24/Sub:"事前準備"
「それにしても」アンジェリカが神妙な顔つきでユーリを見つめる。「こうして見ると、ユーリはお義母様似ですわね」
「そう見える?」
ユーリが思わずアンジェリカの方に振り替えると、アンジェリカは下から上まで撫でるようにしてユーリを見る。
「ええ。お義母様から、目の鋭さを抜いて、少しお義父様に寄せたら、丁度ユーリですわね」
「母さん寄りかぁ」
「ええ、髪の色と、瞳、あと顔の輪郭なんかは特に」
そう言われて思わずユーリは顎を撫でる。
「それに、ユーリがどちらかと言うと中性顔なのもあるかと」
女装が似合うわけですわ。そう言うアンジェリカに、ユーリはうへぇ、と小さく愚痴をこぼす。少なくとも、女装が似合うという形容詞は誉め言葉ではない気がする。
「とりあえず着替えるよ。皺になったら悪いし」
「ですわね。ユーリが文化祭で着るものですもの。アイロンもかけておかないと」
「……本当に着なきゃ駄目?」
有無を言わさず、という雰囲気のアンジェリカにユーリは尋ねるが、答えを聞く前に更衣室に引っ込んだ。皺にならないように丁寧にコスプレのメイド服を脱いでいく。ウィッグを取ると、壁のフックに無造作に引っ掛けた。誰かが使うだろう。脱いだメイド服を丁寧に畳むと、そのまま放置されていたユーリの制服を着る。
「はぁ……なんだか疲れた」
思わず漏らしながら更衣室から出ると、その場にいたクラスメイトが一斉にユーリの方を見た。その様子に思わずぎょっとする。しばしの硬直。そうして全員が、いそいそと自分たちの業務に何事もなかったかのように戻っていく。
何だったのだろうか。ユーリは怪訝な表情を浮かべつつ、自分の作業に戻った。
もうすでに大分完成していたのもあり、一時間もかからないうちに教室のセッティングは終了した。そうなると皆やることはないのか、着る予定の執事服やメイド服を着たまま、それらしい仕草や台詞を言って何やらいろいろ遊んでいる。メイド服を着た集団の中にはアンジェリカがいて、何やら同じようにメイド服を着た女子たちにいろいろと教えていた。
ユーリは周囲の様子を見て、残っている仕事がなさそうだな、と判断すると、アンジェリカに一声かける。
「アンジー」
「あら、ユーリ?」
メイド服を着た女子が一斉にユーリの方を向くと、一斉に困惑したような表情を浮かべるが、ユーリはお構いなしにアンジェリカに話しかける。
「飛行部の方に行ってくる。練習は済んだとはいえ、様子を見ておきたい」
「わかりましたわ。こちらの仕事は済みましたし、どうぞ」
助かるよ。そう言ってユーリは小さく笑みを浮かべると、ラフに敬礼をして教室から出ていった。その様子を残されたアンジェリカと女子たちは見送った。
「では、続きを始めましょうか」
「えーと、ゲルラホフスカさん」
女子の一人が手を挙げる。アンジェリカは、どうぞ、と発言を促した。
「穂高君、ゲルラホフスカさん相手だと、あんなに表情豊かになるのって、その、やっぱり婚約者だから……」
「ええ。そうですわね」
そう言うと、アンジェリカはどこか胸を張って言う。
「ですが、それ以上に、わたくしとユーリは深い信頼関係で結ばれているから、というのもありますわね」
「愛称で呼ばれてたもんね」
「ええ。最早婚約者や恋人、に留まらない、いわばお互いがお互いの半身、一心同体の様な関係性なのですわ!」
そうアンジェリカが言うと、周囲の女子が頬をわずかに染めながらおぉ、と声を上げる。
「そして、わたくしはユーリのパイロット。生半可な覚悟では、彼の翼に乗ることなどできないのですわ」
「パイロット?」
そう、女子の一人が小さく首をかしげながら疑問符を浮かべる。それに得意げにアンジェリカはその意味を話し始め、それに女子の輪は真剣に耳を傾ける。いつの時代になっても、色恋話は格好の好物であった。アンジェリカのメイド講座は、いつしかユーリと彼女の惚気話になったが、誰もそのことに異を唱えず、時間は過ぎていく。
教室を出たユーリは、飛行部の部室へと向かう。文化祭の準備で忙しそうに行きかう中をすり抜ける様にして歩いていくと、校門のところで思わぬ人物と巡り合った。
「……あら」
ユーリが思わず立ち止まると、件の人物、絵理沙はユーリに向き直る。しかしその目つきは、前に向けられたそれの物とは違うような、どこか冷静な、この視線は――。
「皐月院さん、こんにちは」
その感覚に既視感を覚えながらも、ユーリは挨拶をする。彼女は小さく眉を顰めると、しぶしぶ、と言った表情を浮かべた。
「ええ。ご機嫌よう」
