第196話 出かける者、帰る者
騎士隊の宿舎で、自分に与えられた個室は比較的広い。
私は小さな机を前にして、書き終えた手紙を確認して小さく息を吐く。
これで全ての準備は終わり。文字を書きにくいからと外していたガントレットを着けなおし、腰に剣を帯びて立ち上がれば、それでもなお大きな不安が襲い掛かってくる。
それは今までにも何度となく繰り返した感覚。しかし今回はいつもよりも大層気分が重く、それは傍に控える使用人にもひしひしと伝わっていた。
「お嬢様……お断りできないのですか?」
「ありがとうクリン。でも、私だって騎士だから、急な命令でも応じない訳にはいかないよ」
不安げに表情を曇らせる彼女に、私は年上としても主人としても、精一杯の笑顔で心配いらないと返す。しかしその内心では、逃げ出したい心で一杯だった。
このところグラデーションゾーンにおいて、カサドール帝国軍の小部隊からの襲撃が増えているという。
帝国軍は先の会戦で大敗を喫したため、しばらく攻勢には出てこないだろうというのが王国首脳部の考えではある。しかし雨期の奇襲攻撃で危機に晒された直後であるため、ガーラットはこの小規模な攻撃が何らかの前兆であると考え、国境線の防衛を強化する緊急対策案を打ち出したのだ。
それに伴って今朝方、軽騎兵隊を中心とした増援部隊の第一陣が前哨基地へ向けて先行。続いて急遽編成された主力たる第二陣は、足が遅いために僅かに遅れて昼過ぎに進発することが決まっている。自分を含む白色騎士団はそこに含まれていた。
マオリィネは勅命のため特例的に招集されていないが、自分は再編成を終えた第二警戒隊の副長として、嫌ですと言えるわけもない。
だからこそ私は、普段以上に努めて明るく振舞った。
「大丈夫だよぉ、今回はオブシディアン・ナイトもついてきてくれるんだから」
「そ、そうです、よね」
そのあまりにも頼もしい名前に、クリンの表情は少しだけ明るくなった。
王国は先の会戦で大勝利を収めてはいる。しかし部隊は多少なりとも損耗しており、元々の兵力が少ない王国には余裕がない。そのためガーラットは、復活したテイムドメイルを前面に押し出すことで敵の士気を挫き、帝国の大攻勢を躊躇わせようと言うものだ。
そのテイムドメイルの護衛に、精鋭たる白色騎士団は抜擢されていた。
――マオが居ない戦場は初めてだけど、やらなきゃ、だね。
所詮相手は小部隊。テイムドメイルを相手に戦えるような連中ではない。
そして警戒隊の主な任務は偵察であり、自分が人と刃を交える可能性はかなり低いのだ。
いつまでも年下のマオリィネに頼っていては駄目だ、と私は気合を入れなおし、ガントレットを握って無理な大股で前へ踏み出す。
「お嬢様、もう行く――じゃなくて、行かれるのですか?」
まだたどたどしい使用人口調で、クリンは美しい緑色をした飾り羽を揺らす。
私はそれが可笑しくてクスクスと笑いながら、したためていた幾つかの手紙を彼女に渡し、ポンと肩を叩いた。
「集合の前に、これを預けないといけないから。ついてきてくれる?」
「は、はい。お供致します」
小柄な彼女は小さな歩幅で私に続いて部屋を出る。
騎士団の宿舎は平民街と貴族街の間。内側の市壁に隣接するように作られており、貴族たちを守る防衛線として機能している。また、騎士団には兵卒から叩き上げの軍人も多いため、庶民と貴族が入り混じる特殊な空間でもあった。
おかげでキメラリアのクリンを連れていても、貴族街を歩いている時ほどの異様な視線はない。これには最近活発化している、キメラリアの地位向上運動も影響していそうだが。
おかげで特に何かを気にすることもなく、騎士団宿舎の廊下を周囲に挨拶をしつつ歩いて居れば、詰所から出てきた珍しい人物と目が合った。
「やぁ、ヴィンターツール。ちょうどよかった」
「えっ、パーマー子爵!? どうしてこちらに……」
人懐こい笑みを浮かべながら歩み寄ってきたのは、ラメラーアーマーの上から白いマント着飾った青髪の青年である。雰囲気こそ気さくな男であるが、私は自分が声をかけられたことに心底驚いていた。
アナトール・パーマー子爵。あのオブシディアン・ナイトのテイマーであり、王国内ではガーラットやエデュアルトに並ぶ有名人である。
「今回の出撃は騎士団が護衛につくと聞いて、集合前に少し挨拶をとね。確か君は警戒隊だったろう?」
