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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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27/Sub:"温度差"

 ホイッスルの音が響いて、ハッと意識が戻る。見ると、子供向けのスイミングスクールが開催されるらしく、プールのレーンがいくつか使用されていた。アンジェリカと咲江はもう行ってしまったなら、待たせるわけにもいかない。早く行こう。

 ユーリはプールの出口まで歩いていくと、そこで壁につけられたシャワーを浴びた。プールのそれとは違う、熱を感じる湯を頭から浴びる。身体に熱が伝わっていく感覚。身体と水の塩素を落とすと、出入口の横のロッカーから、自分の物を選ぶ。なんということはない、四桁の番号を入れ、一回一回ナンバーがリセットされるダイヤル錠。中からハンドタオルとロッカーキーを取り出すと、ユーリは身体をぬぐった。

 更衣室に戻る。更衣室に入ると、更衣室はスクールが始まる前に水泳を終えたと思われる人々でやや混みあっていた。入口の脱水機に脱いだ水着を放り込むと、モーターの駆動音と、振動。数秒で中からは十分絞られた水着が出てきた。自分のロッカーを開け、ビニール袋にそれを放り込む。

 タオルを掴んだまま、ユーリは風呂に向かった。風呂と言ってもスパのようなものではない、どちらかというと銭湯のようなものだ。身体を洗うスペースに、ジャグジーのある湯船に、二畳ほどの水風呂、そしてサウナ。それが教室の一室と半分ほどのスペースに押し込められている。更衣室と違って、風呂はガラガラだった。身体を洗うスペースは、半分が座るタイプ、半分は立ったままのタイプだ。ユーリは後者を選ぶ。

 半個室のようなスペースに入ると、ドアにハンドタオルをかけ、シャワーを浴びる。しっかりと熱い湯を浴びると、水泳の疲れが油脂のように融け出ていくような錯覚に陥る。備え付けのシャンプーで頭を洗うと、よく泡立った。

 身体を洗い終えて、ユーリは湯船に入る。ジャグジーが身体を下からくすぐるような、アリシアにふざけて指で突かれ『まくった』時のことを彼は思い出す。何ともこそばゆかったが、ジャグジーが対流を起こしているせいで普通の湯船よりもしっかりと熱が伝わってくる。疲労を残さないために、軽く湯船の中でマッサージをした。

 ふと、ユーリは時計を見た。風呂の壁の上に備え付けられた、なんの変哲もないアナログ式の時計。見ると、先程からあまり時間は過ぎていない。時間的な猶予はある程度ありそうだ。ユーリはサウナを見た。

 湯船から上がって、身体を拭いてサウナに入る。サウナストーンに水をかけるロウリュも、熱風のアウフグースもない、シンプルなサウナ。ただせめてものサービスなのか、壁に袋ごとかけられている乾燥させたオレンジの皮のせいで、柑橘系の香がわずかに漂っていた。狭い、誰もいないサウナの真ん中にユーリは一人腰掛ける。


「はぁぁぁ……」


 ため息をつきながら足を延ばす。誰もこないうちはいいだろう。全身で熱を受けているサウナ室は静かで、サウナストーブのわずかな駆動音と、厚い断熱性のドアの向こうから響く風呂場の喧騒がかすかに響いていた。

 サウナに入ると、妙に考えが回る。ユーリが思い出すのは、絵理沙のこと。絵理沙とアンジェリカの姿が重なろうとして、はっきりと二つに分かたれた。二人を同一視することはもうすっかりなくなっていた。

 二人の違いもよく見えてきた。アンジェリカは引っ張るタイプに対して、絵理沙は引っ張られるタイプだ。アンジェリカが社長で、絵理沙が秘書という関係が似合うな、とユーリは妙な想像をする。

 アンジェリカがアウトドア派なのに対し、絵理沙はインドア派なのも対称的だった。趣味などはまだ聞けていないが、どうも本を読むのが好きなようだ。図書室で、古典文学の、それもファンタジーに分類されるようなものを借りているのを見た覚えがあった。これはアンジェリカにはまだ打ち明けていない、ユーリの内に秘めた秘密であった。一方アンジェリカと言えばユーリをザリガニ採りに誘ってきた記憶が真新しい。余談だが、近所の農家さんの田んぼで駆除させてもらったザリガニの、ビスクは絶品だった。

 だが、似ている所もある。性格面なんてまさにそうで、自分のはっきりとした意思を持っている点、矜持がある所なんかは、二人ともそっくりであった。


「なるほど」


 そこまで考えたところで、ようやくユーリは何か腑に落ちる感触を得た。どうして絵理沙にここまで肩入れするかの理由。絵理沙が、自分の立場か、それに類する何かに縛られているような感触。彼女の矜持を、意思を、諦めているような感覚。

 要するに、自分はそれが気に入らなかったのだ。実用を求めて打たれた芸術的な刃物が、芸術史品としてただ飾られているような。高高度まで上昇できる性能がある航空機が、短距離の低空飛行で用いられているような、そんな違和感。

 思えば、随分と傲慢な思いだな、とユーリは自省する。だからと言って止まるつもりはなかったし、この物語の行く末を最後まで見届けたいと思う。おそらくだが、これはアンジェリカもきっと思っている事であろう、という謎の確信を得る。件の違和感を覚えているかどうかは知らないだろうが、彼女にとって絵理沙が宿敵であるとして、敵の情報は多いに越したことはない。

 でも、それでも。ユーリはあの二人が、なんだか親友か、それを超えた戦友になれるような、そんな予感がしてならなかった。


「は、はは」


 アンジェリカと絵理沙が並んで歩いている光景に、なんだかユーリはおかしくなる。ユーリが想像したのは、仲のよさそうに肩を組みながら、開いた片手でお互いの頬をつねり合う二人の光景。片手で握手、ポケットにはナイフ。何とも淑女的な光景だ、と皮肉気に想像すると、なんだかそれがツボにはまり、くすくすと誰もいないサウナで笑う。


