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悠久の機甲歩兵  作者: 竹氏
定住生活のはじまり
197/330

第197話 渡り鳥のように

 カサドール帝国領ロックピラー。バックサイドサークル。

 そこでは大急ぎで天幕の撤収作業が進められ、無数の獣車が大量の荷物を積んで待機していた。その様はまさに大移動の準備である。

 それはコレクタユニオンとて例外ではなく、あの大天幕を解体する作業が行われていた。


「ったく、逃げ足の速ぇこった」


「ふん……お前たちが転がり込んでこなきゃ、ここまで急ぐことはなかっただろうさ。だが首長共がそう決めたんなら仕方ないだろう?」


 ヘンメの言葉にグランマは心底面倒くさそうに長煙管から煙を吐く。

 如何に権力者である老婆であっても、バックサイドサークルそのものの決定には逆らえない。否、逆らおうとしても無駄だった。

 流浪民族である彼らは基本的にアナキストである。一応は代表として首長などと言う存在を数人置いてはいるが、彼らは対外交渉役に過ぎず決定権は個々人が持ち続けているのだ。

 それでも集団心理というものは存在し、誰かがそうだと感じたことや、数人が動き出すことをきっかけにこんな大移動にも発展する。

 それがたとえ、どこから流れてきたかもわからない、真偽を確かめようがない噂であってもだ。

 しかしヘンメは苦情顔のグランマに、わかってねぇと肩を竦めて前に止められた獣車の中を指さした。


「むしろ感謝しやがれ。エリをこんなにしちまうような相手だぜ?」


「こんなとは……なんだよぉ」


 イテテといいながら、エリネラは身体を起こす。

 しかしその体のあちこちには包帯が巻かれ、激戦を潜り抜けてきたことは誰の目にも明らかだった。


「レディ・ヘルファイアが手ひどくやられたもんだよ」


「っつぅ……簡単に言ってくれるよねグランマ。相手がただの人種なら、こんなボロボロにされるもんか」


 彼女は軽く額を押さえながら、苛立ったような表情でグランマを睨みつける。

 大層な治療が施されてはいるが、そもそもエリネラにとって外傷は大した問題ではないのだ。


()()()()はしぶといんだ。真銀の刃を通したって、簡単に死なない」


 あの日、彼女が城の地下で交戦した相手は、見たこともない化物である。

 どれもかろうじて一応の人型はしていたものの、口から触手が伸びるものや腫瘍のような肉に全身が覆われたもの、何処かだけが異常に肥大化したもの、複数の顔を持つものなどとにかく不気味な存在だらけだった。

 しかも全てに共通して異常に生命力が強く、薄く切りつけた程度では止まらない。とはいえ手数に劣っている状態で、1匹1匹に深い傷を負わせるのは至難の業である。

 そこでヘンメはエリネラに対し、刃を入れた断面に魔法の炎をぶつけて焼くよう指示を出した。流石に内部を焼かれては堪らなかったのか、これが功を奏し2人は退路を確保することができたのだ。

 だがその消耗はかなりのものであり、特に義手義足のヘンメは防戦が手一杯だったため、実質エリネラが敵のほとんどを受け持たざるを得なかった。

 しかも退路を開くためとはいえ、彼女は触媒無しで魔法を連発せざるを得ず、精神的にも肉体的にも酷く憔悴し、王城の地下から脱出してきた時には既にヘンメに抱えられていたほどだ。

 あれから何日も過ぎたが、エリネラはその時に受けた傷も疲労も未だに抜けきっておらず、それはグランマの目にもよく理解できた。


「お前の力は良く知っている、帝国に住む誰もがね。だからこそバックサイドサークルは移動を決めた」


「なんか腹立つなぁ……このしわくちゃお化け」


「ヒッヒッヒ、ションベンの臭いが抜けきらない小娘がよく咆えるもんさ。それだけ喋れりゃ上等だよ」


 人を実験台にしやがって、とエリネラはグランマを睨みつける。

 しかし老婆は臆するどころか愉快そうに笑い、かと思えばふいに冷めたような表情を作ってヘンメに向き直った。


「ホウヅクは飛ばしたんだね?」


「ああ。王国のアホ共が焼き鳥にしてねぇなら、今頃届いてるはずだ」


 ホウヅクは他の鳥と比較すれば、圧倒的に長い距離を飛ぶことができ、飛翔速度も速い。

 しかし結局は生き物であるため、射落とされてしまえば連絡は途絶えてしまうという弱点を持つ。無論、誰でも簡単に射落とせるわけではないが、腕の立つ射手が居れば不可能ではない。

