第233話 ロール家の濃い人々
今までのいきさつを、シューニャは家族にかいつまんで話した。
ブレインワーカーとして働いていたコレクタが壊滅し自分と出会ったこと。それ以降行動を共にし、豊かな生活を送れていること。帝国と王国の戦争について、自分たちが約束事に基づいて行動を起こしていること。それが理由で司書の谷へ戻り、封印が解かれたことで無罪放免となったこと。
発光する不思議な瓶詰キノコによって照らされた居間で、僕はそんなシューニャの話を時々補足する以外、ほとんど黙って聞いていた。
ただ、自分たちの旅路には何かと突拍子もないことが多かったせいで、彼女が語り終えた時、父親であるティムケン・フォン・ロールは渋い顔を一層渋く固めていたが。
「うむ……断片的に理解はできた、と思っておこう。ともかく、アマミさん。貴方が娘を助け、罪を消してくださったんですな。不愛想な娘が、沢山ご迷惑をおかけしたでしょうに、なんとお礼をすればよいか」
「迷惑だなんてとんでもない。自分は世間知らずなものですから、僕の方が世話になるばかりでして――聡明な娘さんにはいつも助けられていたんです」
お世辞ではなく、素直な気持ちでそんなことを口にすれば、シューニャは隣で、ん゛ッ! と、なにか喉に詰まらせたような声を出し、ティムケンの隣で母親だと名乗ったアドーサ・フォン・ロールがまぁまぁと言って微笑む。
「シューニャちゃんはきちんとお役に立てたのね。この子は家のことがなんにもできな――」
「お、お母さんっ!」
珍しくシューニャは腰を浮かせて大きな声でアドーサの言葉を遮る。イマイチ何を言おうとしたのかは理解できなかったが、彼女にとってはよほど聞かれたくない話だったらしい。
それでもシューニャとよく背格好の似た母親はコロコロ笑うだけで、悪びれた様子もないため、彼女は大きく息を吐いて再びストンと座りなおして膨れていた。なんとも彼女らしからぬ新鮮な表情である。
しかし、僕がそれを微笑まし気に眺めていれば、どうにも納得がいかない様子の視線も突き刺さっていた。
「……ねぇシューニャぁ? お姉ちゃん聞いときたいことがあるんだけど、いーい?」
翠色の瞳に浮かぶのは敵意、あるいは嫉妬。そんな感情を隠そうともしないのは、シューニャのスタイルを凸凹に改造し、髪型をロングボブにした上で表情筋を全力で鍛え、恰好を驚くほど色っぽくしたような女性。姉のサンスカーラ・フォン・ロール、通称サーラである。
僕はその様子にたじろいでいるのだが、シューニャからすれば慣れたものであるのか、どこか呆れ顔で彼女を見返す。
「何?」
「シューニャが、そこに居るおと――アマミさんに助けられたのはわかったんだけどぉ……その、ふ、2人はどういうお付き合いをしてるのかなぁ、って」
「行動を共にしている。一種の運命共同体」
ビキッと音が鳴りそうな勢いで、サンスカーラの引き攣った表情が固まったように思う。あるいは、シューニャはそれを狙って発言しているのかもしれない。何か恨みでもあるのか。
「う、うんめい、きょうどう、たい……イギ、ギギギイギ」
「ふぅん、あのつっけんどんなシューニャちゃんがねぇ。お母さん嬉しいわぁ」
全く対照的な親子である。溺愛していた故のショックからか、首をあらぬ方向に曲げながら機械のような動きを見せる姉と、ひたすら娘の成長を喜ぶ母という図式に、僕は居づらいことこの上ない。
そのため、僕は挨拶と説明が大体済んだこの機に、素早く脱出することを決めた。
「さて、僕はこの辺りで失礼させてもらいます」
「あらあら、せっかくだから泊って行かれてもぉ」
「トマトマトマトマトマママママママぁ――」
こんな状況でよく言えるな、と本気で考えてしまう。これで自分が、ではお言葉に甘えて、なんて言った日には、サンスカーラが人外に化けてしまいかねない。
