51/Sub:"不測"
「気を付けるべき、ですよね」ユーリはゆっくりとカートを押して再び歩き出す。「具体的にどうこう、って言うのは分からないですけれど」
『それは、アンジェリカちゃんや、エリサさんと議論して対策を練るべき問題ね』
咲江は、少し考え込むように、小さく唸った。
『エリサさんが自分の家の“カード”に関して、どれほど把握しているかにも依るとは思うけれど』
「それは厳しそうですね。エリサさん、代表役ではあるけど主権は握っていない。そんな感じがしますし」
『それは、例の作戦で得た貴方の分析結果?』
「ええ。佐高重工側は皐月院家に対する婚約破棄……というか、事実上の関係破棄の宣言を、エリサのお爺さんではなく、エリサさんに対して行うという認識で会議は進んでいました。だけど、エリサさんは会議の最中発言をすることはなかった」
『事実上の傀儡ね。よく見たわ』
「それを踏まえるなら、エリサさんが認識している皐月院家の“カード”に関しては、極めて限定的かと」
それに、とユーリは付け足す。
「エリサさんがそれをこちらに開示してくれるとは、思えません。傀儡とは言え、彼女も馬鹿じゃない。切れるカードの切るべきタイミングは良く知っていると思います」
『貴方も、彼女のことをよく見てるのね』
「ええ。相手を知らなければ己を知ることはできないと、皆に教えられましたから」
籠にサニーレタスとパイナップルを放り込む。それからパルメジャーノチーズと、シーザーサラダドレッシング。あとは適当に付け合わせの材料を少々。
『まぁ、こちらもできる限りのことはしておくわ。もちろん、一人の大人としての範疇だけど』
「構いませんよ。これは僕たちがやった事です。責任は、僕たちで取ります」
『いいえ。火種を作ったのはあなたたちだったとしても、ここに至るまでの薪を積み重ねてきたのは大人達よ。なら、責任は取らないと』
「僕は、まだまだ子供ですかね」
『いつまでも子供ではいられないけど、甘えられるうちは大人に甘えなさい。そうして大人になったら今度は子供を支え導くの。背のびしたい年頃かも知れないけど、それが青春ってものよ』
まぁ、私は青春を過ごしたことなんてないけれどね、と電話の向こうで笑う咲江。自然発生型の霊的存在ジョークに、ユーリはただ苦笑いを返すことしかできなかった。
『せっかくの南国バカンスよ。楽しんで来なさいな』
「はい。お土産も買って行きます」
よい旅路を。そう言って、通話は切れた。
ユーリは端末の画面を見て、ため息をつく。今回の出来事は終わって等いないことを、改めて認識させられた気分だった。とりあえず買い物を済ませるべく、ユーリはカートを押してレジに向かう。レジで支払いを済ませ、買い物袋にそれを入れて店の外に出ると、夕焼けはいよいよ赤みを増してきていた。
責任、か。
ユーリは赤みを帯びた空と、西に沈みかけている太陽を見てポツリと呟いた。熱帯の穏やかな風が彼を撫でた。
しばし、ユーリは考え込む。
そしておもむろに、端末を再び取り出した。連絡リストにある目当ての名前を見つけ出し、通話をかける。数回の呼び出し音。相手は、すぐに出た。
「もしもし、佐高修也さんですか」
――同時刻、日本。
ラフな部屋着の咲江は、ノートPCの切れた通話の画面をしばし見つめると、ため息と共にウィンドウを閉じる。そのため息には、様々な感情が混じっていた。西の空を見つめる。その瞳では、今そこにあるはずの軌道エレベーターを見ることは叶わない。
「急いては事を仕損じるわよ、ステラ2」
切れた通話画面に語り掛ける。もちろん、返事はない。
彼女はPCを操作してレポートを開く。そこに記されていたのは、皐月院家に関する記録。ユニオンから要注意組織として認定された皐月院家に関するレポートが、そこには記されていた。
三〇年前の戦争と、それ以前のユニオン日本支部における混乱において、敵対的組織との情報的連携、並びに資金提供を行っていたことが部分的に確認される。
これで『処理』されなかったのは、あくまで関わっていたのがごく表層に限られたものだったからであろう。皐月院家側としては、取引相手に何かしらの後ろ暗いものがあることを把握してはいても、それがさすがに魔術関連だとは夢にも思っていなかっただろう。知っていてやったのならば、今頃エリサは存在しない人間だ。
