第195話 忘れられていた人
雪がちらつく夜明け前、玉匣は王都近くのシェルターに戻ってきていた。
最初は2、3日で終わると言って出掛けた仕事だったが、大量に見つかった物資の選別の影響で、ここに来るまで既に5日。日が昇れば6日目に至るまで予定は遅延していた。なおその中には、撃破した黒鋼からハーモニックブレードを付け替える作業も含まれる。
おかげで持ち出していた保存食も、今自分たちが口にしている干し肉を最後に底をついた。
その代わり戦果も上々であり、荷物室はおろか吊り下げ式の寝台まで跳ね上げてもなお、必要物資のコンテナが車内を埋め尽くしているほどだ。結果、整備ステーションからの動線がなくなったことで、翡翠は出撃不能な状態になってしまっているのだが。
「そろそろ行こう」
「ったく面倒な話だぜ。有名人になんてなるもんじゃねぇな」
防寒着をがっちりと着込んで、僕は砲塔上のハッチから、ダマルは運転席上のハッチからのそのそと外へ出る。
まだ門が開くまでは時間があるが、少なくともそれより早く、我が家へ続く街道上に出ておく必要があった。
と言うのも、開門と同時に我が家へ向かい、獣に騎乗して出発するであろうサフェージュと接触するためだ。
黒髪黒目の男性と全身鎧の呪われた騎士。この見た目が王都では既に知れ渡っており、下手に入ろうとすれば衛兵にすら絡まれかねない状況である。
その上携帯電話などの通信端末もない現代では、王都の中に入らずコレクタユニオンと直接連絡を取る方法は無いに等しい。そういう意味で、サフェージュという定期便の存在は非常に大きなものだった。
とはいえ呪われた遺跡と呼ばれるシェルターは王都から見て南側にあり、我が家とは正反対であるため、開門より早いうちに回り込んでおく必要がある。おかげで僕とダマルは欠伸をかみ殺しながら、人通りのない暗がりの道をとぼとぼと歩く羽目になった。
「なんでこんなクッソ寒い中、お前と散歩しなきゃならねぇんだか」
「失礼だな。じゃあ誰とならよかったんだい?」
「あん? そりゃお前、女――」
「ジークルーンさん、かな」
僕はニヤリと笑ってダマルの方を横目で見れば、骸骨はガチャリと兜を鳴らして僅かに黙り込んだ。
「なんかお前に言われると腹立つな……否定はしねぇけどよ」
「これでも応援してるんだけどね」
「カッ! 人の応援したきゃ、まず自分の身の回りを何とかしやがれ」
夜明け前の薄明りで輪郭だけがぼんやりと浮かぶ兜。その中でダマルが顎を開いて笑っているのは、見えずともよくわかる。
実際自分が他人の色恋を心配する余裕などないだろう。それがたとえ、骸骨と怖がりな貴族の恋であったとしても。
――ダマルのことを心配できるくらいなら、自分の問題で悩みはしない、か。
自分の場合は過去の出来事と自らの弱さが原因だが、ダマルの場合はそもそも生命体としての謎という巨大すぎる壁が横たわる。
それは誰かの経験から助言を得ることもできず、科学的解明も現代では不可能な難題だ。とても自分のようなド素人が出しゃばっていい問題ではない。
おかげで僕は口を噤んで、遠くに見え始めた王都の南門へと目を凝らす。
すると何故かそこから僅かな光が漏れているように見えて、僕は首を捻った。
「なぁダマル、開門時間って今頃だったかい?」
「んなわけねぇだろ。ボケんのも大概に――」
ダマルは馬鹿にしたような声を上げながら、改造を施しまくっている愛用兜の側面を軽く叩く。以前聞いた限りでは小型のバッテリーを搭載し、暗視装置や望遠機能などを詰め込んでいるらしい。
おかげで肉眼では曖昧にしかわからない状況を、ダマルはハッキリ見たことだろう。一瞬言葉を詰まらせ、あぁと小さく呟いた。
「お前の目がいいのはよくわかったぜ。その上、どうも団体さんが出てきてるみてぇだ」
「ってことは、面倒ごとで間違いない訳だ。隠れよう」
僕はのんびり構えていた意識を切り替え、ダマルを引っ張って道を外れて暗がりの草陰に身を隠した。
王都の門限を守らずに動くことのできる集団。その詳細まではわからずとも、進路上に突っ立っていていい相手ではないことは間違いなく、しかもわざわざ夜明け前に出発するとなれば、余程急ぎであることも想像がつく。
茂みに隠れて暫くすると、その集団はこちらに気付いた様子もなく自分たちの前を通りがかった。
――王国軍。それも結構な部隊、か。
その集団は早足に、街道の分岐を西へ向かって進んでいく。ほとんどが騎獣兵であったことから、速成の増援部隊と言ったところだろう。
