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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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43/Sub:"責任"

「厄日ですわ……!」


 涙目のエリサがアンジェリカを睨みつける。アンジェリカは飄々と彼女の視線を受け流すが、エリサはかまわずに彼女を睨み続けた。


「あなたが関わってからずっと! 髪型を変えられるし、ユーリさんに服の匂いを嗅いでいるのを見られるし、空で引き回しにされるし、会いたくもない婚約者とその愛人に引き合わされるし、挙句の果てにユーリさんに裸を見られる!」

「匂いを嗅いでいたのは、わたくし関係ありませんわよね?」


 アンジェリカが冷静に突っ込むも、目の前のエリサには通じなかった。アンジェリカはため息をつきつつ、先ほどのアリシアの話を思い出す。思えば、ユーリの服の匂いを嗅いでいる時点で兆候はあったのかもしれない。だが同時に、この様子から見る限りだとまだ恋心に至る段階ではないだろう。そもそも自覚しているかどうかも怪しい。ただ『臨界』は近い、とも認識できた。あとは何かきっかけさえあれば、本当に好意を自覚し始めてもおかしくない。

 真っ赤になった顔を両手で覆い、めそめそと泣き出すエリサ。色々なものが風呂に入ったせいでとうとう限界に達したからだろうか。普段のエリサらしくない光景にアンジェリカはここで初めて狼狽した。助けを呼ぼうか、しばし悩んだ末にあーもう、と声をあげて無理やりエリサの腕を掴んで立たせる。


「いいから服を着なさい! いつまでも裸のままでいるつもりですの!?」

「あなたの服を着るぐらいならそっちがマシですわぁ……」


 アンジェリカはエリサの手からバスタオルを奪い取ると、彼女の体を拭く。まるで召使と主人のような光景だが、腹立たしい気持ちを無理やり抑えて、すっかりしおらしくなったエリサの身体から水気を拭きとる。髪にドライヤーをかけてやると、癖っ毛が熱風を浴びてたなびいた。

 しおらしく抵抗するエリサに、半ば無理矢理自分の、部屋用のブラジャーを付けてやろうとすると、紐が届かない。


「くるしいですわ……」

「こっ……!」


 アンジェリカは、エリサの胸に実る肉をはたいてやりたい気持ちを抑えこむ。上はきついというので、足を持ち上げて無理やりパンツを履かせると、ブラを付けていないまま自分のワンピースタイプの薄紅色のネグリジェを。被せるようにして着させた。


「ほら、とっとと風呂場から出ていきなさいな! わたくしの番ですわよ!」


 そう言って半ば無理矢理風呂場からエリサは追い出される。背後でバタリとドアが閉まる。半ば途方に暮れ、立ち尽くすエリサ。足音がして、ふわりと嗅ぎなれた匂いが鼻をくすぐる。そちらを振り向くと、ユーリが心配そうに、そして同時に申し訳なさそうな顔で、エリサに向けて歩いてきていた。先ほどのことが思い出され、再び頬を赤くして顔を背けるエリサ。


「さっきはごめん」ユーリが少し困ったような顔をしながら、エリサに手を差し出す。「心配になって、気遣いを忘れてた。僕のミスだ」

「い、いいえ。私も、何も考えずに呼んでしまいましたわ」


 おずおずと、ユーリの手を取る。シャワーを出たてのエリサと比べて、ユーリの手はひんやりしていた。ユーリに手を引かれて、リビングに戻ってくる。


「夕飯の準備をしておくから、ソファーでくつろいでて。何か飲む?」


 そうユーリに尋ねられたので、おずおずとお茶を、と答えた。ユーリはリモコンでテレビをつけると、台所へ消えていく。

 テレビではニュースがやっていた。驚いたことに、日本のテレビがやっていた。衛星放送だろうか? 東京のチャンネルでやっている、ワイドショーのような番組だ。科学技術分野の話題に絞られていて、専門家がコメントを流している。詳しい内容はわからないが、わざわざ消すのもはばかられたので、BGMにするつもりで流し続ける。

 ニュースが取り上げられる。なんでも、東京硝子工業製の強化ガラスに欠陥が見つかったらしい。ただ、複合素材として用い、そしてごく限られた面積に強い衝撃が加わると全体に破壊が進行する、なる欠陥だそうだ。メーカーが想定している通常の使用ではまず問題にならない閾値なので、順次交換を進めていく予定らしい。エリサは、自分には関係ない話、と平凡な感想を抱いたところで、ユーリが緑茶を持ってきた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございますわ」