「親の因果が子に巡る、か」
咲江はテーブルの上に載ったグラスを手に取る。中に入った、わずかにとろみのある琥珀色の液体を傾けると、フルーティーな香りが漂った。地元産のリンゴで作ったアップルブランデー。ブランド物となると、カルヴァドスと呼ばれる代物だ。休日で外出の予定もなく、昼前に引っ掛ける一杯は、生憎格別だった。
咲江はこの酒を好んでいた。リンゴの香りが凝縮され、樽熟させるとスモーキーな香りと合わさって複雑な風味を与えてくれる。リンゴ。アブラハム系列の宗教における原罪となった知恵の実は、リンゴとも言われている。
産まれながらにして『最初の人類の妻になり損ね、イヴを知恵の誘惑に誘った、全ての悪魔の母リリス』として、そうあるものとして定義づけられ、『発生した』咲江。背負いたくもない原罪を背負わされたことに関して、咲江はエリサに対してどこか親近感のようなものを覚えていた。
そして、同時に彼女がこの運命に対して咲江の様に抗うか、ただ運命を受け入れるのか、どちらの選択を選ぶのか。その結末を見届けたいと思う自分に気付く。
「ならば、目下の課題は」
咲江はレポートをスクロールする。出てきたのは、皐月院家における主権者のデータ。エリサの、祖父の写真だった。取り調べの際に撮られたものか、身長を示すラインが描かれた壁の前で撮られた正面からの写真だ。その表情は無表情で、口元はきつく絞られているが、その目にはユーリが推測した感情が映っている。
恐怖。とりわけ、失うことへの恐怖。
咲江は、頭の中で自分の権限と、現在の状況をリストアップしていく。そして、それらを一つずつ線でつなぎ、自分にできることとできないことをより分けていく。それは多いようで少なく、不自由なようで自由なものとなる。咲江はそれらを脳内で仕分けて、歯がゆさに思わずため息を漏らした。手元のグラスの中の琥珀色が揺れる。
「頑張りなさいよ、皆」
そう呟いてぐい、と琥珀色の液体を飲み干す。喉を焼く酒精と共に、芳醇な林檎の香りが、鼻腔を突き抜けて行った。
油の跳ねる音と共に、目の前で肉塊が焼ける。
エプロン姿のアンジェリカは、目の前のフライパンで焼ける肉をじっと見つめていた。そろそろか、と思ってひっくり返すと、そこには見事な焦げ茶色が広がっていた。バターと牛脂が溶けた油を回しかけながら、反対の面にも同じように火を通していく。
「……よし」
さっとフライパンから降ろして、大きな丸い皿に載せる。ふわりと香ばしい匂いが立った。皿に手早くアルミホイルをアンジェリカが被せる。
「後は任せましたわ」
「よしきた」
ユーリが代わりに立つ。肉汁やらが融け込んだ油の海にさっと細かく切った後にレンジで加熱したニンニクと玉ねぎを放り込み、強火で色がつくまで炒める。色が付いてきた頃に、醤油をかけて味を調えた。アンジェリカがアルミホイルを取ると、ユーリはそのソースを肉の横に添えていく。最後にチューブの山葵を載せて、完成。
「出来ましたわよー!」
ダイニングに向かってアンジェリカが叫びながら皿を持っていく。ダイニングではアリアンナとアリシア、そしてエリサが談笑しながら食事の完成を待っていた。先程は参っていた様子のエリサだったが、アリシアやアリアンナとの談話を経て、幾分か気持ちも楽になったようだ。その様子に、アンジェリカは安堵を覚えた。
ステーキを並べていく。どれが誰の物かは把握している。
「はい、エリサはミディアム、アリシアお姉様にはウェルダンですわ」
目の前に置かれた肉塊に、エリサは思わず目を見開く。焼き加減がエリサの注文した通りになっているのも驚きだが、それ以上に非現実的な大きさのステーキに小さく悲鳴を上げた。皿を二つ持ったユーリがキッチンから出てくる。
「はい、アンナがミディアムね」
「ユーリ兄さんはレア、だっけ」
「うん。アンジーと同じだ」
アンジェリカの席に皿を並べるユーリ。ステーキの表面からは、赤い肉汁が滴っていた。キッチンから戻ってきたアンジェリカが皿をユーリの席に置く。
「さて、冷めないうちに食べましょう!」
その口ぶりからは、待ちきれない、という感情が隠しきれていない。ユーリも、急いで席につく。
いただきます。
今度は、五人分の声が重なった。




