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なければいけない

作者: 斉藤メモリ

 こつ、こつ、こつ、


 真夏の早朝の空気の中、駅のホームに革靴の足音が響く。昼間は多くの人でにぎわうこのホームも、今はただ俺一人しかいない。

 

 始発電車が入構する前にホームの見回りをするのは、若手駅員の仕事と決められている。

 半年前に新卒でこの鉄道会社に就職したばかりの俺は常に最年少の立場なので、勤務日はいつもこの見回りをしていた。

 泊り勤務の場合、駅員は朝の始発前に出社して、終電まで終日勤務する、それから、翌朝駅を開けるまで仮眠をとり、朝の通勤ラッシュの対応をしてから退勤する。仮眠前の最後の仕事がこの見回りというわけだ。

 不審物がないかや、設備を簡単にチェックするだけの、なんてことのない業務だ。たいていのことは新米の俺でも対処できるし、困ったことがあれば一緒に勤務している先輩に聞けばいい。


 「ん、あれは……?」 


 ホームの端から端まで歩いて異常がないかをチェックしていると、下り方面に向かって一番端の乗車マークのところに何かが落ちていることに気付いた。近づいて確認する。


 靴だ。

 普通にその辺のサラリーマンが履いているような、安っぽくて古い、黒の革靴。 

 線路に向けてきちんと揃えて置かれていた。


 「あれ、昨日はこんなのなかったよな……」


 昨日終電を見送った後もホームの見回り業務はしていたのだが、その時はこんな場所に靴はなかった。

 見落としていたのだろうか。


 しかし、靴の落とし物とは珍しい。普通忘れていくようなものではないだろう。

 この靴を履いていた乗客はこの後どうしたのだろうか。

 

 思わずしゃがみこんで見入ってしまう。

 どこからどう見てもただの靴だ。使い古されてひび割れた黒革や摩耗した靴底が、今までたしかに誰かが履いていたものであることを物語っている。買ってきた新品を落としてしまったというようなものではない。

 

 「ま、いいか。酔っ払いが靴を脱いで帰ってしまったとか、そんなところだろう」

 

 見つけた落とし物は回収・保管しなければいけない。俺はその靴を拾って詰所に持ち帰って、遺失物報告書を書き、それきりそのことは忘れてしまった。



 翌々日、次の勤務日の朝。

 一昨日と同じようにホームの見回りをしていると、まったく同じ場所にそれがあった。

 

 靴。

 しかし、今度は革靴ではなかった。

 モスグリーンの小さなスニーカー。幼稚園くらいの女の子が履くものだと思う。

 一昨日と同じように拾い上げて確認する。その辺の量販店で売っている、何の変哲もないただの靴だ。

 持ち主が遊んでいるときに付いたものか、乾いた泥が点々としみついている。

 

 「誰がこんなの置いてるんだ……?」


 昨日の夜、終電後の見回りのときには確かにこの靴はなかった。それから駅は閉めていて、誰も入構できなくなっているはずなのだ。誰かが侵入してきて靴を置いたということなのだろうか。

 そこまで厳しく立ち入りを制限できているわけではないから、入ろうとすれば入れてしまうかもしれないが、どうも腑に落ちない。

 誰が、何のためにこんなことをするのか。 

 何かの悪戯だろうか。悪戯にしては手間もかかるし、何が面白いのかわからないのだが。


 首をひねったところで答えは出ない。

 やはり一昨日と同じように詰所に持ち帰り、遺失物報告書を書いた。



 それから、勤務日のたびに俺は同じ場所で靴を見つけた。

 場所は同じだが、靴自体は同じものはなかった。

 革靴、スニーカー、パンプス、ハイヒール、サンダル、登山靴、ゴム長靴。

 種類もサイズも様々だった。

 毎日一足、終電後の見回り時にはなかったのに、始発前には置かれているのだ。


 事務所内の遺失物保管室のスチールラックに、どんどん回収した靴が積みあがっていく。遺失物として管理はされているが、持ち主が現れそうな気配はない。

 見覚えのない靴もあるところを見ると、どうも俺の勤務日以外も毎日出ているらしい。

 朝の通勤ラッシュ対応が終わってから、靴の山を前に腕組みをしていると、後ろから先輩に声をかけられた。


 「なんだ、お前、まだいたのか。もう上がっていいぞ。また明日の朝からシフトだろう」

 「あ、先輩。おはようございます。いや、最近毎朝ホームに靴が落ちているので気になっていまして。いや、落ちているというか、捨てられているというか、よくわからないのですが。今朝はこのバスケットシューズが落ちていました」


