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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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61/Sub:"自由大気"

 皆はエレベーターホールから出る。そこは半屋外で、地上とは打って変わって、涼し気な空気がエリサの肌を撫でた。簡素な白い天井のついた通路が続いており、目の粗い金網からは外の景色が見える。軌道エレベーターの、風防塔の内側は薄暗かった。動く歩道に乗って、プラットフォームを目指す。ベルトコンベアーを大型化したような、簡素な動く歩道に乗る。

 自由大気プラットフォームは、おおむね直径2キロほどのリングで、軌道エレベーターの風防塔に『嵌る』様に存在している。エレベーターホールのある中央から端までは、移動しなければならない。何度か動く歩道を乗り継ぐと、ようやく端の自由大気プラットフォームにたどり着いた。回転ドアのゲートをくぐる。


「わぁ……!」


 エリサは、正面の光景に声を漏らした。四、五階建ての建物ほどの大きさの壁が、丸ごと一面ガラス張りになっている。そして、そこに一面に広がる空。思わず、早歩きに窓ガラスに寄ると、そこには6,000フィートから見たキリスィマスィが広がっていた。空と、海と、島と。サンゴ礁のグラデーションがラグーンから群青の海を彩って、空を映して煌めいている。


「世界で、ここだけの絶景ですわ」アンジェリカがエリサの隣に並ぶ。「モルディブエレベーターは海上メガフロート、南米アンデスエレベーターは山中ですもの」

「山とはまた違った味わいがあるわねえ」


 アリシアが窓際に寄りながら言った。


「とはいえ、まだここは中継地点だ。メインディッシュは、この先だよ」


 ユーリのその言葉に、それもそうか、とエリサは肩をすくめた。しかし、6,000フィートでこれなら、45,000フィートの景色はいかほどの物か。エリサには見当もつかなかった。

 皆でプラットフォームの建物の中を歩く。プラットフォームには軌道エレベーターの運航管理室や通信制御室などのオフィスも入っているらしく、リング状の建物が描かれた地図には立ち入り禁止区域が描かれていた。建設目的が目的の為か、大部分は立ち入り禁止だ。一方、それ以外は職員も利用するのか、カフェテリアなどの飲食スペース、そして博物館などがあった。とりあえずカフェテリアを目指す。

 カフェテリアにたどり着くと、どうも無機質な印象を受ける。敢えてそうしているのか、それとも予算の問題か、はたまた人の姿がほぼないゆえの錯覚なのか、エリサにはわからなかった。セルフ形式らしく、先に窓際の席を取り、ユーリが全員分の注文を聞いて注文をしに行く。エリサはアイスティーを頼んだ。

 窓際の席。外の景色がよく見える。ユーリが戻ってくるまで、エリサはその景色に、しばし見惚れた。


「お待たせ」

「ありがとうございますわ――って」


 思わず、ユーリの持ってきたものを二度見する。トレイの上に乗っていたのは、真っ青な液体の入ったグラス。他のが泡立っていたりと明らかに茶ではない見た目だったりする中、消去法でこれがエリサの注文したアイスティーと言うことになる。


「ゆ、ユーリさん、これは」

「チョウマメの花、だって。アントシアニンの色らしいよ」


 チョウマメ。バタフライピーか、なるほど、とエリサは自分の前に置かれた青い液体を凝視した。申し訳なさそうに輪切りの檸檬が浮かんでいて、その周辺が紫色に変色していた。


「目にいいですわよ」


 アンジェリカが炭酸の入ったグラスを傾けながら言う。彼女が頼んだのはジンジャーエールだった。

 エリサはため息をつきながら食欲の失せる色をした液体に口をつける。マメ科ハーブティーの、独特な香りと味わいが口腔を抜ける。


「僕は好きだけどな。空の色みたいだ」

「スカイブルー、ではなく?」

「僕にとっては、ダークブルーだ」


 エリサは手元のグラスを見る。液体に映るダークブルーが、ユーリにとっての『空の色』であるなら。そう考えると、なんだか悪くはない気もしてくる。キリスィマスィに来るまでのジェット機の機内モニターに映っていた、成層圏の空の色。ガラス越しで、モニター越しではないそれを見て、何か気づくことがあるだろうか。


「お手洗いには早めに行っておきなさいな。圏界面ステーションのトイレは、快適とは言えませんわよ」


 アンジェリカが自分のジンジャーエールをぐい、と飲み干して言う。彼女がこうまで言うのとは、いったいどんなトイレなのかは気になりもしたが、地上と隔絶された環境と言うことを考慮すると、余り食事中に想像するべきものではなさそうなもの、とだけは理解できた。大人しく彼女の言うことに従っておこう、とエリサは思う。

 しばしのティータイムの後、博物館を見学する。博物館とはいっても展示室、と言ってもいいほどの規模で、そこまで大規模なものではない。壁にはディスプレイが貼られ、軌道エレベーターの様々な基礎知識がアニメーションで流れている。

