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悠久の機甲歩兵  作者: 竹氏
激動の今を生きる
321/330

第321話 リビング・ウィル

 非常灯の赤い光に照らされたモニターを前に、老いた研究者は立ち尽くす。

 彼がこの場をテクニカと定めたその時点で、イーサセラの監視カメラは大半が壊れ、使い物にならなかったが、管理ロボットの献身的な清掃整備により、いくらかは施設内の様子を映していた。

 今となってはそれすらも失われ、電力を断たれた画面は漆黒を晒すのみ。

 唯一、非常放送設備のマイクが拾っているあろう微かな音だけが、天井のスピーカーから施設の被害状況を朧気に伝えていた。


「フッ、フハハ……よもや、神代人自ら文明の遺跡を破壊しようとは。これは、私の負けだな」


『テメェの罪を数えろ、って言いてぇとこだがせっかくだ。相棒が迎えに行くまでの間に1つ教えてくれや。アンタ、あのエクシアンが地上に出て活動できるなんて、本気で思ってたのか?』


 落ち着いた様子を崩すことなく独り言ちるルイスに、放送がカタカタと問いかける。

 姿が見えぬ以上、彼はそのノイズを気にした様子もなく、まだ言葉を交わそうとする侵略者に頬を緩め、ゆっくりと制御盤に供えられた非常放送設備連動のマイクを手に取った。


「もう1人の神代人よ。私にとって研究とは、不可能を可能にすることに他なりません。理論は日々更新され、結果から導かれた新たな可能性によって完璧は塗り替えられ、完成は過去のものとなるのです。人間社会によってもたらされる不幸より、全てのキメラリアを解き放つために」


 エクシアンは空間エーテル濃度の問題はあれど、環境さえ整えば人間を含めたあらゆる生物とは一線を画す存在である。それをルイスは進化の形であると称し、1つの完成形であるとは認めていた。

 しかし、決して全てが終わったとは考えない。ダマルの問いかけにある地表での安定的な活動について、彼は更なる模索を続けおり、だからこそ神代人という可能性が出現したことに歓喜したのである。神代の叡智を得られるのならば、国家勢力間の関係など些末な問題でしかないのだから。


『わからねぇな。何故そこまでキメラリアに入れ込む?』


「言えば笑われるかも知れないですが……幼い頃に感じた理不尽が私の動機です。隊商の長の子として生まれた私の周りは、使役されるキメラリア達が常に溢れていたのですよ。彼らは種族も性別も関係なく、僅かな食事と水だけで1日中過酷な労働を強いられていました。当然、襤褸に包まれた骨身で、満足に動けるはずもない。それを大人たちは怠惰であると、価値のない獣だと言って鞭で打つのです。不思議でした。自分には柔和な笑みを向けてくれる両親が、何故彼らだけを怒鳴り殴りつけるのか。自分に与えられている普通が、何故キメラリアには与えられないのか。冷たい床に丸くなり、腹を空かせて泣いていたカラの少女に、どうして私の夕食をわけてやり、寝床を貸してやってはいけないのかが」


『そりゃひでぇ話だが、現代じゃ常識なんだろ? 自分が特別で、キメラリアはそういうものだから、とか言われなかったのか?』


「大人たちにはそう教えられましたよ。ですが、私の疑問は消えなかった。隊商が大嵐に襲われて全滅し、荒野にただ1人投げ出されて彷徨うことしかできなかった私に、コルニッシュ・ボイントン博士が救いの手を差し伸べて下さるまではね」


『俺が解せねぇのはそこだ。お前はコルニッシュ博士に救われ、その遺志を受け継いだんだろ? これが、博士のやり方なのか? 進化による不幸の根絶を免罪符に、非道な人体実験すらやむを得ない犠牲(コラテラルダメージ)だと切り捨てるようなやり方がよ』


 懐かしそうに語るルイスに対し、ダマルは通信を介して鋭い言葉を突き付ける。

 ここに至って、嘘を吐く理由は何処にもない。だからこそ、キメラリアを包む現代の不平等と理不尽に立ち向かおうとする姿勢が、別の目的を内包した飾りでないことは骸骨にもハッキリわかっていた。

 だが、コルニッシュ・ボイントンについては疑問が残る。

 恭一の語った現代における博士は、老若男女種族の別に関わらず、困窮には一切躊躇いなく手を差し伸べるお人好しだった。また、800年前時点では、エーテル汚染下に人類を存続させるためにキメラリアを生んだ天才でありながら、事故的に発生したミクスチャが古代文明崩壊のトリガになったと考えており、治験の簡単な同意書1枚で人を骨格標本に変えた企業の存在を考えれば、正常な倫理観と道徳心を持つまともな人物と言える。