「おっと」


 ふと、時計を見た時に自分が想像以上に長い時間サウナに入っていたことに気付く。十分近く入っていたらしい。気付けば、全身汗まみれだ。

 ユーリはサウナから出る。風呂場の空気はサウナ室の熱い空気と違って、涼し気に感じられた。ユーリはシャワーで汗を頭から軽く流すと、誰もいない水風呂に半ば飛び込むように入った。


「あああぁぁぁぁ……」


 思わず声を漏らす。真っ赤に焼けた鉄球を水の中に落としたようなイメージ。身体の奥までしみ込んでいた熱が、一気に奪われていく。誰もいないことをいいことに水風呂に大の字で浮かぶと、全身の熱が心地よく奪われていく。灼熱の昼間から夕暮れを経て、夜の帳に落ちて行くような、そんな気分。

 極楽気分を味わっていると、ぱきぱき、と割れるような音がユーリの耳に響いてくる。ぎょっとして身体を起こすと、身体の周りの水が小さく凍って、白く濁っていた。どうやら無意識にドラゴンブレスを放出してしまったらしい。水風呂の温度を見ると、6℃の表示。しまった。そそくさとユーリは水風呂から上がると、冷水のシャワーを浴びて風呂から逃げるようにして出ていった。

 身体を拭いて更衣室に入ると、天井に取り付けられた扇風機の風がユーリの身体を撫でる。ロッカーを開けて水筒を取り出すと、残っていたスポーツドリンクをすべて飲み干した。生憎、中はさほど残っておらず、喉の渇きはさほど潤ったわけではなかった。後で飲み物を買おう。衣服を着ていると、扇風機が首を振るたびにユーリの身体を撫でる。服を着終わって、ロッカーの中に忘れ物がないことを確認して、外に出る。入館チケットを駅の改札の様なゲートに突っ込んで外に出ると、ふと、視線の上に金色が動いているのに気づいた。見上げると、二階の手すりによりかかったアンジェリカが手を振っている。


「ごめん、おまたせ」


 ユーリは二階に上がると、上階の喫茶店兼休憩スペースで待っていたアンジェリカと咲江に声をかけた。


「珍しいですわね。貴方が長風呂だなんて」

「ゆっくり入ってたら、すぐに時間が過ぎちゃったよ」

「あら? それならわたくしもゆっくり入っていればよかったですわ」


 そう言うアンジェリカは、少し残念そうであった。


「まぁ、こうしてゆっくりお茶できたのだから、良しとしましょう?」


 そう言う咲江の手元には、アイスクリームの浮かんだ赤と黄色にカラフルなトロピカルジュースが置かれている。アンジェリカの手元には、シンプルなアイスティーが置かれていた。


「ユーリも、何か飲みますの?」


 アンジェリカが聞いてくる。


「そうする。流石に喉が渇いた。水筒も飲み干しちゃったし」


 ユーリがそう言うと、咲江が小さく目を丸くした後、それからゆっくりと嬉しそうに、そしてどこか妖艶にほほ笑む。アンジェリカが彼女を睨む。


「あー、飲み物買ってくる」

「ユーリ、わたくしにも、くださいまし?」


 圧を伴った言葉をユーリに投げかけてくるアンジェリカ。ああうん、とユーリは生返事を返すしかなかった。

 バッグを置いて自販機に向かう。どれにするか、とラインナップを見るが、喉が渇いている。1リットルほどなら簡単に飲み干せそうだ。アンジェリカも飲むなら、少し多めでもいいだろう。しばし悩んで、ユーリはスポーツドリンクと、エナジードリンクをそれぞれ一本ずつ買った。


「アンジー。お待たせー……って」


 そこには、自分のアイスティーをユーリが戻ってくるまでに飲み干していたアンジェリカと、自分のトロピカルジュースのアイスクリームと格闘する咲江の姿。どういう状況なんだ、と思っていると、アンジェリカがユーリに自分の空になったグラスを差し出してきた。


「あらユーリ、ちょうどいいですわ。わたくしのグラスを使ってもよくてよ?」

「あー、うん。そうさせてもらうよ」


 謎の圧力もあるが、丁度いいのは間違いない。ユーリは二本のボトルを両方開けると、スポーツドリンクとエナジードリンクを一対一の比率で注いでいく。グラスはすぐに、檸檬の様な鮮やかな黄色の液体で一杯になった。最後に、ドラゴンブレスを加えながらスプーンで軽くかき混ぜると、シャーベットのようにジュースが凍る。


「本当にそれが好きですわね、ユーリ」

「風呂上りはこれがスッキリするんだ」


 ユーリがグラスを口につけて傾けると、爽やかな甘みが熱の残る口を突き抜けてく。


「やっぱこれだね」

「ユーリ、わたくしにもくださいまし」


 アンジェリカが、がしり、とユーリの腕を掴んでくる。その表情はどこか殺気立っていて、ユーリはおずおずとグラスを差し出した。グラスを受け取ったアンジェリカは、ジュースを口に含んで、まるで舌の上で転がすように味わっていく。まだユーリの霊力が多々含まれたジュースはそれだけで彼女にとって極上の甘味であった。


「美味しいですわぁ」


 そうどこかわざとらしく言うと、咲江を見る。咲江はそれに一瞬眉をしかめるが、すぐに何かを思いついたように、おもむろにスプーンでトロピカルジュースの、溶けかけのバニラアイスを掬う。


「ユーリ君、はい、あーん」

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