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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
03/Chapter:"義妹を継ぐもの"
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29/Sub:"刺激的な午後"

 アリアンナの手を引いて来客でごった返している校内を歩く。


「ちょ、ちょっと、ユーリ兄さん」


 しばらく歩いた頃で、アリアンナがユーリに話しかけてくる。そこでユーリはようやく足を止めて、アリアンナの方を向き直った。周囲に人影はなく、どうやら倉庫や上級生のエリアまで来てしまったらしい。上級生は受験もあるので、基本的に文化祭の出し物はやらないか、やっても淡泊だ。加えて校舎の端なので、ここまでくる人は皆無だった。


「頭は冷えた? アリアンナ」


 ユーリが腰に手を当ててアリアンナを見つめると、アリアンナは困ったように頬を掻く。先程とは違って、どこか恥ずかしがっているような彼女に、ユーリは小さく疑問符を浮かべる。


「どうしたの」

「いや、その……」どこか頬を薄く染めて、アリアンナが呟く。「ユーリにぃの手、あったかかった……」


 ユーリは思わず自分の頬に掌を当ててみる。温かいのか冷たいのか、よくわからない。あまり手が温かいとかどうだとか気にしたことはなかった。ユーリは小さくため息をついた。

 校舎の周囲は静かだ。人っ子一人いない廊下で、二人。


「ねぇ、ユーリ兄さん」


 アリアンナが言うのにユーリが振り向くと、ユーリの顎にそっと彼女が触れる。くい、とユーリの顎を持ち上げる。戸惑いの表情を浮かべるユーリ。それに対してアリアンナの表情は、楽し気なままだ。


「折角だから、さ」そっと、唇をユーリのそれに近づける。「さっきの続きと洒落込まないかい?」


 ユーリは小さく眉を顰めると、そっとアリアンナと自分の口の間に手を滑り込ませると、彼女を引き離す。掌に柔らかく、熱い感触。彼女を引きはがし、少し呆れたようにユーリは言った。


「ふざけすぎだよ、アリアンナ」


 ほぅ、と小さく息を吐きだす音。次に、小さく間を置いてアリアンナの表情から感情が抜け落ちた。直感的に、ユーリは何かアリアンナの気に障ってしまったと理解する。がらん、と手から離れた看板が床に落ちて、音を立てた。音は静かな廊下に小さく響いて、すぐに遠くから聞こえる雑踏に紛れて、消える。

 上を見上げるアリアンナ。瞳を閉じて、それからゆっくりと開いて、ユーリに向き直った。一つ一つ、言葉を選ぶようにして彼女は言う。


「ねえ、ユーリ兄さん」アリアンナの紅い瞳は、どこか潤んでいるようにも見えた。「ボクは、ふざけているように見えたかい?」


 ユーリは、押し黙る。ゆっくりと、アリアンナがユーリを押す。ユーリの胸元を押して、壁に押し付けてくる。紅潮している頬と、わずかに潤んだ瞳。彼女のかぶっていた帽子が、パサリと床に落ちた。


