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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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37/Sub:"航天"

 上昇を終え、水平飛行に移ったユーリの短距離霊波通信がオンラインになる。リンク4・ターコイズ。アンジェリカを中継して、絵理沙にも通信が繋がった。


『おはようございます。この竜はゲルラホフスカ航空、新松本空港行き、999便でございます。当竜は穂高ユーリ、私は飛行を担当しますステラ2でございます。御用がございましたら遠慮なく後ろでお客様を抱えているアンジェリカにお知らせください。新松本空港までの飛行時間は一〇分を予定しております。どうぞ快適な空の旅をお過ごしください』


 絵理沙の脳内にユーリの機()アナウンスが響く。

 ユーリの軽快なアナウンスに対し、絵理沙が絶叫で答えた。高度は10,000フィートに到達し、水平飛行に移る。これ以上の上昇は、パッケージとなる人員の呼吸の問題もあるため、想定していない。これより高高度での、例えば山岳救助等で使用する場合は酸素ボンベなどの代替案が必要となるだろう。


『アンジー、調子はどうだい?』

『風が強いですわ!』


 それもそうか、とユーリは考えた。ユーリの境界層制御の範囲内にいない以上、後ろで引っ張られている人員はもろに飛行中の風を受けることになる。速度を落としているとは言え、現在180ノットで飛行している。時速に直すと300キロ。終端速度よりはるかに速い。あまり高空ではないので、翼の境界層を制御し、高揚力モードに移る。150ノットまで減速。


『これでどう?』

『多少はマシになりましたわね。早く地面にたどり着きたいですわ』


 アンジェリカもユーリほど巧ではないが、境界層制御の魔術式は使うことができる。だが、今回の実験では人員が受ける風圧などのデータも取り扱っているので、我慢しなくてはいけない。甘んじて暴風を受け続ける。そのため風圧で、とてもではないがアンジェリカも絵理沙もとてもではないがユーリに見せられない顔になっていた。

 アンジェリカはHMDグラスをつけているので目を開けていられるが、絵理沙はつけていない。時速300キロの暴風のなかで、彼女は今懸命に目をつぶっていた。それは同時に、高度10,000フィートからの景色を見ないためでもあった。飛行機の中であるならまだしも、宙ぶらりんにされて時速300キロで引きずられながらの空の景色なんて見たくもない。


『空の旅を楽しんだらどうですの?』


 絵理沙の脳内に声が響く。先程と同じような、『命令』としてのその言葉に、絵理沙の瞼が見えない手にこじ開けられるようにしてギリギリと開いていくのを感じる。それに対して、絵理沙は必死に抵抗を試みる。


「ぜっ……たい……に! 開けませんわ……!」


 歯を食いしばってもなお眷属への命令に抵抗する絵理沙。アンジェリカは絵理沙を後ろで抱きかかえながらも、命令に必死で抵抗する彼女に段々とイライラを募らせていく。しかしどうしてやろうか、と思った時、ふと、唐突すぎることを思い出した。

 アリアンナ曰く、暴風の感触は胸部の感触と同等であると。

 どうしてこんなことを急に思い出したのかはわからない。咲江の胸に挟まれて廃人と化したアリシアを前に、アリアンナとした会話。

 ふと、左腕を放して気流にかざしてみる。凄まじい暴風が指を押し返し、なるほど、何らかの抵抗を感じる。そして目の前にあるのは、必死にアンジェリカの命令に反抗しようとしている絵理沙。

 ごくごく自然に、アンジェリカは後ろから絵理沙の胸を揉んだ。


「きゃああああああああ!」

「あら。全然感触が違いますわね」


 暴風の中絶叫する絵理沙と、平然と感想を述べるアンジェリカ。その拍子に、絵理沙は目を開いてしまった。

 眼前に広がる、大空。悲鳴を上げるのも忘れて、その光景に見惚れた。

 まばらに広がる積雲と、その下に広がる最早模様にしか見えない大地。そしてギザギザと山稜が描く地平線の先に広がるのは、地上から見上げるそれよりも、透き通った、深い青色。その先に微かに覗く、底の抜けたダークブルー。

 これが、ユーリの世界。

 突然黙りこくった絵理沙に、アンジェリカは不思議に思いつつ、その胸を揉みしだき続ける。反応がないのが癪に障ったが、腹立たしいほどにもみ心地は良かった。これで自分より大きいのが、さらに腹が立った。

 アンジェリカの意識を戻したのは、突如響いたアラームだった。HMDディスプレイが表示するARの端に、表示が出ている。リリースまで一八〇秒。よく見ると、高度も速度も落ちてユーリはランディングアプローチに入っている。


『ユーリ! リリース準備!』

『できてるよ。タワーからの承認も出ている。合図と同時にリリース』


 アンジェリカは胸から手を離し、自分と絵理沙につけられたハーネスのハンドルを握る。絵理沙が下、アンジェリカが上になる体勢で、地面を向く。眼下には、先程までは細かい模様としか見えなかった大地が、見る見るうちに判別できる景色となって、高速でベルトコンベアーのように後ろに流れて行く。1,000フィート。ハンドルを握る手に力が籠った。


