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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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62/Sub:"バーティゴ"

 係員に案内されて、エレベーターゴンドラの中に入る。狭い、飛行機の乗り込み口を想像させるようなエレベーターの入口をくぐると、そこにあったのは床が円形のゴンドラ内。壁を背にするようにしてずらりと座席が並んでいる。生憎、このゴンドラに乗っているのはエリサ達だけだった。『上の階』には、他の乗客も乗っているのだろうか。

 事実上貸し切りの様な状態になっている中、指定された席につく。エレベーターのドアが開いたままの状態で、軽快な音楽が流れ始めた。どこか聞き馴染みのある様なそれにエリサが目を白黒させていると、天井からモニターがせり出してくる。そして流れ出すのは、民間の航空会社が運営する旅客機に乗ったときに流れるような、安全ビデオ。ただ内容は飛行機のそれとは大きく異なっていて、やれ酸素ボンベの位置だの、安全なプラットフォームに停止した時の避難方法だの、そう言ったことが簡潔に、わかりやすいようにピクトグラムを交えて説明される。そうして安全のビデオが終わった後には、軌道エレベーターのロゴが表示された。


「こんな乗り物、初めてですわ」


 エリサが皮肉交じりに言う。モニターの表示が切り替わり、シンプルなスカイブルーの画面に高度、気圧、気温が表示された。高度2,000メートル、805hPa、気温17℃。珍しくメートル法とセルシウス温度で表示されたそれが表示されると同時に、ゆっくりとエレベーターのドアが閉まった。重量感を感じる動きで閉まったそれは、閉じると同時に小さな機械音が響く。エリサにはよくわからなかったが、何らかのアクチュエーターが駆動する音であるということは何となく想像が付いた。最早エアロックの様だ。もっとも、これから高度15,000メートルまで上昇するのならそれこそエアロックの様な機構が必要になるだろう。

 ブン、と小さな音が響いた。何事かと思ったらエレベーターゴンドラ内の壁に一斉に映像が映る。アンジェリカのプライベートジェットと同じで、外部の映像を内側に貼ったモニターに映しているらしい。エリサにはそれで経験済なのもあって、さしたる感動を覚えることはなかった。もっとも、映っている映像が文字通りゴンドラの外の風景なので、見えるのは青空ではなくエレベーターシャフトの内側でしかない。薄暗いエレベーターシャフトの所々の隙間から、日光が差し込んで光の迷宮を形作っている。

 エレベーターが動き出したということを、エリサは身体にわずかにかかるGと、映像の景色が動いていることでようやく認識した。恐ろしく滑らかな、文字通り滑り出しでエレベーターは上昇を始める。身体にかかるGがじわじわと増していき、それと同時に周囲の景色もどんどん下へと落ちて行く。


「エレベーターの上昇速度は分速900メートル。15分ほどで到着しますわ」


 アンジェリカが知ったような口調で言う。時速に直すと54キロだが、上昇速度と考えると驚異的な速度だ。


「軌道エレベーターのゴンドラは、時速200キロ近くにもなるそうだよ」

「それでも、静止軌道ステーションまでは二週間はかかりますわ」

「二週間。凄いですわね」


 ちょっとした航海並みだ。博物館で見た軌道エレベーターのエレベーターゴンドラがあれほど巨大なのも、何となく理由が分かった気がした。


「まあ、人員交代なんかはSSTOでやることが多いらしいけどね。宇宙センターから離陸して、低軌道に入った後に静止軌道に軌道遷移。三日で到着さ。軌道エレベーターのエレベーターゴンドラに乗るのはロードマスターと、エレベーターの運転士だ」

「運転士」


 エリサは先程の博物館の説明を思い出す。エレベーターとは言っているものの、実際のエレベーターのように紐で引っ張り上げているわけではなく、動力はエレベーターゴンドラに静止軌道ステーションから遠隔供給されている。エレベーターゴンドラはファンデルワールス力を用いた特殊なホイールで、つるつるのエレベーターケーブルにもしっかりと『張り付き』、よじ登っていくという訳だ。その実態は、エレベーターと言うよりはどちらかと言うと縦向きの列車の様だ。


「運航の安全には必要な存在ですわ」


 アンジェリカの言葉に、エリサは思わず頭上を見上げる。生憎エレベーターゴンドラの周囲にかモニターは無いため、頭上には無機質なクリーム色の天井があるのみだ。だがその先に続いている、3万8千キロ彼方まで続く道を思うと、なんだか気が遠くなりそうだった。


「ここに来てからというもの」エリサは疲れたように目元を押さえながら言う。「なんだか、いろいろなスケール感がおかしくなっている。そのような気がしますわ」

「空のスケール感、ってやつかしら」


 アリシアがわかるような、わからないような微妙な表情を浮かべて言う。壁のモニターにはただエレベーターシャフトの映像がただ代わり映えせず流れ続け、天井から降りた小さなモニターに表示されている高度の表示だけが目まぐるしく上昇を続けている。今乗っているエレベーターが加速を終えてからは、凄まじい速度で上昇しているということすらよくわからなくなってきている。


