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悠久の機甲歩兵  作者: 竹氏
定住生活のはじまり
201/330

第201話 階調地帯の夕暮れ

 王国軍の増援部隊主力がグラデーションゾーンの前哨基地へ到着したのは、王都を出発してからちょうど6日目の夕方頃だった。

 ユライアランドが冬の嵐に見舞われるのを雲行きから察した主力は、昼夜を分かたず行軍を続けることで無理矢理に大地の裂け目を渡って豪雪を躱すことに成功する。ただし人獣共に疲労は重なっており、休息を挟まなければ戦力低下は避けられない。

 おかげで兵たちには到着して間もなく長い休憩と食事が与えられた。しかし指揮官たちは休息という訳にもいかず、天幕で頭を突き合わせて状況の確認作業に忙殺される。

 ただ運が良かったのか、そんな状況で敵に襲われることはなかった。

 だが兵たちに代わって見張りに立ったジークルーンは、どうにも不穏な空気を感じて眉を顰めてしまう。


「潜んでるとしたら、あの辺りかなぁ」


 これは彼女なりの勘だった。

 騎士団に入ってこの方、警戒隊として任務についてきたジークルーンは、国境付近の警戒に当たっていたことが非常に多い。おかげでその地形は大まかながら大体把握している。

 前哨基地の周囲はなだらかであるものの、乾季にはほぼ枯れるとはいえ川が流れていることもあって多少の起伏が存在していた。茜色の光に影を落とすその1つが、ジークルーンにはどうも怪しく思えてならない。

 しかし隣で同じように警戒していた先任の老兵は、ほぉと微妙な声を出す。


「自分には見えませんが……何か兆候でも?」


「ううん、そういうのじゃないんだけど。なんていうか、見られてる気がしてて……」


「見られている、ですか」


 彼は顎髭を撫でながら、皺の多い表情を曇らせた。

 ジークルーン・ヴィンターツールと言えば騎士団の中でも落ち零れであり、貴族だからという理由で副官などという職についているだけのお飾り。それが軍隊における一般的な彼女の評価である。おかげで兵たちは一応指示は聞きこそすれど、どこか侮蔑的な視線を向ける者が多い。

 だがこの老兵は、孫ほど年が離れているであろうジークルーンの言葉を軽視しようとはしなかった。ただ僅かに目を細め、彼女が指さした先に意識を集中する。

 ヒュン、と風切り音が聞こえたのはその直後だった。


「むんっ!」


「ひっ……!?」


 ジークルーンの眼前に何かが迫り、更にそれを銀の刃が斬り払う。

 間一髪である。もしも老兵の反応が遅れていたら、今頃彼女の胸には長い矢が突き立っていたことだろう。


「騎士殿、鐘を!」


「えっ、あ、は、はい!!」


 老兵の低くしわがれた声に、怯えていたジークルーンはハッと我に返ると、慌てて鐘を叩きながら声を張り上げた。


「敵襲! 敵襲ーッ!」


 高い彼女の声は通りにくくとも、ガンガンと打ち鳴らされる釣り鐘は兵たちの耳にしっかり届いたことだろう。前哨基地の空気はたちまち緊張に包まれると、兵たちは瞬く間に守備を固め始め、長弓を背負って射手が警戒塔に駆けあがってくる。


「古兵殿! 敵はどちらですか!?」


「あの茂みを狙って射れ! 適当で構わん!」


「ハッ!」


 古兵と呼ばれた彼の指示通りに射手は素早く長弓に矢をつがえると、手慣れた様子で軽快に矢を放ちはじめる。

 その射手の速射もさることながら、ジークルーンは古兵の的確かつ迷いのない指示に大きく目を見開いていた。いくら歳を重ねて経験が豊富だとはいえ、彼は指揮を取るべき騎士ではなくただの兵士に過ぎないのだから。


