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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
152/218

25/Sub:"縦ロール"

 しゃこしゃこ、と霧吹きでアリシアが海藻――絵理沙の髪を濡らしていく。一旦櫛を通した後であったが、アオサがワカメになった程度で、ゆっくりとヘアアイロンをかけていく。その様子を諦めの境地に入りながら眺めていたユーリは、ふと気になったことをアンジェリカに尋ねる。


「これは、最初から考えていたことなの? アンジー」

「いいえ。流石にわたくしも試験期間中にはそちらに集中しましたわ」


 つまり、試験が終わってから一週間弱の間に、この『罰ゲーム』を彼女は考案したらしい。


「にしたって、さ」


 ユーリは絶賛髪の毛を改造されている最中の絵理沙を見る。その寝顔は今行われている行為とは裏腹に、とても安らかなものだった。さぞかしハーブティーの効能がよかったらしい。


「起きたら、どうするのさ」

「そうですわね。大きな鏡を用意しておくべきだったかしら」


 そう言う彼女の顔は邪悪な笑みを浮かべていて、ユーリは小さくため息をついた。相変わらずアリアンナはユーリに後ろから抱き着いてきて彼女の豊かな胸部をユーリの背中にむにむにと当て続けていた。


「アンナ、それ楽しいの?」

「めっちゃ楽しい」


 義妹が、恋人が楽しそうで何よりだった。


「お姉さま、工程はどうですの?」


 工程とな。ユーリが内心突っ込むが、アンジェリカに問われたアリシアはいやあね、と丁寧に絵理沙の髪をロールにしながら控えめな声量でつぶやく。


「それがさ、想定以上に順調なのよ」

「どういうことですの?」

「この髪なんだけど……なんだか、縦ロールにされた経験があるような、そんな癖が残ってるのよね」


 そう言ってアリシアがヘアアイロンを丁寧に抜き取ると、そこには見事なロールヘアが輝いていた。


「わぁ、見事な縦ロール」

「くせっ毛と相性良いのかしらねぇ」


 そう言って次のロールに取りかかるアリシア。絵理沙の髪質を把握したのか、その手は先程のそれに比べて手慣れてきていた。


「ねぇユーリ兄さん」アリアンナがユーリに尋ねてくる。「ボクも縦ロールにしたら、ユーリ兄さんはどう思う?」


 しばし、熟考。


「アリアンナは、ポニーテールとかの方が似合いそうだなぁ。活発的なイメージだから」

「そう? じゃあボク、今度ポニーに結ってみようかな」


 ふと、隣から視線を感じたのでユーリがそちらを向いてみると、アンジェリカが少し悔しそうな表情を浮かべていた。髪型を弄れないショートヘアなのが、今になって悔しくなったようだった。


「あー……」ユーリは、小さく肩をすくめながら言う。「アンジーのショートヘアも、僕は好きだよ」


 それを聞くと、ふん、と小さく息を鳴らして顔を前に向けるアンジェリカ。その口元がかすかに嬉しそうな笑みを浮かべているのを、ユーリは気づいても黙っていることにした。

 黙々と絵理沙の髪型改造が進んでいく。アリシアなりのこだわりなのか、左右で巻く向きを反対にする。時折絵理沙が薄目を開けては、流れ続けるクラシックの曲に再び眠りに落ちるのを繰り返し、作業は進んでいった。

 そうして気が付けば一時間ほどが経った。始めは手探りだったものの、後半に従ってアリシアが絵理沙の髪の癖を掴んだせいか、段々と手早く、そして丁寧な仕上がりになっていく。そうしてアリシアが最後の一本から、ヘアアイロンを引き抜く。

 しばし、その状態で腕を組んで絵理沙を見つめていたアリシアは、鞄をごそごそと弄ると、中から小さなハサミやブラシ等を取り出し、彼女のまつげと眉毛を整えていく。そこまでする必要があるのか、とユーリは言いたくもなったが、アリシアの背中から感じる謎の気迫に、思わず押し黙る。

