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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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66/Sub:"オーバーロード"

 ゆっくりと、意識が戻ってくる。

 ユーリは自分がどこかに横向きに寝かされていることに気付いた。目を開けようとして、一瞬で差し込んできた輝きに目がくらんで思わず目を閉じた。息をしようとして、上手くできないことに気付く。口で呼吸をして、ようやく気付いた。鼻に何かが詰まっている。

 恐る恐る、目を開けた。白の、清潔感のあるカーテン。病院だ、と気付いた時には、自分が回復体位を取らされていることに気付いた。薄い掛布団を押し上げて上体を起こすと、ようやく鼻の理由に気付いた。鼻に脱脂綿が詰められていて、枕元の金属トレイには血がにじんで赤褐色に染まった脱脂綿がいくつも転がっていた。着ているものが違う感触がする。いつの間にか、患者服に着替えていた。


「ここは……」


 ベッドから降りてカーテンを引くと、窓の外の光景が目に入ってきた。空へ伸びる軌道エレベーターが目の前に迫っている。キリスィマスィ島内の病院らしい。

 ナースコールのボタンを押す。ベッドに腰掛けて待っていると、すぐに看護師がやってきた。鼻の様子などを聞かれて、特に違和感がないことを告げる。ゴム手袋をつけた手で脱脂綿を取り除かれると、一瞬鉄の臭いが香ると同時に、鼻に新鮮な空気が入ってくる。対流圏の、水蒸気を多分に含んだ重い大気。


「……そうだ、エリサ」


 『再生』したのは確認したが、それでも様子が気になる。そう思って看護師の静止を振り切って立ち上がろうとする。とたんに、立ち眩みがして看護師に支えられる。しばらく安静にしておくことを告げられ、同時に竜人形態から戻るように言われ、そこでユーリは初めて自分が竜人形態のままだったということに気付いた。人形態に戻ると、看護師に安静にしておくよう言われ、ベッドに仕方なく横たわる。


「……」


 遠くで飛行機のエンジンの音が聞こえたような気がした。あれからどれだけ経ったのだろうか? 生憎時計の役割を果たしてくれるものは病室の中に設置されてはいなかった。仕方なく、先程空いたカーテンの隙間から窓の外を見る。軌道エレベーターの風防塔はあれだけのことがあったにも関わらず悠然と天を貫いてそびえたっていて、まるであの出来事が夢だったと思わせるような非現実感をユーリにもたらしていた。

 そうして外をただ眺めていると、遠くから足音が聞こえてくる。何やらあわただしいそれのリズムと音に、聞き覚えのあるものを感じて自然と音の聞こえてくる方、病室の入口である方向を向くと、音を立てて病室のドアが開くのが聞こえた。そしてずかずかと歩いてくる音。同時に感じる、馴染みのある霊力。


