第270話 アイアンクラッドの使い方
「ぐ……っ、い、一体、何が起きたのです……?」
シャーデンソンは瓦礫の中から這い出すと、節々が痛む体を引きずって立ち上がる。
つい先ほどまで、彼は他の諸将と共に地図を囲み、侵攻作戦について議論を重ねていた。
しかし、その地図と敵味方を表す駒は、石煉瓦に埋もれたのか見当たらず、言葉を交わしていたはずの諸将もまた、周囲には誰一人として残っていない。
その眼前に広がるのは、妙に風通しの良くなった屋根壁と、瓦礫の隙間から力なく垂れた人らしき手足。武勇も智謀にも優れると謳われたシャーデンソンにも、この状況は全くと言っていいほど理解が及ばない。
唯一思いついたのは、投石機から放たれた岩が直撃した可能性である。だが、フォート・ペナダレンは見通しのきく丘の上に建っており、投石機が届くような範囲に隠れられるような森はなく、彼自身それらしきものは一切見ていないため、これは流石にあり得ないと首を振った。
「まさか、戦神ベイロレルの怒りに触れた……などというわけではないでしょうね」
状況を確かめるべく、シャーデンソンは穴の開いた壁に向かってゆっくりと歩を進める。
すると間もなく、再び轟音と振動が辺りを襲い、彼は口の中に血の味を感じながら、外に吹き荒れる暴風と立ち上がる火炎を目の当たりにすることとなった。
「――否、そうであったほうが、幸せ、だった、か……」
鎧の腹に添えられた手は、間もなく赤黒く染まる。
吹き飛ばされた瓦礫の一部が、細身の身体を貫いていたが、シャーデンソンはついぞ、状況を理解しないまま力なくその場に崩れ落ちたのだった。
否、決して彼が特別だったのではない。
フォート・ペナダレンに集った全ての者は、誰1人として理解が及ばなかったのだから。
■
ゴォンと音を立てて金属製の薬莢が地面に転がる。
高温に晒された円筒形の金属が白い煙を薄く立ち上がらせる中、その前方では早くも次の砲弾が自動装填装置によって押し上げられ、巨人が両肩に担ぐ筒の中へと押し込まれていく。
それを玉匣の後部座席から外部モニター越しに眺めていた俺は、ジョイスティックを握りなおしてに手元の携帯端末へと視線を移した。
「カカッ、いくら無人機でも、きっちり整備しときゃそれなりの精度が出るもんだな」
「……いつの間にこんなもん用意してたんスか」
「ガーデン以外どっから拾ってくるってんだよ。爺さんが居なきゃ間に合わなかった装備だぜ」
聴力のいいアポロニアは、耳栓をしても連装式重榴弾砲の発射音が相当やかましいらしく、上から分厚い犬耳を抑えながら、苦情顔をこちらへ向けてくる。
だが、密集した非装甲目標を攻撃するのに、これほど向いている兵器はあるまい。
玉泉重工が初めて量産化した第一世代型マキナ、甲鉄D型。鋼の力士とでも呼ぶべき、力強い旧型機は玉匣の横で、両肩から長筒を構えて虚空を睨む。
800年前、マキナの中では群を抜いて大柄な甲鉄は、重装甲重武装をコンセプトに開発された機体である。ただ、その鈍重さと不器用さから、機甲歩兵のコンセプトには正直沿わなかったと言わざるを得ない。
しかし、ところ変われば評価というのは大きく覆る物で、大型で安定感のある機体は射撃精度が高く、その上武装搭載量と余裕のある拡張性から、砲兵隊に重宝されることとなったのである。
ただ、まさかこんな未来で甲鉄の優秀さに気づかされた挙句、整備兵である自分が飛行ドローンを操って、弾着観測員の真似ごとをするなどとは夢にも思わなかったのだが。
「もっかい耳塞げ、次発行くぞ。今度こそど真ん中の施設ぶっとばしてやらぁ。1番機、2番機、撃てぇッ!」
玉匣を中心とした無人機のリンク運用により、俺の声に合わせて砲声が轟く。