「どうしたの?」


 ユーリが怪訝な表情のエリサに尋ねる。


「いいえ」エリサは、適切な言葉を何とか探した。「なんだか、自分が今どう動いているのか、どこを動いているのか、わからないような気分ですわ」

空間識失調(バーティゴ)、ですわね」


 アンジェリカがつぶやく。


「バーティゴ? 眩暈(バーティゴ)は感じませんわよ?」


 ユーリがあー、と割って入る。


「専門用語さ。空間識失調で、バーティゴ。航空用語さ」丁度、こんなふうに、とユーリは外を指さす。

「速度感が全然ないのに、実際はそれなりの速度で動いている。酷い話だと、ひっくり返っているのに上を向いていると勘違いすることだってある」

「まさか」


 エリサが驚いたように言うと、ユーリは苦笑いを浮かべた。


「それが、結構ある。夜空とか、雲の中とか。いかに空間識が視覚に依存しているかって話でもあるのだけれど」

「そういう時は、どうしますの?」

「簡単さ。機械を信じるんだ。自分の本能的な感覚を全部無視して、人類の叡智のナビゲートを信じる。そのための機器は、既にたくさんある。GPWS、対地レーター、ジャイロスコープ……」


 そう言ってユーリはバッグから航空免許端末を取り出して見せる。結局、検査でこれがIDとして見られることはなかった。持って来損だったな、とユーリはそれをすぐにバッグに仕舞い直した。


「エリサ、今度ユーリの背に乗って飛んだ時、体験させてあげましょうか?」


 アンジェリカがどこか意地悪そうに言う。エリサがフライトスーツを持っていないことを知っての一言だったが、エリサは平然と返す。


「あら。ユーリさんの背に乗っているなら、私が上下を分からなくなっても安心ですわ」


 どうやら、アンジェリカとエリサの間の戦争は決闘を経て紛争と化し、一旦停戦協定こそ結ばれたものの講和には至ってないらしい。一〇〇年前の東西冷戦さながらの光景に、ユーリは胃の底がキリリ、と絞られるような気分になる。


「バーティゴ、ですか」エリサは目を閉じる。「地上と、空と、スケール感が分からなくなっているのも、バーティゴと言えるのかしら?」


 その時は、とエリサはユーリの方を真っすぐ見据える。


「貴方の技術を、信用してもいいかしら?」


 ユーリは、エリサを見返す。その青色の瞳は、ユーリに何かを問うているようだった。ユーリは瞳を閉じると、軽くため息をつきながら言う。


「突き放すようで悪いけど、それは、エリサさんが決めなければいけない、と思う」

「……でしょうね」


 どこか納得したような、その答えを予想していたような口調でエリサは苦笑を浮かべる。アンジェリカはそんな二人を、ただ黙って見ていた。


「お、そろそろかな?」


 アリアンナが唐突につぶやく。一斉に視線がエレベーターの高度表示に移った。話し込んでいる間に随分と上昇していたらしく、とっくに地球で一番高い山を越えている。エレベーターが徐々に減速しているのか、飛行機が下降を始めた時の様なかすかな浮遊感があった。


「どんな景色、なのかしら」


 エリサが期待半分、冗談半分の声色で言う。ユーリは、小さく肩をすくめた。


「どうだろう。言ってしまえば、所詮はただの光景にだってなりうる」

「そこに何かを感じるかは、その人次第ですわね」


 アンジェリカは、どこか悟ったように言った。エリサはただ、それもそうですわね、と返した。

 エレベーターがいよいよ減速していく。速度がいよいよ目に見えて落ちて行く様は、さながら駅に到着するために減速する列車だ。同時に、ゴンドラ内にアナウンスが流れる。


『まもなく対流圏界面ステーション。ご乗車ありがとうございました。どうぞ、快適な空のひと時をお過ごしください』


 エレベーターがやがてゆっくりと静止する。ガコン、と小さな振動と共に、何やらゴンドラが固定されたような雰囲気をエリサは感じた。それからもう一度小さな振動があり、空気が抜けるような音が小さく響き、再びエレベーター内に静けさが戻った。

 静寂を軽快なベルが破った。エアロックの様なドアが開き、係員が降車を促してくる。エリサ達は座席から立ち上がると、短い通路のようになったエレベーターの出口を出た。

 降りたエレベーターホールは、群青色に統一されていた。暗い群青色の壁、カーペット。照明は意図的か、薄暗い。どこか水族館を思い出すその通路を、歩いていく。

 通路を抜けた先、まるで大水槽の一枚ガラスのように、それは広がっていた。


「――」


 エリサは言葉に詰まる。

 ガラスの向こうに広がっていたのは、ダークブルー。眼下にはスカイブルーが広がり、水平線からグラデーションを描いて頭上のダークブルーに繋がっている。底の抜けた青色。エリサは窓ガラスに近づくと、そっと触れた。ぞっとするほど冷たい。成層圏の温度。吐息が窓に触れて、白い濁りを生む。

 だが。


「エリサさん?」


 外を見つめて、何も言わないエリサにユーリが話しかける。だが、エリサは言えなかった。

 存外、こんなものか、なんて思ってしまったなんて、とてもじゃないが言えなかった。


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