 ユーリから緑茶の入ったグラスを受け取る。先ほどと同じように、よく冷えていた。


「じゃあ、夕飯の支度をしてくる」

「あ、あの」


 立ち去ろうとするユーリを、思わず引き留める。ユーリが不思議そうなきょとんとした表情でふりむと、エリサは言葉を詰まらせながら、言った。


「すこし、お話をしませんか?」


 ユーリは一瞬考え込むと、不思議そうな表情のまま、うなずく。ソファーの前に置かれたテーブル、エリサの向いの床に、腰を下ろした。


「何か、話したい気分だったりする?」

「……ええ」


 エリサは、緑茶の入ったコップに視線を落とす。緑色の海に、透明な氷が三つ、浮かんでいた。室内の明かりが表面に映りこんでいる。

 沈黙が、二人の間に流れる。実のところ、エリサはユーリと話をしたい、という漠然とした欲求はあったが、具体的に何を話したいか、などは決まっていなかった。

 ユーリは、そんなエリサの様子に既視感を覚えた。アンジェリカもそうだ。

 ただ、誰かにそばにいて欲しい時。


「えっと、さ」


 ユーリは自分から話し始める。こういう時に話題を提供するのは、紳士たる者の義務だ。


「エリサさんは、将来の夢とか、ある?」

「私は……」


 何か言おうとして、詰まった。将来の夢などない。全ては、皐月院家の存続と、繁栄のため。そう教えられてきた。そのための道具であり、礎となるべきだと。


「僕は、宇宙に行きたい」

「……随分と、荒唐無稽ですこと」


 いいや、違う、とエリサは皮肉の裏で思う。ユーリは本気だ。実力もあるし、そのための努力もしている。昔に比べてハードルが下がっているとはいえ、彼なら難なく宇宙に手が届くだろう。

 ただ、それがエリサと同じような『貴族』としての立ち位置にいるであろうユーリには、あまりに無責任ではないか、というだけで。


「確かに、あまりにも漠然としているかもしれない。でも、僕は宇宙に行く。そのために努力はしてるし、この先も努力を続けるつもりさ」

「あなたは」エリサは、ユーリに尋ねる。「家のことは、どうするのですか。穂高家を継ぐのは、貴方でしょうに」


 エリサの問いに、きょとんとした表情を浮かべるユーリ。うーん、と小さくうなって、天井を見上げる。いや、彼が見ているのはその先の空だ、とエリサはどこか理解していた。


「考えたことは、なかったな。僕の家はその……随分、特殊だし」

「ですけれど、家を存続させるために、意志を、責任を、負うものが必要なはずですわ。そして、それは長男であるあなたの筈」

「――待って」


 ユーリが、エリサの発言を遮る。びくりとしてエリサがユーリを見ると、彼の瞳がうっすらと、金色に輝いているような気がした。竜の瞳。


「僕が思うに」ユーリは、口の中でそれを反芻するようにして、言う。「順序が、逆じゃないかな」


 ぽかん、と口を開けるエリサ。ユーリは、そんなエリサのことに気付かぬまま、続けた。


「意志と、それに付随する責任を継ぐと決めたから、そこに『継承』があるんじゃないかな――いや、なんて言えばいいんだろう」


 ユーリは、回答に困っているようだった。


「僕は、そういうことはよくわからない。多分、アンジーの方が、しっかりした意見を出せると思う」


 ユーリの瞳が、変わる。竜としての瞳から、飛行士(パイロット)としての瞳に。


「前も言ったけどさ」ユーリは、どこか自分に言い聞かせるようにして言う。「前に進むには、何かを置いてかなければならない。だけど、一番大事なもの(ペイロード)だけは、手放してはいけない。それが、前に進む理由そのものだから」

「……前に、進む理由」

「エリサさんは、どうして家を継ぎたいの?」


 ユーリの問いかけに、エリサは沈黙で返す。そっか、と小さくつぶやいた。


「僕が言えるのは、抱えていくものと、置いていくものは、しっかり選ぶべきだってこと」ユーリは、少し自嘲気味に笑って言う。「まぁきっと、エリサさんなりにも色々考えたんだろうけど」

「私は……」


 エリサは、言えなかった。考えたこと等なかった。それが当然で、当たり前のことだと。家を、意志を、責任を継ぐのに理由など必要ないと。コップの中の氷が、揺れる。


「……ユーリィー!」


 風呂場から声が響いてきて、ユーリは振り向く。アンジェリカの声だ。ユーリは立ち上がると、変なこと言ってごめんね、とだけ言って風呂場に消えていく。その背中をただ見送るエリサ。その背中が、やけに広く感じた。

 背負うべきもの。置いていくべきもの。

 きっと、ユーリの背には、多くのものが背負われているのだろう。そして、その中にはアンジェリカ自身も含まれているのだろう。

 家を継がずに空へ上がると決めたのなら、多くの後ろ盾を失うことになる。生活だって自分で工面しなくてはいけないし、助けを借りるのだって限度がある。何もかもを、自分達で賄わなくてはならない。それが、彼が大空の代償に負った『責任』。

 なら、自分はどうなのか。皐月院家の責任は、何の代償なのだろうか。具体的な答えは、出てこない。


「――思い詰めているところ申し訳ありませんが、夕食の時間でしてよ」


 見上げると、自分と同じ薄紅色のネグリジェを着たアンジェリカが、腕を組んでエリサを見下ろしていた。すっかり考え込んで時間が過ぎていたのか、ユーリやアリアンナ達もシャワーを浴びたようだった。よたよたと立とうとするエリサを、アンジェリカは静止する。


「テレビ・ディナーというのなら、テレビを見ながらではないと風情がありませんわ」


 アンジェリカの後ろから、レンジから出したであろう湯気の立った容器を持ったユーリたちがぞろぞろと来て、テーブルの上に食事を置いていく。どれも保存食、と言わんばかりの見た目だ。てきぱきとユーリが食器を並べ、アリアンナが飲み物を配膳する。


「さて、揃いましたわね。では、いただきますわ」

「「「いただきます」」」

「……いただきます」

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