 そのためヘンメは国境周辺は夜間に越えられるよう、必死で時間を計算してから放ってはいたが、相手が生き物であるために確実とは言えなかった。

 それはグランマも理解した上であり、長煙管をトンと叩いて灰を落とすと、上等だろうと口の端を歪める。


「こっちからも王都へは飛ばしてる。どっちも落とされてるってことはないだろうさ」


 少しでも可能性を高めるために、と老婆は息を吹く。

 とはいえ、こちらはコレクタユニオンを経由して王国へ情報を伝える方が主任務であり、ヘンメの飛ばしたものとは役割が大きく異なっている。

 ただでさえあの英雄はこちらを警戒しており、バックサイドサークル支部からの依頼となれば、受け取りにくくなるだろうとグランマは考えていた。

 しかしこの老獪な支配人はそんな状況でさえ、まるで博打を楽しむかのように頬を歪めてみせる。それをヘンメは煙草に火をつけながら呆れたような声で、それで、と続けた。


「コレクタユニオン本部からの応援は?」


「はん、あの保身しか考えられない弱腰共が兵を寄越すと思うか? そんなもの、期待するだけ無駄さ」


「チッ……本気で糞だな。当てにできんのは自前と王国とお人好しだけだってか?」


 無頼漢はチンピラらしい侮蔑的な表情を浮かべ、危機感のない連中だと吐き捨てる。

 それでもグランマには勝算があるのか、長煙管を横に控えるキメラリア・カラのマルコへ預けると軽く手を打った


「あたしゃ()()()()()()()。やるべきことをやりなヘンメ、世界は選択する日を待っちゃくれないんだ」


「ちったぁ加減しやがれ。こっちでまともにやりあえんのは、あのカタブツくらいなんだからよ」


「情で英雄を味方にできる可能性が高まるなら、怪我人を走らせるくらいでちょうどいいのさ」


 老婆の中に情はない。だからこそヘンメは信用している。

 しかしこうも真正面から、お前たちは餌だと言われればいい気分はせず、ああ畜生、と言いながらガリガリと頭を掻いた。


「クッソババアが……ッ! 絶対ろくな死に方しねえぞ!」


 呵々大笑しながら去っていく小さな背中に、ヘンメはありったけの嫌味をぶつける。

 彼とて妖怪を御することなどできず、対等に話すことさえ簡単ではない。だからこそ策を委ねられるとも言えたが。

 ヘンメは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら義足で煙草を踏み消すと、エリネラが休む獣車に乗り込んだ。


「最悪だぜまったく……セクストン、出せ」


「はい」


 御者を務めるセクストンが手綱を軽く鳴らせば、アンヴに引かれて木製の車は動き出す。

 獣車は荷台の大きさに対して、積載した荷物と人の数が少なく、軽快に街道を駆けていく。それを感じた旅装姿の騎士補は僅かに表情を硬くし、緊張した面持ちでポツリと呟いた。


「ヘンメ殿。今回の事、心より感謝いたします」


「礼ならエリに言え。お前の嫁さんと赤ん坊をグランマに預けたのは、アイツなんだからな」


 ヘンメはあっけらかんと言い放ち、荷台に転がるエリネラを顎で指し示す。

 そのぞんざいな扱いに赤い少女は少しムッとしながらも、何のことはないと空を見上げながら呟いた。


「ゴーリテキ判断って奴だよ。どうせ今のあたしたちじゃ、セクストンのお嫁さんと、あんな小さい赤ちゃんを守りながらなんて戦えないじゃん」


 それはグランマが言っていた対価。

 妻子持ちであるセクストンは、家族を連れて逃げる以外の選択肢がなかった。エリネラたちと行動を共にしていた以上、従軍していたはずの帝国では既にお尋ね者であり、妻子にまで危害が及ぶ可能性が高い以上、帝都に残ることもできなかったのである。

