第312話 ほっと一息残業タイム
「後でこじれてややこしくなるのは嫌でしょう? 悪いようには言わないから、安心して」
マオリィネはそう言い残すと、アランを連れて反帝国連合軍の長たちが集う本陣へ歩いていった。
青年の細身な背中から不安が滲んでいるように思えたのは、勘違いではないだろう。チラとこちらを振り返った横顔は硬く、揺れる赤い瞳はどことなく子兎のようで、お前はついてきてくれないのかと訴えているようだった。近寄りがたい雰囲気もある彼だが、案外寂しがり屋な一面も持ち合わせているのかもしれない。
――まぁ、心配することもないんだが。マオリィネなら上手く説明してくれるだろうし。
自分達をすぐに信用しろ、というのは無理があるとは思う。その辺りも含め、今は精一杯彼を守ってやらねばなるまい。
それこそ、万一グランマ辺りが何かケチをつけてきて、マオリィネの手に負えないとなるのなら、僕とて直接議論の場に首を突っ込む覚悟はできている。いくらあの妖怪老婆とはできるだけ関わりたくないと常々思っているとしても、これは託された者の務めなのだから。
「おい、聞いてるかスケコマシ。残業代弾めよ?」
足元から響いた骸骨の声に、僕は見送りの視線を玉匣へ向けた。
「あぁ、すまない。そんなに酷いのか?」
「いんや、ホイール類に異常は見られねぇし、この感じだと履帯破断以外に損傷はねぇだろ。これが部品交換にクソ程手間のかかる場所じゃなけりゃ、万々歳だったんだがな」
外れた履帯を手にした骸骨は、これだから全装軌車は嫌なんだ、と愚痴を零す。
これがのんびりと作業ができる状況なら、明日にするかとでも言えるのだが、残念ながら今の自分達にそんな余裕はない。むしろ一刻も早く修復し、進軍の再開と敵からの逆襲に備えねばならない立場である。
おかげで僕には頭を下げるしかできなかったのだが。
「お手柔らかに頼むよ整備兵。できるだけ僕も手伝うし――ん?」
履帯交換を始めるならマキナを準備しておかねば。そう思ってダマルに背を向けようとした時、ふと履帯の破断箇所から離れた位置が目について足を止めた。
ジワリと嫌な予感が滲む。ただでさえ、悪い方向の勘というものは中々外れないのだ。おかげで妙に平坦な声が出た。
「僕も視力が落ちたかなぁ。破断箇所以外でピンが歪んでるように見えるなんてね」
「あん? そりゃどこの話――あぁ、俺ぁ眼科医じゃねぇが、お前の目がまともなのは保証してやれそうだぜ。クソ、相当硬ぇ奴が噛みこんだらしいな。余計な手間ぁ増やしやがって畜生め」
ダマルは曲がった履帯の連結部を覗き込んでから、また手間が増えたと呟きながら、疲れたように肩を竦めて見せる。
それが間違っているとは言わない。実際作業を行う骸骨が、作業の手間を最重要問題と捉えることに、なんの不思議があろう。
ただ、僕の脳裏をよぎった勘という奴は、より深刻な問題に警鐘を鳴らしていたのだが。
「ピンの予備って、新品の履帯ブロック分以外に積んでいただろうか?」
「あるわけねぇだろ。ありゃあ基本セットで扱う部品だし、前の交換で余りも出てねぇ――おい待て。今残ってる分は幾つだ?」
「……4つ、だけかな」
そう僕が呟いた瞬間、ダマルは引っ張り出されていた予備部品のコンテナへ跳びついた。
しかし、いくら中を覗き込んだところで、元々手持ちが少ない部品群はきっちり整頓されており、大柄な履帯ブロックの数など間違えるはずもない。
沈黙。
骸骨は脱力したのだろう。ガチャリと鎧を鳴らし、鉄色の兜の額にガントレットを当てて、大きく空を仰いだ。
「カッカッカ!」
辺りへ響き渡る高らかな笑い声。
たとえ部品が無くとも、骸骨ならばあるいはなんて、自分も心のどこかで無茶を期待していたらしい。呆然としていた意識が戻って早々、自然と口からはツッコミが迸った。
「いや、笑ってる場合じゃないだろうが! 戦車回収車がある訳でもないのに、どーすんだいコレ!?」
「どーすっかなぁー? ピンが足りねぇ場所に、マイナスドライバーでも突っ込んどくか?」
「あっという間に折れるわ! シャルトルズが何トンあると思ってんだ君は!」
ほらちゃんと入るぞぉと言って、新品の履帯ブロックに空いた連結穴にマイナスドライバーを出し入れする骸骨。それくらい見ればわかるが、入ったところで何だと言うのか。
