18/Sub:"編隊"
「早速練習が入りそうだ。そうなると、アンジーには家事とかで迷惑をかけると思う」
「構いませんわ。いっつもユーリばかりにやってもらっていますし、たまにはこういう風にこちらでやるのも、持ちつ持たれつ、ですわ」
ユーリは静かにほほ笑む。こういうアンジェリカの、親しき仲にも礼儀あり、と言った生きざまは、彼女の高潔さを表しているようで好ましかった。
「埋め合わせは、しっかりさせてもらうよ?」
「あら。気にしないでもいいのに」
「お互い様、でしょ?」
ユーリがそう言うと、アンジェリカは楽しそうに笑った。
「でしたら、期待しておきますわ」
それに、ユーリは満足そうな表情を浮かべた。
銀翼が翼を煌めかせる。青く広がる湖の上で、五つの翼が空を切り裂いた。
「ブレイクまで5秒……ナウ」
一気に編隊を組んでいた五人が散開した。左右対称の、整った散開。真ん中でユーリが一人、翼に白煙を纏って翼端から雲の糸を引きながら高G旋回。インメルマンターンをする。両脇から同じように一八〇度旋回を終えて戻ってきた編隊員がわたわたと揃う中、ユーリはその真ん中に滑らかに滑り込み、再び編隊を組み直した。
「部長、どうでした?」
ユーリが無線機に向かって話しかけると、少し間隔をあけて無線機から声が帰ってくる。
『ううん……まだ少し編隊を組み直すのにばらつきがある。感覚がつかめるまで、何度もやるしかない』
無線機での会話を中継していた他の部員の表情に、露骨に嫌そうな表情が浮かぶ。ユーリは、自分はまだ続けることはできるが他のメンバーはそろそろ疲労が溜まっていそうだ、と判断し、少しの思考ののち、無線機に話しかけた。
「他のメンバーの疲労も溜まってきています。問題点をミーティングで洗い出したりする必要もありそうですし、一旦戻ろうと思います」
『わかった。お前がそう言うならそうしよう。戻ってきてくれ』
無線機の向こうであっけなく了承を得たユーリは、他の部員に向かってハンドサインで帰投することを知らせると、進路を湖岸に向けた。
『は、はぁ、はぁ』
無線機の向こうから息があがっている編隊員の声が聞こえてくる。ユーリはハンドサインで指示をして位置を変更することを左右の編隊員に伝えると、その息があがっている編隊員の右斜め前のポジションに向けて左に移動した。上手く翼端渦の上昇部に載せるようにして位置を調整すると、目に見えて飛ぶのが安定し出した。
「君が最初に着陸して。そのほかは順番通りに」
「は、はい!」
鷹の翼の生えた龍らしき女生徒は、息があがりながらもそう答えた。
湖岸まで飛んでくると、灰色の砂浜が目に入ってくる。緩やかに旋回しながら減速し、着陸態勢に。一番疲労していた女生徒を真っ先に着陸させた。よたよたとどこかふらつきながらも砂浜に降下していき、翼で盛大に羽ばたいて砂を巻き上げながら降り立ち、砂浜に大きく走り幅跳びのそれの様な跡をのこした。その様子を、ユーリは上空を飛行しながら見守る。
次々と編隊員が砂浜に着陸していく。その様子を一人一人見守りながらユーリは着陸地点の上を何度もフライパスした。最後の編隊員が降りる。
『降りてきていいぞ』
無線から部長の、アルマの声が響いてくる。ユーリは小さく了解の返事を返すと、着陸地点に向けて降下を開始した。丁寧に高度と速度を殺しながら翼の表面の気流を維持し、抵抗と同時に揚力を増していく。湖側からのアプローチにした。湖面がどんどん近づいてきて、やがてユーリの翼が生み出す気流に押されて湖面が白波をたて始め、青黒い水面に白い一本の線が引かれた。残り50フィート。
眼下に流れる景色が青黒から灰色になった瞬間、一気にユーリは機首上げ。翼の迎え角を大きくとり、翼から気流が一瞬で剥離する。対地速度ゼロの状況で、地表まではほんの数フィートしかない所を、膝で着陸の衝撃を和らげて静かに砂浜に着陸。飛行術式をシャットダウン。翼を覆っていた青白い光が薄れ、銀色の鱗に覆われた竜の翼が露わになる。ユーリは具合を確かめるように何度か伸ばしたり縮めたりを繰り返して、それから翼を畳んだ。
「ナイスランディング、ですわ!」
アルマや桜、他の飛行部員と一緒にこちらのことを見ていたアンジェリカが声を上げる。ユーリはどこか恥ずかしそうに頭をかきながら部員たちの所まで歩いて行った。
「相変わらずの飛行技術だな」
アルマが感心したように言ってくる。桜がスポーツドリンクの入った水筒を渡してきたので、ユーリは礼を言って受け取ると、こくこくと喉を鳴らして飲み始めた。ゆずの香りのするドリンクが喉をつたって胃に流れ落ちていく。
「はぁ、はぁ……ついていくので……精一杯です」
先程の龍の少女が息も絶え絶えに言ってくる。対してユーリは息も上がっていない。他の部員も疲労を隠せそうにない状況だ。
「もう少し、旋回半径を広くした方がいいでしょうか」
ユーリが言うと、むむむ、とアルマは顎に手を当てて唸った。
「難しいな。あまり広くすると、観客席から見えなくなりそうだ」
「高度を上げるのは?」
桜がそれも厳しそうですね、とかぶりを振った。