『500』

『シュートデプロイ!』


 アンジェリカが叫ぶように宣言してハーネスを引くと、背中から白い、小さな買い物袋ほどのドラッグシュートが飛び出て凧のように後ろにたなびく。ぐん、と二人の身体が浮き上がった。


『300……200……100』

「リリース! リリース!」


 空港のILSの格子の上で、アンジェリカと絵理沙は再び空に放り出された。ふわりと内臓が浮く感覚と同時に、アンジェリカは強くハンドルを引いた。背中で破裂音。厚さ数マイクロしかないが、数トンの引っ張りに耐える生地で作られた長方形のパラシュートが花開く。急減速するアンジェリカの視界の先では、ユーリが滑走路にタッチダウンしていた。ハンドルを引いて、左右の方向を制御する。滑走路から左に逸れ、滑走路わきの草地へ。既に大学と、空港の物と思われる車が待機していた。目の前にぐんぐんと草の絨毯が迫る。着陸と同じだ。水平速度と垂直速度を、仰角を制御して同時に殺していく。タッチダウン。多少流され、草に二人でもつれるようにして倒れ込んだ。


「回収! 回収!」


 見守っていた車が一斉に走ってくる。近場で止まると、車からわらわらと作業員が降りてきた。アンジェリカは平気なことを示すように、親指を立てた右腕を挙げた。


「実験は成功だ! ありがとう……本当にありがとう!」

「いいえ、こちらこそ、ですわ」


 感涙の極み、といった表情でアンジェリカに駆け寄ってきた研究員に丁寧に対応する。お互いがお互いを目的のために利用する。それでいいのだ。

 ハーネスが外されると、どこかグロッキー状態の絵理沙が草地にへたり込む。肩を貸して立ち上がらせると、研究員が心配して声をかけてきた。どうも、病院に運ぼうとしているようだ。そんな研究員を、アンジェリカは制した。


「いいえ。大丈夫ですわ。なんにせよ、吸血鬼ですもの」

「それにしては、随分辛そうだけど……」

「慣れない日の光を浴びたからですわね。日陰で休んで血でも嗜めば、すぐに元気になりますわ。ねぇ、エリザベス?」

「はいお嬢様、光栄ですわ」

「それでは、ごきげんよう」


 そう言ってフライトスーツ姿のアンジェリカは、半ば引きずられるようにしてハンガーの方へと歩きだす。研究員は怪訝な目で見ていたが、すぐに肩から離れてよたよたと歩き出した絵理沙の姿を見て、大丈夫そうだ、とデータの回収に移った。


「危なかったですわね」

「はいお嬢様、光栄ですわ」

「あそこでエリサを回収されたら、ここまでこうしてきた甲斐がありませんでしたわ」

「はいお嬢様、光栄ですわ」

「……おっと」


 十分離れたところで、絵理沙にかけた眷属の命令を取り消す。すると、見る見るうちに絵理沙の顔が憤怒に染まる。だが、余りの怒りに、思わず言葉も出ない、といった表情に、アンジェリカは余裕たっぷりの表情で返して再び歩き出す。


「ちょっと、待ちなさい!」


 何も言わずに歩き出したアンジェリカに絵理沙は声をかけるが、彼女は絵理沙を一瞥すると、顎をくい、と動かして歩みを進めた。


「時間がありませんわ。説明ならこの後たっぷりと説明して差し上げますから、今は黙って付いてきなさい」

「……拒否権がないことなど、分かっているくせに」

「頭の良く回る子は好きですわよ」


 アンジェリカはそうあっけらかんと言い放つ。それに対して絵理沙があなたねぇ、と口を開きかけた所に、横から声がかかった。


「アンジー! 皐月院さん!」


 そちらを見ると、そこには竜人形態となり、サドルユニットから変形したフライトスーツを身にまとったユーリの姿があった。二人を認識すると、駆け寄ってくる。


「お疲れ様。アンジー」ユーリは、絵理沙の方を見る。「急でごめんね。皐月院さん。空は、楽しめた?」


 アンジェリカは、素晴らしい悲鳴でしたわよ、と皮肉を言おうとして絵理沙の方を振り向き。


「……えぇ?」


 そこには、ユーリには気付かない程度にだが、小さく頬を染めた絵理沙の姿があった。その眼はユーリを睨みつけているようで、その瞳にはもっと違う感情が浮かんでいるのが、女の感覚でわかる。


