13/Sub:"期末"
「ともあれ、これで教師陣は勢ぞろいですわね」
「咲江先生も……パイロットだから、物理と数学はできているだろう」
「……ですわね」
アンジェリカにとって咲江はライバルとも呼べる存在。そこは一線を引いているつもりではいるが、彼女の中でまだそんな彼女の力を借りるべきかどうか、という葛藤があった。そんな彼女の心を見透かして、ユーリが言う。
「アンジー、確かにアンジーにとって咲江さんはライバルかもしれない。だけど、それ以上に肩を並べると認めた戦友でもあるはずだ」
「……」
「それに、さ」
ユーリは他の姉妹の顔を見比べる。二人は、あくどい笑みを浮かべた。
「手段を択ばない方が、君らしい」
「決まり、ですわ」
アンジェリカは嗤う。どこまでも悪役らしく。
「いよっ、悪役令嬢!」
アリアンナが茶化したように言うと、アンジェリカが笑みを浮かべたままアリアンナの方に向いた。
「だーれーが、悪役令嬢ですってぇ?」
「いいじゃないか悪役令嬢。悪役令嬢VS悪役令嬢の頂上決戦だ」
B級映画みたいな表題だな、とユーリは思ったが口には出さないでおいた。きっと盛大に飛び火するのが、目に見えていた。きっと夜に干物になるまで吸われることだろう。そうすると余計に悪役令嬢感がでるなぁ、と思ったが、これもユーリは飲み込んだ。
「じゃあ、これでいこっか」
アリシアが場を取り直すように言うと、そうですわね、とアンジェリカが返す。話はまとまったようだった。
四人は分かれる。それぞれ用事があるようで、ユーリはアンジェリカと一緒に買い物をして帰ることにした。学校を出て、商店街へ。今日の夕飯は中華にしよう。折角だから栄養の付くものを、とユーリが提案したものだった。
「ユーリは」買い物の際中、アンジェリカがユーリに尋ねてくる。「どうして皐月院さんにそこまで興味を持っていますの?」
唐突な質問。確かに、自分にしては珍しく、空に関係ない他人に興味を持って――自分で考えて少し情けなくなってきたが――いるのは、なかなかユーリらしくない。むう、と自分で首をひねっていると、その光景にアンジェリカもそろって首をひねる。
「ユーリがわからないのに、わたくしもわかるはずありませんわ」
「だよねぇ」
二人で買い物を続ける。豚肉を手に取ろうとして、うっかり別の部位を取ってしまう。戻して目当ての物をかごに入れた。
「まずはさ、アンジーと皐月院さんは、やっぱり似てると思う」
「……そこまで、ですの?」
アンジェリカが怪訝な表情を浮かべるが、ユーリはかごに入れた肉を手に取って眺めた。
「似てるけれど、正反対。同じコインのそれぞれ裏表の様な、そんな感じだ」
「フムン」
アンジェリカの表情が怪訝から興味へと変わる。
「だからかな。皐月院さんとアンジェリカ、二人ともをしっかりと見ないと、いつしかアンジーの事まで見失いそうな、そんな気がする」
「違いが判らなくなって、お互いをお互いとみなす、そう言いたいですの?」
「アンジーは、『もし』の自分を考えたことって、ある?」
「ありませんわ」
即答だった。思わずユーリが小さくずっこける。
「さすがだなぁ」
「『もし』を考えたって仕方ありませんもの。『もし』の自分は、『今』の自分とは別なのですわ。そして、『今』を選択したのがまぎれもなく自分の意思なのならば、その選択を後悔や反省こそすれ、なかったことを夢想するなどあってはなりませんわ」
「強いね、アンジーは。流石だ」
「当然ですわ」
そう得意げに言うアンジェリカ。その横顔が、一瞬絵理沙と重なった。
「僕が思うに」
これはあくまでも自分の勝手な想像であり、シミュレーションである、と前置きをする。アンジェリカは続きを促した。
「アンジーがもしも僕と出会ってなかったら、の『もし』が、皐月院さんかもしれない。そんな考えが、ずっと頭から離れない」
「ほう?」
「気を悪くしたらごめん。でも、うん、そうだ。僕はこの答えに対する解答が気になっている。それを知りたくて、皐月院さんに興味を持っているのかもしれない」
「自分のことなのに、随分曖昧に物事を語りますのね」
「自分のことほど、自分でわからないことはないってのは、君から教わったことの一つだよ」
「鼻の下のものほど、見えにくいものはないとは、ええ、その通りでしょうね」
ユーリはアンジェリカの唇を見る。健康的な色をした、柔らかそうな唇。何度その感触を味わったか考えようとして、やめた。
「本当は、一緒に空を飛べればすぐにわかるんだけどなぁ」
「悪い癖ですわよ、その、『同じ空を飛べば相手の事が理解できる』ってのは」
「空では誤魔化しは効かないからね。自然と、自分のありのままをさらけ出すことになるのさ」
「頼むから、裸で空を飛ぼうなどとは思わないでくださいませ」