「あまり高高度まで上がると、それだけで時間がかかるわ。流石に穂高君みたいに急上昇できるわけじゃないし……」
ユーリは内心頭を抱えた。アルマとは違い、メインに展示飛行を行うのは入部したての高一や、下手すると中二の部員もいる。まだ基礎体力や技量も足りていない状況で、できるマニューバにはどうしても限りが出てしまうような状況だ。そうなると、必然的にマニューバの数か、質を落とすしかない。
「ひとつ」アンジェリカが口を開いた。「提案がありますわ」
彼女に一斉に視線が集まる中、あくまで淡々とアンジェリカは続ける。
「この提案は、だいぶ皆様の反感を買う可能性もある提案である、ということをあらかじめ言っておきますわ」
「構わない。言ってみてくれ」
アルマがアンジェリカに発言を促す。それを聞いたアンジェリカは小さく頷くと、言葉の続きを口にした。
「ユーリの単独パート。それを盛り込むことですわ」
小さく息を呑む音。その場が一斉に静まり返るが、アンジェリカの他にアルマと何人かの上級生、そして桜にユーリ、カオリはどこかその意見が出ることを分かっていた、と言えそうな表情をしていた。
「ユーリが低空で単独パートを演技中に、他の部員が高高度に上昇。待機位置についたところでユーリが上昇して合流、編隊飛行を行う、というものですわ」
うむむ、とアルマが唸る。その様子を見て桜が続けた。
「確かに穂高君の推力と飛行性能なら、それは十分可能です。他の編隊員が高高度に上がるまでの時間を稼げるし、演目の導入として複雑なアクロバットもできる……」
「ただ、それは完全に部外者の僕に単独で空を飛ばすってことになる」
ユーリが言うと、再び場に沈黙が降りる。それはそうだ。ユーリに単独パートをさせるのは、文字通りの部外者を主役に持ってくるようなもの。果たして飛行部のメンツとしてそれでもいいのか、というものはある。
だが、他にいい案も浮かびそうにないのも事実だった。部員を現案の展示飛行プログラムに必要な技量にまで持っていくには、あまりにも時間が短すぎる。
沈黙が部員たちの間に流れる。遠くでランニング中の別の部活の部員の声と、さざ波が砂浜に寄せる音だけが静かに響く中、口火を切ったのはカオリだった。
「私は、賛成です」
「恵那……」
アルマが驚いたような表情でカオリを見る中、彼女ははきはきと言葉を続ける。
「穂高君の飛行能力は、私がよく知っています。彼になら任せてもいい」
あまりにもきっぱり言う彼女の姿に、ユーリもさすがに慌てて苦言を挟む。
「だけど、それじゃ飛行部のメンツが――」
「あら? それなら折衷案がありましてよ?」
アンジェリカの声に思わずユーリが振り向くと、彼女はどこかことが上手く行った、と言わんばかりの笑みを浮かべていた。彼女はそのまま言葉を続ける。
「今回だけとも言わず、ユーリを飛行部の外部協力員とすればいいのですわ」アンジェリカは周囲を見渡しながら言う。「トレーナーか、それともアグレッサーか。彼の能力は、わたくしが保証しますわ」
それを聞いていたアルマが、フムン、と頷く。
「なるほど、それはいい案かもしれない。元はと言えば、『教えられる人手』が足りない、から始まった話だからな、これは」
みるみるうちに進んでいく話に、ユーリは目を白黒させながらなんとかついていこうとする。そうしているうちに、いつのまにか全員の眼がユーリに向いているのに気づいた。
「え、えと……」
ユーリの返答を誰もが待っているといった状況に、ユーリの背中に変な汗が浮かぶのがはっきりと分かった。思わずアンジェリカの方を、救いを求めるように向くと、その眼は『覚悟を決めろ』とだけ物語っている。アンジー、謀ったなアンジェリカと、アリシアに見せられたアニメのセリフを使って叫びたい気分であったが、言い出す気にもなれなかった。
思えば、これが分水嶺なのかもしれない。そうユーリはどこか冷静に頭の隅で考える。今まで人との関りを避けてきて、だけどそれを変えようとしている。逃げこむ場所ではなく、目指す場所として空に向かおうとしているのなら、するべきなのは己を知ることであろう。こうして多くの人と関わるのは、それに大きな一歩となるはずだ。
ユーリは、小さくため息をついた。そして、深く深呼吸をする。湖岸を吹き抜ける風が肺に入ってきて、肺の中の淀んだ空気が外に出ていく。そうして前を見据えて、意を決して口に出す。
「……わかった。やるよ」
「本当か⁉」
意外にも、一番食いついてきたのはアルマ部長だった。ユーリの両手をがっしりと掴むと、顔をぴったりとユーリに寄せてくる。意外と整った野性的な美人の顔が目の前いっぱいに広がって、思わずユーリは頬を赤らめて目を逸らした。
「ええ。やりますよ。トレーナーもアグレッサーも単独飛行も、やってみせます」
そうユーリが啖呵を切ると、先輩たち上級生の間でも興奮が広まる。どうやらおおむね好意的の様だ。ちらりと視界の端に移った恵那カオリも、どこかまんざらでもない表情を浮かべていた。
「……よしっ」
喧騒の端で、小さく桜がガッツポーズを浮かべていた。




