41/Sub:"別荘"
アンジェリカがそう、どこか芝居がかった様子で言う。機体は煌々と滑走路灯が輝く滑走路から速やかに誘導路に出ると、駐機場へタキシングを続けた。ユーリが眺めるモニターの外の景色は、首都の空港のそれに比べるとターミナルの大きさが小さく飾り気がないなどの違いこそあれ、話に聞く限りだと、昔に比べてかなり拡張されたらしい。沈みかけの夕日に照らされたターミナルビルディングは内部の灯りで夕暮れの闇の中煌々と輝いていた。
機体は誘導路をタキシングし続ける。そうしているうちに次の機体が降りてくるのが分かった。ユーリ達の乗る、極超音速で飛行することを目的とした機体ではない、窓のない、貨物を運ぶことに特化した四発貨物機。高バイパス比ターボジェットの音を響かせながら、滑走路に白煙と融けた合成ゴムの跡を残して着陸してくる。きっと中に積まれているのは、軌道エレベーターで宇宙に持ち上げるための何かか、生鮮食品の類だろうか、とユーリはぼんやりと考えた。そうしてユーリ達が駐機場にたどり着くまでの間に、二機ほどが滑走路に着陸してきた。
ユーリ達の乗る機体は駐機場の片隅の、小さなスポットへ誘導される。地上誘導係が誘導灯を振りながら機体を静止位置まで誘導すると、頭の上でクロスさせた。『停止』のサインだ。滑らかに機体が停まる。しばしして、低く唸り声の様に聞こえていたエンジン音が停まった。同時にキャビンの壁で外の様子を透明化したかのように映していたモニターの表示が変わった。塩の結晶が晶出し、成長していくようなエフェクトで表示が切り替わり、シックな壁紙風の表示に切り替わった。
ポン、と軽やかな電子音。機内のシートベルトサインが消えた。
「なるほど、確かにあっという間だ」
修也が少し感心したように言った。実際、飛行時間は一時間半ほどだ。マッハ5、時速に換算するとおおよそ5000キロでの移動は、加減速の時間を含めても大幅な時間短縮につながる。道理でビジネスジェットやエアタクシーとしての需要があるわけだ、とユーリはどこか納得した。アンジェリカが席から立ちあがって、ボックス席の三人に尋ねる。
「快適な空の旅は如何でした?」
「今度、わが社の社用で、是非利用させてもらうよ」
「経営者にとっては、最大限の光栄ですわ。どうぞよしなに」
「あ、あの。すごく早かった、です」
「ふふふ。是非評価には『星5』をよろしくお願いしますわ」
修也の恋人も、どこか興奮した様子で言った。普通に考えれば、そもそもビジネスジェットに乗る機会なんて早々あるものではないな、とユーリはアンジェリカ達を見ながら思った。ましてや、会議程度ならオンラインやVRで行う時代、ビジネスでも現地視察などの特殊なものでなければ極超音速ジェットに乗る必要性もあまりない。旅客分野でも、人気なのは半世紀前と同じ、亜音速域での大型機だ。それに、だ。
「どうしたの? 兄さん」
どこにも焦点があってなさそうな遠い目をしているユーリに、アリアンナが尋ねる。
「……いや、過ぎたるは及ばざるが如し、ってやつなのかなって」
なんだか、出発から九〇分で別世界、と言うのは味気ないようにも感じた。『トンネルを抜ければそこは雪国であった』程ではないが、機内サービスを満喫する時間には不十分過ぎる。趣向を凝らした機内食を楽しむ時間も、映画を見る時間もない。『移動もまた旅の一部』というのは、こういう事なのだろうか。ずっと寝ていたアリシアがアリアンナに起こされて、欠伸をしながら目覚める。
「急いては事を仕損じる、か」
「何かおっしゃりました?」
アンジェリカがユーリのつぶやきに、不思議そうな表情を向ける。
「いいや、別に」
ユーリは、小さく首を振って席を立った。
機体後方の貨物室に置かれていた各々の荷物を取って、機体前方のギャレーに向かう。空気の抜ける音と共に、機体のドアが開く。タラップは既にかけられていて、武骨な構造にただ滑り止めを張り付けた階段が、それを必要とする人員が求めるニーズを示しているような気がした。ユーリを、むわりとした南国の熱く、塩気を含んだ空気が包み込んだ。
