表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
03/Chapter:"義妹を継ぐもの"
123/217

33/Sub:"オフィスワーク"

「う、ううう……」

「げっ」


 ふと。アンジェリカに肩を貸してもらっていたアリアンナから声が漏れた。明らかに危険な、特定の生理現象に至る過程をほうふつとさせる、小さな苦悶の声。ユーリとアンジェリカ、咲江は思わず顔を見合わせる。


「アンナ、深呼吸ですわ、深呼吸。いいですの? そう、ゆっくり、吸って、吐いて」

「すぅ……うぷっ」

「袋取ってくるわ」


 息を吐こうとした瞬間、アリアンナの顔がさっと青くなる。先程から妙に静かだと思ったらこれか。よく見ると両目の焦点があっておらず、これはかなり危険そうだ。咲江は戦闘機から降りてきた後とは思えない速さでハンガーの方に走っていった。


「はぁ、はぁ、うぷっ」


 決壊寸前。そんな言葉が当てはまりそうな状況に、アンジェリカとユーリはアリアンナを落ち着かせるしかできない。咲江はまだ戻ってこないが、間に合いそうにはない。

 どんどん青くなっていくアリアンナに反比例して、アンジェリカの顔が煤けた笑顔になっていく。


「……ユーリ、汚れたわたくしでも、好きなままでいてくださいます?」


 儚く笑うアンジェリカに、ユーリは小さく違う、そうじゃない、と思った。


「ええい、ままよっ!」

「ユーリ、何を――」


 アンジェリカが支える決壊寸前のアリアンナ。それにユーリはさっと顔を近づけると、その口に自分の口を当てた。アリアンナの眼が小さく見開かれるが、ユーリとしては、気分は人工呼吸だった。

 ゆっくりと、口移しでアリアンナの中に自身のドラゴンブレスを注ぎ込んでいく。ゆっくりと体内を冷やしていき、吐き気を抑えていく。荒く不規則だったアリアンナの呼吸が落ち着いて、ゆっくりと安定したものへと変わっていく。

 ユーリはゆっくり口を離す。透明な意図が名残惜しそうに橋を作って、小さく途切れる。


「落ち着いた?」

「……うん」


 小さく頬を染めて頷くアリアンナ。


「アンナちゃんはー……大丈夫そうね」


 水の入ったボトルと中の見えない袋を持って走って戻ってきた咲江が言う。彼女はアリアンナに静かにボトルを差し出すと、アリアンナはそれを力なく受け取ってごくごくと喉を鳴らして飲み干す。


「あー……ようやく落ち着いた」

「急にGが増減すると、三半規管が狂うからね。こればっかは訓練しかないよ」


 アリアンナに対してユーリが言うと、彼女は力なく笑った。空になったペットボトルを受け取って、ユーリは蓋を締める。


「……ん」


 アリアンナが目を閉じて小さくユーリに突き出す。肩を貸しているアンジェリカが彼女の方を軽く睨むが、アリアンナはお構いなしにユーリにキスをねだる。ユーリはため息をついて、アリアンナの唇にペットボトルの蓋を押し付けた。


「ここまでだよ、アリアンナ」

「ちえー」


 そう言って小さくむくれるアリアンナは、すっかり落ち着いたようだ。ただ、ユーリのドラゴンブレスで冷やして水を飲ませただけなので、それが無くなる前に平衡感覚が元に戻らなければまた気持ち悪くなるだろう。


「アンジー、アンナを早く休ませてあげて。横にならないとまた気持ち悪くと思う」

「わかりましたわ。ほら、行きますわよ」

「うぇぇ。ユーリにぃ、後でもっかいちゅーしてぇ」


 そう言いながら引きずられていくアリアンナを、ユーリは小さく手を振りながら見送った。ユーリの横に咲江が歩いてきて、並んだ。


「随分腕を上げたわね」


 咲江が言う。今日の試験で、確かにユーリは咲江に食らいついてみせた。何もできずに翻弄されていた最初に比べれば、大きな進歩かもしれない。


「でも、まだ墜とせません、か」

「ふふ、そう簡単に墜ちはしないわよ」


 手厳しいなあ、とユーリは小さく苦笑いするが、これは同時に咲江が全力を出すにふさわしい相手だと認識してくれているということだろう。大人しく誉め言葉として受け取っておくことにした。


「今回」ユーリが小さく口を開く。「人に飛び方を教える機会がありました」

「ほう?」


 咲江が興味深そうに声を上げる。


「教えるって、結構意外なことを気にしないといけなかったり、大変でしたよ」

「そんなものよ。自分のことだけじゃなく、生徒のことも考えなきゃいけない。先生ってのは、そういうものよ。ユーリ先生?」


 楽しそうに言う咲江に、ユーリは小さく肩をすくめた。

 二人はハンガーに向かって歩き出す。遠くで別の戦闘機が降りてくる音があたりに響きわたる中、小さく航空燃料の臭いが吸い込む空気に混じる。ハンガーの中に入ると、明るい外から暗い中に入って一瞬視界が暗くなるが、すぐに目が慣れた。