「最悪な乗り心地でしたわ! もっと精進なさい!」

「はは、流石に空中で牽引されてれいば、そうもなろうかな。ごめんね」

「……ふん! ()は、せいぜい私を満足させることですわね!」


 そうそっぽを向く絵理沙の口元に気付かないほど、アンジェリカは盲目ではなかった。飛びそうな意識に鞭を入れ、張り上げるようにして声を出す。


「急ぎますわよ! 時は金なり、ですわ!」


 そう言ってずんずんと歩き出すアンジェリカ。ユーリと絵理沙は追おうと歩き出して、絵理沙がふらついた。


「おっと」


 咄嗟に隣にいたユーリが支える。がっしりとした、竜の手。絵理沙はユーリの手をそのまま握って、歩き出した。

 誘導路の端の、歩行帯を歩いて進む。誘導路の下を通る、簡素な地下通路を通ると、そこは既にハンガーの眼の前だった。ずらりと並ぶハンガーには、様々なロゴが描かれている。航空警備隊、運輸会社、遊覧飛行――そしてその一角にある、ゲルラホフスカ家の紋章。


「他の皆は?」


 ユーリが尋ねる。アンジェリカは、ハンガーのドアの前で立ち止まると、振り向いた。


「既に搭乗済ですわ。後は、エリサの出国処理を済ませるだけですわ」

「準備万端、と言うことだね」ところで、とユーリが言う。「アンジーは、いつから皐月院さんをファーストネームで?」


 アンジェリカと絵理沙は、そこでようやく気づいたかのように小さく口に手を当てる。思わず二人で顔を見合わせて、揃ってため息をついた。


「絵理沙。わたくしの事をアンジェリカと呼ぶ権利を差し上げますわ」

「アンジェリカ。私の事をエリサと呼ぶ権利を差し上げますわ」


 睨み合いながらそう言う二人。ユーリは点を仰いで小さく息をつくと、絵理沙の方を見て言った。


「皐月院さん、僕もエリサさん、って呼んでいいかな」


 すると、エリサは小さく頬を染める。そしてえ、ええ。と小さく咳ばらいをして、頷いた。


「ええ。いいですわ。ユーリさん」

「うん。よろしくね。エリサさん」


 そう、なんだか初々しい光景を繰り広げる二人を前に、アンジェリカの眉間に皺が寄る。小さくため息をついて、彼女はハンガーのドアを三回、叩いた。

 警報音。サイレンの音と共に、ハンガーの扉が開いていく。風化した金属が軋む、きぃきぃとした音を混ぜながら、ハンガー内に光が差し込む。光に照らされたそれに、エリサは思わず声を漏らす。


「これは……」


 ――とあるベンチャー企業が、航空機を構想した。単段宇宙往還機(SSTO)にして、極超音速(HST)ビジネスジェット。開発には、ユーリの母親の実家と、アンジェリカの両親が出資した。

 機体やアビオニクスも完成したが、仕様だったSSTO用途に必要な先進的空気液化サイクルエンジンの開発に失敗。すでにあったHST用のエンジンを積んでロールアウトしたものの、まったく売れず、挙句の果てに高層大気での空力を考慮した機体形状が意図せずして電波ステルス性を生み出してしまい、型式証明こそ得たものの、販売禁止を言い渡されるという悲劇がチームを襲う。

 だが研究チームは、我が子を絶対にスクラップにしたくはなかった。翼には、空を。

 せめて機体を引き取って飛ばしてくれないかとあちこちを回ったらしい。しかし、こんなプロジェクトに出資するような人は、たいていビジネスジェットは個人で保有している。SSTOも視野に入れていた機体故、スペックは高かったものの、この機体をわざわざ引き取るところはどこもなかった。

 そうして一途の望みをかけて最後に回ってきたのが、何を隠そう、出資者でもあったアンジェリカの両親であるゲルラホフスカ家であった。

 最新技術と研究者と技術者の熱意と努力の結晶。それを、アンジェリカの両親はいたく気に入った。もともとそういうものが見たくて、ほとんど見返りなど期待せず出資するような二人だったため、ほとんど二つ返事で機体を引き取った。


「使用許可が下りて良かったですわ。最近は、そこそこ出ることも多かったようですし」


 流麗な、大気を切り裂き、高温をものともしないカーボンクリスタライズドセラミックの複合材でできた、剣の様な印象の胴体。

 機首には窓はなく、代わりに外部の視界を得るために機首付近をまばらに覆う、高性能耐熱ガラスで覆われたスリット状のセンサー。

 極超音速域での揚力を得るために先端が下に折れ、ソニックブームを減衰させるために後方がM字に波打った、クリップド・ダブルデルタ翼の主翼。

 その主翼の前端の一部と重なるように配置されたカナード。

 極超音速域での空力を得るために、やや内側に傾いた、左右一対の、角の取れたようななめらかな台形の垂直尾翼。

 成層圏のごく薄い大気でも燃焼を効率的に行うことのできる、ターボファン・スクラムコンバインド・デトネーションジェットエンジン。

 前述のステルス性をなくすため、電波を反射しやすい素材の塗料で塗装されたワインレッドの機体は、まるで翼を畳んだ渡り鳥のように、薄暗いハンガーの中で翼を広げていた。

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