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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
04/Chapter:"2070年お嬢様の旅"
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08/Sub:"レディーファースト"

「とりあえず休憩。夢の中とは言え、集中が切れるから」


 ユーリがそう言うと、部員たちは素直に従う。彼は少し不完全燃焼気味の様で、どこかそわそわと翼を広げたり縮めたりしていた。


「穂高君は」桜がユーリに尋ねると、ユーリは小さく首を傾げた。「吾妻先生といつもこういうことしてるの?」

「こういうこと?」


 なんだか妙な言い方をされた気がする。ユーリは少し不思議そうな表情を浮かべた後、あ、訓練の事か、と思い至る。


「うん。飛び方を教えてもらってる」

「へえ、トび方を……」


 なんだかニュアンスがおかしい気がする。頬を小さく赤らめた桜がユーリをどこかうっとりと熱に浮かされたような目で見ている。ユーリが咲江の方を振り向くと、彼女は開いたキャノピーの中でコクピットに座り、目を閉じていた。寝ているのだろうか。しかし、個々の世界はいわゆる明晰夢の様なものであるとするならば、夢の中で寝るとどうなるのだろうか。なんだか不思議な感じがしたが、気にせずに話しかけることにした。


「咲江先生」


 ユーリが話しかけると、咲江はすっと目を開いてユーリの方を振り向いた。どうやら起きていたらしい――これも変な感じだ。なぁに、と咲江が返してくるのに、ユーリは手を挙げて見せた。


「先生から見て、どうでした?」


 すると咲江は、ふむ、と小さく顎に手を当てた後、じっとユーリの方を見つめ、それから部員達に次々と目線を移していく。そうして各員を一周したところで、再びユーリを見た後、またさっきのようにコクピットシートに身を預けて目を閉じた。


「咲江先生?」

「ユーリ君。貴方が考えなさい」

「え?」

「だって教官は貴方なんでしょう? 貴方がしっかり導いてあげないと、ね」

「あー……確かに。僕に責任がある」

「その通り、手を貸すくらいはしてあげるわ」


 そう言ってどこか楽しそうに言う咲江に、ユーリはじゃあ、と部員全員に向かう。


「君は、少し周囲への観察が必要だ。空をもう少しよく観察していれば、見えてくるものもあると思う」


 空を飛ぶのに目は最も重要なセンサーの一つだ。マークワン・アイボールセンサーとも言われる、最も原始的で、最も効果的なセンサー。空を見ることは、翼が向かう先を見定めることと同意義だ。それだけでなく、各機器の状態を監視するのも目だ。そういう意味で、周囲への観察眼を養うのは重要だ、とユーリは常に思っていた。


「君は、計器への意識を割り振った方がいい。平衡感覚を失っても、機械は正しく扱えば正しい値を示してくれる。自分の感覚を信じるのは大事だが、過信するのも駄目だ」


 空は人から感覚を奪うものに満ちている。厚い雲、夜の闇、上下がわからなくなるほどの乱気流。そういう時に方位磁針として導いてくれるのは機械と言う人間の叡智だ。その両方が合わさって、人間は初めて空に上がることができる。


「君と君は、自分の飛行特性の理解を深めると良いと思う。どこまで自分の翼が空にしがみついていられるのか。それを把握できれば、空はもう少し広くなるはずだ」


 フライトエンベロープ。思えば、ブラックオウルは飛行速度によってフライトエンベロープが変化する可変翼戦闘機だ。フライト・コントロール・システムの補助があるとは言え、それを飛ばし様々な機動ができる咲江は、完全に愛機の翼を理解しているのだろう。


「で、恵那さんなんだけど」


 ユーリは最後に、カオリの方を見る。ユーリに最後まで食らいついていた少女。鴉天狗の黒い翼をだらりと広げながらも、その瞳は空に焦点を結んだままだ。ユーリは、それがどこか昔の自分の様に感じた。妙な親近感。


