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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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71/Sub:"冷却"

「よくぞ無事で……おかえりなさい、ユーリィ……!」


 そうしていつまでもユーリを抱きしめるリリア(母親)。流石に息が苦しくなってきたので、ユーリは身体を押して離れる。想像よりも強く、離すのに苦労した。


「ユーリィ、身体は無事ですか? 眩暈や、視界が変だというのは」

「ないよ。大丈夫だ、母さん」


 そう言ってユーリは自分の胸を軽くたたいてみせる。リリアは、しばし訝し気な表情でユーリを見ていたが、すぐにキリっとしたいつもの表情に戻る。


「無茶をして……!」

「ああするしかなかった。僕は、後悔してないよ」

「そういう問題ではないのです!」


 そう声を上げるリリアに、理人がまぁまぁ、と静止する。


「無事だったんだ。それで十分じゃないか」

「理人さん!」


 リリアが抗議の声を上げるが、ユーリを庇うように理人が立つと、彼女は押し黙る。


「落ち着けって、そう強く抱きしめたら、ユーリがぺしゃんこになっちまう」

「それくらいできないと思いですか!」


 理人が押さえている間に、ユーリはそっと横を抜けて家の中に入る。


「待ちなさいユーリィ!」


 後ろから声が聞こえてきて、思わずびくりと肩を震わせた。


「部屋に戻って、少し休んでるよ!」


 そう半ば捨て台詞のように言って、ユーリは靴を脱ぎ捨てて家の中に入った。

 よく磨かれた木の板の廊下を歩く。滑るような感覚すらして、掃除が良く息届いているのはごく当たり前だと幼い頃は思っていたが、自分で掃除をするようになってからその大変さが身に染みてきた。ユーリは自分の部屋までたどり着くと、襖を開ける。

 たびたび帰ってきていたはずの部屋は、まるでホテルの一室のような感覚を覚えた。非常に馴染み、心休まる空間であるのに、ここが居場所ではないような違和感。少ない私物を屋敷の方に運んだだけでこれか、とユーリは妙な感想を覚える。

 荷物を下ろし、床に座り込む。落ち着いた畳の匂いと、木の香り。それが混ざり合って、独特な空気を作り出している。

 そしてそのすべてが、ユーリにとって違和感としてただ襲い掛かってくる。ここじゃない。もっと、自分にフィットした空間に。

 しばし、黙り込んだ。外で鳴く蝉の声が、遠くに聞こえた気がした。寝転ぶと、木目が走る天井と、ぶら下がった年季を感じる室内灯。

 ユーリはむくりと起き上がると荷物を拾い上げてリュックに手を突っ込むと、メモ帳を一枚破いて、そこに帰る旨を走り書いて机の上にそっと置いた。リュックを前に抱え込み、腕に航空免許を巻く。静かに部屋の襖を開けて音もなく外に出ると、廊下には誰もいなかった。足音を殺しながら、堂々と廊下を歩いて玄関に向かう。生憎、誰にも会わなかった。

 玄関で靴を鞄に放り込み、靴下を脱ぐ。素足で玄関の外に出ると、青い空が広がった。

 ユーリを光が包む。人から、竜人の姿に。シャツの背中を突き破って、翼を広げた。


「……」


 振り向いて、家を一瞥した。

 ユーリは、翼を羽ばたかせた。翼が大気を纏い、空にユーリを引きずり込む。飛行術式が甲高い音を立てて、ユーリは重力から解き放たれた。翼だけではなく、足の裏からも噴射光が伸びる。

 そこまで高高度に上がる必要はない。緩やかに旋回し、屋敷を目指す。空に滑らかな弧を描いて飛び続けると、あっというまに見慣れた景色が広がってきた。見慣れた住宅街、見慣れた並木。その真ん中に向けてユーリは降下していく。翼を広げて揚力を増しながら抵抗を大きくし、速度と高度を同時に殺す。慣れてすっかり身に付いたやり方。飛行術式の推力の作用点が翼だけでなく足にも作ったことで、さらに細かいベクトル制御ができている気がした。

