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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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39/Sub:"機内サービス"

 駐機場に止められた機体の前輪から、牽引車が離れていく。外部カメラを映した機内のモニターには、危害作業員が機体から離れていく様子が見て取れた。少し離れたところからこちらに向かって手を振る作業員の姿。アンジェリカが微笑みながら小さく手を振り返す。


「それ、外の人たちには見えてないんじゃない?」


 ユーリがそう言うと、アンジェリカは小さくため息をつく。


「見えていようとなかろうと、礼儀を尽くすのが貴族たるものですわ」

「成程」


 これも、彼女なりの矜持なのかもしれない。ユーリも小さく手を振ろうとして、やめた。代わりにラフな敬礼で答える。

 APUの唸り声が増した。一般的な、対流圏上部を飛行する旅客機とは違い、成層圏を飛行する機体の与圧隔壁は頑丈だ。タービンの回転数が上がるわずかな震動が、エンジンが起動したことをユーリに教えた。

 機体が動き出す。先ほどの牽引時のそれとは違い、背中から優しく押されるようなタキシング。時折、誘導路中央線の灯火によるわずかな凹凸を踏む震動だけが機内に伝わってくる。新松本空港は閑散としている。新羽田や成田のようにひっきりなしに着陸機があるわけでもなく、静まり返った滑走路のすぐ脇の、見通しの良い誘導路を機体は進んでいく。そうしているとすぐに滑走路手前にまで到達した。滑走路手前の停止線で一時停止する機体。

 進入許可が下りなかったのかな? そう思ってユーリが後ろを見ると、ユーリたちの一本手前の取付誘導路を通って、滑走路に進入する機体の影があった。

 白黒のツートーンで塗られた機体。のっぺりとした紡錘形の、10メートルほどの長さの胴体に、H型の尾翼。そしてグライダーのように異様に長い翼。側面には、『長野県警察』の文字。長野県警の、捜索用無人偵察機(UCAV)だ。


「山で何かあったのかな」

「無事を祈るばかりですわね」


 滑走路に入ったUCAVは一時停止せずに加速を始める。滑走路の四分の一ほども滑走せずに、ふわりと空中に浮きあがった。高揚力比を意識した翼は、低い滑走速度でいともたやすく重力の鎖から逃れることができる。そのままUCAVは、離陸後左旋回。上高地の方へ進路を変えていった。

 次は自分たちの番だ。機体がゆっくりと動き出して滑走路に進入する。滑走路に入って滑走開始位置で、停止。

 低い、唸り声の様な振動が響き、それが一気に甲高くなる。ぐん、と身体がシートに押し付けられる感触。加速していく。滑走路がぐんぐんと後ろに流れて行き、翼が大気を掴んだ。一瞬シートに押し付けられる感触と共に、浮遊感。機首が上がり、主脚が地面から離れた。旅客機にしては高めの上昇率で、機体は成層圏を目指す。


「相変わらず乗り心地はいいね」

「うちのパイロットの腕がいい証拠ですわ」


 ユーリはそれもそうか、と納得する。空を鋭く飛ぶ腕も、空を滑らかに飛ぶ腕も、どちらも確かにパイロットの腕だ。旅客機パイロットには、旅客機パイロットの翼があるのだろう。

 機体は右旋回。進路を東南東に向け、さらに上昇を続けていく。


「そっちの席」ユーリはアンジェリカに尋ねる。「加速方向と逆だけど、つらくないの?」

「ユーリのGに比べれば、なんともありませんわ」


 ユーリははは、と愛想笑いを浮かべるしかできなかった。

 機体は中層雲の層を抜け、さらに上昇を続ける。遠くに見えるかなとこ状の積乱雲は、既に横に見えていた。上昇率がやや収まるが、亜音速での上昇は続く。極超音速飛行になるのは海上で、しかも巡航高度に達してからだろう。

 ユーリは、ふとエリサの方を見た。すましているようだが、おそらくは初めてであろう光景に、どこか視線がちらちらと左右に揺れているのがユーリからもわかった。どこかほほえましい目線を向けないように逸らしながら、モニター越しの空に再び目をやる。空はスカイブルーからダークブルーへとその姿を徐々に変えつつあった。モニター越しの空は、高性能なのも相まってまるで肉眼で見るそれの様だった。だがやはり、実際に飛んでみるダークブルーと、こうしてモニター越しに見るダークブルーは何か違うと、ユーリはどこか冷めた感情で見ていた。

 そろそろ対流圏界面か、とユーリが思ったのは、いつの間にか遠くに見える積乱雲の、かなとこ状になった雲の平原の様な上部が見えてきたからだった。モニターに映すカメラの関係で、翼の下の光景は見えないが、遠くに見える景色から察するにそろそろ千葉上空に差し掛かる。

 雲の隙間から、旧東京がモニターに映った。


「……」


 真っ白に変わった大地。巨大な、白いインク雫を空から落としたかのように、地平線まで続く街の中に白い染みが付いている。

 旧東京、グラウンド・ゼロ。まだ現実が不安定になっているせいで、時間さえ正しく進まない領域。

 ユーリは、それを黙って見つめていた。遠くのそれは、ゆっくりと後ろに流れて行った。三〇年前の戦争。咲江も参加したというそれは、世界にまだ爪痕を残したままだった。

 ぐん、と機体が加速する感触がした。機体の周囲に一瞬ベイパーコーンが瞬き、機体は何の感慨もなく機体は音速を突破した。機体の速度がどんどん上昇していく。既に超音速飛行が許可された空域に突入しているようで、機体の速度が上がって行く感触がわずかなGと共にはっきりと分かった。

