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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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50/Sub:"茶番"

 修也と彼の恋人が出て行って、その足音が聞こえなくなる。アンジェリカが、ふぅ、とため息交じりの息をついた。エリサは腰を折って深く頭を下げた姿勢で、硬直したままだ。


「茶番、でしたわね。思ったよりもあっけない」


 彼女が自分の飲んでいた飲み物のボトルをユーリに差し出してくる。ユーリがそれに触れると、ボトルが淡く輝いた。あっという間に、ボトルの表面が曇った。


「ありがとう」


 アンジェリカは気だるげに足を組んで、窓の外を見やる。日はそれほど傾いていない。会議自体にかかった時間は、一時間と少しばかりだろう。そしてその時間の半分以上が、皐月院家との婚約解消ではなく、ゲルラホフスカ家との商談に費やされた。皐月院家の人間を、エリサ以外に最後まで参加させないまま。

 アンジェリカはボトルを開けて、残った中身を一気に飲み干した。空になったボトルをテーブルに強めに置き、音が鳴る。


「アンジー、僕は言うべきじゃないことを弁えているつもりだ。だけどあえて言わせてもらうけど」ユーリは、エリサの方をちらりと見た。「これじゃあ、当て馬じゃないか」


 いまだに頭を下げたままのエリサが、びくりと小さく震える。ユーリは彼女の方に歩いて行って小さく背中を叩くと、思い出したかの様にゆっくりと下げていた頭を上げる。その肩は小さく震えていた。アンジェリカは、再びため息をつく。


「皐月院家が婚約者としてねじ込んできたものの、こちらの意向でいくらでも取り下げることは可能な力関係、ということでしょうね」

「それが君の言う『クリーン』であるか、ってことかい?」


 ユーリはエリサの背中を、そっと撫でる。彼女は、ユーリにただ背中を撫でられる。


「後ろ暗い何かにつけ込んでばかりじゃ、この先生き残れないという話でしょう」


 そう、どこか自分に向けて言い聞かせるようにアンジェリカは呟くと、どこかうんざりしたように席から立ちあがった。


「早く、片づけて帰りましょう。今夜は豪快なものが良いですわ」

「ウィルコ。できるだけ頭の悪そうなものにするよ」


 ユーリはちらり、とエリサを横目で見る。彼女の表情は、彼からは完全にはうかがい知ることはできない。ただ、覗き込むほど無粋でもない。ユーリは、そっと撫でるのをやめるとただ会議の後片付けを始めた。

 後片付けは単純で、手っ取り早い。ログアウトし、電源を落とし、元あったようにケースに戻していく。セッティングした時とは違い、時間に追われている訳でもないし、気も楽だ。あっという間に片づけは終わって撤収準備が終わる。


「ほら、帰りますわよ」


 石像のように部屋の中央で立ち尽くしていたエリサの手を、アンジェリカがつかむ。ぞろぞろと部屋から出ていき、エレベーターへ。一階に降りてくると、アンジェリカは来た時と同じようにフロントにキーカードを返却しに行く。手続きが済み、ホテルの外へ。熱帯の蒸し暑い空気が全員を包み込んだ。思わず、ユーリはネクタイを首元で緩める。


「はしたないですわよ」

「息苦しくて仕方ないんだ。勘弁してよ」


 ユーリは深く息を吸い込んだ。肺に、湿度とわずかな塩分を含んだ、熱い大気が入ってくる。彼が息を吐きだすと、それは白煙となって宙に舞った。うわ上着を脱いだアリアンナがおかしそうに笑う。


「タバコでも吸ってるみたいだ」

「今後、吸うことはないだろうな。煙草は」


 肺にダメージがあると、高高度での活動に影響が出る。ドラゴンだからとはいえ、油断はしないつもりだ。

 ホテル前でタクシーを捕まえ、前払いの料金を払って別荘に帰る。行きとは違い、一仕事終えたというのに皆黙って家路を進んだ。別荘にたどり着くと、ユーリはそこでようやく、ピンと張っていた琴線が緩むような感覚を覚えた。玄関から家の中に入ると、スーツの上着を脱ぎ棄てたアンジェリカが、ソファーにダイブする。


