23/Sub:"ドラコニアンの侍女"
文化祭の準備が着々と進む。教室はすっかり喫茶店のそれへと変化していて、並べられた教室机にテーブルクロスが引かれていた。教室では提供飲食の準備が着々と進められていて、仕切りで覆われたエリアが簡易厨房になる予定だ。飲み物は市販のペットボトルの物をコップに入れてそのまま出すことになった。世知辛いが、これも文化祭だろう、とユーリは他人事の様に感じた。
教室の端では、コスプレ用として届いたメイド服と執事服を、生徒が試着していた。わいわいと楽しそうに騒いでいるが、ユーリは自分には関係ないな、と黙々とテーブルセットを続けていく。
「ユーリ!」
アンジェリカの声がユーリに向けられて、そこでユーリはなに? とアンジェリカの方を向いた。するとそこには、メイド服を着たアンジェリカが立っていた。いわゆるコスプレと一目でわかるような、膝までのスカートのクラシカルメイドの姿のアンジェリカ。
「似合ってるよ」
「あら、ありがとうございますわ」
くるりと一回転すると、ふわりとロングスカートが膨らんだ。コスプレのそれなのに、どこか気品を感じさせるのはアンジェリカだからであろうか。
「アンジーはメイドで出るの?」
「ええ。まとめ役が後ろでふんぞり返っていては、陣頭指揮が取れませんもの」
アンジェリカらしい、とユーリは小さく笑った。やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやれねば、人は動かず。とは誰の言葉だったろうか、とそんなことを呑気に思っていたら、腕をがっしりと掴まれていた。そちらの方を向くと、額から角が生えた少女がユーリの腕をがっしりと掴んでいた。
「……なに?」
「ユーリ、貴方に仕事ですわ」
そう言ってアンジェリカが取り出してきたのは、メイド服の一着。そして奇しくも、ユーリのそれに似た銀髪のウィッグ。
嫌な、予感がする。
鬼の少女の腕を振り払おうとして力を込めるが、まるでコンクリに腕でも突っ込んだかのようにがっちりと固定されて動かない。ユーリの抵抗に、少女は少し慌てた。
「えっなに力つよっ」
「そのまま抑えててくださいまし!」
アンジェリカががっしりと反対側の腕をつかむと、ずるずるとユーリを引きずって裏まで連れて行った。仕切りで囲まれたそこは、布がカーテンの様に吊るされ、ちょっとした更衣室の様になっている。真ん中には椅子が一つ、無造作に置かれていた。
「ありがとうございますわ。ここからはわたくしが」
「うん、わかった。穂高くん、力強いねぇ」
手をプラプラさせながら鬼の少女が出ていく。入口の布が閉じられる。アンジェリカがユーリに跨りながら妖しい視線でユーリを見下ろす。
「アンジー、僕には君が考えていることが何となくだけどわかる。だけどそれでもあえて言わせてもらうよ。やらないからね」
「あら、そう言うと思っていましたわ。だからあえてこう言わせてもらいますわ。やりなさい、ユーリ」
そう言ってぷちぷちとユーリの制服を脱がしていくアンジェリカ。鍛えている上に吸血鬼の力も使っているのか、ユーリが抵抗するもののじわじわと服を脱がせられていく。
「ユーリ」アンジェリカの表情が真剣なものになり、思わずユーリの動きが止まった。「わたくし、ユーリに友人が増えて欲しいと思っていますの」
そう言う彼女に、ユーリは小さく目を逸らす。
「これも、その一環だっての?」
「ユーリ、貴方がクラスでなんと呼ばれているかご存知で?」
「別に、興味もないし」
「そう言うところですわよ……」
頭が痛い、と言った表情でアンジェリカが眉間に皺を寄せ、彼女は言葉を続ける。
「やれ『空っぽ』だの『塩対応くん』だのですわよ?」
「……へぇ」
「ユーリ、貴方わたくし達以外との会話で、数単語以上会話したことがおありで?」
普段クラスメイトと話す機会もほぼないのであまり気にしたこともなかったが、思えば確かにそうだったかもしれない。もとより話す意味もあまり感じられなかったし、話しても会話が続くとも思えない。
「これはその一環ですわ」
「女装メイドが?」
すると、アンジェリカはどこか自信げな表情を浮かべる。
「ええ。少なくとも、貴方ひいき目に見てもかなり整った顔立ちをしていますし」
つまりアンジェリカは、ユーリが女装して周囲と打ち解けろ、と言いたいらしい。理屈はわかるが、家庭に理解が追いつかない。そうして悩んでいると、アンジェリカが自然にユーリのシャツを脱がしにかかってきて、ユーリは思わず彼女の腕をつかんだ。
「待って、待ってアンジー。まだ言ってない。まだやるとは言ってないから!」
「ええい、覚悟を決めなさい! それでもアビエイターですの⁉」
「それとこれとは関係ないんじゃないかなぁ⁉」
そんなやり取りをしているうちに、どんどんユーリの服が脱がされていく。そのやり取りは外まで漏れ出ていたが、そのうちに静かになる。
「お待たせしましたわ!」
