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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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19/Sub:"秩序"

 アンジェリカとユーリが教科書とノートを開く。この瞬間から、ユーリは教師になった。図書室は勉強スペースが大幅に取られているせいか、いろいろと議論しながら勉強をする学生が多く、騒がしくはないがカフェ程度には話し声が聞こえる。


「じゃあ、前回の復習から。大気の鉛直構造についてだ」


 丁度ユーリがアルバイト先で関り、学んでいる事柄。ユーリが上空に上がるたびに感じる事柄。


「あら、ユーリの得意分野ですのね」

「ユーリにぃ、最近こういうこと教授から教わってるからね」


 まあね、とユーリは少し得意げになりながら説明を進めていく。温位と安定、不安定、条件付き不安定。


「ふむ」アンジェリカが教科書を眺めながらつぶやく。「こうして見ると、大気のほとんどが不安定と言うのも、なんだか不思議な話ですわね」

「常に対流が起きているようなのが地球の大気構造だからね」


 雲は、その証でもある。


「しかし、こうして見ると、分かっている人に教わるというのは、やはりわかりやすい物だねぇ」


 アリアンナがしみじみと言う。そんなものかな、とユーリはしばし首を傾げた。ユーリとしては、特に特別何かを気にしているというものはなかった。そうしていると、向かいのアンジェリカがあら、とユーリ達が気づいていないことが意外そうに言った。


「簡単ですわ。ユーリ、貴方、説明するときに比喩を多く用いていますでしょう?」

「あー、確かに。言われてみれば」


 気体が温まると膨らむ概念について部屋の中にいる人が歩くより走り回った方が広いスペースが必要だと言ったり、原子の結合について穴の開いているパズルと例えたり、粘り気の高いマグマをホイップクリームに例えたり。


「こういう比喩って、『分かってる人』にしかできないわよねえ」アリシアが少し感心したように言う。「その現象の本質を理解できている、というか」

「そうですわ。自然科学を数式の暗記としか理解してない人には、できないものですもの」


 そう褒められると、なんだか恥ずかしくなってくるし、同時になんだか張り切ってくる。もっとわかりやすく、もっと高度なことを。


「これが、教えることの歓び、ってやつなのかなぁ」


 ユーリの脳裏によぎるのは、咲江と、大学の教授。二人とも、わかりやすくユーリに専門的で高度なことを教えてくれる。咀嚼、消化、再出力。これができて、はじめて物事を『理解』したことになると言えるのかもしれない。自分は飛行部にとって良き『先生』だと言えるだろうか。わからないが、ユーリとしては全力を尽くすしかない。


「まぁ少なくとも、ユーリは良い教師ですわ、この場では」


 アンジェリカは教科書をめくりながら、優しく微笑む。ユーリは分かりやすく張り切った。


「じゃあこの調子で、今週の授業分をやってしまおう」

「ええ。そうですわね」


 ユーリが纏めた内容をアンジェリカに伝える。親鳥が咀嚼した餌を雛鳥に与えるように、情報を丁寧に噛み砕いていく。原型を消化できなかった人でも、十分に消化吸収ができるように。

 そうした『ユーリ先生の講義』が静かに進むと、チャイムが流れてくる。もうこんな時間だったのか。


「買い物をしそびれそうですわ」

「急いで帰らないと」


 四人であわただしく勉強道具をバッグに放り込んでいく。ぞろぞろと図書室から出ていく生徒の流れに沿って図書室から出ると、むわりと熱気が包む。ユーリが思わずほぅ、と息をつくと冬の吐息のような白い湯気が宙を舞う。


