31/sub:"ナポリタンスパゲッティ"
「食べ応えあるなあ」
ユーリは食べ終えた包み紙を丁寧に畳みながらつぶやいた。
「大きさはアメリカサイズですものね。それはそうですわ」アンジェリカはユーリの腹部を見ながら言う。「ドラゴンを満腹にできるなら、それをセールストークに入れてもいいかもしれませんわね」
「はは、確かに」
ユーリは笑う。だが経験上、夕飯までには再び腹が減るだろうと睨んでいた。
「じゃあ、行こっか」
「そうですわね。夕飯の買い物も済ませておきましょうか」
二人で席を立つ。トレイを片付け、ハンバーガー屋を出ると暑い空気が二人を包んだ。アンジェリカが顔をわずかに顰めたタイミングで、ユーリが手をつなぐとアンジェリカの周囲の空気の温度が下がる。体感二三度ほどだろうか。
「驚いた。こんな器用な真似もできるようになっていらしたのね」
「霊力コントロールの訓練の一環、ってやつだよ」
冷房いらずですわね。そう言うアンジェリカと二人、手を繋いでスーパーに向かう。スーパーの中は断熱と冷房が効いていて、涼しい。繋いでいた手を放すと、ユーリはかごを持った。
「夕飯、どうしよっか」
「昼食を取った直後で、考えるのは難しいですわね……」
二人で店内を歩く。昼時と言うことで特にセールになっている商品などもなく、定価の商品がずらりと並んでいた。
「セール品から夕飯を逆算するのも、これではできませんわね」
アンジェリカが陳列棚を睨みながら言った。ユーリはフムン、と呟くと、顎に手を当ててしばらく考える。
「アンジー。夕飯だけど、豪快、豪勢、豪奢、どの方向がいい?」
ユーリがそう言うと、今度はアンジェリカがふむ、と顎に手を当てた。しばし悩んだあと、腕を組んで言う。
「豪快、がいいですわね。『景気づけ』という感じがいいですわ」
「なるほど。なら」
ユーリが歩き出す。アンジェリカもその後についていくと、彼はソーセージの袋を手に取った。価格がそこまで高くなく、大量にソーセージの入った徳用パック。
「スパゲッティナポリタン、久々に作ろうか?」
「決まりですわ!」
ユーリがそう言うと、アンジェリカは嬉しそうにずんずんと歩き出す。ユーリもその後についていくと、彼女は並んだ玉ねぎの中から良さそうなのを目利きして手に取ると、籠に放り込んだ。ピーマンも同じように取る。
「嬉しそうだね。そこまで喜んでくれて良かった」
「当たり前ですわ! ユーリのナポリタンを食べるのなんて、思えば久しぶりですもの!」
彼女がそう言うのでユーリは思い返してみるが、確かに、作るのは久しぶりだった気もする。最後に作ったのはいつだったか。
メニューを決めてしまえばあとは早かった。丁度足りなくなっていたパスタと、粉チーズ、そして量的に残りを使い切ることになりそうなのでケチャップボトルを籠に入れてレジに向かう。会計を済ませ、鞄の中に畳んでいたバッグに購入物を入れて外に出ると、昼食の直後だというのに足取りが軽やかなアンジェリカが買い物袋の片方を持つ。買い物袋はユーリのドラゴンブレスが通っており、冷蔵庫の様だった。
「アンジーは、本当にナポリタンが好きだね」
「ナポリタンが特別に好きなのではないですわ、好きなのは貴方が作るナポリタンですわ」
「そう言ってもらえるのは、嬉しいな」
二人で家路を往く。炎天下だがユーリのドラゴンブレスのおかげで涼しい。二人足並みをそろえて歩いていくと、あっという間に家にたどり着いた。ユーリが買い物袋を抱えると、アンジェリカは自分の鞄から鍵を取り出して屋敷のドアを開ける。
「ただいま帰りましたわー!」
「ただいまー」
二人で玄関ホールに向けて叫ぶが、返事はない。アリアンナは部活で、咲江は仕事だろうし、アリシアがいるとしてもゲーム中ならヘッドホンでもしているだろう。ため息をつくアンジェリカにユーリが苦笑いで返す。
「先にシャワーを浴びてきますわ」
「じゃあ、買ったものの整理してくる」
二人別れてアンジェリカは二階に上がる。自室に向かおうとして、ふと立ち止まるとつかつかと廊下の奥にまで歩き、アリシアの部屋をノックした。
「お姉様。入りますわよ」
返事を待たずにして中に入ると、そこにはモニターの前で胡坐をかき、いつものツインテールをほどいて大型のヘッドホンをしながらゲームにいそしむ、ジャージ姿の姉の姿があった。ノイズキャンセリングのせいか、アンジェリカの存在には完全に気づいていない。
ふむ、とアンジェリカは腕組をしながら画面に熱中するアリシアを見守る。画面の中ではボスとの戦いか、敵の熾烈な攻撃を時には凌ぎ、時には回避するアリシアのプレイヤーキャラクターの姿。見ていると、なかなか善戦はしているように見える。
だがボスの体力が半分になったところで、ボスが炎を纏い、画面が炎で埋め尽くされると急に戦況は芳しくなくなった。ダメージを受けることもあるが、それの回復すらままならない。そうしていると、敵の攻撃が掠め、プレイヤーの体力がゼロになる。大きな赤文字で表示されるゲームオーバーの表示。
「っ……ふぅー……」
叫ぶでもなく、ただ一瞬何かをこらえたような、そんな吐息の後にため息を漏らすアリシア。そしてそのままシームレスにリトライに移ろうとしたところで、アンジェリカは彼女の眼の前で手を振った。びくりとアリシアの身体が跳ね、慌ててポーズ画面に映ってヘッドホンを外して首から下げる。
