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青春と幻想のストラトポーズ  作者: 失木 各人
03/Chapter:"義妹を継ぐもの"
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10/Sub:"コンコース"

 ユーリはロッカーを開けて着替えを取り出す。下着を履いて涼し気な色のポロシャツを羽織ると、かいた汗がシャツにしみ込んで肌に張り付いた。やはり早くシャワーを浴びたいな、と思いつつユーリはズボンを履いた。薄手の速乾素材の、黒いズボン。靴を履いて荷物を纏めてロッカーに放り込んであったスポーツバッグに詰め込み、肩からかけて更衣室から出る。更衣室の前のベンチに腰を下ろし、ボンヤリと天井のLED灯を眺める。遠くから聞こえるジェットエンジンの音が、廊下に薄く木霊していた。


「お待たせしましたわ」


 あまり時間は経たずに、アンジェリカが隣の部屋から出てくる。ノースリーブの白いシャツに赤いスカートを履いている彼女は、赤みがかった黒い長手袋で汗をかいて張り付いた髪を上品にかき分ける。肩に提げていたのは、ユーリと同じような黒いスポーツバッグ。


「いいや、そこまで待たなかったよ」

「ふふ、と言う割に、随分と嬉しそうな顔をしていましたわよ?」


 そうかなぁ、と頬に触れるユーリ。二人は並んで廊下を歩き出した。

 迷路のような廊下を歩いて、『第二会議室』とかかれたドアを開けると、キャスター付きのテーブルが並ぶ教室ほどの部屋の最前列で、スクリーンに映されたテレビ会議で百合香研究員が研究室の教授と通話をしていた。教壇の様に少し高くなっているスクリーン前に、三脚に乗せられたWEBカメラが置かれている。二人は、邪魔にならないように、後ろ手で静かに扉を閉めた。


「はい、はい……あ、戻ってきました」


 おかえりなさい。そう百合香が言うのに戻りました、とユーリとアンジェリカが言う。


『二人ともお帰り。無事にデータが入っているのを確認できたよ』


 画面の向こうで、教授が少し興奮したような感じでしゃべっているのを、ユーリは小さく苦笑いを浮かべながら眺めた。


「こういったことは初めてだったので、何事もなくできて何よりです。こちらとしてもいい経験になりました」


 ユーリがそう画面の向こうの教授に向かって言うと、教授も笑って返す。どうやら無事に仕事はできたらしい。ユーリも肩の荷が下りたような気分になって、思わず深く息をつく。


『ドロップゾンデのデータは無事に集められたから、この時点で100点満点ではある。目の壁のカメラ映像については帰ってから確認しよう』

「ええ、それならここに」


 アンジェリカがそう言ってウェアラブルデバイスを差し出す。飛行中につけていた物だった。


『そっちはいわゆるエクストラだ。撮れてたらラッキーだし、撮れてなくてもラインは超えている』

「安心してくださいまし。しっかり撮れていると思いますわ」

『はは、それは期待大だな。じゃあ乗鞍君も、ゆっくりでいいから帰ってきてくれ。お疲れ様』


 そう言って通話が切れる。どこかもたもたとした不器用な様子で百合香が機材を片付けるのを、ユーリは手伝った方がいいか迷って、小さくアンジェリカの方を見た後、肩をすくめて手伝い始めた。


「あ、すみません……」

「いいんですよ。早く片付けて、早く帰りましょう」


 そう言ってユーリがニッと笑うと、百合香は一瞬呆けたあと、頬を赤らめてパソコンを片付け始める。ユーリとしてはなんてことない、挨拶程度のつもりだったので疑問に思っていると、後ろでアンジェリカがため息をつく音がかすかに聞こえた。どうやら何かしくじったのは確かなようだ。

 ユーリは小さく肩を落としながら機材の片づけを続ける。アンジェリカもユーリの傍に来て、三人で片づけを行う。

 片付けが終わったころ、百合香が話しかけてきた。


「ありがとうございます。おかげで早く終わりました」

「いいですわ、これくらい。早く帰りたいのは一緒でしょう?」


 そう言って笑みを浮かべながらアンジェリカが言うが、その笑顔はどうも威圧的で、ユーリは彼女の笑顔を横目に見ながら、目の前で小さく怯える百合香に対して、『蛇に睨まれた蛙』という感想を抱いた。

 そんな微妙な空気のまま、三人は荷物を抱えて部屋の外に出る。仕事が終わった、という安堵感もあるのか、急にユーリは疲労と、それと空腹を覚えた。思わず腹が鳴る。誰の音だ、という空気に三人がなるなか、ユーリは小さく手を挙げた。


