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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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67/Sub:"淘汰圧"

 そうやってしばらくアンジェリカとお互いの存在を確かめ合っていると、ドアを開けて誰かが入ってくる音がする。思わず離れてカーテンの向こうを伺っていると、カーテンを開けて入ってきたのは医師と、スーツにネクタイをかけた、おそらくは外国人男性。一瞬身構えるも、首から下げた職員証にすぐ目が行く。警察だった。


「穂高ユーリさんですね」

「はい」


 流ちょうな日本語で話しかけられる。英語で会話するつもりだったユーリは若干肩透かしのような気分をもらうことになる。


「先日の機動エレベーターの急減圧事件、貴方は現場にいたのはこちらで把握しています」

「はい、間違いありません」

「そのことに関して、ホノルルの署でお話をお伺いしたいことがあります。参考人として、ご同行お願いできますでしょうか」


 そう言って彼はクリアファイルに入った書類をユーリに渡してくる。ユーリはそれに目を通す。専門的なことは分からないが、偽物である、ということはなさそうだ。アンジェリカの方を向くと、彼女は小さく頷いた。間違いではなさそうだ。


「分かりました。この後すぐですか?」


 ユーリがそう答えると、捜査官は慌ててかぶりを振る。


「いいえ。検査が終わり、退院してからで構いません。そのことでお医者様と相談していたのですよ」


 捜査官が医師に目配せをする。医師はユーリの傍に寄ると、ユーリの検診を始めた。検診自体は簡単なものだ。脈拍や血圧を測られたり、瞳をのぞき込まれたり、目にライトを当ててそれを目で追うように言われたりだとかで、彼が一瞬覚悟していたような専門的で複雑なものは行われなかった。


「異常なし、ですね。今日にでも退院できるでしょう」

「では、明日の飛行機でホノルルに。宿泊先への迎えは、こちらが寄こします」


 捜査官はユーリとアンジェリカに自身の連絡先を教える、書類のコピーを渡してくると、医師と共に去っていった。随分あっさりとした対応にユーリが若干拍子抜けを覚えていると、アンジェリカがどこか苦々し気に呟く。


「大半の求めている情報は、エリサによってもうもたらされていますわ。貴方に取り調べを行うのは、最早形式的な意味でしかありません」

「目覚め次第出頭じゃない、ってところか」


 ユーリはベッドに再び横たわる。清潔感はあるが、硬いベッドはユーリの体の形に合わせて、わずかに凹んでいた。アンジェリカの言うように丸二日寝たきりだったとしたら、さもありなんとも言える。


「このベッドともお別れってことか」


 アンジェリカは、なにも答えなかった。

 看護師が入ってきて、退院の説明を始める。アンジェリカが持ってきてくれていた私服に着替えて手続きを済ませると、外は日が傾き始めている頃だった。軌道エレベーターの風防塔が、夕日に照らされて輝いている。夕暮れに合わせて点灯しだした航空障害灯は、あれだけのことがあっても軌道エレベーターが通常運行されていることを示しているかのようだった。


「軌道エレベーターは、通常運航かな」

「事件の隠蔽も兼ねて、ですわね。あの事件もあくまで『事故』として扱われていますわ。スペースデブリの落下、と言う形で」

「大戦の名残、か」


 ユーリは空を睨む。静止軌道ステーションが、夕暮れの空に小さく輝いている。

 タクシーを拾って、別荘に向かう。二人だけの車内。皆で利用したような広々としたワゴンではなく、普通の乗用車のような無人タクシーに、ユーリとアンジェリカ、二人だけで座る。後部座席にアンジェリカと並んで二人で座っていると、ユーリがシートに投げ出した手にアンジェリカがそっと自分の手を重ねてきた。

 タクシーは日の傾いた道路を走り続ける。心なしか、いつもよりも走っている車が少ない気がした。

 そうやって、あっという間に別荘の前にタクシーは滑り込んだ。

 料金を支払って、タクシーを降りる。二人は心細げに手をつないだまま別荘に入ると、そこには暗く静まり返った室内が広がるだけだった。電気を点けても、気配は一切ない。

 ここに、一昨日まで皆で泊まっていたのだ、ということを認識し出すと、ユーリはその時の熱を感じるような気がした。空気の熱に混じって残る、人の営みの熱。同時に、それが冷めて、大気に拡散していく様子すら、なんだか感じるような気がした。

 二人とも黙って支度をする。ユーリは荷物を持って寝室に、アンジェリカは洗面所に向かった。彼女は着ていた服を脱ぐと、軽く畳んでシャワールームに入る。蛇口をひねると、生ぬるい水が頭上から降り注いで彼女の体を濡らした。すぐに水は熱を帯びて湯に変わり、湯気が立ち上り始める。

