44/Sub:"転換"
テーブルマナーは最低限しかない。思い思いのものにフォークを突き刺し、食べていく。ユーリがナイフでハンバーグとサーモンのソテーを切り分けると、アリアンナが無造作にフォークを突き刺して口に入れた。
「うーん。ジャンクな味がする」
「そういうものでしょ」ユーリがチーズマカロニを食べながら言った。「相応、ってやつだと思う」
先ほどまで流れていたワイドショーは終わり、ドラマが流れている。特に特筆するべき話はない、普通のものだ。
「お姉様、何か楽しめそうなものを流してくださいまし。これではただの『ディナー』ですわ」
アンジェリカがリモコンをアリシアに渡す。あいよ、とアリシアがリモコンを弄ると、垂れ流されていたチャンネルが切り替わる。有料の映画配信サービスの画面に。
「あ、こないだ公開されてた映画、もう配信に出てる。これにしましょ」
そう言ってアリシアは有無を言わさずに選択し、映画を流し始めた。タイトルは『海守人のサトゥルヌス達』
配給が流れ、真っ暗な宇宙空間が広がる中、いくつもの光芒が走る。その間を縫うようにして駆ける、人型機動兵器。
「確かに、これは」アンジェリカが、ふやけたポテトをフォークで突き刺す。「ディナー向きですわね」
ユーリは苦笑いを浮かべる。濃い味付けの食事に、濃い味付けの映画。ちょうどいいマリアージュだ。
映画の背景がころころと変わり、各々が映画を肴に飯を楽しむ中、ぽつりと、エリサだけが手が進まないでいた。ふと、ユーリが気付く。
「口に合わなかった?」
「い、いえ。そういうのではなく」
慌ててエリサが首を振る。全員が怪訝な表情でエリサを見つめると、彼女はどこか困惑したような表情で、言う。
「こういう風に、皆で温かい食事を囲むのが、はじめてで……」
思わず、エリサを除いた四人で顔を見合わせる。思った以上に悲惨な皐月院家の事情が明らかになりそうだ。映画では、宇宙ステーションの不味い飯を主人公がぼやくシーンが流れていた。
アンジェリカがため息をつく。フォークでしなびたポテトを突き刺すと、エリサの目の前に持って行った。
「はい、あーん」
「お断りですわ」
「『命令』をしてもよろしくてよ?」
ぐ、とエリサはうめく。フォークの先とアンジェリカの間で視線が数度、行き来した後、観念したようにフォークを咥えた。
「美味しいかしら?」
「……普通、ですわ」
当たり障りのない回答を返してくる。苦笑いを浮かべたユーリが、サーモンのソテーを同じように差し出す。エリサは、今度はおとなしくソテーを食べた。
「美味しいですわ」
「ちょっと。わたくしの時と違ってずいぶんあっさりと口にしましたわね?」
アンジェリカの抗議に、アリシアがまあまあ、となだめつつ、面白がってアリシアとアリアンナもエリサに『餌付け』を行った。
「じ、自分で食べられますわ」
「どうかしら? 皆で食べるご飯は」
アリシアがエリサに聞くと、エリサは黙って頷く。それにアンジェリカはどこか満足げな表情を浮かべると、ユーリにもたれかかってテレビ画面に視線を映した。皆、リラックスして食事を楽しんでいく。エリサも、ようやくソファーに体を預けた。
映画は盛り上がりを見せていく。五人で囲む食卓の上で、夜は静かに更けていった。
良い香りで、エリサは目を覚ました。
無機質な目覚ましの音によるものではない、有機的な、体が求めた目覚め。ゆっくり体を起こすと、ここが日本ではない事を思い出す。日本から5,000キロ離れた太平洋のど真ん中の孤島の、空へ伸びる塔の麓にある小さな一軒家。そこの来客用の部屋で、来客用の布団を引かれて一晩を過ごしたのだった。マットレスにシーツと、やたら手触りの良い滑らかな素材のブランケット。既製品ではない、と何となくエリサにも分かったが、おかげで一晩快適に眠ることができた。
ゆっくり上体を起こす。すっかり日は昇っているようだが、どこか体が眠いと訴えている。日本では今頃真夜中を少し回ったぐらいの時間の筈、と考えると、それもそうかと思った。だからと言って寝坊する気はない。無理に起き上がると、ドアを開けて廊下に出る。
廊下の突き当りがエリサに割り当てられた部屋だった。手前から姉妹の部屋、洗面所と風呂場、物置、そして反対側の突き当りが『夫婦の部屋』らしい。昨晩はユーリとアンジェリカがそこに泊まっていたはずだ。
小さく鼻を鳴らして、良い香りをたどる。何かが焼けるような音。台所から香ってくることに気付いたのは、ふらふらとリビングから台所に踏み入れた時だった。
「あ、エリサさん、おはよう」
「……おはようございます」
台所では、ユーリが寝間着の上にエプロン姿で朝食を作っていた。エリサが来たのに気づくと、微笑みながら挨拶をしてくる。キッチンの上には、市場で買ってきたのか、マグロかカツオのそれと思われる赤いサクがまな板の上に載っている。鍋と炊飯器からは、湯気が立ち上っていた。
「朝ごはん、もうすぐできるから顔洗って待ってて」