「せっかくですが遠慮しておきます。ようやく再会できたのですから、家族でお過ごしください。シューニャも、何かあれば僕は宿に居るし、明日の朝からはまた遺跡に潜るから、適当に来てくれ」
「わかった」
「えぇ? でもシューニャちゃん――」
「お気遣い、感謝します」
それでもアドーサは何か食い下がろうとしていたが、ティムケンがそれを制して頭を下げる。女所帯で大変だろうと思ってしまうのは、自分と置かれている環境が似ているからか。
ただ、この寡黙な父親は自分と違い、ストッパーとしての役割をきっちりこなしているように見えた。
■
キョウイチを見送って間もなく、私は姉に詰め寄られることになった。いや、予想はしていたのだが。
「シューニャ!? ねぇ、どういうこと!? もう貰われちゃってる感じなの!?」
サンスカーラの動揺は本物らしい。ただでさえ体格差もあれば、自分と比べて運動が得意だった姉に凄まじい勢いで身体を揺すられたため、視界が上下に大きくブレた。あっという間に気持ちが悪くなってくる。
「貰われたとかぁ、そういうのはぁ、なぁいぃ」
「んだとコラぁ!? こんな可愛い妹が近くに居るのに、手ぇ出さねぇなんて、お姉ちゃん許しませんよぉ!! 出しても許さんけどなぁ!!」
「どうすればぁ、いいのぉ」
ガックンガックン揺れる体の中、私はこの姉に何を言っても無駄な気がしていた。いや、むしろサンスカーラから溺愛されていることを理解していた身としては、最初から説得できるなどとは思っていないのだ。
そのため、ここで用事があるのは姉ではなく両親の方である。私はありったけの力でなんとか拘束を振りほどくと、回る視界の中でゆっくりと腰を下ろした。
「……わ、私とキョウイチはまだ、信頼できる仲間という関係でしかない。けれど、少なくとも私は彼に――強い好意、を、抱いている」
「あら、そのくらいだったのね。まぁシューニャちゃんは奥手だろうと思っていたから、そうかなーとはお母さんも思っていたけど」
「正直、未だにどうしていいかわからないことは多い。けど……ここのやり方なら、少なくとも知っている。だから――協力、してほしい」
相手が生みの親である以上、自分の考えは見透かされていたに違いない。それでも私は喉に引っ掛かりそうになる言葉を、無理矢理に吐き出した。
そんな自分に対し、父は硬い表情を崩さなかったが、母は嬉しそうな笑みを浮かべてくれる。
「シューニャちゃんは、彼をどう評価しているのかしら? それなりに歳は離れているようだったけれど」
「う、ん――変わり者で脆いところもある、けど、優しくて強くて、温かい人。支えになってあげたいとも思うし……私自身、彼に甘えているとも……思う」
改めて好意の内訳を口にするとなると、一気に顔が炎に焙られたかのように熱くなる。その上、自分が思っている以上に、スラスラと恭一への好意が出てきて驚かされ、とんでもない動揺が身体を突き抜けていく。
――そうか。私は、こんなにも……こんなにも好きだったんだ。
今までの好意にも嘘はない。けれど、自分を客観的に顧みてみれば、その気持ちはとんでもなく大きく膨らんでおり、心臓が痛いほどに跳ねる一方、その感覚すら心地よいと思えてしまう。
初めて失恋した夜鳴鳥亭の夜。穴が開いたような感覚はあれど、涙を流すようなことはなかった。けれどもし仮に、再び同じようにフラれたとすれば、自分は今まで通りに生きていける気がしない。
そんな不安と羞恥の表情に、母はスッと目を細めた。
「……本当に好きなのね、彼のこと。いいわぁ、お母さん応援してあげる」
「ダメダメダメぇ! お姉ちゃんは絶対許しませんか――」