 ふと、アンジェリカはシャンプーボトルを取ろうとして、それを落とした。それを拾おうとして、上手く拾えないことに気付く。ボトルの頭を掴もうとした指が震えていることに気付いて、アンジェリカはシャワーの温度を上げる。

 ユーリがノックと同時に入ってきて、無言で着替えを置いて行く。アンジェリカはそれに小さくありがとう、とだけ消え入るように言うと、頭から湯を浴びながら両腕で自分の身体をかき抱く。

 震えは、結局止まってくれなかった。

 交代でシャワーを浴びる。アンジェリカと入れ替わりでユーリがシャワーを浴びた。丸二日も意識を失っていたからなのか、ユーリは自身の身体がべたついているような気分がした。念入りに汚れを落としてからシャワーを出る。寝間着に着替えて鏡の前に立つと、ふと自分の顔を見つめる。

 酷い、顔だった。

 ユーリがシャワーから上がってリビングに向かうと、誰もいない。おや、と思って寝室に向かうと、黙々とアンジェリカがトランクに荷物を片付けていた。


「アンジー。ご飯、食べよう」

「……ええ」


 静かに立ち上がるアンジェリカ。その顔を見ずに振り返ると、二人はキッチンに向かう。

 夕食は作る気が起きなかった。駐車場の冷凍庫の中に、忘れられていたように取り残されていたテレビ・ディナーの二つの箱を取り出すと、電子レンジにかける。リビングの長テーブルに向かい合わせに二人で腰掛けると、解凍したテレビ・ディナーを開ける。

 いただきます。

 お互いにそう言って、静かに同じテレビ・ディナーを黙々と食べる。グレイビーソースのハンバーグ。砂糖で工業的に味付けされた、ミックスベジタブル。すっかり揚げられた感触を失い、ただ油とでんぷん質の塊になったフライドポテト。味はしているはずなのに、なんだか無味無臭のものを食べているような気がする。それが長い間冷凍庫に忘れられていたからなのか、わからない。ユーリとアンジェリカ、二人きりの静かな食事の音が、他に誰もいない別荘の中に静かに響く。

 ごちそうさま。

 沈黙の食卓はすぐに終わった。味をほぼ気にしていない、ただ栄養を補給するためだけの食事。空腹を満たすだけの行為。唐突に、以前リビングでテレビを見ながら皆で食べた時のことを思い出して、むなしくなる。これならいっそのこと、食べない方がまだよかったかもしれない、とユーリは思って、アンジェリカの方を見る。彼女の表情も、同じことを考えているような気がした。

 フォーク一本だけを洗い、ごみ袋に容器を放り込む。それだけの片づけ。

 歯磨きをして、荷物の梱包をして、ベッドに入る。それまでの時間をただ無機質に過ごした後に、ユーリはアンジェリカと並んでベッドに入った。竜人に変化して横向きに寝るユーリに、アンジェリカが寄り添うように身を寄せた。

 ユーリは、隣で眠るアンジェリカの顔を見つめる。目元にはうっすらと隈が浮かんでいる。頬も、なんだかこけているようにも見えた。彼はそっと彼女の手を取る。小さく震えていた。ユーリが握ると、不安げに強く握り返してきた。

 ユーリの心の中で、様々な感情が渦巻いていた。

 アンジェリカと、エリサを危険にさらした自分の情けなさに対する憤り。エリサに危険が及ぶ可能性を考慮したのか、それともせずか、ユーリを殺害しようとしたエリサの祖父に対する憤り。そういう感情がぐるぐるとユーリの脳内を渦巻いて、眠りに落ちようとする彼を邪魔してくる。濁流の中で感情の洪水に巻かれながら、ユーリはそっとアンジェリカの身体を抱き寄せた。

 だが、ユーリは知らない。


「……」


 ユーリの中を満たす冷たい、3ケルビンの感情。それは当惑や恐怖をすべて覆いつくし、埋め、沈めていた。そこにあるのは極めて合理的で、冷徹な思考。

 ――そちらが手段を選ばないなら、僕も手段を選ばない。僕達の、エリサの、アンジェリカの、幸せを邪魔するのなら、空から引きずり降ろしてやる。地面に叩き墜としてやる。

 それはどこまでも竜としての性質を持っていて、そしてどこまでも、人間らしい感情。

 自らの大切なものを守るために、あらゆる障害を排除することをいとわない、究極の防衛本能。

 ――ユーリは、己の内に満ちた『殺意』に、気づかない。


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