12/Sub:"義妹"
浅い微睡に、ゆっくりと漬かる。まるで半身だけつかるような眠りの中、ユーリの耳にずっと風雨の音が響き続けていた。ぼんやりと、完全に眠っているとも完全に目覚めているとも言えない状況。
のそり、とユーリは起き上がった。隣でアンジェリカはすうすうと静かな寝息を立てている。相変わらず外は風雨が激しく打ち付けている。先程よりも心なし強くなっているようにも感じる。
ユーリはベッドから降りると、スリッパを履いて再び台所へ向かう。もうすっかり外は明るくなっているようだが、相変わらず雨戸を閉じた屋敷内は暗かった。朝食を作るために台所へ向かうと、再び電気がついている。アリシアかな? とユーリが思って台所を覗き込むと、想像と違う人物がそこにいた。
「あ、おはようユーリにぃ」
「うん、おはよう。アリアンナ」
髪を解き、シャツにホットパンツを履いたアリアンナが冷蔵庫から牛乳を取り出して飲んでいた。シンクにもたれかかる様に寄りかかる彼女の、スラっと長い両脚が、どこか落ち着かないような雰囲気で組まれたり解いたりを繰り返している。ユーリはその横を通ると、自分のエプロンを取り出して着ける。
「あ。朝ごはんの支度するの?」
手伝うよ、とアリアンナが言うと、ユーリはいいよ、と手をひらひらと振りながら言う。冷蔵庫からてきぱきと、朝食で使う食材を取り出していく。
「今日は僕の当番の日だし、アンナはゆっくりしててよ」
卵をボウルに割ってかき混ぜるユーリの横で、少しむくれたような表情を浮かべるアリアンナ。彼女はてきぱきと朝食の準備をしているユーリを見ると、ふと、おもむろに後ろから抱き着いた。卵をかき混ぜていたユーリの手が思わず止まる。
「あ、アンナ?」
「あー、気にしなくていいよ。うん」
ぐにゅぐにゅと胸をユーリの背中に押し付けながらユーリの髪に鼻を埋めておもむろに息を吸うアリアンナ。すうぅぅぅ、と大きな音を立てて頭皮を吸われる感覚に、ユーリはただひたすらに困惑した。
「……何してんの?」
「ユーリ吸い」
ユーリ吸いとは。そう疑問に思いつつ卵をかき混ぜる。ユーリが食材を取ったりしようとして移動すると、それに合わせてぴったりとアリアンナは移動を合わせてくる。邪魔になっているのか邪魔になっていないのかわからない無駄に高度なそれにユーリは思わず苦笑いを浮かべた。バターの欠片を伸ばした熱したフライパンに溶かした卵をかき混ぜながら注いでいく。
「そんなの、嗅いでも臭いだけでしょ」
ユーリがスクランブルエッグを作りながらそう言うと、アリアンナはいいや、と言って大きく息を吸いこんだ。
「ユーリ兄さんは、とてもいい匂いがするよ」
「……へぇ」
思わせぶりなアリアンナの発言にどこか背筋が冷えるような感覚を覚えながらも、ユーリはてきぱきと朝食の準備を進めていく。皿にスクランブルエッグと焼いた魚肉ソーセージ、レタスを丁寧に盛り付けていく。
「アンナ、アンジーとアリシア姉さん呼んできて」
ユーリがいまだに抱き着いたままのアリアンナにそう言うと、どこかしぶしぶ、と言った感じに一回大きく息を吸った後、ようやくユーリから離れる。その手つきは、どこか名残惜しそうであった。
アリアンナがどこか名残惜しそうに台所から出ていって、ユーリは朝食の支度を続ける。ふと、視線を感じて台所の入り口を見ると、アリアンナが台所の入り口から小さくこちらを覗いていた。
「何してるの?」
「……ううん、別に」
そう言ってアリアンナは台所から立ち去る。怪訝な表情のユーリの視線を後ろに感じたまま。