「サーラ」
不思議な舞を踊って拒絶姿勢を示そうとした姉を、一言で硬直させたのは父である。
ティムケンはフゥと大きく息を吐いて眉間を揉むと、珍しく表情を少し崩してから口を開いた。
「……正直、父さんにも動揺がないとは言えん。だが、お前ももう大人だ。後悔のないよう、自分の心に従いなさい」
「お、お父さんまでぇ!? あれがどんな奴かもわかんないのにぃ!」
普段から無口な父が賛同したことに、サンスカーラは信じられないと大きく仰け反った。
しかし、断固反対を叫ぶ姉へ向けられる視線は、厳しさ半分呆れ半分といった様子である。
「お前が口を挟める立場か? 踊り子という職業だから、まだ異性との出会いがあるというのに、26歳にもなって未だに独り身というのは――」
「うぐっ!? だ、だってぇ! 私は男になんて興味ないんだもん……」
「今更ねぇ。サーラちゃんはサーラちゃんで、好きにすればいいじゃない。でも、それはシューニャちゃんも同じよ?」
父も母も、余程のことが無い限り、自分たちの選択に口を挟もうとはしない。そうでなければ、サンスカーラはこの年齢まで独り身のままで踊り子を続けることなどできず、声高に女好きを叫ぶことも難しかっただろう。無論、その後に苦労や責任がのしかかってくることまでを含めての放任ではあったが。
「ぐぎぎぎ……あ、頭では理解してるのよぅ。でも、でも、どーしても心がッ! 認め、られ、ない、のッ!」
両親のあまりにも重みのある言葉に、姉は奥歯を噛み締めながら駄々を漏らす。
そんな彼女の様子に父は処置無しと肩を竦め、母は笑いながらしっかり無視を決め込んだ。
「それで、シューニャちゃんはやり方、きちんと覚えているの?」
「……長くやっていないから、少し不安」
母が口にしたのは、この谷における伝統の話。
私も幼い頃に習っており、体に染みつくくらいに練習した物だが、10年以上触れることも無く、ここ2年に至っては谷にすら居なかった状況で、ぶっつけ本番は流石に無理がある。
それに加え、自分1人では準備さえままならないのだ。だからこそ両親を頼っており、それに母は嬉しそうな表情を浮かべてポンと手を打った。
「それじゃ、準備ついでに全部おさらいしておかないとね。サーラちゃんも手伝って」
「いやいやいやいや! 私は絶対認めないからね!」
まさかこの状況で名指しされるとは思っていなかったのか、サンスカーラは首を横にブンブン振り回す。
とはいえ、彼女は谷の伝統について、我が家どころか司書の谷において最も優れていると言っていい。しかも当事者である自分には、極僅かな練習時間しか取ることができず、失敗も許されない状況であるため、姉からの協力はなんとしても得ておきたいのだ。
だから、私は長年封印していた禁じ手を使うことを決め、深呼吸してからサンスカーラの前に立った。
「おねぇ、ちゃん」
「へっ!? しゅ、シューニャ……? 今、何て――」
それはいつからか恥ずかしくなり、使わなくなった懐かしい呼び方。
歳の離れた姉の背中を追いかけた、幼い頃の自分と同じように、私はゆっくりとサンスカーラへ歩み寄り、その胸にゆっくりと体を預けた。
「お願い、力を、貸して」
「な、や、ぁ……そんな顔されたら断れるわけないじゃないのぉ! ハイ喜んでぇッ!! うふ、うふふふへへへへへ!」
身長差のある姉が相手では、私は否応なく彼女を見上げることになる。それは意図せず上目遣いとなったのだろう。目があった途端、サンスカーラは頬に片手を当てて身体を揺らし、反対の手で口と鼻を覆いながら妙な笑い声を響かせる。しかもその裏では、何か赤い液体が流れていたように見えた。
こうして私は、呆れかえる父に見守られながら、本日の最大目標を達したのである。