そう言ってアンジェリカが裏から出てくるのに、かたずをのんで様子を見守っていた教室内は一斉に彼女に注目した。皆の視線が集まる中、彼女は手を引いていた人物を更衣室のある裏手から引きずり出した。
出てきたのは、美少女だった。流れるような銀髪に合う、雲海を思わせる白い肌。ぱっちりとした金色の瞳は太陽の様に輝いていて、人間離れした美貌という言葉が似合いそうな顔には恥ずかしいのか、朱が差している。細い線の輪郭の身体で、ミニスカートのメイド服のスカートの前を恥ずかし気に余った片手で抑えていた。
「おおぉ……」
クラスの男子の誰かが声を上げた。びくりと少女の、ユーリの肩が震えて頬が更に紅く染まる。その恥ずかしがる表情も、またどこか気品のようなものを感じさせられた。
「ほら、自己紹介してくださいな」
アンジェリカが楽しそうにユーリに話しかける。ユーリは顔を真っ赤にしながら、妙に形になったカーテシーをする。
「うぅ……メイドの、ほたか、ユーリです……精一杯お勤めさせて、いただきます……」
クラス中からどよめきが上がる。特に女子は、何やらざわついていた。
「おおぉ……おぉ?」
クラスのどよめきが、徐々に困惑のそれに変わっていく。視線が徐々に下に落ちて行く。スレンダーな胴。恥ずかしそうに抑えられたミニスカート。その下の、白いサイハイソックスの脚――。
そこにあったのは、みっちりと筋肉の凹凸が浮き出た白いサイハイソックス。それがどうしようもなく他のすべてを台無しにしていて、教室の空気が途端に冷めていく。アンジェリカもその空気に気付いたらしく、『あっ』と思わず声を漏らした。
「……」
場に沈黙が流れる。沈黙の中、アンジェリカは無言でユーリの手を引いて裏の更衣室へ連れていく。ごそごそと物音がしたのち、出てきたのはロングスカートになったユーリだった。死んだ魚の様な表情はそのままである。しかし、ロングスカートになって脚が隠れたことにより、余計女性らしさが増したことで、周囲は納得したような、これでいいんだよ、とでも言わんばかりの空気になる。
「こ、これで大丈夫ですわ!」
「うん、そうだね……」
どこか乾いた表情で笑うユーリ。そうしていると、急に教室のドアが開く。
「はぁいユーリにぃ? 調子いい?」
「きゃあああ⁉」
悲鳴はユーリと、クラスの女子両方の物だった。もっとも、前者は純粋な悲鳴で、後者は歓喜の悲鳴であったが。
ドアを開けて入ってきたのはアリアンナだった。しかしその衣装は学生服ではない。帽子は羽飾りのついた豪華なもので、赤い上着に白い、スキニーなズボン。赤いマントを羽織ったその姿は、まるで童話に出てくる王子様か騎士の様だった。胸はサラシでも巻いているのか、普段に比べると小さくはなっているが十分にその存在感を放っている。
「あら、アリアンナ。お似合いですわよ」
「こっちは王子様喫茶だって。ふふん、どう? 似合ってる?」
そう言ってきざなポーズをとるたびに、女子の間から黄色い悲鳴が上がる。ユーリは彼女が女子から人気な、所謂『男装の令嬢』の様なポジションにいるということは知識としては知っていたが、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
いや。
そもそも見ていても、気にしなかっただけかもしれない。興味がなく、関心がないものであったので、AIによる画像処理の様に消し去っていたのかもしれない。生憎記憶にないので確認はできないが、少し重い感情がユーリの心に淀んだ。
「あ、ユーリにぃ」
女子に囲まれたアリアンナがこちらを見つける。アリシアを除いて、姉妹は同世代の平均身長のそれよりも高めな上、アリアンナに至ってはそこからさらに背が高い。ユーリのクラスの女子よりも頭一つ分ほど高い背は、彼女らに囲まれていてもアリアンナがユーリのことを見つけるのに充分であった。
「へぇ……」
つかつかと、ユーリの所まで歩いてくるアリアンナ。どこかねっとりした目で彼を見つめるアリアンナに、どこか蛇に睨まれた蛙の様な感覚を覚えつつ、ユーリは平然を装って小さく肩をすくめる。アリアンナはそれを見てにたり、と笑みを浮かべると、ユーリの顎に手を当ててくい、と自分の顔を向かせた。そしてそのまま顔を近づけ――。
「あら失礼お客様、おいたは、ご遠慮くださいませ?」
すっ、と。音もなくユーリが引きはがされる。
「これは失礼。何とも素敵なご婦人がいらっしゃったもので。ボクも思わず、我を失ってしまったわけさ」
「あら、そうでしたの。一息つかれた方がよろしいのでは?」
どこか芝居がかった様子で言い合う二人に、ユーリはため息をつきながら割り込む。
「二人とも、そこまで。準備がまだ途中だよ」
「そうですわね。聞きましたアリアンナ? 早く戻った方が良いですわよ」
「はいはい。ちぇ。もう少しユーリにぃの事、堪能したかったなぁ」
似合ってるよ、と言ってウィンクと投げキッスを飛ばし、アリアンナは教室を出ていった。教室に残った女子は、皆頬を染めたまま何やら夢見心地の表情を浮かべている。時折、『ジェネリックBL』なる単語が聞こえたが、ユーリは聞かなかったことにした。




