74/Sub:"ボギー"
「咲江!?」
アンジェリカは思わずインカムに叫んでいた。パイロットがぎょっとした顔で彼女の方を振り向くが、先に無線から声が帰ってくる。
『アンジェリカちゃん? なるほど、そう言うことね』
高度38,000フィート、アンジェリカ達のジェットから四八海里地点。
ブラックオウルはその黒い翼を半分程広げ、ダークブルーの空に刃を突き立てるように大気を切り裂いていた。機首の複合センサーで所得した情報はHMDの仮想全天周モニターに表示されている。アンジェリカ達の後方を占位する一機に、周囲を囲んで退路を塞ぐように存在する三機の姿。機体のAIが即座にパターンを解析し、それぞれの機種を判別していく。
後方に存在するのは型落ちとなったRF35E。おそらくこれが無人機の管制機だろう。無人機は複数候補が表示されるが、咲江は即座にMQ18と認識。第四世代戦闘機であるFA18の無人機発展版だ。安価で、よくPMCが採用している。咲江も、何機も墜としてきた経験のある機だった。
『ステラ2』
咲江は、秘匿性の高い近距離霊波通信で語り掛ける。リンク8、ターコイズ。接続先はステラ2――ユーリ。
『さっきの急上昇は、これが目的ね』
『……少し遠くまで、見渡したかっただけですよ』
先刻、ユーリと咲江はユニオン技術部による、ユーリの新型フライトスーツの試験を公海上で行っている所だった。その際、ユーリがドッグファイト中に急上昇。対流圏界面を超えた。彼の癖から外れたその行動に、咲江は一瞬違和感を覚えたが、直後に飛び込んできた通信に意識を切り替える羽目になる。
『スコーク75を発信している機体を確認』
咲江はその時、薄いECMが空域に展開されていることに機械より先に気付く。微弱だが、至近距離――もちろん、空における距離感であるが――の民間機の長距離通信機能を遮断するには十分な程度。ユーリが高高度に上昇して見通し圏内に入らなければ、気づかなかっただろう。
「AWACSサインメーカーへ。こちらステラ2。付近を飛行中の民間機よりスコーク7500の発信を確認。民間機が、複数の軍用機にインターセプトされている。ECMを確認」
『ステラ2へ。こちらもECMを確認した。日本国並びに国際対テロ条約に基づき、民間機へのコンタクトを命令する。右旋回。方位、0―8―0。高度39,000』
「ウィルコ」
咲江はスラストレバーを押し込み、フライトスティックを傾ける。彼女の操作に機体はすぐに反応。動翼が動いて機体は右に八〇度ロールすると、そのままピッチアップして空を滑らかに切り裂いていく。彼女の身体をジワリとGがシートに押し付けた。
『AWACSサインメーカーよりステラ1へ。交戦は命令あるまで許可しない。撃たれるまで撃つなよ』
「了解。マスターアーム、セーフ」
咲江はテストモードになっていたアーマメントスイッチがセーフティーの位置にある事を再度確認する。条約の事もあるが、テストフライトで軽装備とは言え武装した状態で飛ぶのがいつも厄介に思っていたが、とうとうその日が来てしまったと思うと心が重い。武装は機関砲に、短距離AAMがウェポンベイに二発。そして胴体下部のアスカロン。
「折角平和な空だってのに、ったく」
そこで、咲江は自機の後方に、ステラ2、ユーリが追従してきていることに気付く。
『ステラ2。AWACSサインメーカーの空域へ戻りなさい』
『ステラ2からステラ1へ。僕だってアビエイターだ。条約に批准する義務がある』
ぐ、と咲江は酸素マスクの下で唸った。機体を水平に戻すと、ユーリもそれに追従する。
『……AWACSサインメーカーからステラ2へ。民間機のエスコートを許可する。ただし、交戦は禁止。繰り返す、交戦は許可しない』
『ステラ2。交戦禁止』
本当に分かってるのかしら。咲江は、ユーリの声色に不信感を覚えつつも、目の前のことに集中することにした。既に距離は15,000を切っている。不明機は、今のところ何かをしてくる様子はない。ただ、ECMだけはいまだに継続して行われているのが不気味な何かを感じさせられた。AWACSの命令を遵守しつつ、マスターアームのスイッチをアームドに切り替えられるように意識しておく。
『見えた』
ステラ2からの通信。丁度同じタイミングで、咲江も民間機と不明機の姿を同時に確認する。ワインレッドの、見たことない機体のビジネスジェット。高高度を極超音速で飛ぶのに適した形状をしている。不明機の方は、咲江の予想通りだった。RF35Eに、MQ18。
『不明機へ。こちらユニオン空軍。対テロ条約に基づき、スコーク75を発信する民間機のエスコートに来た。ECMを発信している貴機の目的を述べよ』
AWACSサインメーカーが咲江のブラックオウル、並びにユーリを通して呼びかけを行う。予想はできていたが、もちろん返答はない。咲江は小さくは、とため息をついた。操縦桿を握る手に、小さく力が籠る。
『不明機へ、繰り返す――』