「ユーリっ!」


 カーテンを開けて飛び込んできたのは、アンジェリカだった。ユーリが寝ころんだまま手をひらひらと振ってみると、そこでようやく安堵したようなため息をついた。


「良かった……」


 心の底から安心したようにつぶやく彼女に、ユーリはごめん、と呟く。


「エリサだけではなく、ユーリにまで何かあったら、わたくしは……!」

「ごめん。エリサさんを助けようとして、無茶をした。心配かけて本当にごめん」


 ユーリがそう言うと、アンジェリカがユーリに抱き着いてくる。その腕は強く、そして小さく震えていた。


「だって……だってもう二日も寝たままでしたのよ!?」

「――え?」


 抱き着いてくるアンジェリカを咄嗟に引きはがして彼女の紅い瞳を見つめる。涙の浮かぶ彼女の瞳は、それが決して嘘ではないことを物語っていた。


「二日だって?」

「ええ! エリサより、貴方の方がよっぽど重体でしたのよ! 一体何をやったのです!?」


 そう言ってユーリの肩を掴むアンジェリカ。困惑しているのは、ユーリの方でもあった。そんな彼に、アンジェリカはまくしたてる。


「貴方が搬送されてから、ユーリのお義父様とお義母様までいらしたのよ!? あんな心配した二人を見たのは初めてでしたわ!」

「父さんと、母さんが?」

「ユーリを見て状況を把握できたのか、安心していい、あとは任せよう、と言って帰っていきましたけれど」


 常に冷静沈着であるあの二人がそこまで取り乱すなんて、よほどの事だったのだろうか。そんなことを呑気にユーリが考えていると、アンジェリカがベッド脇の椅子を引いて、そこに腰掛けながらジットリとした視線でユーリを睨みつける。


「ユーリ。他人事の様な顔をしていますけれど、貴方の話ですのよ?」

「ごめん。やっぱり、実感がわかなくてさ」


 ユーリはそう言って、やったことをかいつまんで話す。飛行術式六基の並列駆動。詳細を聞くにつれ、アンジェリカの顔がどんどんと青ざめていく。


「貴方、何を考えていますの!? 神経が焼き切れてもおかしくなかったのですわよ!?」

「ああするしか、なかった。高高度の薄い大気でコントロールを保ちながら一刻も早くエリサさんを回収し、安全な高度まで降り、速やかに着陸する。そのためには、より高度なフライトコントロールが必要だったんだ」

「負荷に耐えられなくなって、自分ごと墜ちるということは考えなかったようですわね」


 アンジェリカの言葉がちくりと刺さる。ユーリは苦笑いを浮かべながらそれでも、と続ける。


「それをできる翼の姿が見えたんだ。だから、それに手を伸ばした。それだけさ」


 そうユーリが言うと、アンジェリカがじっとユーリの瞳を見つめてくる。彼の金色の竜の瞳に、ローズレッドの閃光が走った気がした。


「……やっぱり、あの女は嫌いですわ!」

「ええっ、なんで咲江さんが出てくるのさ」

「そう言うところですわ!」


 ユーリはあはは、と小さく笑った。


「でも、おかげでエリサさんを助けられた。それでいいさ」

「……そのような考えを続けていては、いつか身を滅ぼしますわよ」

「誰にだってそうするわけじゃない。手の届く限りさ」


 病室に沈黙が流れる。エアコンの音だけがかすかに響く病室。

 ユーリはアンジェリカの顔をどこか冷静に見つめる。化粧で隠し、吸血鬼の能力で直しているようだが、目が充血していて、どこか頬も痩せこけている。隈も、うっすらと見えた。

 今回のこの事件はほぼ不可抗力で、間接的で、誰も予想できなかった。だが、それでも遠回りにアンジェリカが引き起こしたともいえるような状況だ。彼女は、それの責任を感じているのだろう。


「アンジーは、悪くないよ」

「……貴方に、そう言ってもらえるだけで、十分ですわ」


 ユーリの言葉で、彼女の表情が和らぐ。

 アンジェリカに責任を問うのなら、サタカ重工も、エリサも、ユーリも、同罪となるべきだ。そうでなければ、『筋が通らない』。

 アンジェリカはそれを理解しているが、心労にならないわけではなかった。ユーリは話題を変えるべく、この場にいない二人について尋ねることにした。


「そうだ、アリシア姉さんと、アリアンナは?」

「二人は、お義父様の空間接続で、先に日本に帰りましたわ。しばらく実家の方に籠るそうで」

「うん。それが安全だ」


 しっかりと父は手を回してくれていたらしい。心の中で父親に感謝しつつ、アンジェリカに尋ねる。


「エリサさんは?」

「エリサは重要参考人として、ホノルルの警察署で今も事情聴取中ですわ。事件が事件なだけに、大事にはできないけれど最高クラスの警戒レベルになっていますわ」


 心配しなくてもいいのは、とアンジェリカは続ける。


「容疑者扱いは、されていませんわ。あくまでも重要参考人であり、証人として、厳重に保護されている、と。本人から聞きました」


 どうやら、アンジェリカも取り調べを受けることになったらしい。もっとも、エリサよりはかなり短かったそうだが。


「……そうか。無事なら、良かった」

「言ったでしょう? 貴方の方が重傷だったと」


 アンジェリカが呆れたような目で見てくる。ユーリはただ曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。