「あー、ごめん」ユーリは苦笑いを浮かべながら言う。「フライトのために、流動食しか食べてなかったから、おなかすいちゃった」

「そういえば、わたくしも空腹ですわね。乗鞍さんは?」

「あ、わ、私も、すこしお腹は空いてます……」


 アンジェリカが腕時計を見ると、十三時。昼としてはやや遅いが、今食べなければ夕飯にも響く。

 仕方ないか。そう言って小さくため息をつくと、アンジェリカは口を開いた。


「すみませんけれど、何か空港で食べていきたいと思いますわ。御用があるようですなら、お先に帰っていただいても構いませんわ」


 そう言うと、百合香は慌てたようにかぶりを振る。


「い、いいえ。私も昼食がまだでしたし、ご一緒しますよ」


 アンジェリカがバックから財布を取り出し、ユーリも同じように財布を取り出した。予算は十分だ。豪遊してもお釣りが来そうだ。ちらりとユーリとアンジェリカの財布を覗き込んだ百合香がひどくショックを受けたような表情を浮かべる。

 職員用の通路を進み、階段を上がって通路の突き当りの扉の所で、守衛に言って鍵を開けてもらう。

 扉を出た先は空港の端にある、空港運営オフィスの一角だった。静かにオフィスの端を抜けて空港のコンコースに出ると、こぢんまりとした空港の吹き抜け広間が通路の先に見えた。空港運営のオフィスは二階にあり、到着ロビーは一階だった。出発ロビーを見渡せる位置に、小ぢんまりと佇んでいるレストランに三人は入る。


「いらっしゃいませー」


 和風の、どこか一〇〇年前のそれを感じさせるような、昭和の雰囲気をどこか漂わせる店。窓ガラスから空港の一階を見下ろせるボックス席に三人が腰掛けると、店員が冷えた水をコップに入れて持ってくる。ユーリが三人に見えるようにメニューを広げる。筆ペンで書いたのか、達筆な日本語で書かれたお品書きが広がった。


「ざるそばがおすすめの様ですわね」


 アンジェリカが言う。店の外にも『そば』と書かれた紙が貼ってあった。売りなのかもしれない。ユーリもざるそばにしようと決める。


「僕は決まったよ」

「わたくしも決まりましたわ」


 二人の視線が百合香に向かう。彼女はまだお品書きとにらめっこを続けていた。そうしてしばらくして、ようやく決まった、と言った感じで彼女は顔を上げた。


「すみません」


 ユーリが手を挙げて店員を呼ぶと、すぐに注文用紙を持った店員が来た。


「わたくしは天ざるをお願いしますわ」

「私は、鴨そばをひとつ」

「僕はざるそばと、かつ丼をお願いします」


 店員がぱたぱたと店の奥に消えていく。すぐに厨房があわただしくなる。ユーリはゆっくりと正面に向き直った。


「正直」ユーリがアンジェリカに向かって言う。「さっきまで台風の上空を飛んでたってのが、まだあんまり実感わかないや」

「奇遇ですね、わたくしもですわ」


 そういってほほ笑むアンジェリカの、彼女の紅い瞳がどこか妖しく紅く煌めいた。

 そうしてしばし見つめ合っていると、視界の端で百合香がどこか居心地悪そうにしているのが見えて、思わず二人して我に返る。


「す、すみません」

「あ、いいですよ。その……」


 どこか言いよどむというよりは、当てはまる言葉を探しているように言いごもる百合香。そうしてようやく当てはまる言葉が見つかったのか、どこか恐る恐る、と言った感じで口を開いた。


「お二人は、随分仲が良いんですね」


 すると、アンジェリカがどこか得意げに胸を張った。


「当然ですわ。わたくし達は婚約してるのですから」


 そうアンジェリカが言うと、百合香は一瞬呆けて、それから理解が追いつかない、と言っ

 た表情でユーリとアンジェリカを交互に見やる。


「こここ、婚約ぅ?」

「あー……はい。アンジーは、僕の婚約者です」


 ユーリもどこか照れたように言うと、沈黙がボックス席の間に流れる。厨房からはカツを揚げる音だろうか、子気味の良い音が聞こえてくる。


「……随分と、若い子は進んでるのね」


 脳の処理が限界に達したようで、こぼす様に百合香が言う。

 そうして沈黙がボックス席を包む中、店員が食べ物を持ってきた。艶のある蕎麦が、店内の照明や窓ガラスの反射に照らされて煌めいている。荒くおろした山葵が香ばしい香りを立てていて、見ていてユーリはさらに食欲がわいた。百合香の前に湯気を立てる鴨そばが置かれ、ユーリの前、ざるそばの横に黒いどんぶりに乗せられたカツ丼が置かれる。三つ葉が真ん中に飾ってあり、どこか本格的だった。


「随分おいしそうですわね」

「そうだね」


 わくわくした様子でアンジェリカが言うのに、ユーリも同じように答えた。ユーリは割り箸を子気味よい音と共に真ん中で割ってそばつゆに山葵を入れ、蕎麦を漬けて啜ると香ばしい蕎麦の香りとコシ、そして山葵の香りと刺激が口の中で調和する。これは旨い、とユーリがカツ丼に手をつけると、これまた見事で、黄金色の、だしが利いた卵とじにとじられたカツはジューシーで、口の中いっぱいに旨味が広がってくる。思わず夢中になって箸が進む。

 向かい側の百合香も、そんな二人を見て食事に手をつける。割り箸を割ろうとすると、鈍い音を立てて根元が歪んで割れた。彼女は綺麗に割れなかった割り箸を眺めて小さくため息をつくと、香ばしい蕎麦を啜り出した。

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