「もう練習あるのみだと思う。経験を積んでいけば、それに合わせて技量も上がっていくはずだ」

「……へぇ、言うじゃない」


 カオリが不敵に笑う。ユーリは少しきょとんとした表情を浮かべて、そこに過去の自分を見た。なんだかそれがおかしくて、小さく笑う。


「さ、少し休んだらもう一回飛ぼう。今度はフォーメーションを組む練習をしてみよう」

「そうだね、折角こんなの使える機会そうそうないし」


 そう言って桜が立ち上がって、他の部員が立ち上がるのに手を貸す。カオリは手を貸される前に、一人で立ち上がった。


「頑張りなさい、空は広いわよ」


 咲江がコクピットで小さくつぶやく。子供たちは滑走路を走り、空へと飛び立っていった。




「うああ疲れたあぁぁ」


 カオリが大きく背伸びをしながら言った。時刻はすっかり夕方になっていて、傾いた空の橙色がホール内を間接照明の様に照らしている。


「お疲れ、皆。VRとは言え、疲れただろうからしっかり休息をとること」

「そうだよ、脳の疲労って馬鹿にならないんだから」


 ユーリに続いて桜が言う。マネージャーの責務と言うやつだろうか。二人から同じようなことを言われた部員は一様に苦笑いを浮かべた。


「夫婦かアンタらは。同じこと言わないでもわかるから」


 カオリがふざけて言うと、ユーリはため息をついた。


「ふ、ふふ、夫婦って! 冗談ばっか言ってると練習スケジュール組んであげないからね!」


 頬を紅くした桜が叫ぶ。えっ、とユーリが横を見ると、彼女の片目が金色に淡く光っていた。えっ、とユーリが小さく思っていると、片目を輝かせたまま桜がユーリの方に振り向く。


「そうだよね穂高君!」

「え、えっと、うん……」


 ユーリはたじたじと桜に返答する。なんだろうこの感じ、とユーリは小さく疑問符を浮かべつつも、部員たちの方を向いた。


「えっと、まぁ霧島さんの言う通り、しっかり脳を休めておくこと。空を飛ぶのに頭の回転は必須だ。判断が遅れれば、それだけで命取りになりうる」

「はーい」

「穂高君が言うと説得力が違うねえ」


 部員が納得する中、カオリだけは腕を組んだまま少し不満げな表情を浮かべていた。

 全員で機器を片付け、ホールの外に出る。咲江は疲れた、と言っているがまだまだ元気そうで、少なくとも見送りにはついてくるようだ。ユーリが玄関に出ると、皆と挨拶をして別れる。


「恵那さん」


 ユーリの後ろで咲江が言った。ビクリ、と小さく肩を震わせてカオリが咲江の方を振り向く。


「こっそり練習しちゃ、駄目よ?」

「……わかってますよ」


 図星だったのか、目を逸らしながら言った。

 部員達を見送る。姿が見えなくなるまで玄関先で見送っていると、ふわりと温かい香りが鼻腔をくすぐった。どうやらどこかの家で夕飯の支度をしているらしい。


「さて、そろそろ夕飯の支度にとりかかりましょうか」

「それもそうですね。アンジーもアンナも、アリシア姉さんもお腹を空かせてそうだ」


 二人で屋敷の中に戻る。途中玄関先で、ペパーミントをいくらか摘んでいく。


「そう言えば咲江さん」


 しゃがみながら首だけ咲江の方に向けて尋ねるユーリ。なぁに、と屋敷の中の咲江が振り向いて言う。


「なんでさっき、恵那さんがまだ飛ぶ気だって、そう思ったんです?」

「だって、ユーリ君だって飛びたいと思うでしょう?」


 すると、咲江はさも当たり前の様に言う。どこか苦笑いの様な、慈愛を含ませた表情を浮かべながら。その言葉に一瞬きょとんとするも、自分が咲江に夢の中で負けた後のことを思い出して、それもそうか、と恥ずかしさと同時に納得した。あの時自分はどうしたか、結果が水泳だったことを思い出すとさもありなん、だろうか。