「プラットフォームの他の人達は、大丈夫だったの?」

「ええ。すぐに隔壁が閉まったのもあって、すぐに再加圧が行われたのと、酸素ボンベの設置など普段から対策を行っていたから、ですわね。わたくしも手伝いましたもの」

「高高度で動ける人員は、貴重だね」

「何事にも絶対はありませんわ。『備えあれば憂いなし』とは、言いますもの」


 再び、病室に沈黙が流れる。

 アンジェリカも、悩んでいるようだった。ユーリも実際、どこで切り出せばいいのかわからない。ここまで、意図的にその話題を逸らしているつもりはあったし、なんとなくアンジェリカもそれを察していた。このまま触れないということもできた。だが、意を決して切り出したのは、ユーリの方だった。


「……アンジー」


 ユーリは、言葉の一句一句を確かめるようにして言う。


「僕を撃ったあの男、どうなった?」


 アンジェリカが息を呑む音がした。

 ユーリが視線を彼女の方に向けると、彼女は黙って目を逸らす。それが、全てを物語っていることは、ユーリにも分かった。


「いいや。分かっていたさ」

「……殺そうとしてきた見ず知らず人間と、手を伸ばせば助けられる親しい人。どちらかしか助けられないのなら、わかり切った答えですわ」


 アンジェリカの声が、小さく震える。特段吸血鬼やドラゴンなどの人外でもない、普通の人間が高度45,000フィートの大気に一瞬で晒されたらどうなるか。隔壁が開くまでの間、そこに放置されていればどうなるのか。彼にはひどくわかり切った問題だった。

 ユーリは分かっていた。あの急減圧が起きた際、あの男がどうなるかを分かっていた。即座に救命措置をすれば助かっていたかもしれない。だが、ユーリは()()()()()()

 ただ、それ以上でも、以下でもなかった。


「ユーリ」アンジェリカはユーリの手を握って言う。「あの状況で、貴方は罪に問われることはありませんわ。ホノルルで取り調べの時にも聞きましたし、仮に訴えられたとしてもゲルラホフスカが全霊を持って貴方を支援します」

「……うん、ありがとう」


 ユーリは静かに答える。

 アンジェリカが、そっとユーリを抱きしめる。彼女の熱が伝わってくる。


「アンジー。怖い。怖いよ」

「ユーリ、大丈夫ですわ。みんな、貴方の味方です」

「違う。違うんだ」ユーリの声が震え出す。「怖いのは、僕自身だ」


 彼の手がアンジェリカの背中に伸びる。彼女をそっと抱きしめ返すユーリの手は、小さく震えていた。


「あの男が死んだ。僕が見殺しにした。そのことを聞いて、実感して――何も、感じなかった。怒りとか、せいせいしたとか、罪悪感とか、安心したとか」


 ユーリの歯の根が、小さく震える。


「何も、感じなかったんだ。人一人殺して」

「貴方は殺してない!」


 アンジェリカが叫ぶ。ユーリの肩がビクリと小さく跳ねる。アンジェリカが存在を確かめるかのようにユーリをかき抱く中、祈るような言葉を漏らす。


「貴方は正しい。見ず知らずの殺人者と、友人。責務もないのに後者を捨てて前者を助けるなんて、まともじゃない」

「……でも、手を伸ばせば、助けられたんだ」

「そうしたら、貴方は本当にエリサを殺していた!」


 悲痛な叫びをアンジェリカが漏らす。


「ユーリ、疲れているのです。休みましょう、休んで、温かいお風呂に入って、美味しいものを食べて、そうしたら……」

「うん……そうだ、そうだね」


 そう言ってゆっくりと、ユーリはアンジェリカの背中を撫で続けた。


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