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悠久の機甲歩兵  作者: 竹氏
定住生活のはじまり
181/330

第181話 甘く蕩ける鉄山靠

 僕とシューニャがポカンとする中、ファティマは間をすり抜けてベッドに歩み寄ると、横たわるキメラリアの髪に顔を近づけてスンと鼻を鳴らした。

 それも僅かの間で何か納得したように姿勢を戻すと、ゆらりと尻尾を振って1人納得する。


「やっぱりサフですね。また会えるとは思ってなかったです」


「知り合いかい?」


「はい。一緒に奴隷してました」


「そ、そりゃまた……凄い縁だなぁ」


 まるでただの幼馴染を紹介するようかのようなファティマに、僕は引き攣った笑顔を浮かべるしかない。

 最近は慣れたつもりだったが、久しぶりに彼女と自分の間に横たわる大きな倫理観のズレを、ひしひしと感じさせられた。


「ボクより先に買われていきましたけど、まさか奴隷じゃなくなってるとは思わなかったですよ。ずっと面倒見てたので、懐かしいですね」


 どこか優し気な表情をしてファティマは、サフと呼ばれた少女の髪をふわりと撫でる。

 思えば今までシューニャには多くの知り合いを紹介してもらった気がするが、ファティマの友人や知人というのは聞いたことがない。

 自分は決してファティマの親ではないが、それでも初めて友人を連れ帰ってきた娘を見る親のような気持ちになり、自然と口元が綻んだ。


「面倒を見てたってことは、彼女は年下なのかい?」


「そうですけど、サフは彼女じゃなくて彼です」


「へぇ、彼……彼ぇっ!?」


 思わず僕は横たわるキメラリアを二度見した。

 ファティマの言う彼は、中性的というのも憚られる綺麗な顔立ちであり、とても男性だとは信じられない。

 圧倒的不利な状況で野盗に立ち向かう武勇を見せたとは聞いていたが、それにしても筋力があるようには見えないなで肩に、女性も羨みそうな艶やかな髪である。

 今まで黙っていたシューニャも、流石にこれには疑問を感じたらしく、僅かに驚きを目に宿してファティマを見た。


「本気で言ってる?」


「ボク嘘はつきませんよ。昔から男っぽくなくて、背がちょっと伸びた以外そのままですね」


「私も本人から、そう聞いてます、よ?」


 ジークルーンから応援まで届けば最早否定も難しくなり、僕とシューニャは再び寝台で眠る()をまじまじと眺めることしかできなくなる。

 それから間もなく、複数の熱い視線を浴びてか、あるいは近くで交わされていた会話のせいか、サフと呼ばれたキメラリアの少年はゆっくりとその瞼を開いた。


「こ、こ……は」


 まだ霞んでいるであろう紫色の瞳をボンヤリ開けながら、分厚い耳を僅かに揺らして呟きを漏らす。

 そんな彼にジークルーンがわっと駆け寄った。


「サフェージュ君! あの、身体は大丈夫? 私の事、わかる?」


「え、ええ……ジークルーン様、御無事なようでなによりです」


 僅かに動揺していながらも、彼は至って誠実そうにジークルーンを気遣う。

 ただ僕はその高く澄んだ声色のせいで、より一層男性かどうかという疑問が大きくなった。


「私も大丈夫だよぉ、ダマルさんが助けてくれたからね」


 ジークルーンの答えに、彼は小さく胸を撫でおろした。どうやらダマルが援護に入った段階の記憶はないらしい。

 覚えのない名前を聞いたからか、紫色の瞳がこちらに向けられる。


「どなたかに助けていただいたのですね。えぇっと――へっ?」


 しかし、その視線がファティマを捉えた途端、彼はたちまち硬直した。

 唯一動いていたのは口だったが、それも金魚のようにパクパクとするばかりで声になっていないことから、驚愕が手に取るように伝わってくる。

 とはいえ、ファティマはそんなことを気にするはずもない。


「久しぶりですねサフ。元気でしたか?」


「ね……姐、さん? 本当に、本当にファティマ姐さんですよね!?」


 サフェージュは彼女の声を聞いて硬直が解けたのか、寝台から転げるように起き上がると、物凄い勢いで尻尾を振りつつ表情を輝かせる。

 けれどそれも慣れっこなのか、ファティマはいつも通り頷くばかりだった。


「そっちがボクの知ってるサフェージュなら、間違いないですよ」


「そ、そうです! フーリーのサフェージュです! あぁ、あの変な人間の言うこと信じて本当によかった……」


 感涙を目に溜めるサフェージュと、あまりにも平常運転のファティマ。その途轍もない温度差に、ジークルーンとクリンが揃って苦笑を浮かべている。

 その一方、僕は久しぶりに現れた謎単語について、小声でシューニャに尋ねた。


「フーリーというのは……?」


「キメラリア・フーリーのこと。キメラリアの中では1番鼻が利いて、寒さにとても強い種族。帝国の北にある極寒の僻地に家族単位で住んでいると言われていて、人間の文明圏で目にすることは極めて稀」