「まぁ、飛ぶでしょうね、間違いなく」

「でしょう? なら、止めてあげるのは教官の責任よ」


 なるほど、とユーリは思い、そういうところまで気が回らないのは確かに落ち度だ、と自省する。ユーリの鼻を、千切ったばかりのペパーミントのメントールの香りがくすぐる。冷たい香りは、落ち着け、と促しているかのようで、なんだか居心地が悪く感じられた。


「気に病むことはないわ。まだまだこれからなんだから」


 咲江について食堂へ向かう。二人で並んで手を洗い、摘んできたミントはよく洗って小さな器に盛った。それぞれのエプロンを着て、まな板や包丁、鍋を取り出す。


「ところで、なんですけれど」


 ユーリが隣でジャガイモの皮を剥きだした咲江に尋ねる。


「なんで、僕と恵那さんが同じような思考になるって、そう思ったんです?」


 そう尋ねると、咲江は少し恥ずかしそうに、だけどどこか嬉しそうに答えた。


「だって、私も飛びたいと思うもの」


 今度は、ユーリが苦笑いを浮かべる番だった。

 黙々と夕飯を作る。今晩の夕飯はカレーだった。昨日から塩コショウで揉んでおいた豚バラの、一口サイズの切り分けブロックを、少しだけ油を引いた鍋に入れて炒めていく。横では咲江が玉ねぎとニンジンをカットしていた。斜めに引かれる、よく研がれた包丁が音をほぼ立てずにすぱすぱと野菜を適当な大きさまで切っていく。


「おっ、良い匂い」

「アンナ、お帰り」


 台所にひょっこりと顔を出したのはアリアンナだった。丁度タイミングよく、電子レンジが鳴る。ミットを付けた咲江が電子レンジから取り出したのは、タッパーに入れられたニンジンや玉ねぎだった。中まで火が通って、甘い香りの湯気を立ち上らせている。


「ボクも手伝おうか?」

「あ、じゃあ手を洗った後、お米をお願いできるかしら?」


 咲江が言うと、アリアンナはイエスマムと返し、咲江は苦笑いを浮かべた。鍋で豚バラブロックにまんべんなく火を通そうとしているユーリの横で、手を洗ったアリアンナが米を研ぎ始める。


「んんー、良い匂い」


 アリアンナがユーリの方に顔を寄せて鼻を鳴らす。


「あら? それはお肉かしら? それともユーリ君かしら?」

「コース料理なら、どっちも頂ける、そう思わないかい?」

「ユーリ君は食後のデザート、ってところね」


 咲江のジョークに、アリアンナがどこか色っぽく返す。二人は一瞬顔を見合わせた後、くすくす、と愉し気に笑い出す。アンジェリカと咲江に続いてアリアンナ。ユーリはある意味気が気ではなかった。ただ背中に流れる冷や汗の感触から目を逸らしつつ、一心不乱に肉を炒める。


「はい、これどうぞ」

「ありがとうございます」


 十分肉に火が通ったところで、咲江が電子レンジで火を通しておいた野菜を鍋に入れ、しばらく肉の油となじませる。そうして少し玉ねぎの表面に焦げ目がついた頃、水を入れた。狐色の油が浮く。ローリエの葉を二枚ほどと、種を除いた鷹の爪を入れて、蓋を締める。丁度アリアンナも、米を研ぎ終わって炊飯器のスイッチを入れるところだった。


「えーと、給水含めて……一時間半かぁ、シャワーでも浴びようかな」


 アリアンナが言うと、ユーリもそうだね、とつぶやく。寝汗の様にかいた汗の感触がして、なんとかそれを流したい気分ではあった。


「じゃあ、交代でお風呂に入りましょう? 鍋を見ている誰かが必要だもの」

「賛成」

「ボクはずっと家にいたから、後でいいよ」


 咲江の提案に二人は同意する。


「なら、咲江さん、お先にどうぞ」

「あら? 良いの?」

「レディーファースト」


 ユーリがカッコつけて、わざとらしく言うと、咲江は柔らかにほほ笑んだ。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね、小さな紳士さん」


 そう言ってごく自然に、ユーリの頬にキスをして咲江は台所から出ていった。


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