「騎士殿、呆けておられる状況ではありませぬぞ!」


「ご、ごめんなさい!」


 重みのある声にジークルーンはつい頭を下げてしまう。だがこれは流石に古兵とやらも意外だったのか、一瞬ポカンとした後でハッハッハと笑って見せた。


「貴族ともあろう御方が、まさかこのような老いぼれに頭をさげなさるとは。どうぞここはお任せください! 急ぎ報告を!」


「――はいっ」


 梯子を下っていく彼女を横目に、古兵は自らも弓を取って弦を引き絞る。

 しかし襲撃されているにも関わらず、その表情は妙に面白そうなものだった。


「あれでは指揮官どころか、貴族にも向かんように見えるなぁ」


「ヴィンターツール御令嬢でしょう? 胸は悪くないですが、へっぴり腰ですからね」


 困ったものだ、と射手は鼻で笑いながら次の矢をつがえる。

 だがそれを聞いた古兵はムッと表情をしかめると、僅かに怒気をはらんだ声で反論した。


「口が過ぎるぞ。彼女が気づいていなければ、今頃ワシは生きておらなんだやもしれんというのに」


「は? 古兵殿が気づかれたのではないのですか?」


「……妙だと思った、だそうだ。見事な勘働きであろう? ああいう御方はな、へっぴり腰に見えても意外と粘り強いものぞ」


「そ、そんなものですか」


 射手の頬に冷や汗が伝う。それは別に敵からの矢が警戒塔に刺さったからではない。

 古兵と射手の付き合いはそれなりに長かったが、怒りの感情を露わにした姿など敵を前にしてもなお見たことがなかった。それほど温和な人物が、噂に聞くヴィンターツール令嬢の騎士にあるまじき気弱さを告げただけで、まるで抜き身の剣が如き威圧感を漂わせるとは思いもよらなかったのである。

 一方の古兵としては面白い娘に会ったものだと、愉快愉快と内心で笑っていたのだが。



 ■



 帝国軍の小部隊が襲撃を仕掛けた。

 無論それは制圧を目的としたものではなく、適当に矢を射かけて姿を見せては退き、時々歩兵からウォークライを響かせてはまた退き、そんなことの繰り返しに過ぎない。

 簡単にいうなれば、嫌がらせの類である。

 だがこれは有効な攻撃手段であり、防御側は放置することもできずに反撃せねばならず、狙撃されれば警備兵に損害を被る可能性もゼロではない。だからといって警戒をし続けていれば兵士はどんどん疲弊していく上、それに合わせて士気も下がってしまう。

 だからこそ夕方朝方食事時、嫌らしいタイミングを狙って行うのが定石であり、ヘンメは自分の読みが当たったことに1人で拳を握った。


「っしゃぁ! これで王国の連中に気付かれることはなくなった。セクストン、出せ!」


 彼は義手義足にもかかわらず器用に獣車に飛び乗ると、御者台を蹴飛ばしてセクストンを急かす。

 それにため息をつきながら真面目な騎士補は手綱を揺らすと、街道から外れた草原の中に獣車を進ませた。


「……ほんと考えることが賊のそれですよね」


「合理的と言いやがれ! この方が警戒に出てる連中にも見つかりにくくていいだろうが」


「これでも隠れてるんですから静かにしてください。大体なんでわざわざ街道側を選ぶんですか……?」


 いくら背の高い茂みに覆われているとはいえ、獣車が動けばそこそこに目立つ。しかも以前王国へ潜入した時と違い、主要街道の脇という明らかに見つかりやすい場所を進んでいるものだからセクストンは気が気ではない。

 だがヘンメは声を殺して笑うと、荷台にドカッと腰を下ろした。


「考えろよセクストン、あんときは状況が違う。前は俺たちが王国軍に目をつけられなきゃそれでよかったから、わざわざ面倒臭え遠回りをしたわけだ」


「見つかりたくないのは今回も一緒じゃない?」


「そりゃあ見つからねぇのが最善だが、今回は見つかったとしてもやりようがあるし、こうすることでより重要な問題を避けられるかもしれねえぜ」


 横になったままで不思議そうに首を傾げるエリネラに対し、ヘンメは人差し指を立てて見せる。

 無論彼女にはこの理由などわからない。だがそれはセクストンも同じであり、前を向いたままで訝しげな表情を浮かべていた。

 それを承知で無頼漢は簡単に答えを口にする。


「見つかりたくねえのは俺たちより追手だってことさ。偶然にも王国軍が足止めしてくれりゃ万歳、そうじゃなくとも連中だって隠れて進むしかねえから、もたついてる間にこっちは多少距離を稼げる。グラスヒルまで行っちまえば、英雄様と合流できるだろうしな」


 一行が帝都を脱出してから今に至るまで、未だに追手からの襲撃はない。おかげで敵が人間なのか化物なのか判断しかねていたが、どちらにせよ王国軍にぶつかってしまえばその分動きは鈍る。それに自分たちが英雄ら一行と合流できてしまえば、相手がなんであれ障害にはなり得ないとヘンメは踏んでいた。

 それを聞いたエリネラは、ほへぇ、と間の抜けた声を出す。


「なるほどなー……ヘンメは頭いいね、盗賊頭みたいな顔してるのに」


「あ゛ぁ゛ん? 誰が盗賊面だ、ぶん殴るぞ」


「自分にも()()()()否定できませんね。諦めてください」


「お前ら俺が功労者だってこと忘れてねえか?」


 2人の評価に対してヘンメのこめかみに盛大な青筋が浮かぶ。

 これが今ほど切迫した状況でなければ、このチンピラ無頼漢は容赦なくエリネラとセクストンの頭に拳を振り下ろしていたに違いない。覚えてろよ、と毒づきながら彼は無理矢理怒りを飲み下す。