「は、はい。第二警戒隊で、副長をしていますけど」
ビクリと自分の身体が跳ねる。何故この有名人が自分のような田舎貴族のことを知っているのだろう。
子爵としては圧倒的ともいえる発言権を持っている相手である。それが挨拶とはいえ、わざわざ声をかけてくるのは驚きを通り越して、やや怪しくすら感じられた。
しかし、アナトール本人はそれを気にした様子もなく、カラカラと笑う。
「そう緊張しないでくれよ。私は君とトリシュナーには感謝してるんだから」
「感謝……ですか?」
「君らは私の鎧をまた戦えるようにしてくれたのだ。感謝程度じゃ足りんよ」
私は咄嗟に違うと叫びそうになった。
あれを直したのはダマルであり、自分やマオリィネはアマミと彼に無理を言って通したに過ぎない。
だが、秘密だと言われている以上それを口にもできないため、私が困ったような笑顔で無理矢理に否定をかき消すと、アナトールは殊勝な事だと鷹揚に頷いて見せる。
「また改めて礼をさせてほしくてね。よければ今度、うちのパーティに来てくれ。是非その時は、トリシュナーと共に」
「え、えっ!? 私が――?」
そっと手渡された招待状に、頭が一瞬で真っ白になった。大貴族であるパーマー子爵家のパーティに、自分が指名で呼ばれるなど考えたこともない。
「それじゃ、次に会うのは戦場かな。トリシュナーにもよろしく」
自分の反応が予想通りだったのか、彼は苦笑しながらポンとこちらの肩を叩くと、ひらひらと手を振りながら通り過ぎていく。
クリンは習った通りに深々と頭を下げていたが、私には何が起こっているのか、全く理解ができないまま呆然としてしまった。
「お嬢様、その、お時間――」
「えっ!? あっ、そ、そうだね! 急がないと!」
彼女に声をかけてもらわなければ、私は貴重な時間を棒立ちのまま無駄に過ごしたことだろう。
急ぎ足で騎士団宿舎を後にすると、そのまま通い慣れたあの店へ足を向けた。
■
薄く積もった雪を噛みこんで履帯を軋ませながら、玉匣は重々しい車体を停止させる。
街道から人が減るのを待って動き出したため、快晴だった青空はしっかりと茜と紫が混ざり合う時間になっており、6日ぶりの我が家からは夕餉の煙が立ち上がっていた。
「やっと帰ってこれたねぇ」
「全くだぜ。あ゛ーっ……久しぶりの長距離ドライブは腰にきやがる」
上部ハッチから身体を出した僕は、狭い砲手席で凝り固まった身体を解しつつ車体から飛び降り、木製のガレージドアを引いて開く。
その内にダマルは超信地旋回で車体の向きを変えると、バックで車庫へと玉匣を進ませた。
これでクローゼからの依頼はこなせたわけだが、ここからはマキナの整備やら新たに手に入れた武装の点検やらと、内職的な仕事が多数待っている。それを思えば行軍と戦闘で疲れた体からは自然とため息が出た。
だが、自分には疲れている間すら与えてもらえないらしい。
「キョーイチ!」
響き渡ったバァンという激しい音にビクリと肩を震わせて振り返ってみれば、開かれた玄関扉からポラリスが飛び出してきていた。
それも後に続いて女性陣もゾロゾロとこちらを覗き込む。まるで予期せぬものが突然現れたかのような反応だった
「た、ただいま――おっと?」
軽く手を挙げて挨拶をしてみれば、これまた凄まじい勢いで彼女は僕の腹へと飛び込んでくる。それもぐりぐりと頭を擦りつけたかと思えば、ぷぅと頬を膨らせて大きな空色の目でこちらを睨まれる。
「おーそーいーよー!」
「あ、あぁ、すまない、ちょっと作業に手こずってね」
どうやら余程心配させてしまったらしい。甲虫のようにへばりついたポラリスを抱き上げてぐしゃぐしゃと頭を撫でれば、それを見てシューニャがふぅと呆れたようにため息をついた。
「あまり心配させないでほしい。明日戻らなければ、コレクタユニオンに捜索依頼を出すところだった」
「そりゃあまた、随分大袈裟だなぁ」
それはいわば、警察への捜索願に相当する行為なのだろう。まさか連絡手段がないことが常識である現代で、たった数日のズレでそこまでするかと僕はシューニャの過保護さに苦笑を深めた。
だが過保護だと思ったのは自分だけらしく、ファティマは目尻を吊り上げてこちらへ迫った。
「全然大袈裟じゃないですよ! ホントに心配したんですからねー!」
彼女にしては珍しい烈火のような怒り方に、僕はおぉとポラリスを抱えたままで半歩後ずさる。