いつぞや、スノウライト・テクニカの地下で遭遇したシンクマキナのようにはいかずとも、運動戦を行わない砲兵運用ならば、中々悪くない成果を発揮していると言っていいだろう。
何せ、飛行ドローンから送られてくる鮮明な映像の中で、フォート・ペナダレンはみるみる瓦礫となっていくのだから。
弾着は中央の建物からまたも微妙に逸れた。しかし、至近弾の衝撃には耐えかねたようで、間もなく土煙を巻き上げて崩壊しはじめる。
虫食い状に破壊された防壁や建物が、兵士たちを守る盾としての役割を果たせなくなったことを確認し、俺は攻撃手段を切り替えた。
「効果視認! 次、MMRL-12用意!」
「ってなんですか?」
2機の甲鉄が俺の声に従い、太い両腕を覆うように装備された武装を持ち上げる。
ただ、その見た目は直方体をした鉄の箱に外ならず、猫にはそれが兵器だと思えなかったらしい。
一応俺としては、身内が古代兵器に関する理解を深めるのはいいことだと思う。しかし、どうせ今から使う物を口でどうこう言うよりは見てもらった方が早い。だから俺は不思議そうに首を傾げるファティマを無視し、レシーバーに向かって攻撃の合図を叫んだ。
「知りたきゃモニターから目ぇ離すなよ。さっきよりド派手な花火があがるぜ。1番機、2番機、一斉射撃、はじめぇ!」
甲鉄の腕から炎が吹き上がれば、それに押し出されたロケット弾は息つく間もないほどの勢いで、次々と空へ向かって飛び出していく。
これまでの砲撃とは大きく毛色の異なる攻撃に、ファティマは、おー、と声を上げ、対戦車ロケット弾発射器を扱えるアポロニアは、射撃の様子に思い当たる節があったのか、両腕を組んだまま身体をブルリと震わせた。
マキナ用ロケット弾など、高速射撃してしまえばあっという間に空になる。おかげで玉匣のカメラには土埃くらいしか映らなくなり、彼女らはまた、俺が手元に抱える携帯端末を揃って覗き込んだ。
それから間もなく、ドローンが見下ろしている要塞に対し、サーモバリック弾頭を搭載した48発ものロケット弾が降り注いだ。
「うわ――思ってたよりえげつないですね、これ。要塞が平らになっちゃいそうです」
「ここまで一方的だと、なんていうか……いくら敵だって言っても、流石にちょっと帝国軍の連中が不憫に思えてきたッスよ」
モニターに豆粒の様に映る兵士達は、隠れることも逃げることもできず、ただただ吹きすさぶ爆轟の嵐へ飲み込まれていく。
その凄惨な状況に対し、今まで黙っていたシューニャは小さく唾を飲み、血を見る場面も多いであろう現代環境で生きてきたキメラリア2人でさえ顔を顰めている。
だが、状況を生み出したのが自分達である以上、俺は振り返らないまま努めて真面目な声を出した。
「今更現実から目ぇ逸らそうとすんなよ、俺たちは戦争やってんだ。たとえそれが、弓槍を振り回す原始的なもんだったとしても、山ほどの人が死ぬことには変わりねぇ。人殺し効率が桁違いってだけでな」
「人殺しの、効率……」
いつも平坦なシューニャの声に、僅かな怯えが混ざる。
言っていて気持ちのいい言葉ではない。しかし、現代人たちに神代と呼ばれる我らが高度文明は、この効率を何千年に渡って強化し続け、最後はその力で自らの身を焼いたのだ。
その危険性と恐怖を喧伝するつもりはないが、身内連中には将来のために知っておいてもらう必要がある。少なくとも、我らがエース様を隣で支え続けようと言うのならば。
「これで相棒が戦争に加担したがらなかった理由もわかるだろ。現代文明にとっちゃあ、危険極まりねぇ異物なのさ。アイツも、俺も、それから――カカッ」