 研究者は、そんな骸骨の責めるような質問に、ゆっくりと息を吐きながら表情を自嘲的に緩めた。


「まさか。師が存命ならば、キメラリアへの犠牲は一切許さず、それでも確実に研究を進められたことでしょう。ですが、私は所詮叡智の一端に触れただけの紛い物。この命絶えるまでにキメラリアの進化を至らしめ、不幸の鉄鎖を断ち切るには、今の犠牲を強いる方法を取る他になかったというだけのこと。その道すら潰えた今、私が残せる物は単なる自己満足に過ぎません」


 あ? というガラの悪い疑問の声に、研究者は返事をすることなくマイクを机に置き、その手で鍵のかかった引き出しを開けると、中から細い円筒形をした道具を取り出し、後ろを振り返った。


「御大、それは……?」


 細い窓からは薄く白い光が漏れる筒に、今まで黙って話を聞いていたサンタフェが首を傾げる。

 彼女の質問は単なる興味から発されたに過ぎず、聞いたところで教えてもらえるかわからず、理解なんて到底無理だろうくらいにしか考えていなかった。しかし、サンタフェの予想に反し、ルイスは彼女へ静かに歩み寄ると、掌に乗せたそれをゆっくりと差し出した。


「これは精製が間に合った最後のエクシアン試薬だ。タイプ1とタイプ2の完成記録から、エーテル薬液と遺伝子安定剤の混合比を考えうる限りで最適化してある。だが、もう記録も計測も必要ない。どう扱うかは、全てお前に託そう」


『なっ!? テメェ、まだそんなもんを! オイ、早まったことするんじゃねぇぞ熊女! 恭一急げ! 野郎最後に、ヤベェ薬出してきやがった!』


 頭上からの怒鳴り声は、向き合った2人に最早関係のないものだったのだろう。

 人間より大きな手が、それを摘み上げる。中に入っている薬品の詳細など、彼女にはサッパリわからない。しかし、年老いた研究者の語った説明で、その使い方だけは理解ができた。

 下手に握ると壊れてしまいそうな程小さな筒を、大きな手が慎重にくるりと回し、どちらが上で、どちらが下かを見極める。


「私を恨むかね、サンタフェ」


「いいや。御大はまだちっちゃくて弱かったオレが、今と変わらない夢を語っても笑わないで助けてくれた。だから、恨んだりなんてしないよ」


 零れる白い光の向こうに、皺の刻まれた顔が重なる。その瞬間、彼女は喉の奥に何かが詰まったように思えた。

 ゆっくり息を吐く。小さな筒を、そっと持ち上げながら。


「オレに選ばせてくれるなら、これでもいいかな?」


 一瞬、ルイスは少し驚いたように眉を動かしたが、しかしサンタフェの様子を見ると、ゆっくり瞼を落としてハッキリと頷いた。

 筒の先が細い腕の上に落ちる。白い光が消えていく。

 サンタフェは知らなかった。幼い頃からの付き合いでありながら、ルイスという男が穏やかな表情を浮かべた姿など。


「……さらばだ、愛おしい子よ。お前の前途に、神代の祝福と進化があらんことを」


 毛深い腕に雫が落ちる。

 鼻を鳴らしながら見上げた彼の顔は、まるで孫娘を見守る老翁の如く。温かな笑みを湛え、慈愛に満ちたものだった。



 ■



『これは……』


 僕は銃口を向けたまま、蹴破った自動ドアの残骸を踏み越え、古びたデスクチェアを覗き込む。

 岩肌か樹皮かと見まごうばかりに細く固まった手指と、美しく伸びる白髭とは対照的に水分を失って干からびた顔。もとより老齢であったことは間違いないが、映像デコイが映し出した男の姿とはまるで違っていた。それこそ、この場所だけ時間の流れが早くなったのではと思ってしまうほどに。


『この白衣に白髭、間違いない。あれほど恐ろしかった人の最期が、こんな形になるとはな』


 ノルフェンの中から、アランは事実を確認するようにポツリと呟く。

 終わりに何があったのかはわからない。ただ、ルイス・ウィドマーク・ロヒャーの体に争ったような傷はなく、穏やかに目を閉じている様子から、自ら死を選んだのではないかと思われる。