やっぱり、何か機嫌が悪いようだ。怒らせた覚えは生憎初めて会った時以来ない。ユーリは心の中で小さく首を傾げつつ、あまり触れないようにしようと判断する。そういう日もあるだろう、面倒くさいな、とも思いつつもユーリはそれじゃあ、と手を挙げて離れようとする。
「……お待ちなさい」
離れようとしたユーリを絵理沙が呼び止める。ユーリはつきそうになったため息を飲み込みながら、ゆっくりと振り返った。
「……何?」
「いいえ、少々聞きたいことがありまして」
そう言って絵理沙は少し迷って、それから眉間に少し皺を寄せながらユーリに尋ねた。
「貴方がゲルラホフスカさんと婚約者、という話を伺ったのですが」
言い終わって、さらに眉間に皺が寄る。『婚約者』という単語を出した時に一番不機嫌そうな空気があふれたのを、ユーリは明確に感じ取っていた。
果たして、正直に言うべきだろうか。嘘をついてもいいが、バレるのは時間の問題か、いや、このニュアンスだと、きっと彼女はあらかじめ正解を知っていて問うてきている様にも感じる。ユーリはええい、ままよと心の中で叫びつつ、絵理沙に言った。
「そうだよ。僕とアンジェリカは、婚約者だ」
「……そう、ですの」
心なしか、眉間の皺が深くなったように見える。これ以上関わるのは面倒だ、とユーリは離脱を決意した。自分のあずかり知らぬ所での問題なようだ。アンジェリカに似ている、ということで興味を抱いている相手であるが、これ以上は自分には関係ない。
「じゃあ、飛行部の練習があるから、行くね」
「飛行部……? お待ちなさって」
逃げようとしたところを、再び引き留められる。
「貴方が飛行部に入部した、という話も申請も、伺ってないのですが」
「あくまで外部協力員だ。今回の文化祭の展示飛行には、出させてもらうけどね」
良ければ身に来て。社交辞令も含めてそう言うと、ユーリはスタスタとその場を立ち去る。何か聞きたいことがあったようで、絵理沙がこちらに声をかけようとしていたようだが、それを言い切る前に彼女の視界から消える。ほぼ小走りに近い早歩きでその場から離れ、彼女の気配が無くなったところでユーリは息をついた。
何だったのか、あれは。
一方的に恨まれているような、そんな気分。ざらざらとした感情を向けられるのには、いつになっても慣れない。校舎内の淀んだ空気から逃げるようにして、昇降口から外に出る。大きく外の空気を肺に吸いこむと、もやもやとした心が晴れていくような気分だ。空は雲が多く、青色よりも灰色の面積の方が多い。文化祭の日には晴れるようだが、前日まで雨が降るようだ。大気の湿度が増すとなると、飛行にも影響があるかもしれない。
校庭に出るまでの間で、いくつも出店が左右に並んでいる。当日の準備のためにいろいろと調理用具などを並べているようで、その中に飛行部の、小ぢんまりとした屋台を見つける。その屋台で、作業用なのか、体操服のジャージを着て作業をする数人の生徒。そのうちの一人に見知った顔を見つけ、ユーリは声をかけた。
「霧島さん」
「あ、穂高君」
作業中だった桜がユーリのことを見つけ、ぱぁっと笑顔を咲かせた。ユーリは屋台のテントを見上げる。そこに描かれていたのは、『槍沢高校飛行部』の文字と、チュロスとコーンドックの絵。
「へぇ」
ユーリが思わず感心したような声を漏らすと、桜が自慢げに言う。
「飛行部の伝統なの、チュロスと、アメリカンドックの屋台」
「アメリカンドック……? あぁ、コーンドックのことか」
「そうとも言うねぇ」
桜の肩越しに屋台の奥を見ると、珍しいことに小型の物ではあるが、業務用のフライヤーが置かれていた、流石にまだ油は入れてないようだ。
「ぜひとも、アメリカンドックとチュロスを買って、飛行部の展示飛行を見てもらいたい、って伝統なの」
「すごいな。まるで海外の飛行祭みたいだな」
「ふふ、そうなると『コーンドック』の方が呼び名はいいのかな?」
「どっちも同じさ」
そう言うと、二人で小さく笑い合う。その様子を他の飛行部員が、屋台の中で怪訝な表情で見ていた。
「そう言えば部長は?」
ユーリが尋ねると、桜はあぁ、とグラウンドの方を指さした。思わずそちらの方を見ると、アルマが部員を集めて、何やら話し込んでいる。皆一様に体操服で、フライトスーツではない。ユーリは不思議に思って、桜に尋ねる。
「打ち合わせの予定なんてあったっけ?」
「えーと、なんか出店の準備が終わったら、何か集まってて……ごめん、それ以外は聞いてない」
「なるほど」
一応顔を出しておこうか。ユーリはそう思って、桜に挨拶するとグラウンドへと向かった。