エプロンには航空燃料の着臭された、独特な臭いが漂ってきていて、ユーリは小さく鼻を鳴らした。いい匂いではないが、どこか癖になる臭い。ジェットエンジンの高い、独特な音が常に響き渡っている空港は、世界中どこに行っても変わらない光景だった。轟音とともに、新たな機体が着陸してくる。機体の側面に薄く、客室の灯りが見えた。旅客機だ。
全員で到着ロビーに向かう。とはいっても、一般的なターミナルのそれではなく、ビジネスジェット用のこぢんまりとしたプライベートなロビーだった。各々パスポートを取り出して入国手続きを済ませると、キリバス共和国の入国スタンプが押された。ロビーに出て外に出ると、目の前にぽつりとシックな黒の送迎車。側面にはホテルのロゴが貼られている。
「では、お二人はわたくし共が予約しているホテルへ。迎えは来ていますわ」
アンジェリカがタクシーを指すと、運転手が出てきてぺこりと頭を下げ、トランクを開いた。
「ありがとう、何から何まで。この計画が上手く行くことを祈ろう」
「ええ。お互いに」
そう言ってにこやかに別れを告げるアンジェリカと修也。ふと、エリサが修也に自然と付いていこうとして、アンジェリカに腕を掴まれた。
「貴方は、こっちですわ」
「……分かっていますわ」
どこか、分かっていたような、そんな口調で言う。アンジェリカがエリサの腕を引いて歩いて行った先には、大型のワゴン車のタクシー。アンジェリカが、ゲルラホフスカ家が手配したものだろうか。到着ロビーの外の片隅で、その車は静かに彼女等を待っていた。アンジェリカ達が近づくと、エリサは驚きの声を上げた。
「なっ」
運転席に人影はなく、座る者のいない運転席にランプが付いている。自動運転車だ。アンジェリカが自分の端末を取り出し、ドアの横の読み取り機に表示されたコードをかざすと認証が完了する。スライドドアが軽快な電子音と共に開いた。
「……随分と、進んでいますのね」
「ええ、軌道エレベーターの街ですもの」
ユーリ達全員が乗り込むと、ドアが閉まって車は静かに走り出す。静粛性に優れる電気自動車は、僅かなモーターの音だけを響かせて道路を滑るように、法定速度キッチリで走行していった。左手に軌道エレベーターを見ながら、片側二車線の、やや幅が広くとられた道路を走っていく。
「南国ねえ」
アリシアが冷房のコントロールパネルを弄り、強くしながらつぶやいた。送風口から出てくる風は生ぬるく、懸命に冷却の役割を果たそうとしているが多分に含む湿気のせいでどうにも涼しくならない。仕方なく、ユーリはわずかにドラゴンブレスを放出する。ユーリの座っている近くの窓が、曇った。
車内は沈黙だった。各々、黙ったまま時は過ぎる。街中に入り、真新しい、アメリカでよく見るような平屋が並んでいる一角。一軒の家の前で、タクシーは止まった。
『Arrive at destination. Thank you for use our services.』
アナウンスが流れる。到着ですわ、とアンジェリカが呟くと同時に、タクシーのドアが開いた。料金は事前に支払い済みで、指定されたルートを走る自動タクシーだ。
「ここが、別荘ですの?」
「ええ、ゲルラホフスカ家が、軌道エレベーターが建てられる前から持っていた、別荘ですわ」
アンジェリカは家に向かって歩き出す。背後では、空になったタクシーの、ドアが軽快な電子音と共に閉まり、静かに走り去っていった。
別荘は白い壁の、アメリカの一軒家でよく見られるようなよくあるガレージ付きの平屋だった。向かって左側にガレージ、その右に、玄関へと続く道がコンクリで舗装されている。玄関でアンジェリカはバッグを開けて、鍵を探し始めた。
「懐かしいなあ」
ユーリがぽつりとつぶやくと、アリシアはあー、とどこか納得したような声を上げた。