「プールの更衣室のクーラーみたいですわ」

「私は冷蔵庫だと思ったわ」


 アンジェリカとアリシアがそれぞれ感想を述べるが、ユーリは怪訝な表情を少し浮かべたあと、ハッとして口を抑えた。


「また、出てた?」

「ええ、それはなかなか盛大に」


 ユーリが思わず肩を落としてため息をつくと、盛大に白煙が舞った。思わず三姉妹は噴き出した。


「あー! もう、止まらない!」

「ゆ、ユーリ……! 少し……ぷふっ、落ち着きましょうか……!」


 必死に笑いを抑えるアンジェリカ。ユーリはふ、と妙案を思いついたような表情を浮かべ、呟いた。


「マーライオン」


 はーっ、とユーリが息を吐く。敢えてドラゴンブレスを多分に混ぜたものは、一本の水流のように放物線を描いて白煙と共に床に流れ落ちる。三姉妹は再び、今度は盛大に噴き出した。


「いいな、これ。今度咲江先生にも見せよう」


 ドラゴンブレスを止めたユーリが一人納得していると、息も絶え絶えなアンジェリカがこくこくと頷いた。


「きっと大うけ間違いなしですわ」


 ユーリは満足した。

 四人で校舎から出る。下駄箱に向かい、傘をさして校舎の外に出ると、外は雨が降り続いていた。対流性の雲によるにわか雨ではなく、層状性の雨。長く続き、空にミルクを流したように濃く、広く広がっている。妙に高い湿度もこれのせいだ。分厚い乱層雲の向こうにあるはずの太陽は陰って、その輪郭すら見られない。

 校門をくぐって街中を歩く。すっかり長くなった日は、雲の向こうであっても一八時前ではまだまだ明るい空を広げている。濡れたアスファルトに響く湿った足音と、雨粒が傘を叩く音だけがBGMのように響いていた。


「雨、やみませんわね」


 傘を差しながら歩くアンジェリカが、空の向こうを睨みながらつぶやく。


「梅雨明け、いつになるのかしら」

「まだ梅雨前線の振動はカオス的な要素が大きくて、予測が難しいらしいね」


 ユーリが教授に習ったことを思い出す。列島の上でうねる巨大な暖気と寒気のぶつかり合いはまるで波打ち際のように振動を繰り返す。その振動と北上を決める要素には様々な変数が絡んでしまい、少しでも入力値が違うと、まったく異なる予測を出力してしまう。こういったものをカオスと言うのだと、数学の概念を教えてもらった。


「カオス、カオスねぇ……」神妙な面持ちでアリシアが呟く。「予測できない未来は、混沌(カオス)かぁ」

「そこに秩序(コスモス)はあるのかなぁ」


 アリアンナがふざけているようにも、まじめにも見えるようにつぶやく。ユーリは、小さく目を細めながら空を睨んだ。


「どっちにしたって、行くのは宇宙(コスモス)さ」

「不思議なものですわね。秩序を意味する言葉が、別の言語文化圏では宇宙を意味する言葉だなんて」

「花の名前でもあるね。コスモス。ボクも好きさ」


 アリアンナが言う。確かに、彼女がコスモスの苗を植えていたのを、ユーリは昔見たことがあった。秋桜と書いてコスモスと言うが、まだ梅雨なのに秋に思いを寄せるのはなんだか時期早々だな、とユーリは思った。


「ねえユーリにぃ、コスモス、庭の空いてる所に植えようよ」

「コスモスかぁ……」


 屋敷の前の庭だが、実はユーリとアンジェリカの手により雑草原はすっかり刈り取られ、家の前にはひまわり畑が作られていた。丁度家の玄関が東側を向いているのでよく朝日もあたるだろう、という思惑だ。今のところ向日葵の種は順調に芽吹き、青々とした太い幹を伸ばしつつある。


「向日葵畑の端っことかだったら、植えるスペースありそうだ」

「それか門から玄関まで通じる石畳の横に植えるとか、どうかしら」

「いいね、それ」


 アリシアが言った案にアリアンナがそれだ、と返す。確かに、石畳脇に植えておけば土の流出を抑えられるかもしれない。多少畑に入りくくなるだろうが、そこまで背が高いわけでもないし、まぁ問題ないだろう、とユーリは思った。


