11/Sub:"喧嘩"
どうしてこうなったんだろうな、とユーリは目の前の光景に、現実逃避を図る。
「そちらが謝りなさい!」
「あら、そんな義務わたくしには無くてよ!」
二人とも似てるなぁ、とユーリはどこか他人事のように言い争う二人、アンジェリカと絵理沙を眺める。二人の口喧嘩はヒートアップしていき、お互いが触れそうな距離まで顔を近づけメンチを切り合っている。腕を組む絵理沙と、腰に当てるアンジェリカ。お互いの胸が至近距離でぶつかって潰れているが、それを当人たちが気にする様子はない。ユーリはそれに気を向けないように努力しつつ、現状の解決方法を探る。絵理沙の取り巻きと思われる女子はアンジェリカにそうだそうだ、と絵理沙への同調の姿勢を見せるが、二人の圧力の前にろくに干渉もできず、下手すると少し涙目になっている娘もいた。
事の発端は何だったか。些細なことだったと思う気がする。食堂の帰りにばったり会って、お互い道を逸れようとして、それでなぜか進路がかぶってしまって、それから煽り合いが始まって、それから――。
何か、それ以外にいろいろあった気もするが、ユーリは考えることを、やめた。
頬を赤くした絵理沙がアンジェリカに詰め寄っている。
「そもそも貴女がまだ周りの人に迷惑をかけている、それを自覚しなさいと言っているのです!」
「あら? わたくし、迷惑をかける自覚も、迷惑をかけられる覚悟も、相応に持ち合わせていましてよ? 貴女は違うようですが」
涼し気な表情を装っているが、あれは相当『キてる』なとユーリはアンジェリカの様子を横で見て思った。そろそろ止めた方がいいかもしれない、と思っていた時、ユーリの肩をポンポン、と叩く感触。びくり、と気配もなく現れたその感触に驚いてすぐに振り向くと、そこにはアリアンナがいた。
「めんどくさいことになってるじゃないか。ユーリにぃ」
「アンナ」
アリアンナはどこか面白そうな表情をしながら、言い争うアンジェリカと絵理沙をにやにやと見つめる。大方、『背中を押したらチューしそうだね』とでも考えているのだろう。
「ねえユーリにぃ、アンジー姉さんの背中押したら丁度キスしそうじゃない?」
案の定思っていた。ユーリはため息をつく。
「駄目だよアンナ。アンジーはああ見えて体幹がいい。押すなら皐月院さんの方がいいよ」
「「聞こえてますわよ!」」
二人でシンクロして言い返してくる。ほんと似ているよなぁ、とユーリはどこか呑気に考えた。
「なんかやかましいと思ったら、何してんのよあんたら」
「アリシア姉さん」
呆れたような声と共に、こちらに歩いてきたのはアリシアだった。どうしたのか尋ねると、待ち合わせに遅れたせいなのか、それで心配になって見に来たとのことだ。
「あー、もう。まるで『混ぜるな危険』みたいになってるじゃないのあの二人」
お互いがお互い耳を覆いたくなるような罵倒の応報。罵詈雑言のドッジボール。普段はこうはならないアンジェリカも、何か許せない一線のようなものがあるのだろうか、一歩も引く様子はない。
まぁ、最も引くような性格ではないとユーリは理解してはいるが。
「どうする? アンナ、姉さん」
「うーむ、このままじゃ手が出るのも時間の問題な気もするなぁ」
アリアンナがここにきて真剣な表情で言うと、アリシアもさすがに無視はできなくなってくる。
「そうよねー……」
ユーリが絵理沙の取り巻きの方に顔を向ける。ユーリの金色の竜の瞳でじっと見られていることに気付いた彼女等は、少し顔を青くするとそそくさとその場を立ち去った。
「意気地のない女共ね」
「竜に見られたんだ、しょうがないんじゃないかな」
アリシアが思わず毒づく。取り巻きは所詮取り巻きということか。からかう様に言ったアリアンナも不快そうな表情をしていた。
「あっ」
誰が漏らした言葉なのか、わからなかった。絵理沙の右腕が、しなりをつけて後ろに引かれる。対するアンジェリカは一瞬で背筋に力が入り、両脚が床にぴったりと力を伝えている。絵理沙がその手を振りかぶろうと、いともたやすく反応して捻り上げる、そういう体勢だった。
「そこまで」
「なっ……!」
「ちょっ……!」
二人の間に一瞬で割り込んだユーリが、ただ絵理沙の手首をつかんで、止めるまでは。
「は、離しなさい!」
「そうはいかない。これ以上はルビコン川を渡ることになるよ、皐月院さん」
ユーリは特に力もかけず、ただ絵理沙の手首を包むようにして掴んでいる。それなのに絵理沙の腕はびくともしない。まるでコンクリートに腕を突っ込んで、そのまま固定されてしまったかのような感触。
「離しなさっ……」
そうしてユーリを絵理沙は睨みつけようとして、彼の金色の瞳が、真っすぐ絵理沙を見ていることに気付く。人間のそれとは違う、縦に細長い瞳孔。思わずひゅっ、と息が詰まり、背中に変な汗が浮かぶ。それを見たユーリが、思わず目をわずかに細めさせた。
「ユーリ!」
ユーリの背中から声がかかる。ユーリは絵理沙の手を掴んだまま、ゆっくりと平静を装って振り向いた。
「大丈夫、何ともないよ。ちょっと頭を冷やしてくる」