俺は彼女らに背を向けたままジョイスティックを緩く傾け、焼き払われたフォート・ペナダレンからカメラを逸らす。その片隅に映り込んだ影に、俺は小さく顎を鳴らした。
今はこの骨身すら、悪鬼羅刹の1体なのだから。
■
ヘッドユニットの中に浮かび上がった古代兵器の反応に、ワースデルはニィと頬を歪める。
『射点特定。お2人さん、レーダーが不調だからって、ぬからんでくださいよ?』
『誰に言っている』
『友軍の犠牲を、無駄にはしません』
暗い森の中、暗褐色の鎧は特徴的なスコープ状のアイユニットを、木々の向こうへ向けていた。
ククラムッタ。ヴァミリオンを改造して生み出された強行偵察型で、通信能力とレーダーセンサーの類に大幅な強化が施されたマキナである。
衛星リンクが行えない現代において、その能力を完全に発揮することは不可能だが、ハウ機とボークレイン機のレーダーが原因不明のホワイトアウトを起こす中でも、森の切れ目に敵らしき朧げな反応を確認できていた。
その情報が共有されたことで、尖晶A-3とヴァミリオンmk3は木々に姿を隠しながら、最短距離を選んで目標地点へと迫っていく。
可能な限り足音を消し、下手に木々を揺すらぬように気をつけながら進む途中、先鋒を務めるボークレインは突如足を止めると、低い声で鋭く後続の尖晶へ警戒を促した。
『気をつけろハウ、近いぞ』
『っ……はい』
最年少である彼女は、緊張に表情を強張らせる。
ククラムッタ以外のレーダーは相変わらず何も映さないが、音響センサーはマキナらしき動作音を確かに捉えていた。
ボークレインは油断なく自動散弾銃を握りなおし、ハウは両腕とサブアームに装備した計4丁の突撃銃を前後に構え、全方位に対して警戒を強め、背後を守るワースデルは2人を援護できる位置を確保し、茂みから重狙撃銃を覗かせる。
歩みを進めるほど、センサーが拾う音は一層大きくなっていく。
そうして、ひたすら息を殺しながら近づき、木陰に隠れて覗き込んだ先に、その音源は見つかった。
ただ、彼らの想像していた物とは大きく異なっていたが。
『そこか――ぬ?』
そこにあったのは小さな円筒形の装置。
地面へ無造作に置かれたそれは、何故か第三世代型マキナの特徴である、甲高い駆動音に似たノイズを発し続けており、そのすぐ傍の草陰には、人型に膨らんだバルーンが揺れていた。
『なんだ、これは……?』
『ッ! 下がれボークレイン!』
ワースデルの鋭い叫びが響いたのとほぼ同時に、先頭を進んでいたヴァミリオンmk3のヘッドユニットからは小さな火花が零れ落ちた。
機体は直立の姿勢で硬直したまま動かない。ただ、そのカブトムシとあだ名された特徴的な頭部だけは、音もなく横にずれ動いて地面へと転がっていく。
そして、頭1つ分小さくなったヴァミリオンの向こうでは、相貌を輝かせる青い影がハッキリと浮かび上がっていた。
『う、うわああああああああっ!』
その叫びは恐怖によるものか、あるいは仲間を殺されたことに対する怒りだったのかはわからない。
ただ、3人の中で最も若いハウが、一瞬のうちに混乱してしまったことだけは事実で、トリガを握りこまれた4丁の突撃銃は、辺りに弾丸を撒き散らした。
荒れ狂う銃火は木々をへし折り、地面を抉っていく。
しかし、その派手な見た目と裏腹に、ロックオンすらまともにできていない射撃は、周辺をひたすら散らかすばかりで、地面を蹴って素早く跳ぶ翡翠を捉えることはない。
『こいつ、こいつっ!!』
『落ち着きなせぇ!』
遠く離れた位置から狙いを定めるワースデルは、喚くばかりのハウに鋭く声を飛ばす。
現代の戦士としても機甲歩兵としても未熟な彼女が、状況の急激な変化についていけず混乱するのは、2人を率いていた彼にとって想定の範囲内ではある。