 呼吸を減らしてまで『最後の仕上げ』をしていたアリシアが、ゆっくりと離れ、息をつく。


「完成よ……!」


 そうしてどこか力強く言い切ったアリシアの言葉には、初めの罰ゲームだとか、そういう感情は全てどこかに消え去っており、ただ自分の仕事を成し遂げた達成感だけがあった。ばさりとカットケープを取り去る。

 思わず、その場にいた全員が息を呑んだ。

 涼し気なセーラー服を着てソファーですうすうと寝息を立てる絵理沙。その髪は見事に縦ロールになっている。バックに左右三本、サイドヘアーを一本ずつにそれぞれロールされ、くせっ毛の面影はどこにもない。横に流された前髪はそのまま残されたが、それが絵理沙の整った顔立ちを邪魔せずに際立たせていた。それはまるでフランス人形のような雰囲気を漂わせていて、ある種の芸術的な美しさがそこにはあった。


「我ながら完璧!」


 アリシアがやりきった、と言わんばかりに言う。全員で呆けている中、いち早くアンジェリカがハッとなってアリシアに詰め寄る。


「お姉さま! 悪役令嬢になってないではありませんか!」

「素材がいいのね。いやあ。我ながらいい仕事したわ」


 アンジェリカの詰問もどこ吹く風、と言わんばかりにアリシアは額の汗をぬぐう。彼女の、ツインテールにされた縦ロールがぼよん、と揺れた。アリアンナが物珍し気な表情を浮かべ、ユーリを解放しつつ絵理沙の髪を見る。


「いやあ、それにしてもホントに見事だねぇ」

「素材がいいのかしら。縦ロールが見事に違和感ないわ。こうなってくると、むしろ前の髪型のほうが違和感あるくらい」


 指でファインダーを作りながらソファーで寝る絵理沙を見るアリシア。アンジェリカは額を抑えて天を仰いでいた。そうしていると、もぞり、と絵理沙が動く。


「ん……」


 小さく呻くようにして声を漏らすと、ゆっくりと眼を開く。彼女の、トルマリンのように青い瞳がゆっくりと開けられる。


「私……眠って……?」


 状況がつかめていないのか、ゆっくりと左右を見回す絵理沙。そうして自分がアンジェリカの前で眠っていたという恐ろしい事態に気付き、その眼が急にカッと見開かれる。


「あ、あ、あ、貴方たち、私に何をしたのです!」


 恐怖半分、怒り半分、と言った様子で言う絵理沙に、どこか興奮した様子でアリシアが駆け寄ると、手を掴んで絵理沙を無理矢理引き起こし、立たせる。


「そんな事より、早く見なさいよ! 会心の出来よ!」

「え、出来!? 見るって何を――」


 そこまで言ったところで、自分の視界の端に映るサイドヘアーに気付く。絵理沙の動きがピタリと止まり、綺麗なロールヘアになった自分のサイドヘアーに触れた。まるで最初からそうであったかのように。

 アリシアがパソコンに繋げるウェブカメラを絵理沙に向け、テレビにその映像を映す。そこに映るのは、唖然とした表情でカメラを見つめる自分の姿。恐る恐る横を向くと、そこにあったのは丁寧に縦ロールにされた後ろ髪。そんな絵理沙を見ながら、アリシアはいい仕事をした、と言わんばかりにつぶやく」


「いやあ、くせっ毛だから、縦ロールにして整え甲斐があったわよ」


 記憶が、フラッシュバックする。


 ――ベスちゃんはくせっ毛さんだから、髪をくるくる巻いてあげると、かわいいわね。


「見てみなさいよ、これ! 髪の癖を受け流しつつ、ふわりとした仕上がりのロールヘアにしてみたのよ。どう? まるでフランス人形みたいじゃない!」


 ――ほぅら。この通り。まるでお人形さんみたいじゃないか。


「それにしても、髪の毛が覚えているみたいだったわよ。昔、こういう髪型にしたことあるの?」


 ぽたり、と。水滴が落ちる音。その場の全員が凍り付く。絵理沙の瞳が潤み、力なく頬を伝って流れ落ちる雫が、ぽたり、ぽたり、と床に落ちた音。


「あっ――そんな――どうして思い――出して――」


 とめどなく溢れる涙。


「違うっ……いや、みない、で――」

「絵理沙さん」


 ユーリが、ぴしりと背筋を伸ばし、だけど柔らかい口調で絵理沙を呼ぶ。絵理沙はどこか放心しているような表情で、涙を流しながら彼の方を振り向いた。


「こんな機会で、こういう風になったのは残念だけど」ユーリは、頬を赤くしながら、言った。「すごく、とても可愛い」


 ――かわいいねぇ。私たちの大事な大事なベス。

 ――ありがとう、だいすきなおばあさま!