アリアンナは小さく鼻を鳴らす。鼻腔に残ったユーリの香りがふわりと香る中、その中に、混じる、アンジェリカとアリシアの臭い。
アリアンナは、静かに階段を登っていった。
朝に比べると、外の天気は多少マシにはなっていた。風もだいぶ落ち着いてはいるし、雨脚も弱くはなってきていた。夕方には、下手すれば晴れているかもしれない。台風の中心はすでに太平洋に抜け、大きく暖気を巻き込みつつ、明日には温帯低気圧に変化する予想のようだ。きっと晴れれば、急に暑くなるのだろう。
「わたくしが片付けますわ」
昼食の当番はアンジェリカだった。野菜炒めを載せた味噌ラーメンは、インスタントとは言え美味しかった。あまりしっかりとした料理はできないが、こういった大雑把だが旨い料理はアンジェリカは得意ではある。
アンジェリカが皿洗いをする中、ユーリが手伝うよ、と声をかけるものの、彼女はやんわりと申し出を断る。
「気持ちはありがたいですが、朝はユーリが当番でしたわ。夕飯もユーリに作ってもらうのに、昼もやってもらうなんて淑女の名折れですわ」
それは淑女、なのかなぁ。そんなことを思いつつ、アンジェリカに半ば追い出されるようにして台所から出ていく。これも彼女なりの矜持なのだろうか。そんなことを思いつつ食堂から出て二階へ上がっていく。まだ雨戸は開けられないので、流石に電気がつけられている。とはいえ節電のため玄関のシャンデリア――の形をしたLED灯は消されていて、二階の廊下の灯りが玄関ホールを薄く照らしていた。
とりあえず自分の部屋に戻ろうとして、部屋の扉を開けようとしたとき、唐突にユーリに声がかけられた。思わずそちらの方を振り向くと、アリアンナが屋根裏部屋に続く階段からユーリの方を覗いていた。
「ねえユーリにぃ」
「どうしたの?」
そう問うてみるものの、アリアンナはどこかおどけたような様子で小さく肩をすくめるだけだった。
「せっかくだから、ボクの部屋に来ない?」
何が折角なのかはわからなかったが、生憎予定はない。課題も終わっているので、ユーリはいいよ、と返事をしてアリアンナの後に続いて屋根裏部屋に上がる。
「お邪魔しまーす」
そう言ってユーリが部屋に入ると、ベッドに腰掛けたアリアンナが自分の脇をポンポンと叩いていた。座れ、と言うことなのだろうか。白いシーツはまるで洗濯したばかりの様に白く、どこか薄暗い屋根裏部屋の室内で灯りに照らされていた。ユーリは大人しくアリアンナの隣に、ベッドに腰掛ける。
「で、どうしたの? 部屋に来ないか、なんて」
そうユーリが問いかけると、アリアンナはベッドに上半身を投げ出しながらつぶやく。彼女の金色の髪が、まるで花が開いたかのように白いシーツの上に広がった。
「なんでもないよ。ただ、ユーリにぃと遊びたいな、って」
「そ、そう」
ベッドの上に寝転びながらユーリに言うアリアンナ。張りのある彼女の胸が、はっきりとシャツの下からその存在感をしっかりと主張していて、思わずユーリは彼女から目を逸らした。
「何しようか」
そうユーリが言うと、アリアンナはうーん、と言いながら寝返りを打って彼の方を向く。ベッドに肘をついて頬をつくと、どこか満足げな表情でユーリを斜め後ろから見つめる。その視線に気付いて、どこか居心地の悪そうにユーリは彼女の方を振り返った。
「何しよっか」