それが何を意味しているのかはおおよそながら想像がついた。
「帝国軍が国境沿いに戦力を集めてるっていうのは、どうやら噂じゃないらしい」
「前の会戦から3か月も経ってねぇのに、随分気前がいいこった。急ぎたい理由でもあるのかねぇ?」
「さて……どうだろう。とりあえずサフェージュ君に情報収集を頼んでおいた方がよさそうだ」
■
遺跡の前にサフェージュがコレクタユニオン職員を伴って現れたのは、言伝を頼んでから暫くの時間が経ってからだった。
それも随伴してきたコレクタユニオン職員と言うのが、また随分懐かしい顔である。
「アマミ氏! お久しぶりです」
「マティさん? なんで――って、あぁそうか、シューニャの手紙!」
現れたのは亜麻色の髪をした美人。コレクタユニオン、バックサイドサークル支部の受付嬢だったマティ・マーシュその人だ。
クローゼは彼女がこちらの事情を知る人間であると分かった上で、わざわざ人選してくれたのだろう。
しかし僕が驚いた様子を見せれば、ムッと彼女は眉を顰める。
「そうですよ! 急にホウヅクで派遣要請なんて出して、その癖受付にはぜんっぜん顔出さないままなんて、ちょっと酷くないですか!? グランマから、緊急だから一晩で準備しろ、とか言われて、いきなり引っ越しですよ引っ越し!」
余程腹に据えかねていたのか、ずんずんとマティは大股でこちらに近づいてくる。
とはいえそれもそのはずで、マティはクローゼからテクニカの情報を聞き出すための交換条件として、勝手に転勤を決められたようなものなのだ。
その迫力に僕は手を前に小さく出して、半歩程後ずさってしまった。
「あ、あぁ、いや、すいません。色々忙しかったのと、こう、王都に入るとどうにも騒ぎになってしまうもので」
「えぇ、えぇ、知ってますよ、知ってますとも! サフェージュ君からよーっく聞いてます! でもそれならそれで、せめて手紙くらい寄越してくれたっていいと思いません? 私、ロール氏からもリベレイタ・ファティマからも一切連絡貰ってないんですよ!?」
「仰る通りです。申し訳ない、彼女らにも伝えておきますので、その……」
転勤に際して色々と苦労があったのだろう、それに加えて仲が良いと思っていたシューニャとファティマからの連絡も来ないとあっては、無礼だと怒りたくなる気持ちもわかる。
おかげで僕がぺこぺこと平謝りに頭を下げても、彼女は腰に手を当ててフンと顔を逸らして、簡単には許してくれそうもなかった。
ただ、こういう時に頼れるのは我らが骸骨である。
「カッカッカ! まぁその辺にしてやれよ姉ちゃん。うちのリーダーは気が利かねぇことで有名なんだ」
軽薄そうな笑い声を響かせたがダマルだが、マティはその声に驚いて振り向いた。
しかしそれが失礼な反応だったと思ったのか、軽く咳ばらいをしてから彼女は姿勢を正すと、綺麗なお辞儀を1つして見せる。
「これはお見苦しいところを。貴方はダマル氏ですね? コレクタユニオン職員のマティ・マーシュと申します」
「おう。なんだ、そっちは俺の事知ってんのか」
感心したようにダマルが声を上げる一方、僕もマティの記憶力に驚いていた。
何せ彼女と骸骨の間には直接の面識はなく、バックサイドサークルで行われた帝国軍との戦闘後、悪役じみた高笑いを響かせたに過ぎないのだ。
しかし彼女はそうでないと首を振る。
「お名前はクローゼ支配人から伺いました。バックサイドサークルじゃ有名ですよ? 帝国軍を粉々にした、鋼のウォーワゴンを駆る者、英雄の右腕だって」
「俺にそんな異名ついてたのか……まぁあながち間違っちゃいねぇんだけど」
予想外な名前にダマルは僅かに気圧され、困ったように兜を掻いた。
どうやらあの焼夷榴弾を浴びせた戦いが、余程バックサイドサークルの民衆にとって衝撃的だったらしい。それに加えてイルバノが行っていた適当な民衆狩りにより、バックサイドサークルに蓄積した帝国軍への不満が、ダマルの行動を英雄視する方向に働いたのだろう。
「で、マティさんとやらよ。早速で悪ぃんだが、サクッと仕事の話を終わらしてくれねぇか。必要なら、こいつにでもうちのガキどもにも、手紙なりなんなり書かせるからよ」
「あぁ、いえ、すみませんこちらこそ妙なことを言ってしまって。それでは、撃破の証拠品をお願いします」
彼女はダマルの言葉に、素早く仕事モードへと意識を切り替えた。こういうところがシューニャをして、優秀な仕事人と評するところなのだろう。
