。そしてそれから、優し気に微笑んだ。


「この縁談を持ってきて、やはり正解でした。いってらっしゃい。夕飯までには、帰ってくるのですよ」


 ユーリは靴を履く。ドアを開けると、質量を持ったような熱気が彼にぶつかってくる。


「いってきます」


 そう言って、ユーリは玄関から外に踏み出した。

 屋敷までの道のりを、歩く。飛行停止処分になっているので、空を飛ぶことなく、大地を踏みしめる。じりじりと路面を照り付ける太陽の熱を感じながら歩き続ける。ドラゴンブレスによる冷却と、夏の高温がユーリの肌のすぐ外側でせめぎ合った。


「あれ、穂高君?」


 家からしばらく歩いたところで、声をかけられる。振り向くと、そこには桜の姿があった。白いワンピースに、つば広の麦わら帽子。彼女の長い黒髪もあって、どこかのお嬢様のようにも見えた。


「霧島さん。久しぶり」

「こんな所で出会うなんて、奇遇だね」


 正直な所、ユーリは真っすぐ屋敷に向かっているわけではなかった。すこし遠回りをする。『何か、手土産を持っていく』と言う言い訳を、自分に何度もしながら。


「穂高君は、どうしたの?」

「別に。やることもないから、外を歩いてただけさ」


 ふーん、と桜は不思議そうに言った。


「そういう時、穂高君はいつも空を飛んでる、って勝手なイメージだったけど」

「……そう、だね」


 だけど、とユーリは続ける。


「こうしてただ地上を歩いていると、いろんな光景が見える。空から見えない景色もある。これはこれで、悪くない」


 そうユーリが言うと、桜はただ、そうだねえ、と返した。


「桃の美味しいお菓子も、地上じゃなきゃ食べれないし」

「へえ。どんな?」


 ユーリが聞き返すと、桜はそうだ、と笑顔で言った。


「これから、部長とデートなの! 穂高君も、一緒に来る?」

「部長って、アルマ部長と、デート?」


 ユーリが不思議そうに言うと、桜は一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、可笑しそうにくすくすと笑った。


「やだ、穂高君。女の子同士でもデートに行くくらい、するよ?」


 そういうものなのか、とユーリは認識して、誘いを断る。


「ごめん。これから約束があるんだ。お菓子を教えてくれると、助かる。お土産にしたい」

「いいよ。それってアンジェリカさん?」


 そう桜が言うと、ユーリは一拍置いて、うん、と呟いた。


「そっか」


 それだけ言うと、桜は菓子の名前と、売っている所を教えてくれた。


「今度、一緒に遊ぼうね!」

「うん。霧島さんも、部長と、楽しんで」


 そう言って桜と別れる。ユーリはその菓子を買いに行き、五つ買った。地元産の桃のジュレ。確かに美味しそうだ。ドラゴンブレスで冷やしながら、屋敷に向かった。

 ゆっくりと、景色を眺めながら屋敷へと歩みを進める。空からでは『地上の風景』でひとくくりにされる家々を、一軒一軒見ながら歩く。そうやって、心のどこかで屋敷との距離がゼロになるのを躊躇いながら歩いていると、聞き覚えのある高音。振り向くと、それはユーリの後方から近づき、路肩に停まった。白い車。間違いない。運転席側の窓が開く。


「あら、ユーリ君。丁度良かったわ」


 咲江が、楽しそうに顔を覗かせた。


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