珍しく声を張り上げてしまった後に残る虚無感に苛まれ、これは不味いぞと僕は親指をこめかみに当てて考える。
ピンを探しに行くべきか。幸いなことに、自分達にはマキナ輸送トレーラーという足が残されており、単独行動も無理ではない。
そんな自分の思考は、余程顔に出ていたのだろう。予備部品のコンテナに腰を下ろした骸骨は、いやいやとガントレットを横に振った。
「俺だってヤベェこたぁわかってるがよ。こんな状況で、あるかもわからねぇ部品を探しにどこぞの遺跡まで行ってきまーす、なんて言えねぇだろ? ただでさえ、敵の親玉はまだ余裕ぶっこいてんだぜ?」
ぶつけられた正論に、言葉が喉につっかえる。
為政者を失ったカサドール帝国自体は半ば死に体と言っていいだろう。しかし、ルイスという自分達にとっての最大目標が未だ健在である以上、帝都侵攻を前に寄り道をして時間を与えることは避けねばならない。
それでもなお、僕はどうしようもないを認めるわけにはいかなかった。
「だからと言って、玉匣をここに放棄して進むわけにはいかないだろう。これは単なる住処や移動手段というだけじゃない。皆を守る強力な盾なんだから」
「そりゃ俺もわかってんだが……つっても、こりゃ俺もお手上げだぜ。特殊合金のピンが、熱して叩いて直るってんなら話は別だがよ」
「えっ、タマクシゲ直らないんですか?」
ドスンという音に振り向けば、そこにはファティマが立っていた。どうやら、マキナ輸送用トレーラーから玉匣へ荷物を運んでいる最中だったらしく、足元には数字の書かれたケースが転がっている。
住処として随分気に入っていた彼女が、直らないと言う言葉に呆然とするのは勿論のこと。その背中から顔を出したシューニャは、顔に貼りついた無表情の上へと薄い影を落とした。
「……もしかして、私のせい?」
「アッハハハハハ! 2人とも、ダマルさんの冗談を真に受けるなんて、流石に純粋すぎるッスよぉ! んねっ?」
車内の整理をしていたアポロニアは、後部ハッチから出てくるなりケタケタと笑う。
ただ、決して心の底から可笑しかったという訳ではなく、茶色の瞳から飛んでくるアイ・コンタクトには、2人に不安そうな顔をさせるな、という思いがあからさまに込められていた。
とはいえ、目の前に置かれた厳然たる事実を、覆い隠せというのは流石に無理があり、説明を求められたダマルは後ろ頭を掻きながらため息を吐いた。
「そうそうジョークジョーク――って、言ってやりてぇ気持ちは山々なんだが……とりあえず、シューニャが責任感じる必要はねぇぜ。履帯に絡んできた野郎が、予想以上に酷くぶっちぎってくれやがったのが原因だからな。んで、それを直そうにも部品が足りねぇってワケよ」
戦闘を行った以上、機材を損傷することは不思議でもなんでもなく、誰かのせいにするような話ではない。
それでもシューニャは、自らハンドルを握っていた際に起こったことと思ったのか。千切れた履帯へ歩み寄ると、それをまじまじ眺めて首を傾げた。
「部品……というのは、どんな?」
「単純なピンなんだけどね。ほら、前に森の中でダマルが焼き切っていた奴だよ」
工業製品としては別段珍しくもない、成形された特殊合金の塊。それでも現代技術では不可能なアイテムであり、説明したところでシューニャの知的好奇心を満たすことくらいしかできない。
それでも、見せてと言われれば断る理由もない。骸骨が座っていたコンテナから、新品を取り出して手渡せば、それをクルクル回しながら観察し、やがて何か納得したようにふむぅと息を吐く。
僕はその様子に、満足したのだろうくらいにしか思わなかった。否、それ以外にないと決めつけていたと言っていい。
だが、シューニャはこちらへピンを返す際、きらりとエメラルドの瞳を輝かせたのである。
「――試してみたいことがある」
吐息のような声に、何かが背筋を駆け抜ける。
現代において最も長い付き合いになる、シューニャ・フォン・ロールという少女のことを、僕は未だに正しく理解できていないのかもしれない。
■
「ねぇ、聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
背中にかかった訝し気な声に、顔も向けないまま返事をする。
挟まれる沈黙、およそ1拍。
「……これ、何の儀式なの?」