 ユーリは狙った着地点へと、寸分たがわずに降下していく。地面に、そっと触れるような着陸。水平速度と垂直速度を完全に殺した、完璧な着陸。荷物を抱えているのでいつもより慎重になっているとはいえ、ここまで上手く行くとは思ってもいなかった。少し驚きながらも、翼を畳んで歩きだす。門を開けて、つぼみが並ぶヒマワリの間に通る石畳を歩いてドアにたどり着く。

 鍵を取り出して開けると、室内からむわっとした空気が流れ出してきた。ユーリのドラゴンブレスで冷却せずに、エアコンのみだとこうもなるか、とユーリは壁に手をつく。そこからドラゴンブレスを流し込むと、壁に一瞬青白い文様が浮かび、すぐに消えた。同時に室内の空気の温度が少し、下がった気がした。しばらくそうしていると、どたどたと足音が聞こえてくる。


「えっ、ユーリくん? どうして日本に?」

「ああそれは――」


 ユーリは思わず吹き出してしまう。

 階段の上にいたのは、咲江。しかし問題はその恰好で、タンクトップにパンティのみだ。そのタンクトップも、彼女の暴力的ともいえる母性の象徴を前に、元の形が分からなくなるほど歪んでいる。思わず、ユーリは顔を赤くして顔を逸らした。


「た、ただいま、咲江さん」

「えっ、アンジェリカちゃん達は? ユーリ君一人だけ?」


 そう言って駆け下りるように階段を降りてくる咲江。ユーリは、なんとか咲江の首から下を見ないようにしながら彼女の方を向く。


「訳あって、別々に帰ることになっちゃって」

「あら」


 そう言って咲江はユーリの瞳を真っすぐ見据えてくる。彼女の、星空のようなマゼンタの瞳がユーリの金色の竜の瞳を真っすぐ見つめる。何だか心の底まで覗かれているような気分で、ユーリは思わず目を逸らしたくなったが、どうしてか咲江の瞳から目を逸らせなかった。

 そうしてしばらく見つめ合っていると、小さく息をつくと同時に咲江が瞳を閉じた。


「まぁ、良いわ」咲江は、それからゆっくり目を開けてほほ笑んだ。「お帰りなさい。ユーリくん」

「……はい、ただいま」


 よろしい、と満足げに言う咲江。彼女はさて、とユーリを上から下まで走査するように見る。


「お風呂、入りましょうか」

「は、はい」


 思わずうなずくユーリ。汗は掻いていたし、外の汚れを落としたい気分でもあった。


「私の部屋を使っていいわ。折角だし、ね?」

「え、ええっ」


 思わず素っ頓狂な声を上げるユーリだったが、咲江がユーリの持っていたスポーツバッグを半ば奪うようにして軽々と持つと、ずんずんと階段を昇っていく。ユーリは後ろ手にドアを閉めて戸締りをすると、慌てて咲江の後を追いかけた。二階に上がると、暑い空気がユーリ達を包んだ。


「僕の部屋を使いますよ」

「いいのよ。それに一人でつまらなかったから湯船にお湯を溜めていたのも、無駄にならないわ」


 そう言ってずんずんと歩みを進める咲江の後を追いかけるユーリ。二階の廊下の一番奥。突き当りにあるドアは半ば開いていた。そこに入っていった咲江を、一瞬躊躇するも意を決してユーリも追った。

 咲江の部屋に入るのは、ユーリは初めてだった。内部は意外と普通の部屋で、レイアウトは他の部屋とあまり変わらない。ただ違うのは、中央に置かれているのはアンジェリカとユーリの部屋と違って、広めのシングルベッドが壁に寄せるようにして置かれている。


「エアコンの効きが悪くて、部屋に籠っちゃっていたわ」

「暖房はともかく、冷房はあまり効きが良くないですからね……」


 この屋敷の共有冷暖房は、中央の熱制御器で作られた冷水か熱水を各部屋に供給するシステムだ。熱制御器が古いせいか、どうにも冷房側の運転が上手く行かなかった。夏を目前の時点で発覚したこの問題のせいで、アリシアと咲江で屋敷全体にユーリのドラゴンブレスを流す術式回路を敷設する羽目になったのは、まだ記憶に新しかった。