 さっ、と。絵理沙の頬がリンゴのように朱に染まった。そして感極まったような、感情を処理しきれないようなごちゃ混ぜの表情があふれ出るように顔に浮かぶ。


「しし、失礼しましたわぁっ!」


 そう叫ぶと、絵理沙は顔を真っ赤にしたまま自分の鞄をひっ掴み、ドアを勢いよく開けて廊下に飛び出ていった。勢いよく廊下を駆ける音が残響のように響く中、四人は部室に取り残される。

 静寂が場を満たす中、口火を切ったのは、アンジェリカだった。


「……面白くありませんわ! これならサンティマン・プフにするべきでしたわ!」


 期待した反応と違った。彼女にしては珍しく状況に振り回される側になったことについて、不満ばかりが残っている。そんな彼女の様子に小さく苦笑いを浮かべ、片づけをしながらアリシアが呟く。


「まぁ、悪巧みなんてそう上手く行くものじゃないわよ」

「これでは、わたくしが悪役令嬢みたいじゃありませんか!」

「何も間違ってなくない?」


 思わずユーリの口が滑る。しまった、とユーリが気づいた瞬間には、アンジェリカが目を紅く光らせながらユーリを睨みつけていた。


「あ、その――」


 次の瞬間、凄まじい勢いでベッドに押し倒されたユーリに覆いかぶさったアンジェリカが、勢いよくユーリの口を吸う。舌をいつもより乱暴に牙で噛み、勢いよく吸い上げた。凄まじいバキュームとアンジェリカの感触のカクテルに、ユーリは思わず白目を剥いた。


「お、おごっ、おおっ、おっ!」


 がくがくと小刻みに震えるユーリに、いつもよりも乱暴にユーリをむさぼるアンジェリカ。アリシアとアリアンナは思わず顔を見合わせ、お互い肩をすくめると、やれやれといった表情でアンジェリカを引きはがしにかかるのだった。




 いつ自分が屋敷についたかわからぬまま、絵理沙は自室の畳の上で呆けていた。謎の虚脱感に襲われながら、部屋に置かれた姿見を見やると、そこには先程までの髪型のままの自分の姿。目尻にはまだ涙の跡が残っていて、目はやや充血して赤い。

 顔を、洗おう。

 ふらふらと立ち上がり、洗面所を目指す。誰もいない、夏の暑さで蒸し暑い廊下をどこかふわふわとした足取りのまま歩く。そうだ、今日は御爺様が帰ってきて――。


「絵理沙」


 後ろからかけられた、しわがれた、その一言。一気に背筋に氷が突き刺されたような感情と共に、反射的に床に跪き、額を床につける。


「お、御爺様、申し訳ありません!」


 最敬礼の座礼のまま叫ぶ。絵理沙の身体はカタカタと小刻みに震え、この後に来るであろう折檻に震える。しかし、いつまでたっても痛みも罵声も来ない。


「よい。部屋で、休んでいろ」


 まったく想定していない言葉。そして、その言葉の端々には、いつもの老獪のそれでない、まったく違う感情が込められている。慈しむような、懐かしむような。

 絵理沙の横を足音が通りすぎる。遠く足音が消え、そこで絵理沙は思い出したかのように頭を上げた。廊下は静まり返っていて、彼女意外に誰もいない。どこか朧げな足取りで立ち上がると、ふらふらと洗面所を目指す。


 ――わたくし、おにんぎょうさんじゃなくて、おひめさまがいいですわ!

 ――そう。ならベスちゃんにも、きっと王子様が来てくれるわ。星空に貴方を連れて行ってくれる、素敵な王子様が、きっと。


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