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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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60/Sub:"空の入口"

 セキュリティを抜けてコンコースを少し歩くと、地下鉄の駅のようなプラットフォームが唐突に表れた。ホームにはベンチが並び、端はガラスで完全に線路と隔離されていて、ビークルのドアのあるところに自動ドアが付いているタイプだ。反対側にも同じようなホームがあるが、あちらは『出口』らしい。エリサが標識を見て、そこに書かれた英語を読み解くと、どうやらここからトラムに載ってエレベーターホール……というよりは、最早『エレベーター駅』に行くらしい。不思議そうな表情を浮かべるエリサに、アンジェリカは話しかける。


「軌道エレベーターの風防塔は、基部は直径が4キロ近くありますわ。先ほどのターミナルから歩いたら、3キロ近くは歩く羽目になりますわよ」

「……それは確かに、厄介そうですわね」


 基部の構造体だけで、ハブ空港の敷地が収まるほどの大きさなら、確かに歩くのは厳しいだろう。幸い電力は無限にある。

 軽快な音が響く。英語のアナウンスがトラムの到着を伝えてきた。同時に静かな音と共に黄色い車体の三両編成のトラムがホームに滑り込んできて、滑らかに止まる。反対側のドアが開くと、中に乗っていた観光客がぞろぞろと降りて行った。まだ午前中のためか、降りていく人の姿はあまりなかった。入れ替わるようにしてこちら側のドアが開き、エリサ達はトラムの先頭車両に乗り込む。運転手の姿はなく、トラムは自動運転だった。

 プラスチック製の、座り心地とかそういうものを捨てて、一時的にただ腰を下ろす目的のためだけが残った座席に座る。全員で座りきれなかったため、ユーリとアリアンナは残りの三人の前に立った。アリシアの両側にアンジェリカとエリサが座る形に。


「両側から重力を感じる」

「ラグランジュ点ですわ」


 苦い顔をするアリシアに、アンジェリカがあっけらかんと返した。

 少ししてから発車のチャイムと共にドアが閉まった。小さな震動ののち、トラムが動き出すがその動きは驚くほど滑らかだった。空中を滑っているようだ。建物の中の駅からすぐに出て、南国の空の青空が車内の影に映る。


『ようこそ太平洋軌道エレベーターへ。本車両は軌道エレベーターから供給される電力で走行しています……』


 はっきりとした、聞こえやすい英語のアナウンスが流れる。


「あら」


 アンジェリカが何やら見つけて呟く。思わずエリサもそちらの方を見ると、隣の線路でこちらのトラムを追い抜かれる存在に気付く。白い、大型トレーラーでさえすっぽり収まりそうなほど大きなコンテナを数珠つなぎにした貨物車両。それがこちらのトラムの右側をゆっくりと通り過ぎ、後方へと流れていった。


「軌道エレベーター用の路線ですわね」


 アンジェリカがつぶやく。

 車外がふっ、と暗くなった。エリサが窓の外を見ると、トラムはちょうど風防塔の内部に入るところだった。風防塔は、大まかに言えば足を長くした漏斗のような見た目をしている。その断面は、エリサが想像していたものよりもずっと薄く、押せば割れてしまいそうな儚さすら感じられた。構造体の隙間から差し込んだ太陽の光が、時折車内を照らす。

 進行方向、風防塔の中心に、空へ向かって伸びる円形の管が見えた。あの中に、軌道エレベーターのケーブルが収まっているのだ、とエリサは気づく。ふと、図鑑で見た『アミガサタケ』というキノコの構造を思い出した。『網』の部分が外側の風防で、キノコの茎がエレベーターケーブルの収まっている内側のケーブルだ。構造的には、それが近いかもしれない。

 トラムの視界が真っ暗になる。通過する刹那、窓から見えたプラットフォームから、底が駅だということが分かった。ホームで作業する作業員達らしき姿も見えた気がする。先程追い抜いた貨物車両は、停車するのだろう。


『まもなくエレベーターステーションに到着します。出口を降りて左側の通路をお進み下さい』


 英語のアナウンスが流れる。いよいよ、らしい。トラムはゆっくりと減速すると、出発した時と同じように滑らかに建物の中のホームに滑り込み、停車した。どこか興奮する胸の鼓動を感じながら、エリサはユーリ達と共にトラムを降りた。エスカレーターに乗って、上階を目指す。

 エレベーターホールは、エレベーターと言うよりは空港のコンコースの様にも見えた。なんだか自分が空港の国際線ターミナルに来ているような、そんな奇妙な錯覚を覚えた。整理券を取って、エレベーターが来るまでの時間をベンチに並んで座って潰す。暇つぶしの物を持ってこなかったことを、アリシアは後悔していた。仕方なく、彼女はアリアンナと最近の漫画の感想についての雑談を始めた。


「そう言えば」エリサがふと気になったことをつぶやく。「入場は、無料なのですわね」

「正確には、この先の6000フィート地点にある『自由大気ステーション』までだね」


 ユーリが補足する。


「自由大気?」

「うん、地上から大体3000フィートから6000フィートくらい……1000メートルから2000メートルくらいまでは、地面との摩擦のせいで気流が乱れるんだ。丁度、毛布の端が壁に引っかかっているように、ね」