そう言って、ユーリはサクを丸ごとフライパンに載せた。香ばしい、ごま油と焼けた魚の匂いがいっぱいに広がる。途端にエリサの腹の虫が鳴く。頬を赤らめつつ、エリサはいそいそと台所を立ち去った。
「あら、おはよう」
エリサが洗面所に来ると、アリシアがちょうど髪を乾かしているところだった。
「おはようございます。アリシアさん」
「んああ、エリサちゃんおはよぉ。シャワーにする?」
眠そうに言うアリシア。だが彼女の手先は一切狂っていない。身に沁みついた動作なのだろうか。汗を流したい気分であった。はい、と答えた。
「あ、私の洗顔石鹸、使っていいわよ」
そう言って、アリシアが小さなボトルを渡してきた。何語だろうか、エリサには見慣れない言葉が印刷されている。
「そんな、お構いなく」
「いいのよいいのよ。それに、後でたっぷりと弄らせて貰うからね」
アリシアがどこか楽しそうに言いながらシャワールームを出て行った。エリサは疑問符を浮かべる。どういう意味だろうか。まだ寝起きから抜けきらない頭ではその意味がよく分からなかった。
借り受けたネグリジェを丁寧に脱ぎ、ブラとショーツを――結局サイズが合うアリアンナのものを借りた――脱ぐと、まだ温かの残っている、ユニットバス式のシャワールームに入る。シャワーカーテン代わりの曇りガラス戸を閉めて、蛇口をひねる。
アリシアが使っていたのだろうか、すぐに温かい湯が彼女の身体を濡らした。頭に湯の雨を浴びると、癖のついた金色の髪が重みを増して、うねる海のように波打ちながら彼女の身体に張り付いてボディラインを晒す。その光景は、どこか艶めかしい光景であった。
ようやく、頭が冴えてくる。寝ぼけていた頭がリブートされていくと、思い出すのは昨晩ユーリと行った会話の内容。
「当たり前に、疑問を」
自分自身に言い聞かせるようにしてつぶやく。この疑問に突破点をもたらしてくれるであろう人物の心当たりは、一人しかいなかった。腹立たしい相手、ではあったが。
せめてもの仕返しに、三つ並んでいるシャンプーボトルで、一番高いものを使う。丁寧に髪を洗うと、狭いシャワー室内にふわりとバラの香りが広がった。良いものを使っているらしく、自然な香りだった。
アリシアから渡された洗顔石鹸を使って、顔を洗う。これは知っているブランドだった。大手の化粧品メーカーが作っている、若い女性向けの若干高級なもの。保湿も行ってくれる優れものだ。顔を流すついでに、目やにを落とす。
シャワーを止めて髪を軽く漉いて水気を取ると、ガラス戸を開ける。そこにはいつの間に戻ってきたのだろうか。私服に着替えたアリシアが仁王立ちでエリサのことを待ち構えていた。彼女の後ろにエリサの着替えと思われる服が畳んで重ねられているのを見るに、彼女が持ってきてくれたらしい。そしてその服の横に丁寧に並べられた、ヘアアイロンと櫛。
「嫌ですわ!」
バスタオルをつかんで頭から被るエリサ。先ほどまでのアリシアとは違い、見事に縦ロールになった彼女のツインテールを見るに、どういうことをエリサにしようとしているのかは明白だった。頭を押さえるエリサの腕をつかみ、その小さな体のどこにこんな力があるのか不思議なくらいの強さであっさりとタオルを引きはがす。
「嫌ですわ! 貴女、大体縦ロールなんて、一七世紀フランスのロココ絵画から出てきたようなものではありませんか!」
「うるさいわね! こんな『是非縦ロールにしてください』みたいな風貌で、生かさなきゃ縦ロール族の名が腐るってものよ!」
「いっぱい手間でしたのよ! いっぱい手間がかかったんですのよ!」
「アンタもその仲間に入れてやろうってのよ!」
数分後、そこには立派な縦ロールにされたエリサの姿があった。
「あんまりですわ……」
エリサは満足げなアリシアの視線を感じながら風呂場から出る。用意された服はシンプルな、群青から空色へグラデーションの入ったワンピース。昨日寝る前に服を選んだ際に、胸もお尻も窮屈だったのでフリーサイズなものを、となった結果だった。凄まじい顔をしたアンジェリカからお尻をはたかれた感触が、まだ残っている気がした。リビングまで来ると、声を掛けられる。
「あらエリサ。おはようございますわ」
「……おはようございますわ」
エリサが声の方向を向くと、寝間着姿のアンジェリカがソファーでくつろいでいた。エリサに挨拶をすると、解いていた足を組みなおして、再びソファーでくつろぎ始める。テレビを見ているようで、エリサが反対方向に顔を向けるとニュースが流れていた。英語だ。
ヘリに乗ったレポーターが、カメラに向かってコメントを言っている。どうやら、ブラジル軍によってアマゾンの麻薬カルテルの本拠地が制圧されたらしい。カメラがヘリの下の密林を映すと、密林の一部がぽっかりと切り開かれ、そこに『原料』の畑が広がっていた。異様なのは、畑の真ん中にぽっかりと、空からでも分かる大きなクレーターが口を開けていること。
「空爆ですわね」アンジェリカがポツリと呟いた。「おおかた、巡行ミサイルでも撃ち込んだのでしょう」
「よくわかりますわね」
エリサが皮肉半分、感心半分と言ったところでアンジェリカは退屈そうにテレビを消した。