「疲れましたわぁ」


 腕で目を覆った彼女の声の端々から、疲労が伝わってきていた。ユーリは苦笑いを浮かべると、彼女のスーツの上着を拾い、自分のと一緒に抱える。


「着替えたら、買い物に行ってくるよ。『頭の悪そうな食事』のために」

「お願いしますわぁ」


 空いた片手でひらひらとユーリに手を振る。彼は、ポツンと一人立ち尽くしていたエリサにも声をかけた。


「お風呂、お湯でも張ろうか? シャワーより気持ちが整理できるかもしれない」

「……お願いしますわ」


 エリサが力なくつぶやく。重症だな、これは、とユーリはどこか冷静に彼女の状態を分析していた。どこか目の焦点も合っていないし、体に力も入っていない。ちらり、とユーリは横目で、スーツを脱いでジャージ姿になってリビングへ戻ってきたアリシアを見やる。ユーリの視線に気づいた彼女は、小さくため息をつくと、下手なウィンクで返した。どうやら任せて良いらしい。

 エリサをアリシアに預けると、ユーリは自分の部屋に戻る。アンジェリカと自分の上着をハンガーにかけてからワイシャツとスーツのズボンを脱いで、同じようにハンガーにかけた。しわにならないようにだけ、気を付ける。

 すっかり下着一枚になったユーリは、速乾性の涼しげなポロシャツと、カジュアルな茶色のズボンを履いて、バッグに携帯端末と財布、折りたたんだ買い物袋を放り込んで、部屋を出た。


「買い物行ってくる」

「いってらっしゃいませー」


 ベッドで横になったままのアンジェリカがユーリに背中に声をかけた。

 家の外に出ると、再び熱帯の空気がユーリを包み込む。日は先程よりも傾いていて、空は若干の赤みを帯び始めていた。早く行って、早く帰ってこよう。

 時々、道を歩いている人の姿を見かける。軌道エレベーターの麓ということで、治安の良さは随一だ。日本と同じような感覚で外を歩けるというのは、便利なものだった。

 ふと、視界の端に何かが映る。振り向くと、軌道エレベーターの、空から垂れた一本のロープに張り付く、小さな輝き。航空機のようにちかちかと点滅しながら、ゆっくりと空から降りてきたそれは、軌道エレベーターの風防塔のてっぺんから、中に吸いこまれていった。静止軌道ステーションから降りてきた、エレベーターゴンドラ。38,000キロの旅路を経て、地上に戻ってきたのだ。


「存外、見えるもんだな」


 ユーリは感心しつつ、スーパーマーケットまでの道を歩く。

 ふと、ポケットの端末が震えていることに気付く。アンジーかな、と思って画面を見てみる。

『吾妻 咲江』

 ユーリの反応は一瞬だった。即座に電話に出る。


「咲江さん」

『ユーリ君、こんにちは。そっちはそろそろ日が傾いてきた頃かしら?』


 一瞬遅れて返事が返ってくる。それに、小さな違和感。


「軌道エレベーター通信ですか?」

『ご明察。折角だから、私も使ってみちゃった』


 確かに、軌道エレベーターの直接通信なら国際電話より遅延はするだろうが、料金は長期契約していれば安く済む。軍人と言う関係上圏外になるのを嫌うなら、通信手段として持っているのはごく普通に考えられることだった。