「あれ、ならどうしていたんです?」

「ふふ、これよ!」


 そう言って咲江が部屋の奥、ベッドの影から引っ張り出したのは、小さなテーブルほどの大きさはある謎の、青色に光る板。


「なんですか、それ」

「ふふん、技術課から、宇宙船用のペロブスカイト結晶熱光変換冷却器を借りてきたの。宇宙用の物の、試験用よ」

「ああ、光ると冷える素子、でしたっけ」


 そうユーリが言うと、咲江は少し驚いたような表情を浮かべる。


「あら、知っていたなんて」

「アリシア姉さんが、それで実用的な目的で光るPCを作っていた時に知りましたよ」


 結局PCの筐体を全て素子で組むことになり、放熱が進むとなかなか壮観に光るものになっていたのをユーリは思い出す。負荷試験をしていた時は赤色に輝いていたのが、だんだんと緑色に変わって輝いていた。複数の素子を組み合わせることがコツだの、何か言っていた気がする。結局そのPCはほぼ趣味で作っていたものがマニアに高く売れたらしく、少し羽振りが良くなった時期があった。ちなみにそうしてしばらくして彼女の部屋を訪れた時、彼女のPCも光っていた。


「ふふん、なら話が早いわ」


 咲江はそれを元あった場所に戻す。ユーリが覗くと、枕元にコンセントに刺さったそれと、それに風を当てるように置かれた扇風機があった。


「光も青色だし、丁度涼しくていいのよ」

「電気代とか、大丈夫ですか?」

「ふふ。こう見えて、通常のヒートポンプの熱交換機より高効率なのよ」


 まぁでも、と咲江はユーリの方に向き直る。


「ユーリ君のドラゴンブレスが、一番涼しいわ」

「お望みとあれば、空気が液化するまで」

「ふふ、それなら複合サイクルエンジンも安心して動かせるわね」


 そう言って咲江はクローゼットを開けると、タオルを取り出してユーリに渡してくる。


「着替えは、この中に?」

「自分で出しますよ、流石に」

「ママに任せなさい、なんてね」


 そう言って悪戯っぽく舌を出す咲江に、思わずユーリはドキリとして頬を染める。リュックを部屋の脇に降ろし、逃げるようにして風呂場に入った。

 風呂場は、ユーリ達の部屋よりも二回りほど大きかった。入口正面にすぐトイレがあり、その脇に風呂場の部屋があるような構造だ。広々としている分、風呂も大きく、ガラスで区切られた中にはシャワーと、ユーリも足を延ばせそうな広さの湯船がある。まるでリゾートホテルだ、とユーリは苦笑いを浮かべる。

 どのみちここから逃げられそうにもないので、観念して服を脱ぎだす。竜人から人に姿を変えて服を脱ぐと、背中に穴をあけてしまったシャツが手元にあった。申し訳ない気持ちをどこか覚えながらそれを軽く畳んで部屋の脇に置くと、ズボンを脱いで産まれたままの姿になる。洗面台の鏡に映った自分の姿を、じっと見つめる。


「はーい! ママですよ~!」

「うわあああっ!?」


 扉を開けて咲江が入ってきた。思わずユーリは股間を隠して、咲江を精一杯睨みつけた。


「ユーリ君、入浴剤はいるかしら? 丁度試供品でもらったのを溜めていたのよ」

「いらないですよ!」


 そう叫んでユーリはじりじりと後ずさりしながらシャワールームに入り、ドアを閉める。生憎、曇りガラス機能は付いていなかった。自分の部屋にあるあのシャワールームの無駄な機能が、今ほど欲しかった時はなかった。せめてもの抗議に、シャワーの水をガラスにかける。

 とりあえず、早くシャワーを浴びてしまおう。湯船と同じく無駄に広いシャワースペースで、頭から湯を被ろうとした時だった。


「よっと」


 そんな、軽い声。布切れの音。嫌な予感がする。思わずユーリは振り向く。

 咲江が、服を脱いでいた。


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