 先輩に向かって白い大きなバスケットシューズを持ち上げてみせる。靴底が摩耗していた。


 「なんなんでしょうね、なんだか気持ち悪くって」

 「さあねえ。廃業した中古靴業者が在庫処分に困ってこっそり捨てに来ているんじゃないの。駅って色々不思議なことがあるからさ、いちいち気にしていたらもたないよ」 


 そう言って先輩は出て行ってしまった。

 俺はため息をついて靴をラックに戻した。中古靴業者って何だよ。どうもあまり真面目に取り合ってもらえないようだ。



 * * * * * *



 次の勤務日。

 俺はいつものように終電後の見回りをする。乗車マークの場所を確認するが、靴はない。

この後、始発までの間に誰かが靴を置いている……はずだ。

 泊まり勤務の駅員は、この後駅を開ける時間になるまで仮眠室で休憩するのが常なのだが、俺には考えがあった。

 

 仮眠室の代わりにホームで夜を明かすのだ。

 靴を持って誰がが侵入してくるのを待ち構えて、捕まえて警察に引き渡してやる。何が面白くてこんなことをしているのかはわからないが、これは立派な不法侵入だ。駅はゴミ捨て場じゃない。

 見回りがすべて済んでから、乗車マークが見える位置のベンチに毛布を敷き、靴を脱いで横になった。眠ってしまわないように気をつけながら監視をする。

 

 一時間たった。まだ誰も来ない。

 二時間たった。何の気配もない。


 「何時頃に来ているんだろうな……」


 眠気覚ましに手元でスマホをいじりながら呟く。早く犯人の正体を知りたいという期待感と、駅に靴を置いていくようなおかしな奴に会う不安感が合わさっている。

 誰もいない駅というのはなんだか不気味だ。電光掲示板の「本日の運行は終了しました」という文字の弱い光がホームを照らしていた。

 

 結局、三時間たっても、四時間たっても、侵入者は誰も現れなかった。

 夏の夜は明けるのが早い。空が白みはじめたところで、俺は起き上がった。

 ベンチの上の毛布を畳み、革靴を軽くつっかけると、乗車マークの前まで行ってしゃがみこんだ。わかっていたが、靴は置かれていない。


 「誰も来なかったな……」


 たまたまなのか、それとも俺が見張っていたから来なかったのだろうか。答えは出ない。

 眠気で重たい頭を振って、俺は立ち上がった。

 この駅は始発駅なので、これから車庫から始発電車が入ってくる。その後改札を開けて乗客を入れる準備をしなければならない。

  

 「だめだよ、邪魔したら」 


 背後から声をかけられて、俺はびくりと振り向いた。

 さっきまで誰もいなかったはずのそこに、Tシャツと短パン姿の男の子が無表情で突っ立っていた。靴も靴下も何も履いていない、汚れた裸足でホームを踏んでいる。


 「な、なんだ君は。どこから入ってきたんだ。何をやってるんだ」


 少年は俺の声を聴いているのかいないのか、何も感情を読み取れない瞳で見上げてくる。

 この世のものではないものと相対している感覚に、汗ばんでいた背中が気持ち悪く冷えていく。


 「しかたないんだ。お前が邪魔するから。靴はなければいけないのに」


 少年はそう呟くと、子供とは思えない力で俺の胸を突き飛ばした。

 俺はよろめき、ホームの下、線路へと転落していった。そこへ始発電車が軋み音を上げながら、構内へ走りこんでくる。


 俺がこの世で最後に見たのは、見下ろしてくる少年の冷たい瞳。

 そして、ホームの上に転がる自分の革靴だった。

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