 ユーリは手を握ったり開いたりを繰り返す。


「この、大気が『引っかかっている』部分を、境界層って言うんだ。僕が空を飛ぶときに、これを飛行術式で操作して空気抵抗を最適化してるんだ」

「なるほど、表面の凹凸を境界層で『ならしている』のですわね」

「ご明察。さすが」

「自由大気ステーションでは、三〇分以上の滞在が義務付けられていますわ」


 アンジェリカが腕時計を確認しながら言った。彼女が腕時計の小さなスイッチを押すと、電子音と主に、時計の表面の小さな液晶に気圧が表示される。ほぼ標準気圧。


「自由大気ステーションでは加圧されていません。そこで、800hpaの空気に慣れてから、高度45,000フィートの対流圏界面ステーションに上昇しますわ。加圧されているとは言え、ステーションは9000フィート近くの気圧まで下げられていますから」


 9000フィート。大体3000メートルくらいだろうか、とエリサは概算する。


「なるほど、そこで空気の薄い環境に慣れて初めて、チケットを買って上昇することができるのですわね」

「まぁ、あくまで国家事業だから、観光もできるとは言えお金を取るのはな、って言うのもあったらしいよ。実際、対流圏界面ステーションに昇るチケットも、少し贅沢したディナーくらいだよ」


 エリサはユーリの『少し贅沢したディナー』の値段が気になったが、彼の普段の食生活をこうして体感して見ると、意外と高くはなさそうだ、と予想を立てた。


「頭が痛かったり、気持ち悪くなったりしたら、すぐに言いなさい? すぐに降りますわよ」


 アンジェリカが真面目な声色で言うのにエリサは少し驚いたような表情を浮かべる。するとアンジェリカは、少し呆れたような表情でため息をついた。


「高山病と酸素欠乏症は命に関わりますわよ」

「分かっていますわ……貴女の口からその言葉を聞くことになるのは、少々意外でしたが」


 エリサが言うと、ふん、と小さくアンジェリカは返した。

 エレベーターはすぐに来た。整理券の番号が呼ばれ、ユーリ達はベンチから立つ。観光客が余りいなかったせいか、エレベーターを待つことにはならなかった。呼ばれた場所に行くと、そこにあったのは何の変哲もない、スカイブルーのエレベータのドア。エリサが目を白黒させていると、その上の表示に気付く。


『地上』

『自由大気』

『対流圏界面』

『静止軌道』


 軌道『エレベーター』なりのジョークらしい。エリサが苦笑いを浮かべていると、チン、とレトロなベルの音が響いて、エレベーターのドアが開く。係員に促され、エリサたちはエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの中は、その名前に反して妙な光景が広がっていた。言うならば、旅客機の客室の一角を、切り取ってきたような。通路を挟んで左右三席ずつ、それが三列、並んでいる。

 エリサはユーリをアンジェリカと挟んで座り、反対側にアリシアとアリアンナが座る。席につくと思ったよりも広いが、なんだか妙な気分だった。ご丁寧にシートポケットには安全のしおりの代わりにパンフレットが差し込んである。そこまで観光客がいないのか、他の『階』に乗っているのか、生憎他の観光客は乗ってこなかった。エレベータのドアが、静かに閉まり、静かに動き出す。かすかなG。天井の一部がめくれて、ディスプレイが露わになる。


『ようこそ太平洋軌道エレベーターへ。このゴンドラは標高6000フィートの自由大気ステーションまで、一五分かけて皆様をお連れ致します』


 時速に換算すると、時速8キロ。エリサは、随分とゆっくりですわねと一瞬思うが、標高2000メートルまで一五分で上昇すると考え直してみると、これでもかなり早い方なのでは、と考え直す。水平ではなく、垂直の思考。それに段々と慣れてきている自分に気付いた。

 モニターでは、近未来的な音楽をBGMに、軌道エレベーターの原理についての教育ビデオが流れている。地球の自転と角速度が一致する静止軌道にステーションを建設し、そこからロープを地上にぶら下げて建設した軌道エレベーター。空からゆっくりと黒いロープが降りてくるタイムラプス動画は、それがCGだと思ってしまう程奇妙な光景だった。ビデオの監修はアメリカの有名な科学チャンネルがやっているらしく、トークは軽快でわかりやすく、科学に疎いエリサでも思わず見入ってしまう。


『それでは、間もなく自由大気ステーションです。皆様、『空の入口』の景色を、どうぞお楽しみください』


 一五分はあっという間で、ビデオが終わってそのアナウンスが流れる。同時に、エレベーターがゆっくり減速し、停止するわずかな振動をエリサは感じた。もう到着したのですか。随分とビデオに見入ってしまった。モニターには、制作協力として科学チャンネルのロゴが表示されていた。

 軽快なベルの音が鳴って、ドアが開く。エリサ達が外に出て、エレベーターホールに出ると、エリサは目をぱちくりと瞬かせた。


「あっという間でしたわ」

「エリサさん、気分はどう? 頭が痛いとか、違和感は?」


 ユーリが尋ねてくる。エリサは自分の胸に手を当ててみて軽く呼吸するが、特に異常はない。強いて言うならば、耳が少しツンとするくらいだ。


「大丈夫そうですわ」エリサは、口に手を当てて開けたり閉じたりをしてみる。「耳が、少し違和感がある程度ですわ」

「耳抜きをしたほうがいい。何か、飲もうか」


 ユーリが言うと、アンジェリカはですわね、と返す。


「どのみち、三〇分ここに居なければならないのです。どこかで、お茶にしましょう」


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