 彼が死んだとて、失われた多くの命が戻ることはない。それでも、この事件と戦争は終わったのだ。


「ん? ねぇアラン。これ、貴方宛てじゃないかしら?」


『紙片……? 書置きか』


 制御卓の上に置かれていた小さな紙。僕には意味の解らないサインらしきものが刻まれているそれを、マオリィネはノルフェンに向かって差し出した。

 達筆なのか走り書きなのか、明らかに判読が難しそうな文字の羅列を、橙色に光るアイユニットはじっと眺める。そして間もなく、アランは何やら疲れたように、大きくため息をついた。


『……あのバカ熊女』


『内容は、聞かせてもらっても?』


『隠すようなものじゃない。エクシアンはダメみたいだったから、別の方法で最強の王を目指す。最後の試薬は御大にあげた、だと』


 アランは呆れたようにフンと鼻を鳴らす一方、その紙片をマキナの手で破かないようにそっと握りこむ。

 行方や目標はともかく、最も気にすべきは最後の1文であろう。ダマルが叫び散らして急かした理由であり、ファティマはミカヅキの柄に手をかけ、亡骸に見えるルイスから静かに距離を取った。


「試薬ってソレ、大丈夫なんですか?」


『御大はただの人間。言葉を借りるなら、エーテル親和性とやらが低い劣等種でしかない。アイツはそれがわかった上で試薬を投与したんだろうし、結果はご覧の通りだ』


 ファティマに釣られて皆が緊張した面持ちを浮かべる中、アランは気にした様子もなくその場にしゃがみ込むと、椅子の下に手を突っ込んで何やら無針注射器らしき物を摘み上げた。

 おそらく、それが最後の試薬だったのだろう。エーテル親和性という言葉の詳細は分からずとも、既に失われた技術であることは確かであり、ノルフェンは無針注射器を軽く握りつぶした。

 薬剤については解決と見ていいだろう。そこでサンタフェについて少し考える。


『ここまで1本道だったはずだが、どこかに別の出口が?』


『この先を進めば、クロウドン城の地下室へ続く隠された連絡路がある。尤も、ルイスが帝国から追われる身となっている以上、無事に出入りできる保証はないが』


 ノルフェンが指さした先は、非常誘導灯が輝く1枚の扉。

 どうして古代の施設と現代の城が通じ、何故発見した側であろう帝国側が知り得ないのかはわからないが、敵が迫る中での脱出路として使うには上等であり、空調ダクトに大柄な体を詰まらせていないのであれば、十中八九そこだろう。


『……このまま追撃を?』


 僕が扉をじっと眺めるばかりで黙っていたからか、隣からそんな問いかけが飛んでくる。

 低く抑えられた声から感情は読み取れない。ただ、僕は小さく肩を竦めてから、緩くヘッドユニットを横に振った。


『いいや、作戦は終了だ。ダマル、必要物資の選別と回収を始めてくれ。作業が終了次第、この施設は予定通り廃棄する』


 単調に塗りつぶしただけで彼の不安が読み取れなくなるほど、僕とて無神経ではない。特に2人の会話を見せられて時間も経たない今なら、なおのこと。

 最後の薬品は失われ、ミクスチャ製造という脅威の排除できた時点で、作戦目標は達成したのだ。ならば僕らの役目はここまでであり、通信の向こうでダマルもはぁーあとため息を漏らした。


『了解だ大尉殿。とりあえずこっちに片付け支援を回してくれ。いくらか物資にも目星を――おいシューニャ、いつまでも端末に貼り付いてないで手伝えって』


『もう少し、もう少しだけ読ませて。今いいところだから。それで、この()()()()()()という言葉の意味について聞きたいのだけれど――』


『だから後にしろっつーの! 施設データなんざダウンロードすりゃいつでも読めるだろうが! 今は仕事だ仕事!』


 首根っこを掴まれて引き摺られでもしたのか、あー、というシューニャの声がスピーカーの中で遠ざかっていく。

 ルイスはエクシアンに関する研究資料だけでなく、様々な文献を現代語で書き直して端末に保存していたらしい。その異様ともいえるマメさは、種としての進歩を心から願っていた証拠でもあろう。

 そんなものを見せられれば、シューニャの知識欲が吸い寄せられるのは当然。引き剥がされてムッツリした少女と2人で作業というのは、ダマルの精神衛生上よろしくないであろうことも容易に想像できるため、僕は早々に援軍を送らねばと思考を切り替える。