だが、奇襲に失敗しただけでなく、罠に誘いこまれている現状などと予想できるはずもなく、ワースデルは既に捕獲作戦を断念して退避することまで考え始めていた。
『このぉ、いい加減に当た――えっ、うそ、弾切れ!?』
ひたすらフルオートで撃ち続けられていた突撃銃は、ガチンと音を立てたのを最後に、全てが一斉に沈黙する。
ここで彼女が突撃銃を捨て、ハーモニックブレードを抜けていれば、僅かでも未来は変わっていただろう。
だが、訓練では正しい判断ができていても、未熟な彼女が実戦で同じようにできるはずもなく、ハウは咄嗟に予備弾倉へと手を伸ばしてしまった。
『いけねぇ、逃げろハウ!』
ワースデルは隠密の優位をかなぐり捨て、彼女を援護しようと重狙撃銃のトリガを引いた。いや、引いてしまったと言うべきだろう。
機敏に動き回る翡翠へと狙いを定めてはいたが、放たれた徹甲弾はステルス幕を掠めて地面を抉っただけで、次の瞬間、赤く煌めく刃は銀色の装甲をバターのように切り裂いていた。
機関部をきっちり外して両断された尖晶は、ゴォンと重々しい音を立てて地面へ転がっていく。それの様子は、ワースデルからも確実に冷静さをはぎ取っていった。
『この野郎……好き勝手にやってくれやがってよぉ!』
ゆっくりと向き直る翡翠に対し、ククラムッタは黒光りする重狙撃銃を連射する。
『くたばりやがれぇ!』
モーガルは翡翠のパイロットを、本物の機甲歩兵、と称していた。
ワースデルがその言葉を疑うことは1度もなかったが、眼前で軽業師のように弾丸を躱す存在は、彼の想像をはるかに超えている。
捕獲であれ撃破であれ撤退であれ、どの選択肢を取ったところで、生き残れる未来が浮かばない。故にワースデルは、せめて傷の1つは残させてもらおう、と奥歯を強く噛み、ひたすら狙いを定めてはトリガを引き続ける。
だが、その願いは爆轟によって、かき消されることとなった。
『ごは――っ!? なん、だぁ、今のは……!?』
機体が激しく揺さぶられ、機関部の重損傷を知らせる警報が鳴り響くなか、地面に叩きつけられた身体を鈍く起こせば、視界の片隅には見慣れない銀の装甲が小さく映り込む。
その姿にワースデルは細い目を僅かに見開くと、樹木を背にして座り込んだまま軽く咳き込み、口を赤く汚しながらため息をついた。
『くそったれめ……道理でヒスイが榴弾砲を担いでねぇと思ったぜ。脅威は英雄ただ1人、なんていうあっしらの算用は、はなから大外れの大失敗――けんどもだ』
ククラムッタはギギィと軋みを上げ、スコープ状の頭を目の前に現れた青い鎧へゆっくり向ける。
エーテル機関出力が低下している損傷した機体は重く、突きつけられる銃口から逃れる術など、ワースデルは持ち合わせていなかった。
ただ、ククラムッタの眼前で翡翠が武器を構えたまま立ち止まったおかげで、彼にはその思惑が手に取るように理解できた。おかげで、引き攣らせるように持ち上がった口の端からは、狂ったような笑いが零れていく。
『こりゃあおっとろしい相手ですねぇ……ただ、武器突き付けられたところでピーピー歌いだすほど、あっしも素直にゃあ生きてねぇもんで。こっちの幕切れくらい、こっちで決めさせてもらいやすぜ。ナハッ、ナハハハハハ、ヒィッヒヒヒヒヒヒヒヒ!!』
激しい損傷を負ったマキナの中で、ワースデルはひらすら狂ったように笑う。その眼に映ったのは、神代文字で描かれたカウントダウンと、まもなく機体が消滅するという文言である。
警報音をかき消すように笑い声を撒き散らし続ける彼は、もうモニターの向こうなんて見ていなかっただろう。
それから間もなく、木々に囲まれた一帯を熱を伴った衝撃波と爆音が駆け抜け、凄まじい火炎を高く高く巻き上げたのである。




