04/Sub:”放課後"
教室へ向けて歩いていく。どうもユーリのクラスは掃除が随分早く終わったようで、ぞろぞろと各教室の掃除当番がゴミ箱を持って集積場に行く中、その流れに逆らう様にして教室へ戻っていく。あまり多くのゴミが出なかったゴミ箱は、空になったものの行きと比べてあまり重さは変わらないように感じた。
階段を上がる。階段の上から、見覚えのある青色が降りてくる。
絵理沙は踊り場にいるユーリの姿を見つけたとたん、その青い瞳を歪ませた。
「あなたはっ――」
ゴミ箱を両手で抱えていた絵理沙がユーリに気を取られた。足元は見えず、それまでの歩幅が急に乱れて、いともたやすく彼女は階段から足を滑らせた。
ユーリの動きは一瞬だった。空になったゴミ箱を手放し、階段を駆け上がる。スローモーションになる世界。咲江との空戦でしばしばこういう状況は経験していた。落下してくる絵理沙。変な姿勢で手放されたごみ箱。ユーリは体幹を一切ブレさせずに、絵理沙の軌道上に両腕を広げて自分を割り込ませる。
衝撃。予想していた強度のそれを、階段で踏ん張った足で押さえつけた。しっかりと彼女を抱きとめて保持。ゴミ箱が踊り場で盛大な音を立てて転がった。
「大丈夫?」
ユーリの腕の中で、顔を青くした絵理沙が小さく頷く。一気に恐怖が追いついてきたのか、息を荒げて腕の中に伝わってくる心臓の鼓動は激しい。
「足元に気を付けてね」
ユーリが彼女をゆっくり踊り場で離すと、彼女はぎこちなく小さく頷く。足元にある散らばったゴミを、ユーリは拾って入れ直していく。
「はい、これ……って、厳しそうか。僕が持っていくよ」
「そ、そんなことありませんわ!」
ユーリが絵理沙に向かって言うと、彼女はむきになって顔を赤くして叫んだ。コロコロと変わる表情にユーリは少しおかしく感じながら、自分の分と合わせてゴミ箱を掴む。
「右足を庇ってる。痛むんでしょ? 保健室に行こう」
「別に、これくらい……!」
そう言って無理に立とうとする絵理沙だが、体幹が傾いているのがよくわかる。生憎ここは階段の踊り場。これでまた転ばれたらたまったものではない。
しょうがない、か。ユーリは自分のクラスの、空になったゴミ箱に絵理沙のゴミ箱を重ねて片手でつかむ。
「失礼」
「な、何をして……きゃあああっ!?」
ユーリはかがんで絵理沙の脇腹に肩を当て、股に片腕を通し、そしてそのまま米俵でも肩に担ぐかのように彼女を持ち上げた。ファイヤーマンズキャリー。練習はしていたが、絵理沙は軽い物だった。
「降ろしてくださいまし!」
「駄目だ。このまま君を保健室に連れていく」
暴れる絵理沙を意に介さず、開いた片腕でゴミ箱を掴んで階段を降りていく。道中生徒が奇異の視線をユーリ達に向けてくるが、一部の運動部生と思われる体格のいい生徒達は感心したような目で見てくる。防災訓練をまじめにやっているようだ。
「うう……私ともあろうものが……」
恥ずかしそうにうめく絵理沙に、ユーリは真面目な救助活動なのに何をそんなに恥ずかしがることがあるのか、と小さく疑問符を浮かべた。
階段を降り、保健室へ。保健室前にゴミ箱を置くと、失礼します、と言って片手で保健室のドアを開く。保健室には女医が一人、暇そうにデスクに向き合っていた。
「あら、見事なファイヤーマンズキャリー」
「すみません、皐月院さんが足を捻ったようで」
「わかったわ、ベッドに座らせて」
絵理沙はなされるがまま、と言った具合で、ユーリはそんな彼女を捻った右足を地面に触れさせないようにしながら、ゆっくりとベッドに腰掛けさせる。
「ほら、見せて……って、あら、ストッキングの上からもわかるくらい腫れてるわね」
女医が絵理沙の足を見て言う。彼女は白いストッキングを履いていたが、先程見た時に比べて明らかに右足首が腫れている。どうやら盛大にやったらしい。やはり担いできて正解だったな、とユーリは思った。
「貴方は?」
「穂高ユーリです。階段で皐月院さんが落ちてきて、それを受け止めました」
「……間違いありませんわ」
足首を氷のうで冷やされながら、絵理沙が答える。保険医はさらさらとカルテに何かを記載していた。おそらくクラスや名前、怪我の種類だろう。
「まぁ、今後は足元に気を付けることね。ほら、湿布を貼るから」
そう言いながら保険医がベッドのカーテンを閉める。ユーリはもう自分の出番はないかな、と思い、これで失礼します、と言って保健室を出ようとした。
「あ、あの!」
カーテンの中から声。ユーリは、黙って振り返った。
「あ、ありがとうございますわ……」
どういたしまして、とだけ返すと、ユーリは保健室を出た。
二人分のゴミを片付けに再び集積場に向かい、二つのゴミ箱を持って教室に戻る。先に絵理沙のクラスに行くと、掃除当番と思われる女子生徒が一人、不思議そうな表情でユーリを見つめてきた。他の班員はどうも先に帰ったらしい。ユーリは彼女に、絵理沙が階段から落ちて足首を捻り、保健室にいるということだけ伝えた。動揺する彼女を尻目に、ユーリはゴミ箱を置いて立ち去る。
自分のクラスに帰ると、すっかり掃除は終わっていた。クラスには同じ掃除当番の班員がユーリのことを待って居た。
「お待たせ」
「時間かかったね、そんな混んでた?」