AWACSが呼びかけを行っている最中に、咲江はビジネスジェットと交差した。高度を3,000フィート空けての交差。直後にユーリは一八〇度ロール。スプリットSを行って高度を下げるとともに、ビジネスジェットと進路ベクトルを合わせる。
『サインメーカーへステラ1。ステラ2が民間機とコンタクト。こちらは不明機と接触する』
接触を許可。AWACSからの返答を聞き届け、RF35Eへ機首を向ける。
けたたましい警告が、響いた。
「っ!」
咄嗟にボタンを叩いてアークフレアを発射。同時にスラストレバーを最奥まで押し込み、フライトスティックに力を込める。ブラックオウルの機体下部の放電索からアーク放電が起き、球電が空に群れを成して瞬く。ブラックオウルのエンジンから青い炎がダイヤモンドコーンを描いて伸び、機体が一瞬で音の壁を突き破る。
『こちらステラ1! レーダー照射を受けた! ブレイク、ブレイク!』
『ユニオン空軍より不明機へ! 攻撃をやめろ! 貴機は、明確な条約違反を侵している! 停止しない場合は、撃墜する!』
サインメーカーが叫ぶ。咲江へのレーダー照射は止まない。咲江は機体を急降下させ、直後に急上昇しながら鋭く左旋回。フェイントに引っかかった無人機の内の一機が、あっけなく六時方向を差し出した。
『――ユニオン空軍機へ』
無線に、聞いたことのない音声が響く。男の声だった。冷静に感情を押し殺したような声で、それは淡々と無線から語り掛けてきた。
『こちらは、ダークホライゾン社。所有する無人機が原因不明の暴走を起こし、制御不能。敵対する意図はない。繰り返す、敵対する意図はない』
白々しい、と咲江はマスクの下で舌打ちをする。いまだに展開され続けているECMの出所が管制機のRF35Eである事は、とっくに判明している。無人機からのレーダー照射は、収まる気配がない。
ミサイルアラート。
「くっ!」
咲江は機体を急旋回させ、左右に大きく振り回した。ミサイルが咲江のブラックオウルを追って右往左往するうちに、燃料と速度を使い果たして墜ちて行く。咄嗟にフライトスティックを操作。マスターアーム、オン。武装はレールガンを選択。照準の中央に、大推力でブレイクをかける無人機が収まった。
『やむを得ん! ステラ1、交戦を許可! 無人機を全て撃墜しろ!』
「――ウィルコ。ステラ1、エンゲージ」
言葉と同時に咲江はトリガーを引く。直後、青いイオンの航跡を空に残して、レールガンが無人機を貫いた。一瞬で炎が無人機を内部から食い破り、空に黒とオレンジの花を咲かせる。
「ひとつ」
咲江は叫び、すぐにブラックオウルを別の無人機へと食らいつかせる。
爆発は空を揺るがした。無人機内部の燃料と爆発物が引き起こした空気の振動は、ビジネスジェットにまで容易に伝わり、機内を揺らした。乱気流とは違う、機体を直接殴られたような振動。
「きゃあああっ!」
修也の婚約者が叫ぶ。エリサも、悲鳴を必死に押し殺した。
「まさか、ここまで愚かだとは!」
コクピットでアンジェリカが叫ぶ。
『アンジー!』
ユーリの叫びが、霊波通信から聞こえてくる。アンジェリカは、叫び返した。
『問題ありませんわ! 至急、この空域を離脱します!』
『エスコートする! 一刻も早く、レーダー圏内へ!』
パイロットがスロットルを押し込んだ。機体の複合サイクルエンジンが唸り声をあげて推力を増し、機体が再加速していく。ユーリもそれに追従した。戦闘機のそれに比べるとはるかに遅い加速。ユーリはそれに腹立たしさすら覚える。彼は冷静に、遠くで起きている空戦の様子を観察する。
二機の無人機に食いつかれている咲江。だが彼女は状況をコントロールし、一対一の状況に常になるように立ちまわっていた。無人機の一機が咲江のブラックオウルをロックオンしようとすると、もう片方の無人機と敢えて重なる。ミサイルシーカーがもう一機の方の無人機をロックオンしてしまい、無人機はもう一機に退避を要請する。緊急退避して射線を開けようとするが、そうすると速度を失い、そこに咲江のブラックオウルが食らいつく……。
じりじりと咲江が無人機を追い詰めているのに対し、無人機はいまだに咲江に初撃の不意打ち以外に有効な攻撃を与えられないでいた。まるでしびれを切らしたかのように強引に咲江のブラックオウルにシザーズ機動で攻撃を行おうとする無人機。それは、咲江の掌の上だった。
ブラックオウルの旋回性は無人機よりも高い。格闘戦を挑んでしまった時点で、ブラックオウルに理があった。よりシザーズ機動を返され、前に押し出されて無防備な側面を晒した無人機。ブラックオウルの機関砲が咆えた。一列の砲弾の雨は輝く鞭のように無人機を脇から叩いた。ぱっと空に炎の花が咲く。
『ふたつ』
無線機から冷たい声が響く。あっという間に、二機の無人機をはたき墜とした咲江。冷酷に、最後の一機に狙いを定める。
「……すごいな」
思わずユーリは小さく呟く。最早、最後の一機の無人機も墜とされるのは時間の問題にも見えた。
『ユーリ、後ろっ!』