「ボクのどこまでが本気で、どこまでがふざけてると思う?」

「……」


 アリアンナの、請うような問いに、ユーリは沈黙で返す。


「ずっとユーリ兄さんはそうだったよね。ボクの手を引いて、ボクより前を歩いて、ボクの心の中に居座って……!」


 どこか請うように、そう言うアリアンナ。


「ねえ、ユーリ兄さん、ボクを見てよ。こんなに大きくなったんだよ? 背もおっぱいも、身体も、アンジェリカ姉さんよりも大きくなったんだよ?」


 アリアンナの、紅い瞳。どこか薄く輝いて、ユーリの金色の瞳を映す。喧騒から遠く離れた校舎の端で、二人は身体を触れさせる。


「さっきのボク、ふざけているように見えた?」

「……いいや」


 ユーリが小さくつぶやく。ユーリの胸元にあてられたアリアンナの手が、請う様にユーリの服の布地を握りしめた。


「ねえ――お兄ちゃん」


 次の瞬間、アリアンナはユーリの唇を奪った。求めるような、まるで砂漠に迷った旅人がようやくたどりついたオアシスで水を飲むときの様な、深いキス。何度も、形を、味を、熱を確かめるかのように自分の唇をユーリの唇に押し当てる。ユーリの胸板で潰れるアリアンナの柔らかい胸部越しに、彼女の心臓の鼓動がロックンロールのビートの様にユーリの肺を揺らす。アリアンナの甘い匂いが、ユーリの鼻腔一杯に広がった。そっと、ユーリはアリアンナの肩に手を回した。アンジェリカとし慣れた、深くお互いを確かめるようなものではない、どこか稚拙なそれを、ただ彼は受け入れ続ける。


「……」


 どれだけそうしていただろうか。ゆっくりとアリアンナが唇を、少し名残惜しそうに離した。その甘い感触が、ユーリの唇に残響の様に残った。


「これが、ボクの気持ち」アリアンナは、ユーリを抱きしめる。「答えは、聞かないよ」


 そう、アリアンナが言った瞬間、ユーリはアリアンナの肩に回していた手を、彼女の背中に回す。そのままぎゅっ、と、自分の方に抱き寄せる。


「おにい、ちゃん?」


 小さく震えるアリアンナの声。それにユーリは大丈夫、と小さく返す。そうしてゆっくりアリアンナの後頭部を撫でた。彼女の柔らかい髪は、まるで上質な絨毯を撫でているようだ。昔から、そうしていたように。彼女をなだめていた時のように、ゆっくり頭を撫でていく。


「大丈夫。大丈夫だよ、アンナ」


 ユーリが優しく声をかけるのに、アリアンナの腕に小さく力が入った。


「ちゃんと、答えを出すよ、アンナ」


 みんなで幸せになる。それが難しいことだとはわかっていた。

 だけどアンジェリカが望むなら、やるしかあるまい。それに、これはユーリにとってもしたいことだ。


「少しだけ。ほんの少しだけ、待ってて」


 だって、きっとみんなで行く空は、それはとても、美しいだろうから。

 時刻を告げるチャイムが鳴る。しまった、そろそろフライトの時間だ。行かなければ。ユーリはそっとアリアンナから離れると、そっと看板と、アリアンナの帽子を拾う。看板には『メイド&執事喫茶』の広告。


「アリアンナ。僕のクラスの出し物に行っておいで。きっと、いいものが見れるはず」


 ユーリは、そっと看板をアリアンナに渡した。それで、両手で持った彼女の帽子を、彼女の正面からかぶせてやる。真っすぐ、彼女の顔がよく見えるように。


「うん、やっぱり」ユーリは、アリアンナを正面から見ながらほほ笑む。「王子様、似合ってるよ、アンナ」


 ユーリはくるりと踵を返してスカートをふわりと翻させると、アリアンナに微笑んだ。


「じゃあ、行ってくるよ、アリアンナ!」


 ユーリは駆け出す。しっかりとした足取りで、まるで風の様に。あっという間に廊下の角を曲がって見えなくなって、そこには一人アリアンナが残された。彼女は、被せられた帽子をそっと脱ぐと、目の前でじっと見つめる。思い出すのは、昔の日々。

 吸血鬼としてまだ未成熟で、太陽を避けていた昔。姉の幼馴染だったユーリが、アリアンナの誕生日に買ってくれたのが、つばの広い帽子だった。その時も、こうやって被せてくれた。そんなことを思い出す。

 彼女は、静かに帽子を見つめた後、そっと自分でかぶり直す。きざに恰好つけて、少し斜めに。彼女の目に、もう迷いの光はない。

 看板を拾うと、アリアンナは駆け出した。

 ――ユーリは校舎内を駆ける。小走り以上、疾走未満。来客にぶつからないように気を付けつつ、昇降口から表へ。走り抜ける銀色の影に人々が視線を時折奪われるのを背中で感じながら、ユーリは校庭にたどり着いた。

 既に校庭の周囲は飛行部の展示飛行を見ようとする観客でごった返していた。ユーリは人ごみの合間を縫うように進む。校庭の端、部室のある棟の横を駆け抜け、飛行部の部室へ。