ままよ、とユーリは絵理沙の腰を抱き寄せ、そのまま歩き出す。絵理沙は小さく抗議の声を上げたが、ユーリの力に逆らえず、半ば引きずられるようにして歩き出す。何か抗議の言葉を言おうとしたアンジェリカだが、両腕をアリシアとアリアンナに掴まれ、引きずられていった。去り際、ユーリがアリアンナの方に目をちらりと向けると、ウィンクで返す。どうやら任せてもよさそうだ。
絵理沙を引きずって、先程の場所が見えない場所まで来る。とはいっても、それは彼女の教室だった。今は誰もおらず、ユーリと絵理沙の二人だった。
「お願い……放してくださいませ……」
教室に連れ込まれたとき、か細い声で絵理沙が呟く。ユーリはいつもの様にドラゴンブレスを放射して頭を冷やさせようとして、やめた。流石に普通の人間にやるのは拙いかもしれない、と教室の真ん中にまで行ったところで、そっと絵理沙を開放した。
「落ち着いた?」
はっきりと、意思を伝えるようにして絵理沙に言う。彼女は、小さくびくりと身体を震わせる。ユーリは、両掌を上向きにして、軽く両腕を広げた。絵理沙の怯えが少し、収まった。先程までの激昂はもうない。特に理由のないような、アンジェリカという原因による錨だとすれば、やはり物理的に引きはがしたのは正解だった様だ。
「……問題ありませんわ」
絵理沙もかろうじて答えるが、まだ警戒している、といった表情だ。そりゃ強引に引きずっていくような真似をすればこうもなるか、とユーリは自省する。アリアンナだったらもっと上手くやっただろう。
だが、何となくだが、こうしなければいけない理由を、ユーリは感じていた。
「皐月院さん、暴力は『暴れる力』と書いて暴力なんだ。コントロールされていない力は、荒れた心には危険なものなんだ」
「知っていますわ、そんなこと!」
「知っているのと理解しているのは違うよ。現に、君は手をあげようとした」
「あれは……!」
何か言おうとして、何も言えなくなる絵理沙。頭が冷えてきたのか、先程までの自分の行動に関して自省することができたようだ。
「無理に謝れ、とは言わないよ。君にも何か思うことがあるのは知ってるし、アンジーにも君に思うとこがあるのは知っている」
ユーリがアンジェリカの名をつぶやいた時に、絵理沙の肩がぴくりと震えた。
「だからといって、毎回こうしていればお互いに傷が増えていく。傷は、とても痛いんだよ」
諭す様に言い聞かせるユーリに対して、絵理沙はうつむいたままだった。
「今回は不幸な事故でこうなってしまったのかもしれない。だけど、お互い距離を取ることだって、必要な場合はある。誰もがみんな仲良くなれるわけじゃないんだ」
「それは」
「ごめんね、皐月院さん」
これで、許してくれるかな? 絵理沙の顔から表情が消え、さっと赤くなる。ユーリがしまった、と思った瞬間、絵理沙はユーリの襟首をつかんでいた。
「あなたは! ユーリ君は!」
その声は、先程までのそれとは違う、どこか絞り出すような声で、思わずユーリも耳を傾けてしまうような、そんな感情を孕んでいた。
普段や、先程までの絵理沙とは違う。彼女はいつだって本音を隠している、そんな雰囲気をユーリは感じていた。だがこれは違う。まぎれもない、彼女の『ナマ』の感情だと、ユーリは直感で理解する。
「悔しくは、ないんですの!? あの女にそうやっていつも、尻拭いをさせられて、こき使われて!」絵理沙の瞳は、きつくユーリを睨んだままで、目尻が小さく煌めいている。「あなただけだったら、もっと自由に飛んでいけるのに!」
その時ユーリは理解した。絵理沙の瞳に映るダークブルーに。彼女の、本音に。
「それは、違うよ絵理沙さん。違うんだ」
「何が――」
絵理沙は、ユーリになじられることも覚悟した。失望されることだって覚悟した。彼とあの女がどれだけ仲が良いかなんて嫌程知っていたし、理解もしていた。
だからこそ、彼の優し気な瞳に、そしてその瞳に映るダークブルーに、心が灼ける音がした。
「空を飛ぶのには、いらないものは置いていかなきゃいけない。前に進むには、後ろに何かを捨てなきゃいけない」ユーリはだけど、と小さく区切って、告げる。「本当に大切なものだけは、最後まで抱えていかなきゃいけない」
それが、ユーリが空を飛ぶ理由。
「なん……ですの……」
「完全な自由は、自由から最も遠い、と僕は思う。なぜなら、そこには進むべき方向なんてものがないからだ。完全なる自由は、自由じゃない。混沌だ」
ユーリは、そっと絵理沙の手を取る。ずっと雪山にいたかのように冷えていて、小さく震えていた。
「僕はアンジーに確かに迷惑をかけられているさ。だけど、僕だってアンジーに、みんなに迷惑をかけている。でもそれが、並び立つってことだろう?」
絵理沙は、黙っている。ユーリは、そっと彼女の手を離す。
「偉そうに語っちゃって、ごめん。だけど僕はこんなんだから、さ」
大丈夫だよ。そう言うと、ユーリは彼女に背を向けて歩き出す。
そこで、くい、と袖を引かれた。
「皐月院さん?」
「話を、させてくださいませ」
アンジェリカと、というのは、いわずともわかっていた。ユーリは黙って彼女の手を取って歩き出した。