女子生徒の一人がユーリに聞いてくる。ユーリはいや、と混んでいたことは否定する。
「階段から落ちた子がいて、保健室に運んできた」
「階段から!? 大丈夫なのか!?」
先程ユーリを陸上部に誘ってきた男子生徒がユーリに尋ねる。女子二人も、心配そうな表情を浮かべていた。足を捻っただけだよ、と言うと、皆安堵の表情を浮かべる。
「それにしても、運んだ、って、背負ったの?」
女子生徒の一人が不思議そうにユーリに尋ねる。ユーリは別に、と得意げな表情も浮かべずに、淡々と続ける。
「防災訓練で習ったでしょ、ファイヤーマンズキャリー」
「あー、あれか、もうすっかり忘れてるわ」
男子生徒が苦笑いを浮かべる。女子二人も少しきょとんとした表情を浮かべていた。
「え、穂高くんあれできるの?」
「うん」
「お前、やっぱ陸上部入れ」
女子生徒の問いに答えると、男子生徒が真顔で再びユーリに迫る。ユーリは彼をあしらいつつ、ごみ箱を定位置に戻す。
「お待たせ。これで掃除は終わりかな」
「うん、お疲れ」
「お疲れー」
そう言って各々――男子生徒だけはまだ少し不満げではあったが――教室から出ていく。ユーリは自分のロッカーから、黒いバッグを取り出す。
中に入っていたのは、フライトスーツ一式。それを抱えて教室を出て、昇降口へ。後者の外に出て飛行部の部室へ向かう。飛行部の部室の重い金属製のドアを、しっかり音が鳴る様にゴンゴンと叩く。
中からいいぞ、とアルマの声。
「失礼します」
そう言って中に入ると、そこには数人の飛行部員がホワイトボードの前で何やら話し込んでいた。その中には桜の姿もいて、彼女はユーリを見るとぺこりと頭を下げた。ユーリもつられて、アルマを見ると頭を下げる。
「お疲れ様です」
「おう、穂高もお疲れ様。今日はありがとな」
「そういう約束ですから。気にしないでください」
ユーリが小さく肩をすくめると、アルマは豪快に笑った。
飛行部はガタイのいい女子部員だけで構成されている。男女比に偏りがあるのもそうなのだが、女子部員がもともと多い中で男子部員が敬遠して入ってこなくなったらしい。ユーリとしてはあまり気にもしていなかったが、そんなものなのだろうか、と桜の話を聞いた時には無理矢理納得していた。
部室内には天狗やワイバーン、ドラゴンなどの飛行種族の女子生徒がフライトスーツを着て今日のスケジュールを話し合っていた。桜はマネージャーとして、彼女等を上手く取り仕切っていた。ユーリはその横を通り抜けつつ、桜に更衣室を使っていいか尋ねる。
「うん、いいよ」
ありがとう、と礼を言いつつユーリは更衣室に入る。ロッカーの前でバッグからフライトスーツを取り出すと、制服を脱ぐ。インナーを着てその上に機関部とハーネスを取り付けようとした、その時だった。
「穂高君っ!」
盛大に音を立てながら更衣室のドアが開かれる。そこにはどこか興奮したような、覚悟を決めたような表情の桜が立っていて、ユーリは思わず小さな悲鳴を上げた。
「き、き、霧島さん?」
「ほほほ、穂高くん、そ、その!」
そう言って両手をわきわきと動かしながらにじり寄ってくる桜。ユーリは思わずたじろぐが、彼女は彼の瞳を真っすぐ見据えて言う。彼女の片目はまぶしいほどに金色に輝いていた。
「フライトスーツ、着させてっ!」
「え、ええ、いいよ?」
思わず気おされるようにして言ってしまったが、直後に桜がいいの、と元気よく聞いてきたところでどこか致命的な何かを間違えてしまった気分になった。そうこうしているうちに、彼女はフライトスーツのハーネスと機関部を手に取る。
「じゃ、じゃあいくよ」
そう息を荒げながらにじり寄ってくる桜に、ユーリは早くも後悔を覚え始めた。インナーをさせてくれ、と言われなかった辺りまだましだったのかもしれない、と頭を切り替えて大人しくハーネスと機関部の装着にかかる。
「ほうほう、ここが……へぇ……」
どこかねっとりとした触り方をされ、どこかむずむずとした感触を覚えつつも、それはそうとしっかりフライトスーツを着用させてくるのに、なんだかユーリは変な気分になる。思わず雰囲気をごまかしたくて、桜に尋ねた。
「ねえ、霧島さんはさ」
そう言うと、彼女の手が止まり、ユーリの方をゆっくりと見上げた。
「どうして、飛行部のマネージャーになったの?」
彼女は、小さくどうしてかぁ、とつぶやいた。手を止めたまま、しばらく中空を見つめていると、意を決したように、どこか漏れ出るようにしてつぶやいた。
「飛ぶのが好きだったからかなあ」
「空が?」
「うん。みんなが飛ぶのだけじゃない。飛行機が空を飛ぶのも、鳥が空を飛ぶのも、私は好き。私は飛べないけど、そういうのをどこまでも近くで見たくて、マネージャーになったのかも」
うすうす勘づいてはいたが、ここでユーリは心の中で、桜と言う少女に対する見方が変わったのを感じた。空を見上げるもの。
「はい、できたよ」
「うん、ありがとう」
フライトスーツの装着が終わる。手慣れているかのようにしっかりと装着されたフライトスーツに、ユーリも自分で確認してダブルチェック。特に問題はない。
「しかし、どうしてまた急に僕のスーツを?」
「いやだって、穂高君のそれ、お下がりとは言え軍用品じゃない」
こんな貴重な機会、ないからね。彼女は、とても生き生きとした表情で言った。