 軌道エレベーターの風防塔は巨大な構造物の様に見えるが、実態は一つの巨大な単分子である。そのため展望デッキなどの施設は『ぶら下がって』いる。風防塔はコンクリートや金属ではなく、炭素をベースにいくつかの軽元素を組み合わせた化合物(ナノマテリアル)でできている。そのためその見た目に反して、風防塔の構成素材は密度が低く、また内部も鳥の骨の様に空隙が多いため全体としては水に浮くほど軽く作られているが、強度は鋼鉄をはるかに上回り、ダイヤモンドをも超える。風防塔の基部はキリスィマスィ島の沈降した基盤岩にまで杭が掘られ、固定されているが、その固定杭は木の根の様にフラクタル非整数次元構造をしている。観光用のエレベーターは、風防塔を建設した3Dプリンターを解体、地上に下ろすのに用いたものである……。


「頭が痛くなりそうですわ」


 専門的な科学知識も混じった解説に、エリサは思わず頭痛がしそうであった。わかりやすく噛み砕いて展示されおり、エリサにも十分理解できるのだが、理解できてしまうが湯にその情報量の多さに脳がオーバーヒートを起こす。


「当たり前ですわ。人類の叡智の結晶ですわよ?」


 ガラスの容器が目に入る。中にはアルミホイルの様な、光沢のある銀色の幅の広いペラペラの膜が広げて展示されていた。これが軌道エレベーターのケーブル、そのテスト用の一部らしい。励起電子による結合でより強固に炭素原子同士が結びついた、スーパーカーボンナノチューブの帯に、金属原子を原子一つ分の薄さで蒸着した、極めて軽く、それでいて鋼鉄の数百倍の強度がある。ナノマテリアルの先駆けともいえる技術により、宇宙への道は作られている……。


「あら?」


 エリサの目に留まったもの。それはエレベーターケーブルの展示の横に、見慣れた日本の企業ロゴがあったからだ。日本に昔からある、家電から車まで幅広く手掛けている、有名な企業。よく見ると、世界各国の企業や研究機関、政府のロゴがあちこちにある。それも大企業だけではなく、専門性に優れた中小企業も。通信設備、新日本無線電機。窓ガラス、東京硝子工業。エレベーター、阿蘇テクノロジー。


「それだけ、本気で空を目指したということですわ。人類は」


 アンジェリカがどこか誇らしげにケーブルの標本を見つめる。

 人は空を目指す。鬼も、竜も。みんな一様に、その果てのないダークブルーの先を目指している。まるで底なし沼だ。エリサは、自分を地面に縫い付けている重力が、急に頼りないものに思えてきた。このまま対流圏界面に行ったら、『空に吸い込まれ』てしまうのではないか。そんな妄想まで頭をよぎってくる。

 だが。


「私の未来が、その先にあるのか、見極めさせてもらいます」


 恐怖を押し殺して、エリサは空に触れる覚悟を静かに決める。アンジェリカは、黙ってガラスのケースの中、銀色の標本に映る歪んだ自分とエリサの姿を見つめていた。


「アンジー」


 ユーリの声が聞こえる。思わず二人でそちらを見ると、ユーリが自分の腕時計を指していた。


「そろそろ三〇分だ。エリサさん、気分はどう?」


 エリサは、自分の胸に手を当ててそっと深呼吸してみる。痛みや違和感は、ない。


「問題ありませんわ」

「他の皆は……言うまでもないか」


 エリサの横のアンジェリカが笑みを浮かべて頷く。


「では、行きましょうか、いよいよ」


 博物館を出て、先程アンジェリカが言った通りにトイレを済ませる。来た道を戻ってエレベーターホールに戻ってくると、軌道エレベーターのあるメインシャフトをぐるりとリング状に取り囲んでいるエレベーターホールを反時計周りに歩く。いわゆる一二〇度、歩いて見えてきたのはチケット売り場と改札。アンジェリカ達はそこで再び身分証の提示を求められ、チケットを購入した。購入価格は一人当たり20ドル。先程ユーリの言っていたことが、エリサにも何となく理解できた。日本円なら、今のレートで二千二百円ほどだ。ただ、その値段がユーリにとっての『少し贅沢』なのかと考えると、少々ユーリに対する評価を『庶民的』に振る必要がありそうですわ、とエリサは思った。

 改札を通って、乗り場に向かう。乗り場は二階に分かれているようで、エリサ達が載るのは一階の方だった。画面を見ると、丁度『降りてきている』らしい。数分はかかるらしいので、大人しく乗り場の前のベンチに座って待つ。


「緊張してきましたか?」


 からかうようにアンジェリカが言ってくる。いいえ、とエリサは平静を装って言うが、その心拍数は上昇していた。興奮か、はたまた武者震いか、小さく握った右手が震える。そうしている目の前で、どんどんエレベーターの高度表示が小さくなっていく。10,000、9,000、8,000。減り続ける数値がゆっくりと『6,000』になったところで、地表でも聞いたエレベーターの到着を知らせる、軽いベルの音がチン、と響いた。普通のエレベーターほどの、小さな両開きのドアが開くと、乗っていた観光客がぞろぞろと降りていき、係員がカーゴ内を点検していく。そうして数分経って、搭乗開始の案内が流れる。


「さ、行きますわよ」


 ベンチから立ち上がったアンジェリカは、これからピクニックでも行くかのような気軽さで、エリサに言った。

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