アンジェリカがジットリとした目でユーリを見る。ユーリは、黙って頬を掻いた。その反応が気になったのか、アンジェリカはユーリに詰め寄る。
「まさか、本当にやったことがあるとは言いませんわよね?」
「……いや、一回だけ、事故でやったことはある」ユーリは、天井を見る。その表情は少し、苦々しいものだった。「あまり、いい気分だったとは言えないけど」
その反応に、アンジェリカは全てを察する。少し疲れたように、自分の眉間をつまんで目をつぶると、ゆっくりと息を吐いた。
「まぁ、貴方があの時の事を、そうして語れるようになったという事実だけで、良しとしましょう」
「間違いなく、君のおかげだよ、アンジー」
かごを持って曲がり角を曲がり、調味料コーナーへ。人が誰もいない。ユーリはそっと顔を近づけて、自分の鼻の下の、見えない部分でアンジェリカの頬に軽く触れる。
「……もうっ」
頬を染めたアンジェリカが満更でもなさそうな表情を浮かべつつも、ため息をつく。
「どうして、こうなってしまったのかしら。昔はもっと可愛かったのに」
「僕はいつまでもアンジーの翼だ。それは間違いない」
「ならば、せいぜい馬乗りになって差し上げますわ」
今度は、ユーリが頬を赤くする番だった。
買い物を終え、家路を二人で歩く。すっかり梅雨も明け、太平洋の暖気が流れ込んでいる。季節はもう夏だ。
槍沢学園の冬服はブレザー、夏服は男女ともに水兵――セーラー服だ。海軍の制服を起源とするセーラー服だが、なぜ海のないこの町の学校の制服が海軍仕様なのか、ユーリにはいまいちわからなかった。ただ、面倒くさいネクタイを結ばなくてよくなるのは、ユーリには好ましかった。あと、アイロンをあまりかけなくてもよいのも便利だ。
「暑くなってきたねえ」
「あら? ドラゴンブレスで冷却しているのを知っていましてよ」
すこし皮肉るように言うアンジェリカ。ユーリは暑いと感じた時に、周囲にドラゴンブレスをゆっくり放出する癖がある。そのせいで真夏なんかは、ユーリの周囲に結露の白煙が浮かぶことは、夏の風物詩でもあった。
「プールとか、行きたいね」
「わたくしは山の方がいいですわ」
「あー、それは知ってるんだけど、できれば泳ぎたい」
ユーリが言うと、アンジェリカはなるほど、とつぶやく。
「それなら、なおさら山でいいですわ。ユーリのお義祖母様の山に、清水の流れる小川がありますわよ」
ユーリの、父方の祖母が所有する山。確かに、あそこに行くのもいいかもしれない。山が私有地であるため、他人を気にすることなく過ごすことができる。祖母の『影響』で、山にキャンプしても変なものが一切出てこないのも好ポイントだ。
「それなら、ツツジ叔母さんにも挨拶しないとね」
「そうですわね。手土産には、何が良いかしら」
アンジェリカが顎に手を当てる。親しき仲にも礼儀ありと、こういうところがアンジェリカのいい所だと、つくづくユーリは実感する。
「話を戻していい?」
「あら? いいですわよ」
「泳ぐんだったら、折角だったら広い所で泳ぎたい、と言うのもある」
「なるほど、ですわ」
どこか合点がいったかのようにアンジェリカが返す。流石にあの山で水遊びはできても思いっきり泳ぐのは無理だ。せいぜいあるのは、深いところで腰ほどまでの、教室ほどの透きとおった池があるだけだ。
ちなみに、その池のほとりの祠の前で、キャンプと小さなパーティーをするのが山に入ったときの『おまつり』だ。
「なら、海かしら」
「海かぁ」
生憎だが、この周辺に海はない。隣の県まで行かなければ海がないのがこの町の辛い所でもある。なんならいっそのこと、アンジェリカ達を載せて沖縄辺りにまで飛んでしまおうか、とも考える。
そこまで思い至ったところで、あ、とアンジェリカが声を上げた。
「別荘、今年も行かなくては!」
はっとした表情で彼女が言う。別荘、と聞いてユーリも思い至る。思えば、アンジェリカ達が日本に来てからほぼ毎年のように行っていたような、そんな気がする。
家とは人が住んでこそその形を保つというのはある。夏だけではなく冬に避暑ならぬ避寒で行くこともあるアンジェリカの、ゲルラホフスカ家の別荘だが、そういえば夏に訪れるシーズンが今年も来たな、とユーリは去年の思い出を思い出した。
「なら今年は、僕も行こうかな」
ユーリがそう言うと、アンジェリカはきょとん、とした表情を浮かべた。
「何を言っていますの? 元よりユーリは来ることになっていますわよ?」
「えっ」
既に確定事項だったらしい。何か、自分の知らないところで進んでいる話が他にもないか、一度調べた方がいいかもしれない、とユーリは思った。
気を取り直して。
「なら、そこで海は存分に楽しめそうだから、まあいいや」
「ふふ。新しい水着、選んでいただけて?」
悪戯っぽく笑うアンジェリカの、水着姿を思わず想像して、ユーリは頬を染めた。