 しかし彼の妻はただの農家の娘に過ぎず、それも赤ん坊の世話をしながらの長距離行は、旅慣れぬ身に大きな負担となっていた。

 それをエリネラは独断で、コレクタユニオンに預かってほしいとグランマに頼み込んだのである。

 これには流石の妖怪老婆も目を剥いて驚いた。


『鬼神とも恐れられる大将軍が、いきなり甘っちょろいことを言うじゃないか』


『狙われるのはあたしたちだからね。正直な話、帝国はバックサイドサークルなんて最初から眼中にない』


『へぇ? ただの馬鹿だと思っていたが、自分の立場を理解するだけの力はあるらしい』


『あたしにお母さんのこととか、赤ちゃんのこととかはわかんないよ。けど、こんな戦いに巻き込んじゃいけないのだけはわかる。これでも一応、将軍だからね』


 この言葉にグランマは手を叩いて素晴らしい心がけだと笑い、エリネラの案を呑んだ。

 だがそれは、自ら進んで交渉人として王国へ出向くことを意味していた。

 重大情報を握られている以上、帝国は必ず追手を差し向けてくる。それを躱しながら、情報を王国と英雄に届けねばならない。それも以前と違って身分を偽らず、かつ傷だらけの体でだ。

 帝国からの襲撃に負ければ確実に殺され、仮に王国へ逃げ込めたとしても、情報を信じてもらえなければ斬首される可能性も十分にある。あまりに分の悪い賭けだった。

 だからこそ、セクストンはグッと奥歯を噛む。


「将軍、自分は――」


「勘違いするなよセクストン騎士補! あたしは借りを返しただけだぞ!」


 エリネラは素早く彼の言葉を制すると、いつもと変わらぬ尊大な口調でそう言い切った。残念ながら荷台に敷かれた藁の上に転がったままという、威厳もへったくれもない状態だったので、ヘンメはクックッと肩を揺すって笑いを堪えていたが。

 しかし肩越しに振り返ったセクストンは、何故か呆けたような表情をしていた。


「借り……ですか?」


「アマミから守ってくれたじゃん。これでおあいこだかんね」


 浅黒い肌から白い歯を覗かせて、業火の少女は楽し気に笑う。

 セクストンに忠義があったかどうかはわからない。しかしこの騎士補はひたすら実直で、彼自身の感情がどうであれ与えられた任務を粛々とこなしていた。将軍を害する者であれば、たとえ無敵のリビングメイルを相手としても、命を賭けて前に立ち塞がるくらいには。

 エリネラは馬鹿ではあったが、部下や国民からは慕われる将軍であった。それは彼女が金銭や権力に対して執着がなく、単純に恩は返すという姿勢を貫いていたからに他ならない。

 あまりにも堅物な騎士補はその言葉に、ついに嗚咽を漏らしながら目頭を押さえた。


「おい泣くなよ鬱陶しい」


「セクストンは泣き虫だなぁ、そんなのだから弱っちいんだよ」


「ほっといてください!」


 そんな彼を無頼漢の男と、傷だらけの将軍が悪い声で笑えば、セクストンは涙声で叫んだ。

 ただ、誠実さだけを武器に仕事をこなしてきた騎士補は、自ら帝国に捧げていた剣を下げ、心で静かに新たな主へと忠誠を誓う。

 今まともに戦えるのは自分しか居ない。ならば全身全霊をもって彼らを守ろう。

 たとえ何百の化物が相手であろうとも、王国が亡命を受け入れず孤立しようとも、自分だけは彼らのために命を使うのだと決意した。

 獣車は東へ向いて速度を上げていく。砂塵の舞う荒野から、草木に潤う国を目指して。

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