「その様子だと、昼食もそこそこにゲームしていたようですわね」
「あー、アンジー、おかえりなさい」
アリシアが言うと、アンジェリカはため息で返した。どうやら帰ってきたことにも気づいていなかったらしい。
「お昼はこれから食べるわ。その……キリがいい所で」
アリシアが横目でゲーム画面を見ると、アンジェリカは再びため息をついた。
「案の定ですわね……熱中するのは構いませんが、夕食には響かせないようにしてくださいまし」
「あー、うん。今日の夕飯はなに?」
「ナポリタンですわ。ユーリの」
アンジェリカがそう、どこか嬉しそうに言うのにアリシアは納得した。アンジェリカの好物でもあるが、アリシアも好きなものである。そう言うのを兼ねたある意味での忠告という訳だろう。
「分かったわ。夕飯までにはお腹を空かせておくわよ。遅くなりそうならお昼少なめにしておくわ」
あはは、と笑って返すが、アンジェリカはじっとりとした目でゲーム画面とアリシアの間に視線を行ったり来たりさせていた。
「まぁ、構いませんが。それと」
先程までの空気とは少し変わった様子で、アンジェリカが言う。
「夕飯の後、少し、皆で話がありますわ」
その様子に、何か只ならぬ雰囲気を感じ、アリシアも一瞬ゲームのことを忘れる。
「――オーケー。わかったわ。時間空けておく」
「よろしくお願いしますわ」
そう言って小さく頭を下げると、アンジェリカは部屋を出ていく。残されたアリシアは、ゲームを再開させるもそのままデータをセーブして、ゲームを終了させた。モニターを消すと、深いため息をつきながらカーペットを引いた床に倒れ込む。しばらく足をじたばたと動かしていたが、それも疲れたのでだらりと床に両足を投げ出した。
あの様子、きっと特大の厄介事だろう。
「夏休みも退屈しなさそうだわー……」
様々な思いがこみ上げてきて、思わずつぶやいた一言は、部屋の天井へと吸い込まれていった。
目の前でぐらぐらと鍋が揺れている。泡立ったパスタ鍋の中の塩水に太めの乾燥スパゲッティを投げ込むと、あっという間に湯の中に消えていく。タイマーで茹で時間よりも若干短い時間をセットすると、背後で電子レンジの軽快な音が鳴った。中から取り出したのは細切りにされた玉ねぎが入った大きめのタッパー。蓋を取ると、加熱された半透明の玉ねぎが甘い匂いを立てていた。それをフライパンに放り込み、先に炒めていたソーセージ、ニンニク、細切りピーマンと混ぜて強火で炒めていく。
「あらいい匂い」
シャワーを浴びたあとだろうか、ラフな格好の咲江がキッチンに顔を出した。調理をしていたユーリはお帰りなさい、と咲江に返す。
「早かったですね」
「仕事が早く終わったの。定時前に帰っていいって言われたから、早く帰ってきちゃったわ」
咲江がキッチンの様子を見ると、ユーリが作っているものに気付く。
「あら、ナポリタンね」
「沢山作りますよ。いっぱい食べてください」
「ふふ、楽しみにしておくわ」それにしても、と咲江が言う。「どうしてまた、急にナポリタンを?」
「アンジーのお気に入りなんですよ」
ユーリがどこか嬉しそうに、大きなフライパンの中のものを炒めながら言うと、咲江はへぇ、と意外そうな声をあげた。
「意外ね。もっと、こう、手の込んだものを好んでそうなのに」
咲江がそう言うと、ユーリは懐かしそうに語り出す。
「昔、アンジーがこっちに引っ越してきたばかりの頃の話なんですけれども」
ユーリは話しながらフライパンを動かす。玉ねぎの表面にわずかに焦げ目がついたところで一端火を止めた。
「僕の家に遊びに来て、姉妹と僕で遊んでいると、おやつの時間になるといつも小腹がすくんですよ。アンジー、駆けまわったりするのが好きな方だったので」
「昔から変わらないのね」
どこかほほえましいものを見る表情で、咲江は笑った。
「それでいつも、『何か出して欲しい』って言われるんですけど、両親が仕事、姉が塾でいないときなんかは僕が作ることになって」
「それで、ナポリタン、と」
「ええ。作るのも簡単ですし、おなかにも溜まりますから」
タイマーが鳴る。まだ芯の残っている麺を鍋から上げると、具の入ったフライパンに移した。そこに、固形コンソメを溶いた湯をさっと入れ、具材とスパゲッティを絡めながら火を通していく。
「見よう見まねで作ってたので、初めは上手く行かなくて。だけど文句言わずに眉を顰めながらアンジェリカが食べる物だから、僕もムキになっちゃって」
「あら、意外な面もあるのね」
「料理が好きだったのもあって、練習したらいつしかいつも美味しい、美味しい、って言ってくれるようになって、それから僕の家で遊ぶときはいつも僕がおやつにナポリタンを作ってたんです」
ユーリの話に甘酸っぱいものを感じながら、咲江はそれをおかずに冷蔵庫から引っ張り出したノンアルコールビールを飲む。爽やかな苦味が喉を落ちて行った。
「なるほど、思い出の味なのね」
「ええ。流石に誕生日に何食べたい? って聞いた時に『ユーリのナポリタン』って言われたってアンジーの両親に言われたときは困りましたけど」
「ふふふ。愛されてるじゃない」
水分が飛んできたところに、ケチャップを入れる。黄色いパスタを鮮やかな赤が塗りつぶしていく。トングを使ってよく馴染ませれば、完成だ。ユーリは菜箸でスパゲッティを一本つまむと、食べる。何度も作ったそれは、相変わらず丁度良くアルデンテだった。




