25/Sub:"刺激"
グラウンドの真ん中で、飛行部の部員が集まって何やら話し込んでいる。ユーリは近くまで来ると、アルマに声をかけた。
「部長、何かありましたか?」
ユーリが声をかけると、彼女は丁度良かった、と言わんばかりに笑みを浮かべる。
「おお、良かった穂高! 丁度呼びに行こうと思ってたんだ!」
そう言ってアルマがユーリの手を引いて集団の真ん中に引きずり込む。
「本番に向けて、最後の打ち合わせをしておこうと思ってな」
「ブリーフィング、ですね」
「ブリ……? まぁ、そういうのだ、お前に頼みたい」
アルマ部長がそう言うと、部員達が一斉にユーリの方を向く。部員達の中には、カオリの姿もあった。ユーリは、小さく息を吸うと、声をはっきりと出し、ブリーフィングを始める。イメージするのは、いつもテストフライトにユーリを連れ出すときの咲江の姿。
「ブリーフィングを始めるよ」
ユーリが放し始めると、皆一斉にユーリの方を向いて静かに彼に傾聴する。
「当日の飛行プログラムに関してはみな頭の中に入っていると思う。当日のルートに関して変更はない。皆、手筈通りに飛ぶこと」
ユーリが指で空を指すと、皆の視線が空を向いた。視線の先には雲の多い空。
「文化祭前夜、周辺では雨が予想されている。朝までには止むだろうけど、問題はその後」
ユーリは発表されている天気予報だけではなく、各種予測モデルにも目を通していた。そうなると懸念点が一つ。
「当日、この辺に日中に南風が入り始める。温かく湿った空気だ。大気密度が濃くなることが予想される。前日の雨の影響もあって、空力にも影響してくるだろう。各自、フライトエンベロープ、並びに飛行関係の術式制御には注意すること」
何か質問は? そうユーリが尋ねると、部員の一人が手を挙げた。ユーリは発言を促す。
「湿度の高い空気が、入ってくる高度は?」
「最新のモデルだと、高度12,000フィート付近に入り込んだ層から、徐々に降りてきそうだ。地上でも十分大気密度が高いだろうが、上昇して急に密度が低下することはなさそうだと思う。境界層にだけは気を付けておくこと。最新の予測を確認することも忘れないように。他には?」
「層状に空気が入ってくるなら、高度によって風向きが異なるみたいなことが起きるんじゃ?」
「そうだね。鉛直シアも発生する可能性もある。不安定の予想はないから積雲と、それに伴うタービュランスは考えにくいけど、当日の空を目視でもしっかり確認しておくように。もちろん、地上境界層に伴う急な風向きの変化にも注意すること。編隊を組むなら、特にだ」
「わかった」
他に質問は? とユーリが聞くが、部員達から『特にない』という声が次々上がってくる。
「良し、ブリーフィングは以上だ。みんな、頑張ろう」
ユーリがそう言うと、アルマが手を挙げる。何かある? とユーリが聞くと、彼女は腕を組みながら皆によく通る声で言った。
「折角だ。こうして穂高を迎え入れてることだろうし、作戦名でもつけようじゃないか」
「作戦ですか、いいですね。かっこいい」
部員の一人がそうアルマの意見に賛同すると、あれこれ部員の間で作戦名を話し出す。
「『アクロバットで行こう! 作戦』なんてどうです?」
部員の一人が言うが、他の皆が首をひねる。ユーリのブリーフィングが本格的すぎて、折角だったらそれなりに見栄えのする名前をつけたいと思っていた。安直すぎるのはそういう訳でどうにもしっくりこなかった。
特にいいアイデアが出るわけでもなく、全員で首をひねっていると、
「……刺激的な午後」
カオリがぼそりと言う。皆の視線が彼女に一斉に向く中、彼女は自分で納得したように、その言葉をつづけた。
「『刺激的な午後』作戦。オペレーション・インセンティヴ・アフタヌーンなんて、どうでしょうか」
「いいね、それ! 刺激的な午後だ!」
アルマが快活に笑う。他の部員の間にも、いい雰囲気が漂ってきていた。ユーリは小さく肩をすくめながら、頷く。熱気が立ち上る中、アルマが彼の腕を引いて自分の右に添え、そうすると自然と部員が円陣を組んだ。
「よしお前ら、気合入れていくぞ!」
えい、えい、おー、と全員が声を張り上げる。ユーリも一瞬困惑したものの、皆に合わせて声を上げた。円陣が解かれると、皆、どこか興奮した様子で会話をしだす。
「すごいな、穂高。ああいうの、いつもやってるのか?」
アルマがユーリに話しかけてくる。
「ええ。長距離を飛ぶときは、特に」
さすがにユニオンのテストフライトや咲江のことに関しては黙っていた。別に機密事項とは言われてはいないが、黙っておくに越したことはないだろう。
「しかし大気密度まで計算に入れるとはな。あまり気にする輩もいないだろうに」
「長距離を飛んだり、滑空するのだと露骨に差が出ますからね。意外と重要なことですよ」
勉強になるな。そうアルマは言ってユーリの方を見る。ユーリは小さく肩をすくめると、彼女はニカっと笑顔を浮かべた。
「文化祭、いいフライトにしよう」
「ええ。いいフライトを」
「緊張してますの?」
夜。自室にて。ベッドに横たわったアンジェリカがユーリに話しかけてくる。相変わらず彼女の寝間着はいつもの透けているベビードールで、目のやり場にも最初は困っていたが最近はユーリも慣れてきた。歯磨きを終えて洗面所から出てきた彼はどこか落ち着かない、と言った雰囲気でベッドに腰掛けると、小さく息をついた。
「まぁ、してないと言えば嘘になる」