 特徴的な8の字目(エイトアイ)がこちらに向けられていなければ、だが。


『なぁ、その……本当にいいのか? サンタフェはここの事を――』


 アランは藪蛇になるのではという不安さえ滲ませながら、それでもなお疑問を投げかけずにいられなかったらしい。

 事実、サンタフェは闇に屠るべき技術を知りながら、自分達に下ろうとはしなかった。ならば、危険の芽を一切摘み取るためにも、どのような手を使ってでも追跡し、確実に葬ってしまうべきだろう。

 ただ、僕はそんな現状一切を加味した上で決定を下したつもりであり、青年の不安には小さく首を捻るくらいしかできないのだが。


『はて、おかしなことを言うものだ。ミクスチャの製造研究に関与した者は全員ここで死亡し、逃亡者は1人も居なかった。だから二度とこんな惨事は起こらない。そうだろう?』


「全く残念だわ。全員討ち死にの上、資料は何もかも焼失。これでは首魁がルイスという人物だったということ以外、結局は何もわからずじまいだもの」


 マオリィネと視線を合わせ、揃って肩を竦めて見せる。少々、演技が過ぎたかもしれないが、ルイスもダマルもそうだったのだから、自分たちも少しくらい許してもらおう。

 紙片の上に語られた最強の王。それがどんなものを意味するのか、僕には全く理解ができない。ただ、切り替えの早さを思えば、何にせよサンタフェは本気なのだろう。映像デコイだったとはいえ、自らルイスの盾となっておきながら、不可能が露見した途端、一切を捨てて姿を眩ませたのだから。

 それでもなお、僕はサンタフェを、エクシアン及びミクスチャ研究という観点から危険視することはない。彼女はあくまでルイスから提供される技術の恩恵を受けていただけで、技術開発に関連する知識はなく、その供給元は研究者と施設の両方が失われた。

 そして何より、自ら最後の試薬をルイスへ返したことが、最大の意思表明だろう。ならば、最強の王がどんなものであれ、僕がサンタフェに干渉する理由とはなり得ないのだ。当然、自分たちの生活に多大な影響を及ぼさない限り、という条件付きだが。


『……恩に着る』


 ノルフェンがその場にゆっくり片膝をつき、頭を垂れた。まるで王から騎士の叙任を受けるかのように。

 別に気にしなくていい。当たり前のようにそう言おうとして、しかし僕が口を開くより早く、にんまりと笑みを浮かべたアポロニアの小さな拳が、朱色の装甲をコツンと鳴らした。


「いんやぁ、毛深くてデカい熊女が好みって、アラン君もだいぶ拗らせてるッスねぇ」


「というか、キメラリア好きっていうだけで、人間としては変態なのでは?」


『お前らな……はぁ、別にそういうのじゃない。俺には一緒に育てられた喧しいキムンが居ただけで、妙に姉面をするそいつが無事なら、他はどうだっていいんだ』


 アランは少しムッとしたようだが、それも一瞬。ため息を吐きながらゆっくりと立ち上がると、どこかスッキリしたような声でハッキリと言いきって見せた。

 この反応は、からかってやろうとしたアポロニアも、思ったままを口にしたファティマも、意外だったのだろう。おぉ、と驚いたように目を見開き、そんな2人の間を抜けたポラリスは、向日葵のような笑みをノルフェンに向けた。


「またあえるといいね?」


『アイツは生きているんだ。いずれどこかで会えるだろう。さぁ、感傷は終わりだ。いい加減、ダマルの手伝いに行かないとな』


「わたしもいっしょにいく! いいでしょ、キョーイチ?」


『アマミ、構わないか?』


 人懐っこいポラリスは、既にアランの心へ入り込んでいるらしい。彼女がノルフェンの足に絡みつけば、ぶっきらぼうな青年の声も少し柔らかくなった。全く微笑ましいものであると、僕は何故かまた、父親のような視線になってしまった。


『じゃあ、お願いしようかな。それからマオリィネも一緒に――』


『あ、あー、その……編成してくれてる最中に申し訳ねぇんだが』


 何やら再び聞こえてきた非常放送設備越しの骸骨ボイスに、全員が揃って天井を見上げる。それも言いにくいことでもあるのか、特有の喧しさは完全になりを潜めていた。


『先にちょっと、重要なお知らせを聞いていただいても、よろしいでしょうか?』


 骸骨らしからぬ丁寧な言葉遣いに、背中を妙な不安が駆け抜けたのは、僕だけではなかったかもしれない。

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[一言] これは悪の組織お約束の、施設丸ごと自爆、かな?
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