「じゃあ、また後でね。ユーリくん」

「はい、咲江さん」


 別れてユーリは一人、更衣室に向かった。

 更衣室でユーリはさっとフライトスーツを脱ぎ、普段着に着替えて外に出る。全身に心地よい疲労感が降りてくる中、基地の待機室に向かうとそこではアンジェリカとアリアンナがユーリのことを待っていた。二人とも普段着に着替えている。アンジェリカは端末を見ているが、アリアンナはソファーで横になっていた。


「アンナ、大丈夫?」


 ユーリがアリアンナに声をかけると、ふらふらと手を挙げた。


「ユーリにぃがキスしてくれたら良くなるかも」


 アンジェリカの片眉がピクリと動くのを、ユーリは視界の端で見逃さなかった。そこで小さくユーリは悪戯っぽい笑みを浮かべると、アンジェリカにウィンクをする。アンジェリカが不思議そうな顔を浮かべる中、ユーリはかつかつとアリアンナの下へ近づく。

 す、とユーリが腰を曲げて上体を倒し、そしてそのままベッドに仰向けに寝転ぶアリアンナの唇にキスをした。触れるような、優しいキス。目を丸くするアリアンナ。ユーリはしばしアリアンナの柔らかな唇の感触を味わうと、そっと唇を離した。赤い瞳を白黒させているアリアンナが思わず唇に手を当てる中、ユーリは悪戯そうに笑う。


「うん、その様子だと、元気は出たみたいだね」

「……うん」


 頬を紅く染めるアリアンナに、それはよかった、とほほ笑むユーリ。信じられない物を見た、と言わんばかりの表情を浮かべるアンジェリカに、ユーリは悪戯っぽく笑ってみせる。


「お待たせー……って」


 お取込み中だったかしら。軍制服に着替えて入ってきた咲江が言うのに、ユーリは丁度済んだところです、とだけ答えた。

 ため息をつきながらアンジェリカが立ち上がる。部屋を出た咲江に続くが、アリアンナはまだどこか夢見心地の様に上体を起こしただけでぼんやりとしていた。


「ほら、行こう」


 ユーリがアリアンナの手を取り、立たせる。小さくバランスを崩しながらもすぐに立て直すと、彼女はユーリに手を引かれて、基地の廊下を歩く。


「ねえ、ユーリにぃ、さっきの」


 アリアンナがユーリに尋ねるのに、ユーリは落ち着いた声で言う。


「ん? アリアンナは嫌だった?」

「……すごく、良かった」


 そう言って顔を逸らすアリアンナは、頬を紅く染めていた。

 咲江とアンジェリカに追いつき廊下を進み、基地の事務室に入る。そこでしばし、咲江と別れて技術者の話をいろいろ聞いて、書くものを書いて、そこでようやくデブリーフィングと報告が終わった。外部協力員とはいえ、ユニオン軍の名目で飛ぶならいろいろやるべきことはある。アンジェリカにもいろいろと聞かれていた。どうやら霊服とフライトスーツの霊的リンクの具合についてらしい。アリアンナにもいくつか質問があったが、あまり長くはなかった。

 書くものを書いて、三人でオフィスの片隅の応接スペースで咲江を待っていると、咲江が戻ってきた。


「ふぅ、こっちは終わったわ。書類仕事ってのは、やっぱり肌に合わないわ。お疲れ様」

「そちらもお疲れ様です。咲江先生」


 仕事を終えた咲江はどこか、空から降りて来た時よりも疲れているように見える。書類仕事が大変なのはわかるが、またそれも空を飛ぶための義務の様なものだ。受け入れるしかないのは、ユーリにも咲江にも、アンジェリカにもわかっていた。


「さ」咲江が皆を見渡しながら言う。「帰りましょうか、私たちの家に」


 ぞろぞろと咲江について歩き出す。基地の保安ゲートを警備兵に挨拶をしながら通って、駐車場へ。咲江のSUVに助手席にユーリ、後部座席にアンジェリカとアリアンナがぞろぞろと乗り込んで、静かに車は走り出した。

 車は下道を走り、高速道路に入り、走り続ける。車内で流れるラジオを淡々と聞き、たわいもない話をし、そしてようやく帰る街が見えてきたころ、ふっと漏らす様にアリアンナが言った。


「疲れたぁ……」


 それを聞いたアンジェリカは、隣で小さく笑みを浮かべた。


「これが空を飛ぶということですわよ、アンナ」

「そうだねぇ。やっぱ、遠いなぁ」


 アリアンナはどこか遠い目でユーリの背中を見つめる。なぁに? とユーリが後ろを振り向いてくるが、何でもないよ、と返した。


「大丈夫よ、アンナちゃん」咲江が運転しながらアリアンナに言う。「貴方が空を飛びたいと思うなら、私とユーリ君でしっかり鍛えてあげる」

「はは……」


 アリアンナは苦笑いを浮かべるが、ユーリの背中を見て、小さく目を細める。


「それも、いいかもしれないですね」

「あら? ではわたくしが教えて差し上げてもよくてよ?」

「ボクはユーリにぃがいいなぁ」


 ユーリが思わず小さく笑うと、咲江も楽しそうに言った。


「あら。モテモテね、ユーリ君」

「……それ、わかって言ってます?」

「ええ。とっても」


 車が高速道路のサービスエリアに入り、駐車場に滑り込む。ちらりとユーリの方を咲江が振り向いて、その表情はほほ笑んでいるが、真剣そのものだった。


「少し、休憩しましょうか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