「では、武者震いかしら」
そう言われて、初めてユーリは自分が震えていることに気付く。左腕の二の腕を掴んでみると、細かく震えているのが分かった。だが、不思議と嫌な感じはしない。どこか心地よい高揚感。
なるほど、これが武者震いか。
そう思うと、自然と口の端が上がってくるような気がする。肩をすくめると、ユーリはベッドにもぐりこんだ。
「で、感想はどうですの?」
「感想?」
ユーリがアンジェリカに聞き返すと、彼女は小さく眉を顰める。
「こうして、部の一部として活動した感覚、ですわ」
そのことか、とユーリが納得すると同時に、どう答えたものか、と逡巡した。
「……悪くはない、かな」
「ならいいですわ」
どこか満足そうに語るアンジェリカ。その表情を見て、ユーリはふと気になったことを彼女に聞くことにした。
「そう言えば、アンジー」
「なんですの?」
特に疑問符を浮かべることなく、アンジェリカはユーリに答える。ユーリはそのまま次の言葉をつづけた。
「アンジーが前言ってた、アンジーがやろうとしていること。上手く行ってるの?」
彼女はぎくり、と言わんばかりの表情を浮かべる。ユーリの目が小さく細まり、アンジェリカの虚空をさまよう目を追う。
「えー……。どうでしょうか。中間段階とでも言うべきか。まだ完全に行けてはないですわね」
言うならば、フェーズ3、とでも言うべきでしょうか。そう言うアンジェリカに、納得できないと言った表情でユーリは向き合う。
「アンジー。これに関しては、多大に僕も関わっていることだというのに確信が持てる。その前提をもとに、あえて言わせてもらうなら」
ユーリが真っすぐアンジェリカを見つめる。彼女は観念したように、ユーリに向き直った。
「わかりましたわ。わかりましたわユーリ。観念しました」
「別に、追い詰めてるつもりはなかったんだけどなあ」
「言うべき機会を逃して、ここまで引きずっていたわたくしにも問題はありましたけれど、貴方がここまで望むなら仕方ありませんわね」
そう、自分に言い訳するように言うアンジェリカに対してユーリは小さく疑問符を浮かべる。何やら込み入ったか、それとも厄介な話の予感がしていた。だが生憎パンドラの箱を開けたのは自分だ。ここでいて何も知らずにUターンという訳にはいかなさそうだった。撤退は許可できない、迎撃せよ。脳内で、咲江の幻聴が聞こえた。
「ユーリ、貴方は女の子にどれだけ好かれているか、自覚はありまして?」
「……それは、何となく」
「具体的には?」
アンジェリカがそう聞いてくるのに対して、頭の中で思い浮かべる人々。
「アンジー、アンナ、アリシア姉さん、咲江さん」
「……ええ。今のところはそれくらいですわね」
何やら含みのある言い方をしているが、ユーリはそこに関しては触れないことにした。話題の本質はそこにあるわけではない、と。彼はそう感じていた。
「ユーリは彼女達から愛を向けられて、それにこたえる覚悟はありまして?」
「覚悟。って」
僕はアンジェリカ一筋だよ、と言おうとして、彼女に止められる。ええ、言いたいことはわかりますが、と彼女は口置きして。
「わたくし、言いましたよね。貴方を縛り付けておく手綱は多い方がいいって」
「それって、つまり」
だんだん自分の中の嫌な予感が的中してきた気がした。しかし、がっちりとユーリの腰と、背中に手を回しているアンジェリカから逃れることはできない。
「ユーリ、貴方を皆で囲おうと、そう思っていますの」
囲う。囲われる。そんな突拍子もない単語が頭の中にまるで巡航ミサイルか何かの様に撃ち込まれて、頭がくらくらする。果たして自分が見ているのが現実か、それとも実際の自分はとっくに寝ていて、アンジェリカの体温を感じながらこんなふしだらな夢を見てしまっているのか、彼にはもう区別がつかなくなりそうだった。
「生憎ですが、夢ではありませんわ」
「でも、アンジーはいいの。そんなの」
僕が浮気するみたいじゃないか。そういうことを言おうとしたら、アンジェリカは作ったそれではない、ごくごく自然な笑みを浮かべた。
「わたくし、折角だったらみんなで幸せになりたいんですの」
「欲張りだなぁ」
「それは、貴方がよくわかっておいででは?」
アンジェリカの返しに、ただ苦笑いを浮かべるしかないユーリ。アンジェリカはどこまでも自信げに、ユーリを見つめる。
「それに、わたくし、知っていますわ」彼女の視線と、ユーリの視線が交差する。「どれほど他の人がユーリにくっつこうが、ユーリは必ずわたくしの隣にいる、と」
「ずるいよ、アンジー。それは」
そう言ってユーリはアンジェリカを抱きしめる。温かく、いい香りがしてユーリの頭の中がしあわせで一杯になる。これまでの混乱と、疑念をすべて忘却してしまう、酩酊のような幸福。アンジェリカはユーリの腕の中で、幸せそうにくすくすと笑った。
「あら? 強欲で、賢しい女はお嫌い?」
「まさか。アンジーが好きだよ。僕は」
「でしょうね。そう思っていましたわ」
今回の文化祭の件も、アンジェリカの発案だった。やはり彼女は、自分のパイロットだ、とユーリは苦笑いを浮かべ、ただ彼女を抱きしめる。
「アンナの件」ユーリは、アンジェリカを抱きしめながらつぶやいた。「文化祭で、ケリをつけるよ」
「ええ。アンナも、きっと貴方が恋しいと思いますわ」
そう言うアンジェリカは、とても妖しく、そして優しい表情をしていた。
明日はいよいよ文化祭。きっと、刺激的な午後になりそうだ。