「――ごめん! 待たせた!」

「危なかったぞ穂高、もう少しで……って、えええっ!?」


 部室内はすでにスタンバイしていた飛行部員で一杯だった。そこに飛び込むユーリ。一斉に彼に視線が向けられるが、彼の恰好で一同の表情が固まる。それは中央で陣取っていたアルマ部長と桜も例外ではなく、ユーリの恰好を見て固まる。


「ほ、穂高なのか? その、お前は……」

「ええ穂高ユーリですよ! すみません、すぐ着替えます!」


 そう言ってウィッグを取るユーリ。部室の奥の更衣室に部員をかき分けて入ると、そこには唖然とする部員たちが残された。


「……可愛かったね、穂高君」

「……うん」


 部員達のユーリを見る目が、少し変わった。

 ユーリは更衣室に入ると、するするとメイド服を脱いでいく。あっという間に下着一枚になると、自分に急遽割り当てられた開きロッカーの扉を開く。そこに仕舞われていたのは、愛用のいつものフライトスーツ。ユーリはインナー部を取り出すと、手慣れた様子でそれを着る。身体にぴったりと張り付き、まるで第二の皮膚の様にユーリを包み込んだ。ユーリが霊力を流すと、小さく青白い火花が散り、スーツが身体にフィットする。機関部とハーネスを取り出して、スーツのインナーに接続していく。


「穂高君!」


 勢いよく入ってきたのは、桜だった。その表情に照れなどはない。真剣に目の前のことに取り組む、プロフェッショナルの目だ。


「フライトスーツ、手伝おうか?」

「良かった。ハーネスの点検をお願い」


 ユーリはてきぱきとフライトスーツを着ていく中、着たフライトスーツの各所ハーネスがしっかりと閉まっているか、桜が一つずつユーリと手分けして確認していく。ユーリと合わせた、ダブルチェック。すべて問題なし。


「よし、大丈夫」


 桜がそう言うと、ユーリはありがとう、と小さく返す。最後に腕に電子航空免許を巻いて、起動。電池残量は十分。霊力を流し込むと、充電モードに切り替わる。機関部に霊力を流し込み、生命維持などの術式が起動するのを確認後、ユーリは小さく息を吸った。

 ぶわりと霊力が舞う。青白く輝き、風花の様に宙を舞う。ユーリの側頭部から一対の角が伸び、足の様に太い尾が臀部から生え、両手両足が鱗に覆われていく。そうして最後に、竜の翼が肩甲骨の下ほどから、淡い光と共に生え、ばさりと空気を揺らした。


「きれい……」


 小さく、桜が呟く。ユーリは翼を伸ばしたり縮めたり、ストレッチを行う。十分に身体をほぐしていき、最後に深呼吸を行った。


「ユーリ君、はい、これ」


 桜が渡してきたものを受け取る。ユーリが普段使う飛行用バッグに似ているが、そこからコードが伸びていて、先には握力トレーニングのそれの様なハンドグリップ。それをバンドで右手首に括り付け、右手で軽く握る。


「充填は済んでるから、握れば煙が出るよ」

「ありがとう。霧島さん」

「礼なんていいよ。これが役目だし」


 そう言って小さく微笑む桜に、ユーリはニッと笑いかけると彼女の横を通って部室に戻る。部室では、他の部員たちが同じようにスモークを装着して、待機していた。


「お待たせ、みんな」

「ええ、準備万端よ。いつでも飛べるわ、隊長」


 カオリがそうニヒルに笑う。他のメンバーも、応、と勇ましく叫んだ。女子なのに男子顔負けの熱気だ。ユーリは小さく苦笑いしつつ、アルマの横に並ぶ。


「みんな。僕たちはやれることはやった。ベストを、最善を尽くした」


 決して長くはないが、短くもない期間。それはこの時のために。


「空を飛ぶために必要なものを、すべてこの場にそろえることができた。僕から言うことは一つだ」


 ユーリは、皆の顔を見回して、小さく息をつく。


「――楽しもう」


 力強い返答が、部室内に満ちた。


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