 それから数分もしないだろうか。加速がゆっくりと収まっていく。外に移る景色は成層圏のど真ん中のそれで、その中を機体はマッハ5で飛び抜けていく。

 ポン、と小さく音が鳴った。シートベルト着用サインが、消えた。


「軽食を持ってきてくださいまし」


 ほう、と一息ついたアンジェリカが呟いた。見ると、顔にはわずかに疲労の色が浮かんでいるのが分かった。


「何があるのかな」

「さっきも言った通り、腹に入れば何でもいいですわ」


 ユーリが席を立つと、ギャレーに向かう。アリシアはいつの間にかすうすうと寝息を立てて席で眠り込んでいて、アリアンナが手伝うよ、とユーリの後についてきた。修也も彼の恋人も、エリサも客室内全天周モニターの光景に、圧倒されているのか横を通り過ぎたユーリとアリアンナには気付かなかった。ギャレーのカーテンを開けて、中に入る。

 ギャレーは簡素な、だけど機能性とデザインを両立させたレイアウトだった。壁に埋め込まれた電気ケトルや、省電力の電子レンジなど、最低限調理をするために必要なものがそろっていた。出来合いの物を温めて、皿に盛りつけてサーブするくらいなら簡単にできるだろう。

 ギャレーの端に置かれた黒い袋。いつも使っている買い物袋だ、とユーリが気づくと、アリアンナは袋の口を開けた。

 中に入っていたのは、インスタント食品や缶詰。そして飲み物。


「調理で使えるのがお湯しか使えなさそうだし、カップ麺になりそうかな」


 アリアンナがそのうちの一つを手に取った。パッケージには『カレー味』と書かれていた。


「こぼさないようにしなくちゃ」

「ここは成層圏だ。乱気流はないと思う」


 ユーリはカップ麺の中から適当なものを選ぶ。アンジェリカがせめて好きそうな味を、と思って、結局トマト味を選んだ。ユーリはシンプルな醤油味を選んだ。湯を入れて、二人分を持って自分の席に向かう。


「インスタント麺かい?」


 座席に戻る途中、修也がユーリに尋ねてきた。


「生憎それしかありませんが、何か腹に入れますか?」

「ああ……済まない、味は何でもいい。とにかく腹に入れたい」


 一旦ユーリは自分の分のカップ麺を自分の席に置くと、再びギャレーに戻った。


「あれ? アリシア姉さんも何か食べるのかい?」


 ギャレーでは、缶詰とにらめっこをしていたアリアンナが戻ってきたユーリに尋ねた。


「いや、佐高さんが何か食べたいらしい。ついでに飲み物を出そう」

「オーケー。お茶があるし、それでいいかな」


 何の変哲もない、紙パックの茶を三人分、アリアンナは紙コップに注ぐ。ユーリはコップを一つ、紙ナプキンを一枚持つと、エリサたちが座っているボックスシートに向かった。


「お飲み物をどうぞ」

「これは、どうも」


 ユーリが紙ナプキンをコースター代わりに引いてコップを静かに置くと、修也はぺこりと頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」

「……ありがとうございますわ」


 修也の恋人と、エリサにも茶を出す。片方はどこかぎこちなく、もう片方はどこかよそよそしげに、礼を返した。ギャレーに戻ったユーリは湯を入れたカップ麺の前で、腕時計を見る。


「待つの?」


 アリアンナが小声で聞いてくる。彼女が選んだのは、エスニックな辛い味の物だった。ユーリは小さく頷く。


「兄さんも、ストイックだね」

「アンジーに恥をかかせたくないだけだよ」

「ボクも、だろう?」


 そう言ってアリアンナはユーリにそっと口を寄せると、頬に唇を触れさせる。そして何事もなかったかのようにカーテンを開けて自分の席へ戻っていった。

 二分、二分半、と時間が過ぎる。ユーリはカップ麺と箸を持ってギャレーを出ると、それを修也の前のテーブルに置いた。


「すまないね。家を出てから何も腹に入れてないんだ」

「構いませんよ。そのために多めに用意してありますから」


 小さく頭を下げると、ユーリは自分の席に戻った。席では、アンジェリカが自分のカップ麺に手を付けずにユーリを待って居た。


「まだ、苦手なの?」


 ユーリがそう言いながら席に着くと、アンジェリカはそこでようやくカップ麺を手に取った。


「味が苦手な訳ではないのですが」アンジェリカは、目を離してモニターの外の水平線を見つめた。「ただ、食べると嫌なことを思い出すだけですわ」

「無理して食べる必要はない。僕が処理するよ」


 ユーリが蓋を開けると、ふわりと鳥ガラと醤油の香りが立ち上った。それを見てアンジェリカも、小さく息をつきながら自分のカップの蓋を開ける。立ち上るトマトの匂い。


「いいえ。貴方となら、幾分かはマシになりそうですわ」


 パキリと子気味のいい音を立てて、アンジェリカは割り箸を割った。


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