僕が玉匣の中から甲鉄の切断したヘッドユニットを持ち出しマティの前に置けば、一瞬彼女は表情を硬くしたものの、ミクスチャの一件があったからかそれ以上取り乱すこともなく、書類の束に何かを記載する作業に入った。
「あの……キョウイチさん、ちょっと」
そんな中、1人影のようになっていたサフェージュが、恐る恐ると言った様子でこちらの袖を小さく引いた。
「ん? どうかしたかい」
「この際なので聞かせて欲しいんですけど、本当にキョウイチさんは何者なんですか? それ、本物のリビングメイルですよね……?」
尖った耳をぺたりと伏せ、誰よりも太い尻尾をだらりと垂らして、少年は怯えたように小さくなる。
だが、好奇心もあるのか、鈍色髪の隙間から覗くアメジストのような瞳は、しっかりとこちらを捉えていた。
「何者、って言われてもな。僕は僕だよ。ミクスチャだってリビングメイルだって倒せるが、ただの人間だ」
「どうやったらそんな……まるで化物じゃないです――あっ、いえ、その、ごめんなさい」
キメラリアには正直者が多いのか、あるいはファティマと近い環境で育ったものが嘘を言えないような体質になるのかはわからない。
ただ、この少年を怯えさせておくのは可哀想な気がして、僕はサラサラした彼の髪をくしゃくしゃと撫でながら笑いかけた。
「そんなに怯えなくていいよ。僕自身は本当にただの人間で、でも普通の人とはズレた感覚を持ってる、ってだけかな。曖昧で悪いんだが、そうとしか言えない」
「こぁ……あ、や、撫でないでくださいよ! ぼくは子どもじゃないんですから!」
サフェージュは余程恥ずかしかったのか褐色肌の頬を朱に染めて、頭をブンブンと横に振った。
悪い悪いと笑って謝れば、少年はぷぅと頬を膨らませて不満を表明する。ただ、その仕草は最早中性的どころか、少女にしか見えない程の有様だったが。
「相変わらずアマミ氏はキメラリアがお好きなんですね」
「別にキメラリアだからって訳じゃないですが、まぁ彼は実直な子ですから、気に入っています」
借金のカタなどとは言っても、実際少年は逃げようと思えばどこにでも逃げられる状況である。無論ファティマへの印象が悪くなるという部分と、取り立てに来られるのではないかという恐怖が大きいかもしれないが、それでも文句も言わずに真面目に仕事をこなしているため、僕やダマルからの評価は高かった。
しかしそれに対してサフェージュはひっくり返った声を出す。
「うぇっ!? きょ、キョウイチさん、そ、そういうのは良くないと思います!!」
「ありゃ、僕はサフェージュ君に嫌われてる感じかな?」
「い、いえ……別に、嫌い、ってことは、ないですけど……」
僕が困ったように笑えば、狐の少年はブンブンと太い尾を振りながら唇を尖らせる。
その様子に、ダマルは1人腹を抱えてカッ! カッ! と笑いを堪え、マティは何故かペンを止めたままこちらを見て呆けていた。
「マティさん? 確認はもう大丈夫ですかね?」
「えっ、あっ、はい! ごちそうさまで――じゃあなくて、はい、大丈夫です!」
うんうんと書類を見せないまま彼女は激しく頷くと、驚くほど手慣れた動作で甲鉄の頭を背負子に括りつけ、ふぅと汗をぬぐう。やけに顔がツヤツヤと輝いていたことについては、危険な香りがしたためあえて触れないことにした。
「それでは、クローゼ支配人へ報告してきますね。報酬は今日お渡しでよろしいですか?」
「いえ、サフェージュ君に渡しておいてください。受け取りが必要なら、それは折り返します」
「かしこまりました。ほら、いくよサフェージュ君!」
「は、はぁい……」
背負子を背負わされたサフェージュは、何とも複雑そうな表情をしながら一礼すると、やけに機嫌のいいマティに連れられて王都へ向かって歩きはじめる。
そんな2人の背中が見えなくなったころ、ダマルがポツリと呟いた。
「――サフェージュ、色々損な性格してるよな。コレクタユニオンにまで便利に使われてんじゃねぇか」
「真面目だからね。まぁ、将来強くなるよ、きっと」
「お前も大概なこと言ったけどな。あの姉ちゃん、多分盛大に勘違いしてんぞ」
「……そりゃ何のことだい?」
言葉の意味が理解できず僕が訝し気な視線を向ければ、何故か骸骨は盛大なため息をつくと、無言のまま玉匣に戻って行ってしまった。
1人残された僕は、よくわからない状況に困惑するしかなかったのである。