「ユーリは、ここに来るのは一年ぶりだものね」
「もっと頻繁に来てるの?」
「ええ。クリスマスとか、新年とか、ゴールデンウィークとか――まぁ、しょっちゅうよ」
ユーリは少し意外に思いつつも、どこか納得する。別荘にしては生活感のある外観は、間違いなく頻繁に来ていないと生み出されないものだ。
そうこうしているうちに、アンジェリカが見つけて取り出し、アナログな鍵穴に差し込んで回した。鍵の開く音。小さくきしんだ音を出しながらドアが開くと、蒸し暑い空気が扉の前にいたユーリ達を包んだ。ユーリの目がぼんやりと金色に輝く。
「冷やす?」
ユーリがアンジェリカに尋ねた。
「ええ……換気する前に、一旦冷やしてくださいまし」
「分かった」
よっと。ユーリがそう小さくつぶやいて、掌に渦を巻いていたドラゴンブレスをボールでも放り込むかの如き気安さで投げ込んだ。淡く輝くドラゴンブレスの球が、ふわふわと室内に飛んでいき――破裂した。
「きゃっ」
小さくエリサが悲鳴をあげた。とはいっても、爆風があったわけではなく、一瞬まぶしく光り、それから周囲の気温が一瞬で下がっただけだ。急冷の影響で、室内が一気に曇る。
「さ、濡れる前に換気しますわよ!」
アンジェリカがぱんぱん、と手を叩いて屋内に入る。エリサも、意を決して別荘内に足を踏み入れた。
内部は、ごく普通の家だった。吸血鬼の別荘と聞いてもっとおどろおどろしいものを想像していたエリサにとって、それは拍子抜けな展開でもあった。板張りの床のような模様のマットレスが敷き詰められた玄関、リビングはカーペットが敷き詰められ、ソファーとテーブルが並んでいる。エリサが呆気に取られていると、ユーリがエリサの前にスリッパを差し出した。ありがとう、と小さくつぶやくと、靴を脱いでそのスリッパに足を通す。サイズは、ぴったりだった。
アンジェリカが電気をつけると、室内の曇りがより顕著に見えた。彼女は眉を顰めて、つかつかとキッチンに歩いていくと換気扇をつける。力強い換気ファンの音が響いて、扉の隙間からかすかに空気が入ってくるのをエリサは感じた。ユーリと三姉妹はてきぱきと庭に繋がるドアや、窓を開ける。新鮮な、暑い空気が入ってきて、室内の霧があっという間に消えていく。その間、エリサは玄関で呆気にとられたまま立ち尽くしていた。
「あー、放置していてごめん。エリサさん。こっちで座って、何かテレビでも見ていてよ。ここ、いろんなチャンネルが繋がるから」
ユーリがエリサに気付き、彼女の手を引く。おずおずと彼の後をついていくと、玄関から入ってすぐ左のリビングに通される。L字型に置かれた、ゆったりとしたソファーと、真ん中の木製のテーブル。向かいの壁には、大型のディスプレイが壁に掛けられていた。おずおずとソファーの、テレビの真正面に座ると、ユーリが台所からコップに入れられた緑茶を持ってきた。機内で飲んでいたものの残りだろうか。ユーリがドラゴンブレスで冷却したせいで、冷蔵庫から出したてのように冷えていて、氷山のような大粒の氷が浮かんでいる。ユーリはテーブルにリモコンを置いて、少し待ってて、と言い残して玄関の右手の通路へと消えていく。ちらりと、洗面所が見えた。
ぽつりとエリサが取り残される。なんだか、自分一人でこうして休んでいるのが居心地悪くて、前を通りかかったアリアンナに話しかける。
「何か、私にできることはありませんの?」
そうエリサが尋ねると、アリアンナは少し困ったように頬を掻きながら言った。
「エリサさんは客人だからね。客人をもてなすのは、ボクらの義務ってことさ」
そう言って、アリアンナはそこでどこか優雅に礼をしながら、どうかお寛ぎ下なさいませお嬢様、と言う。その姿にエリサは一瞬ドキリとしながら、アリアンナは朗らかな笑みを浮かべて部屋の奥へと去っていった。目の前でカラン、とグラスの中の氷が音を立てる。
エリサはおずおずと緑茶の入ったコップを手に取ると、口につける。冷えていて、とても美味しかった。