しかしそんなファティマをまぁまぁとアポロニアが押さえ、彼女は困ったような笑みをこちらへ向けた。
「猫を宥めるのも大変だったッスよ。追いかけるって聞かなくてもう……」
そう言ってアポロニアがファティマの外套を軽く持ち上げると、僅かに夕陽に照らされて小札がきらりと輝く。安心できるはずの我が家で防具を身に着けている、その意味は僕にもよく理解できた。
きっと彼女は自らの足で捜索に出ようとしたのであろう。それをアポロニアやシューニャが今日まで必死に宥め、最悪明日の朝に帰っていなければ捜索依頼、という形に落ち着けたに違いない。
ただ苦労したというアポロニアの言に、何故かマオリィネは呆れたようにため息をついた。
「そんなこと言って、貴女も大概でしょう? 帰ってくるって聞いていた日から、暇があれば外眺めてた癖に」
「な、ななな、なんのことッスかねぇッ!? マオリィネだって普段やらない癖に、やたらと剣振り回してたじゃないッスか!」
「あれは別に――腕が鈍ったら困るでしょう? 他意なんてない、わよ」
フンと鼻を鳴らして視線を逸らすマオリィネに、アポロニアは犬歯を見せてグルルと唸る。
たった1週間に満たない期間離れていただけだというのに、そんな光景がとても懐かしく思えて、僕は素直に頭を下げた。
「皆に随分気を揉ませてしまったようだ。すまなかった」
彼女らはそれを見て顔を見合わせると、ようやく肩の力が抜けたのか相好を崩す。
おかえりなさい。重なって聞こえた何のことはない声が、こんなに温かいとは思わなかった。それだけ自分はこの空間を気に入っているのだろう。
そこへようやく車庫入れと走行後点検を終えたダマルが歩いてくる。
「うぃー……お前らよくこんなクソ寒ぃ中でじゃれあえるよなァ……中でやれ中で」
相変わらず骸骨は寒がりで、ファーが飛び出すガントレットを擦りながらカタカタと歯を鳴らす。そんなダマルの一言で、家族は揃って我が家の中へと戻ったのだった。
■
暖炉を前に、皆で団子になって眠る。
それも何故か自分が中心で、上にはポラリスが乗っかり、左右を小柄なシューニャとアポロニア、そんな彼女らを覆うように比較的背の高いファティマとマオリィネがぴったりとくっついて。
「これ、寝返りどころか身動きが取れないねぇ」
防寒という意味では確かに完璧であろう。しかしこのままでは全身が凝り固まってしまいかねない。
そんな人間団子の具にされたこちらの様子を、ダマルは暖炉にあたりながらカカカと声を抑えて笑った。
「いいじゃねぇか。誰もが羨む状況だぜ?」
「そうは言うが……まぁ眠れないこともないか……」
「代われるなら是非代わってやりたいが、俺じゃ連中の寒さを防いでやれねぇからな。諦めろ」
スケルトンボディでは、寝具の中に隙間風が吹き込むようになってしまう。それではあまりに申し訳ない、とダマルは他人事のように言う。
確かに骸骨を抱き枕にと言われると、少々どころではなくゴツゴツしそうであり、僕は時間ごとの交替を諦めて、何とか腕だけでも自由にせねばと無理に左右の2人を引き剥がす。
「んぅ……くすぐったい」
「うひひひ、ふへぇ……」
しかし、腕を毛布から引き抜けば、シューニャは抱き着いていた場所を失ったからか、もぞもぞとこちらへ近づいて僕の胸にしがみ付き、アポロニアは肩を枕にする形で鼻を寄せてくる。
結果的に全員を伸ばした腕で抱えるような形になってしまい、僕は一切の抵抗が不可能となった。それこそ全てを振り払わねば微動だにできないほどに。
伸びた右手はファティマの耳に当たったらしく、それへ彼女は頬ずりしながら抱え込む。逆に左手はマオリィネのサラサラした頭に触れる形になり、微かにふぅと声を漏らす。
この瞬間、僕は全ての思考を放棄し、意識して瞼を落とした。そうすれば訪れるのは、微かな寝息と薪のはぜる小さな音だけが響く、あまりにも穏やかな闇の世界である。
「悪くねぇ、よな」
「……あぁ」
ダマルの言葉が何を指した物かはわからない。だが僕は素直に同意できた。
疲れた体は身動きが取れないままでもゆっくりと沈んでいく。それがやけに柔らかい感覚に包まれていようとも、不思議な甘い香りにおおわれていようとも、時々誰かが幸せそうに頬ずりをしてこようとも。
その日の夢は、あまり覚えていない。




