30/sub:"サンドイッチ"
「しかし、いざ決心して見るとなんだかスッキリしますわね」
アンジェリカはどこか晴れやかな表情で言う。
「そこまでが一番長いもんね」
「ポテンシャルの壁、と言うやつですわね」
二人は廊下を歩き出す。そうと決まれば、さっそく家に帰って作戦会議の時間、と行きたいところだった。
「アンジーも、皐月院さんの事が気になってたもんね」
「宿敵、とは、ああいうことを言うのでしょうね」
アンジェリカは、すがすがしくも苦い表情を浮かべていった。矛盾するいくつもの感情を抱えた、複雑な表情。
「別の意味での、『運命の相手』と言うことなのでしょうね」
「運命にも、いろいろありそうだものね」
二人で昇降口にたどり着く。すっかり生徒は下校し、誰もいない昇降口を歩く。
「二人は?」
「アリアンナは部活の助っ人ですわ」
「アリシア姉さんは……まぁ家でゲームだね」
アンジェリカがその通り、と苦笑いを浮かべる。
二人で家路を歩く。夏休みと言うのにその実感は特になく、平日昼間の夏の空には、遠くに不安定により立ち上がった積雲がいくつも並んでいた。夕立になるかもしれない。
「お昼、どうする?」
ユーリがアンジェリカに尋ねる。
「そうですわね。ファストフードがいい気もしますわ。『時は金なり』ですもの」
「オーケー。キングサンドはどう?」
「採用、ですわ」
びっ、とサムズアップするアンジェリカ。とびきり大きいのが食べたいですわ、と言うと、ユーリも頷いた。
「トリプルを食べたいなあ」
「景気よく行きましょうか!」
そう言ってずんずんと歩くアンジェリカ。ユーリも小さく肩をすくめつつも、笑みを浮かべてその後についていく。
駅前には歩いて十五分ほどで到着する。ファストフード店が並ぶ一角。キングサンドは店内を見ると昼時なのか、レジ前に列ができていた。
「何食べる?」
「ふむ」
アンジェリカはメニューを眺める。新メニューが出ているようだが、それと普通のバーガーの間で視線が動いていた。悩んでいると、ユーリがそれじゃあ、と尋ねる。
「僕はトリプルチーズを頼むから、アンジーは新メニューを頼んで、それを半分こしよっか」
「それが良さそうですわね」
それ以外には大人しくドリンクとオニオンリング。セットメニューに追加料金でポテトを変更する。
注文を終え、番号札を持って開いている席に座る。たまたま開いていた二人用のテーブル席に座ると、喧騒の中少し顔を近づけて話す。
「そう言えば」ユーリはアンジェリカに言う。「婚約破棄とは言っても、具体的に何をするつもりなの?」
アンジェリカは、しばし黙ると、ぽつりと漏らすように話し始める。
「考えが、あります」
その眼は真剣なまなざしだ。『仕事モード』と言ってもいいかもしれない。ユーリは目つきを鋭くして小さく頷くと、小声で話し始めた。
「皐月院家とサタカ重工の御曹司の婚約、そして御曹司の恋人に関して、これは大きなスキャンダルですわ。どちらにとっても」
ユーリは頷く。皐月院家と言う、いわば後ろ暗い家との婚約話だって十分該当するのだ。あまり公にしたくない話題ではあるだろう。
「それを話題として封じ込めておけたのは、間違いなくこの話はいわゆるクローズドな環境で進められたもののはず」
「そう考えると、アンジーはこの件をよく知れたね」
「ええ、本当に。お父様とお母様の情報網と、皐月院家の悪名。そして」アンジェリカは、少し悩んだように言った。「ユーリのお義父様からの情報がなければ、わたくし一人ではたどり着けませんでしたもの」
「父さんが?」
ユーリは怪訝な表情を浮かべる。なんで皐月院家の情報を商売人であるアンジェリカの両親はともかく、軍人であるユーリの父親が? 考えられることは一つだけだった。
「ユニオン案件、だってこと?」
「ええ。サタカ重工ではなく、皐月院家の方が」
ユーリは眉間を押さえる。話が大きくなってきた。
「そうなると、今回の婚約案件に関して、サタカ重工の御曹司がスキャンダルの公開共有と皐月院への正式な婚約破棄を告げられる場所を用意することが肝心ですわ」
最大にして唯一の問題は、両家の妨害なしにそれを行える場所。
「そんな場所――いや、あったね」
そこまで言ったところで、ユーリはその企みに気付く。
「軌道エレベーター」
「正解、ですわ」
アンジェリカは、小さくびしり、と人差し指を突きつけた。
「正確には、軌道エレベーター麓にあるゲルラホフスカ家の別荘。あそこなら邪魔は入りませんわ」
軌道エレベーターはまるでバベルの塔か、金の生る木だ。その利権をめぐって国家や企業だけではなく、テロリストが狙っている。太平洋にある軌道エレベーターはアメリカを中心に環太平洋の国々が出資・技術提供をして完成させた。利益は公平に分配されてはいるが、当然だが出資した国々において平等に分配されることになる。
だが、そうなればより多くの利益を求めようとする企業や国にとっては気に食わない。そういう連中は合法・非合法を問わずして軌道エレベーターへの強引な干渉を取ろうとするので、軌道エレベーター周りの警備は世界随一と言っていいほど厳しい。少なくとも、非合法的な干渉は跳ねのけられるはず。
おまけに、軌道エレベーターは静止軌道プラットフォームを経由して地球の半分と見通し線圏内だ。日本とだって直接通信で接続できる。