マオリィネは多分、どう質問していいかを悩んだのだろう。自分が彼女の立場ならと考えると、無理もない話である。
一方、骸骨はそういうたらればを考えようとは思わないらしい。いつもと同じ調子で、カタカタと下顎骨を鳴らした。
「なぁにを寝ぼけたこと言ってやがる。見ての通り、修理作業の真っ最中だっつーの。それとも何だ、お前の顔面に2つ埋まってるソレは、黄色いガラス玉だってのか?」
「失礼ね! 報告から帰ってきた途端、水を張った大桶を全員で囲んでるのを見て、何かを修理をしているなんて思わないでしょ普通!」
しっかり吊り上がる、件の黄色いガラス玉。
マオリィネの言葉が正論であることは疑いようもない。状況も彼女の言葉に違わず、僕らは大きな桶を囲んでしゃがみ込んでいるのみ。ダマル以外は工具すら手にしていないのだから、これを傍から見て修理だ整備だと言うのは無理があるだろう。
にもかかわらず、彼女へと向けられる金色茶色の混ざった視線は、どうしてかとても冷ややかだった。
「マオリィネ、声が大きいッス」
「集中してるんですから、しー、ですよ」
「うぐぐ……ッ! あなたたちねぇ……!」
キメラリア2人が揃って唇に人差し指を立てれば、マオリィネはハッキリと表情を引き攣らせながら、腰に添えた握り拳をプルプルと震わせる。彼女に連れられていたアランだけが、どことなく同情的な視線を向けているように見えた。
とはいえ、これ以上何らかの反論をしたところで、結局は静かにしていろと言われるだけ。それは彼女にもすぐに理解できたらしく、ため息1つで会話を打ち切ると、僕の肩へ手を添えて桶の中を覗き込んだ。
「何かを凍らせることが修理、ということかしら?」
「そんなところだよ。できたかい?」
「うん。さっきよりもっとかたくしてみたけど、どうかなぁ?」
桶の水が小さく波立ち、ポラリスの白い手が上がってくる。そこには陽の光に輝く細長い氷の結晶が握られていた。
ポラリス驚異の再現力と言うべきか。まだ試作回数も両手で数えられる程度だと言うのに、水の中で成形された氷ピンは工業製品と見紛うばかり。
残す課題は強度のみ。見た目にはこれまで砕けてしまっていた試作品との差を見つけられずとも、ポラリスが硬くしたと言うのだから疑う余地はない。
「ダマル」
「さて、今度のできは、どうかねぇ――っと。ファティマ、頼む」
「はぁい」
ガントレットに受け取ったピンを、ダマルは位置合わせを終えた履帯ブロックに当て、それをファティマが重いハンマーで叩き込む。
最初は位置合わせのために軽く叩いた瞬間に割れ、2回目はファティマの力に負けて砕け散ってしまった。しかし、それ以降に叩き込み作業で破損することはなく、キメラリア・ケット特有の怪力さえしっかり受け止めている。
マキナすら行動不能に陥れる魔術の氷。これまでの経験で理解はしていても、改めて見せつけられると不可思議な光景だった。
「おーし、固定はバッチリだ。シューニャ、回せぇ!」
『ん、前進する』
履帯の張り調整を終えたダマルが、運転席から見えるようにガントレットを頭上でぐるりと回せば、無線越しの返答と共にエーテル機関が低い唸りを響かせる。
走行開始のトルクに負け、地形の凹凸によって割れ、高速走行に耐えきれず砕け、その度に履帯がだらりと地面へ垂れてきた。
しかし、今回は違うらしい。激しい加速からの急制動、勾配踏破に超信地旋回を行い、それから30分程の連続走行を続けてもなお、破断の音や異常の報告は届かない。
現地修理の代替部品としては破格の精度と耐久性であり、通信機越しには直った直ったとはしゃぐ女性陣の声が聞こえてくる。
一方、初めてポラリスの魔術を目にしたであろうアランは、ごくりと小さく喉を鳴らした。
「これが、ミクスチャさえ殺す魔術の力……」
「カカカ……何かにつけて末恐ろしいガキだぜ。マジで氷の部品を作っちまいやがった」
「ポラリスの魔術にこんな使い方を思いつくあたり、僕ぁシューニャも十分末恐ろしいと思うよ」
「ちげぇねぇ」
快走する装甲車を眺め、男2人と骨1体は同時に感嘆の息を吐く。
走行試験を終えた玉匣は、ダマルの手によって足回りの走行後状態確認が行われている。
その点検結果報告は、魔術氷製ピンにクラックや熱溶解は見られず、魔術的効果が続く限りは作戦行動に問題なし、というものだった。