そうあっけらかんと言うアリアンナに対し、ユーリはえぇ、と困惑したような声を上げた。ノープランで二人ここにいるのはさすがに間が持たず、ユーリは視線を右へ、左へと動かしながら何をしようかと考え続ける。そんな彼の様子を、アリアンナはただニコニコと笑みを浮かべながら見つめ続けていた。
「ねえユーリにぃ」
アリアンナが唐突に口を開く。ユーリがなぁに、と振り返ると、別に、と彼女はただ笑みを浮かべ続けた。ユーリが怪訝な表情を浮かべていると、そういえば、とアリアンナが呟く。
「そろそろ、ユーリにぃの血、飲みたいな」
そう舌なめずりを言うアリアンナ。ユーリは思えば最後に飲んだのはだいぶ前だな、と思って小さくため息をつきながらいいよ、と答える。ぱあっとアリアンナの表情に笑みが浮かんだ。
「飲み過ぎは駄目だからね」
ユーリがそう言いながら首元をはだける。その瞬間、アリアンナの眼が妖しく光った。
ぐるり、とユーリの視界が回転する。背中に柔らかくもハリのある感触が押し付けられ、これがベッドだ、と脳の理解が追いついた頃には、自分の上に覆いかぶさるように馬乗りになっていた。彼女の紅い瞳が、ユーリを見下ろして紅く輝く。
「アンナ――っ」
首筋に冷たい感触。すぐにじんわりとした温かさが広がり、脊髄と脳を侵すように広がってくる。
「ちょ……深いっ……!」
「んっ、んくっ、んくっ」
自分より大柄なアリアンナにのしかかられる様に血を吸われる。ユーリは自分の霊力にアリアンナのそれが混ざりつつあるのを小さく感じていた。深くつながり過ぎている。そう感じたユーリは小さくドラゴンブレスを放出。彼の周囲の空気中の水分が凝結して、白く空気が濁り始める。
「わっ」
冷たさに驚いたのか、アリアンナが口を外した。ぽたぽたと血がシーツに数滴、垂れて白い雪原の様な、滑らかなベッドの上に赤い染みをいくつか作る。ユーリが咄嗟に首筋の傷口を抑えると、そこからアリアンナの紅い霊力がパリパリと小さく音を立てて輝き、次の瞬間に傷は消え去っていた。
「いたっ」
アリアンナの額に、ぱちりと鋭い痛み。思わず目をつぶって、それをゆっくりと開くと、少し怒ったような顔のユーリがデコピンをした体勢でアリアンナを見据えていた。
「吸い過ぎだよ、アリアンナ」
「……うん、ごめん」
目に見えて落ち込んだ様子でユーリの隣に戻るアリアンナ。急にくらっ、と平衡感覚がなくなった様に視界が歪み、上体が揺れて――そっと、その肩を優しくつかまれた。
「ほら、ちょっと休みなよ」
ユーリが手早く自分の太ももでアリアンナを膝枕する。アリアンナは思わず何か言おうと思ったが、そっとユーリが彼女の頭を撫で始めたことで押し黙った。柔らかい彼の掌の感触と、先程身体に取り入れたユーリの血の感触に、温かい熱が身体にしみわたっていった。
「ねぇ」
「なに?」
膝枕されたアリアンナがユーリに、彼の方を見ずにつぶやいた。
「ユーリ兄さんは、ボクが好き?」
ふっ、と小さくユーリが笑って答える。
「うん、アンナのことは好きだよ」
「……そうかぁ」
柔らかく頭を撫でるユーリの手を、アリアンナは手に取る。ゆっくりと自分の頬にあてると、彼の匂いが香ってくる。太陽の匂いみたいだ、とアリアンナは小さくつぶやいた。
「吸血鬼なのに、太陽の匂いがわかるの?」
ユーリが少しおどけた様に言うと、柔らかくアリアンナもほほ笑んだ。
「吸血鬼ジョークだよ」
「何それ。流行ってるの?」
「そうかもね」
くすくすと笑うアリアンナ。ユーリはアリアンナの頬を優しく撫でる。高級な布の様に滑らかな頬は、熱を持って温かった。
風雨が雨戸を叩く音だけが、屋根裏部屋に静かに響いていた。