 その様子に赤い少女は珍しく凹ませてやったと笑っていたが、唐突に真顔になると何を思ったのかうーんと声を漏らした。


「ちょっと思ったこと言っていい?」


「ふざけたことぬかしやがったら、適当に捨てていくからな。で、なんだ?」


「うん。ヘンメの作戦なんだけどさ、これってアマミと合流できなかったらヤバくない?」


 言葉が途切れた静寂に、木の車輪が回る音とアンヴの蹄が地面を叩く音だけが、不思議とやけに大きく聞こえていた。

 エリネラは頭が悪い。周囲がそう思っているのは言うまでもなく、何なら彼女自身も口でそれを否定こそすれどよく理解してもいる。だが動物的な勘は鋭く、時折核心を突いたようなことを言ったりもするものだから質が悪い。

 それは立案者にとって否定できない粗であり、作戦に乗った2人にとっては最重要な部分だった。

 だからだろう。長引く沈黙に耐えかねたセクストンが妙に明るく、しかしどうにも乾いた声を出したのは。


「ヘンメ殿、無論何か策はあるんですよね?」


「ヘンメだもん。絶対なんか隠してるんでしょ?」


 あれほど自信ありげに語ったのだから、とエリネラも暗くなる空を眺めながら騎士補に同調する。

 だというのに、当本人であるヘンメはボサボサの髪を適当に掻くと微妙な表情を作った。


「……そん時はまぁ、頑張って王都まで逃げるしかねえやな」


 再び凍る空気。業火の少女と呼ばれた元将軍が居るにもかかわらず、獣車の上は永久凍土となったかのようだ。

 グラスヒルから王都まで、獣車の足で数日。だがまず英雄一行と合流しようとすれば、しばらくは彼らを探して地域の中を逃げ回る必要が出てくる。もしもここで敵の追撃に見つかってしまえば、そこから王都までの逃避行は絶望的であろう。

 だというのに、ヘンメはからりと言い放つ。


「まぁなんとかなるだろ! 最悪は王国軍にでも泣きついてみるさ」


「……将軍、自分はそこそこヘンメ殿は頭のキレる御方だと思っていました」


「間違ってはないと思うぞセクストン騎士補。ただこいつ大事なところはすっからかんだかんね。そうじゃなきゃうぞうぞ虫(ポインティ・エイト)なんかに部隊全滅させられたりしないって」


「うるせえ、頭全体がスッカスカのお前に言われたかねえわ」


 セクストンは策を預ける相手を間違えたのではないかと絶望し、エリネラは仕方ないのだと諦めたように笑う。ただより良い作戦があったかと問われれば、2人とも首を横に振ることしかできないため、結局はヘンメに頼る以外に方法はなかった。

 おかげで無頼漢はこいつらと顔を引き攣らせたものの、しかし重大欠陥があることもまた事実であり、唸るだけ唸ると腕を組んで目を瞑ってしまう。

 迫る夜闇は身を隠すのにちょうどいい。月明かりだけの草原を、一行を乗せた獣車はひたすら西へ進む。

 ただ道の脇で不自然に草が揺れたことには、誰も気づいていなかったが。



 ■



「おーしおし、よーやっと見つけたかい。やー、これで怒られずに済むかな?」


 騎乗したアンヴの上から、オレはフードを深く被った連中から報告を受け、パンと強く手を打った。

 本当は王国に入らない内に見つけたかったが、皇帝陛下から追跡命令が出るまでの僅かな時間の浪費で、まさかここまで逃げられるとは思いもよらない。

 しかし借り物である()()()たちは有能であり、軍獣もないまま疲れも知らずに捜索を続け、今ようやく発見の報を持ち帰ってきてくれた。見た目が気持ち悪いことはさておき、なんとも健気なことではないか。


「んーと、とりあえずオマエら伝令ね。玩具好きな彼にさ、2、3日王国軍と遊ぶように言っといて。まぁあれが本気になったらそんなに持たないかもだけど。こっちは散らばってる連中集めて襲撃の準備だ」


「ヴ……」


 指示を出せば集まっていたフードたちは小さく頷くと、散り散りに闇の中へ溶けていく。その動きは人の形をしている者としては、どうにも違和感がありすぎるが。

 ただ正直そんなことはどちらでもいい。連中はただの兵士よりよほど有能で強く、その上キメラリアの身である自分の指示さえ嫌がることなく従ってくれるのだから。


「……さて、どんな風になるかなぁ。戦えるかなぁ、くふふふ」


 オレは僅かに身体を揺すって笑う。ただでさえ今まで自分とまともに戦えた者はほとんど居ないのだ。

 もしもレディ・ヘルファイアと剣を交えられるなら、それは自分にとって戦神ベイロレルの導き以外の何物でもない。そこにどんな理由が付随しようとも自分には関係がなく、面白そうだからという理由で、よくわからないジジイに従ってきた価値もあったというものだ。

 だからオレは明日がいい日になることを祈った。それが誰にとってもいい日かどうかは別として、だが。

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>最後の何某か 小物臭…! 圧倒的小物臭……!
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