「どうしましたか? 何かありました?」

『いいえ。ただ、調子を聞きに来ただけよ』


 調子かぁ。咄嗟に思い出すのは、エリサの事。


「作戦は、まぁ、上手く行っています」

『あら、意外だわ。こういうのって、必ずと言ってもいい程横やりが入るものだから』

「実際に経験したことがあるような口ぶりですね」


 電話先の咲江は、ふふふ、と意味ありげに笑う。

 ユーリは会話を続けながらスーパーに向けて歩き続ける。住宅街の端にスーパーはある。歩いて一〇分もかからないだろう。


「今日は休日なんですか?」

『ええ。非番よ。おかげで、久々に家でゆっくりできるわ。あーあ、一緒に行きたかったわ』

「すみません」

『冗談よ。私だって、仕事の責任くらいは理解してるものの』


 他愛もない話をしていると、あっという間にスーパーマーケットの前にたどり着く。入口でカートを取って、店内へ。効きすぎた冷房の冷気がユーリを包み込んだ。エネルギーが軌道上のテラソーラーから送信されて使い放題とはいえ、やりすぎじゃないか? とも思いつつ、こういうときばかりは寒さに強いことに有難みを覚える。


『エリサちゃんはどうなったの?』

「婚約破棄ですよ。泣いてはいませんでしたけど、精神的にもショックだったそうです」

『彼女、立場における責任とか、そう言うのに固執するタイプだからね。愛情云々の前に、それがショックの原因だと思うわ』

「よくわかりますね」

『当り前じゃない。元とはいえ、貴方の学校の先生よ?』


 ユーリは、咲江がそれ以上に『相手を知る』ことに長けているような、そんな気配を感じた。それは空に上がってお互いのマニューバから相手を知ることに似ている。

 迷わず肉コーナーに向かう。並んでいるのは、日本では見かけないようなサイズの肉塊。牛肉5ポンド。キログラム換算で約2.2キログラム。空輸されているせいか値段はやや高いが、『頭の悪い料理』がリクエストなので、まぁ、これがいいだろうとユーリは判断した。サラダはパインサラダあたりにすればいいだろう。飲み物として、ウーロン茶のボトルを放り込む。


『で、ユーリ君は何が気になってるの?』


 お見通しか、とユーリは小さく苦笑いを浮かべた。


「エリサのお爺さん。彼が、どう動くかだけですね。今のところ、立場は佐高重工の方が上で、発言権もそちらにあるような雰囲気ですが」

『ユーリ君は、彼はどう見えたの?』


 ユーリは、ピタリと足を止めた。夕飯の買い物を同じようにしている人たちの足音が、急に遠くになったように感じた。すぐに世界に質感が戻ってくる。


「……何かを、恐れているように、感じました」

『……なるほどね』


 電話口の向こうの咲江の声が止まる。わずかな息遣いは聞こえてきているので、何か考えているようだ。端末を当てている耳とは反対側には、相変わらず店内の雑音が響いてくる。


『ユーリ君』

「はい、咲江教官」


 咲江の声色に、ユーリの背筋が思わず伸びた。


『私から忠告できることは一つ。“追い詰められた存在は、例えそれがどんなに不合理で不利に繋がるとしても、予想外の行動をとってくることがある”』

「不合理で不利って。それは、自らの破滅を決定づけます」


 咲江の言うことに、ユーリは疑問をぶつける。咲江の言う、不合理で不利な行為とその結果招く自らの破滅。人はそれを、『自殺』と呼ぶ。


『ええ。破滅を決定付けるわ』咲江は、小さく息をつく。何かを思い出しているようにも感じられる間。『相手を道連れにして、ね』


 ぞくり、とユーリの背中に小さく鳥肌が立つ。人はそれを、『心中』と呼ぶ。


『エリサさんのお爺さんにとって、エリサさんの婚約話がどれほど重要なものなのか、それは私には分からない。だけど仮にそれが彼の恐れていることに極めて近いものであるとするのなら――不測に、備えなさい』


 エリサの、可能性を縛られ、押し付けられた立場に困窮し、あっけなくアイデンティティを喪った姿が脳裏に浮かぶ。

 老人の心中に巻き込まれるのは、まっぴらごめんだ。ユーリは、小さく奥歯を食いしばった。


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