「オープンに……オープンにする予定の会談には、もってこいということだってことか」
「ええ。よっぽどの馬鹿でなければ、軌道エレベーター麓で事を起こそうとは、思わないはずですわ」
「これで非合法面がつぶれるのなら、後は合法面、か」
ユーリが目を細める。正直な所、そちらの方が厄介ではあった。合法的な企業のやり取りに関しては、いくらアンジェリカとはいえ素人に毛が生えたようなもののはず。そうなれば、こちらのハンデを埋める何かが必要になるはず。
「わたくしは、保守派である現経営陣がこちらサイドに引き込めると思っていますわ」
「その心は?」
アンジェリカは話を整理する。
「保守派であろうと最優先事項は会社の維持。これは確実に最優先事項のはず。ともなれば、そこに漬け込むチャンスがありますわ」
「具体的には?」
「これに関してはユーリのお義父様の情報が役立ちましたわ。時にユーリ」アンジェリカは、あくどい笑みを浮かべて言う。「ユニオンに睨まれている個人と、深く関係したいと思いますの?」
ユーリはそこまで来て、ため息をついた。
「なるほどね。脅し、か」
「使えるものは何でも使う。わたくしの好きな言葉ですわ」
ただし、とアンジェリカは続ける。
「これに関しては最後の切り札とわたくしは認識しています。ユニオンの名を出すのは、最終手段となりますわ」
「だよね」
「それはそれとして、保守派とはいえ皐月院家と言う得体のしれない華族の関係を持つのは、保守派とはいえなかなかチャレンジングなことをしていると思いますの。それと、例の恋人とやら。どちらがリスキーなのか。それを御曹司にはプレゼンしてもらいますわ」
なるほど、とユーリは頷いてアンジェリカの意見に同意し、それから自分のやるべきことを再確認する。
「となると、場を整えることはできても僕たちのやることはマネジメントとコンサルティング。それに限られるね」
ならば、とアンジェリカは続ける。
「せいぜい、最高級の舞台を整えさせていただきますわ」
ぽん、とチャイムが鳴る。表示されるのはユーリとアンジェリカの注文した番号。
「僕が取ってくるよ」
「ありがとう」
ユーリが立って、カウンターで注文したハンバーガーをトレイごと受け取る。席に戻ると、アンジェリカが紙ナプキンをいくつか取ってきてくれていた。
「ユーリのそれ、大きいですわね」
「まあトリプルだからねえ」
いただきます。二人で言ってそれぞれ開けると、中から香ばしいハンバーガーの焼けた肉の香りが立ち上ってくる。たまらずにかぶりつくと、口いっぱいに肉汁があふれた。
「美味しいですわ」
新バーガーの味はお気に召したらしい。ユーリは、それはよかった、と返してオニオンリングをつまんだ。
「それで、どうやって二人を軌道エレベーターまで? 空港で妨害される可能性は考慮した方がいいと思う」
「あら? おあつらえ向きの物があるではありませんか」
ユーリは疑問符を浮かべる。自分が載せて行ってもいいが、アンジェリカ達はともかく絵理沙や御曹司は高高度には耐えられないはずだ。そんなことを考えていると、アンジェリカが違いますわ、と、ユーリを見透かしたように言ってきた。
「新松本空港に停めてある、『アレ』を使いますわ」
「アレ……あぁ、アレか」
確かに、『アレ』なら、問題はないだろう。軌道エレベーターの国際空港まで航続距離だって十分足りる。
「使用申請は?」
「最近は空いていますわ。せいぜいお転婆娘らしく、お母様におねだりしてきますわ」
そう言ってハンバーガーにかぶりつくアンジェリカ。ユーリもつられて自分のそれにかぶりついた。
「ユーリ、そっちをくださいまし」
「はい。どうぞ」
半分ほど食べたところで交換する。アンジェリカが齧ったハンバーガーの断面に、少しドキドキしながらもかぶりつく。なるほど、新商品と言うことだが悪くない。
「具体的な方針は、帰ってから決めよっか」
「ですわね。お姉様とアンナもまじえて、ですわね」
「念のため、咲江さんは?」
ユーリが言うと、アンジェリカはうっ、と口を詰まらせた。ハンバーガーを食べる手が、止まる。
「……とりあえず、スケジュール共有はしておこっか」
ユーリが助け舟を出すと、アンジェリカはですわね、と頷いてハンバーガーにかぶりついた。
「さすがに、おなか一杯になってきましたわ」
アンジェリカがユーリからもらったトリプルバーガーをどこか恨めしそうな目で見つめる。それはそうだろう。重量で言えば通常のハンバーガーのサイズである新メニューのバーガーの倍近くはある。
「残りは僕が食べるよ」
「ええ。ありがとう」
アンジェリカはハンバーガーを置いて、オニオンリングをつまむ。バーガーを食べ終えたユーリは、人差し指に小さくケチャップがついていることに気付いた。少し行儀が悪いが舐めてしまおう。そう思って口に近づけた瞬間、がしりと腕をアンジェリカに掴まれた。そうしてそのままアンジェリカはユーリの指をくわえると、ぺろりとケチャップを舐める。指に感じる、温かい感触。
「ご馳走様ですわ」
そう悪戯っぽく笑うアンジェリカ。ユーリは呆気に取られていると、すました表情で彼女はドリンクを飲む。ユーリはどこか腑に落ちないような気持で、もう一つのハンバーガーを平らげた。