「しかし向日葵ねぇ。いきなり家の前が畑になってたから、てっきり野菜でも育ててるのかと思ったわよ?」

「あら? 一列だけはオクラですし、向日葵だって立派な作物ですわ」

「オクラ植えてたの!?」


 アリシアが驚いたように叫ぶのに対し、ユーリとアンジェリカが頷く。門から屋敷に続く石畳に対して平行に作られた畝。その一番外側の列だけ、向日葵ではなくオクラになっている。


「道理でなんか違うのが植えてあるなー、と思ったわ……」


 アリシアが片手で額を抑えながら言う。アリアンナは苦笑いを浮かべながら、ユーリに尋ねた。


「けど、なんでよりによってオクラ?」

「花が綺麗なんだ」ユーリは頬を掻きながら言う。「もちろん、実が食べれるって言うのもあるけど」

「へぇ、オクラの花かぁ。そう言えばあまり聞いたことはないね」


 意外そうな顔をするアリアンナに、アンジェリカが得意げにほほ笑む。


「黄色いハイビスカス、と言った見た目ですわ。これからの季節、丁度いいと思いません?」

「どっちもアオイ科だからね」


 そう言うと、アリアンナとアリシアは揃って『へぇー』と声を上げる。

 アリアンナは思う。ヒマワリの畑にオクラの黄色い花、そしてコスモス。さぞかし美しい景色になりそうだ。

 さっと買い物をして帰路につく。あまり時間をかけるわけにはいかない。期末試験はもう目の前に迫っていて、ラストスパートをかけなくてはいけない。図書室にギリギリまで残っていたのだってそれが原因だ。雨脚がだんだんと強くなってきた気がして、四人は屋敷に急いでたどり着いた。駐車場には車が止まっていないので、咲江はまだ帰ってきていないようだ。屋敷の玄関前の庭は、雨に濡れた畝の列と、そこに植わる青々とした苗たち。屋敷に入ってドアを閉めると、雨音が急に静かになる。


「ふあぁ、疲れましたわ」


 アンジェリカが疲労困憊と言った様子でつぶやく。集中して勉強していた反動が、どっと今になって押し寄せたようだ。


「お疲れ様、アンジー。先にシャワー、浴びていいよ」

「お言葉に甘えますわ……」


 ユーリは台所に入っていく。アリシアとアンジェリカ、アリアンナはぞろぞろと階段を昇っていく。アンジェリカがふらふらと自分の部屋に入っていき、アリシアと別れてアリアンナは階段を昇って屋根裏の自分の部屋に入った。ドアの横に置かれた小さなエアコンをつけると、冷風が噴き出て部屋を冷やしていく。エアコンから出た水道ほどの太さの温風吹き出しホースは、ドア横に開けられた穴から階段上の換気扇に繋がっている。

 雨の影響や断熱材のせいであまり暑くはなかったが、快適とは言えない。エアコンで部屋が涼しくなって、ようやくアリアンナは息をついた。


「ふぅ」


 アリアンナは部屋の端の制服を脱ぐ。スカート、セーラーを脱ぎ、下着とサイハイソックス、ガーター、長手袋だけになった状態で、ベッドに腰掛ける。

 お風呂入ろっかな。そう思ったところで、ふと気になることが浮かび上がってくる。どうでもいいことと言えばどうでもいい事なのだが、妙に気になってしまう。こうなったら止まらないと分かっているので、アリアンナはギリギリ手の届くところに置いてあるタブレットを手に取ってそれを入力し、検索する。

 コスモスの花言葉、『愛情・調和』。

 オクラの花言葉、『恋の病』。

 ヒマワリの花言葉、『あなただけを見ています』。

 うわぁ。思わず声に出してしまう。そうして、アリアンナは、自分がコスモスを勧めていたことを思い出し、思わず枕に顔を押し付けた。



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