「なるほど」


 文明から外れた少数民族というべき立ち位置らしい。

 その説明から、今まで見たことがなかった両頬に走る三筋の化粧や黒く塗られた鼻先が、独自文化という言葉で頭の中で落ち着いた。

 僕が勝手な想像を進めている間も、奇跡的な再会を果たしたらしい2人の会話は進行していく。ただ意識を逸らしていた僅かな隙に、話の方向性が怪しい物になっていた。


「ね、姐さんは、人間の物にされちゃったんですか!?」


「というか、ボクがそうして欲しいって言ったんですけど」


「じゃあまさかもう色々されてたり!?」


「おにーさんの手は気持ちいいですから」


「き、気持ちい――!? くぅっ!」


 造成された土地のように平坦な声と、逆にジェットコースターのようにアップダウンのある声が息つく間もなくやりとりされ、最終的にサフェージュは顔を赤くして後ずさった。

 それも束の間、ファティマの肩越しにこちらへ非常に険しい視線を飛ばしてくる。

 途中から話の流れを追えていない僕はその理由が一切理解できず、猫娘の肩を叩いて事情説明を求めた。


「……君、僕がシューニャと話してる間に何を言ったんだい。物凄い殺意の籠った目で見られてる気がするんだけど」


「ボクはおにーさんとずっと一緒に居るつもりだっていうことと、おにーさんに撫でてもらうのがとっても気持ちいいって伝えただけですよ」


 別にやましいことはしていないとばかりに、ファティマは堂々と腰に手を当てる。

 しかし、その背後で崩れているサフェージュの姿に、僕は一瞬言葉を失った。


「姐さんが人間なんかに、姐さんが人間なんかに、姐さんが人間――」


 呪詛を呟く幽鬼、とでも言うべきだろうか。

 ダマルは見た目からしてもあやかしの類なのだが、今の少年と比べれば余程ポップな存在に思えてくる。

 おかげで僕は苦い表情を作って眉間を揉んだ。


「あー……それだけであんな風になるようには思えないんだが」


「なんででしょう? ボクがおにーさんに飼われてるって言ってから、あんな感じなんですよね」


 人差し指を口に当てて、実に不思議そうにファティマはそんなことを言う。

 おかげで頭痛が急激に大きくなった気がした。


「間違いなくそれが原因だろうに。言葉は正確に選びなさい」


「でもお仕事してる分以上に色々貰ってますし、雇われてるっていう方が間違ってる気がしたんです」


「確かに、その方が正確」


「シューニャまで納得するんじゃない。もうちょっと言いようというものが――」


 あるだろう、という僕の声はドンという床の鳴る音にかき消される。

 全員が一斉に音の発生源へ顔を向ければ、そこには今まで壊れたラジオのように同じセリフをリピートしていたはずのサフェージュが、強く拳を握りしめてこちらを睨みつける姿があった。


「やっぱり人間なんて信じちゃダメだ! この英雄を騙る偽善者め、今すぐ姐さんを解放しろ!」


 びしりとこちらを指差し、溢れ出る感情のままに美しい少年は叫びを上げる。

 彼としては最大の侮蔑を込めて英雄という名を貶めたのだろう。だが僕としてはそんな称号ない方がマシなので、またしても苦笑を向けるしかない。

 そして自分よりも余程慌てたのは、サフェージュをここまで導いたジークルーンである。


「ま、待って待ってサフェージュ君! アマミさんはいい人だし、そんなことしてないよぉ!」


「人間のジークルーン様にはわかるはずがありません! ぼくはフーリーの誇りにかけて、こいつの魔の手から姐さんを救うんです!」


 サフェージュはそう言ってジークルーンを振り払い、おろおろするばかりのクリンには目もくれず、僕へと拳を突きつける。

 寝苦しいだろうからと手斧を外して預かったことが、まさかこんな形で役立つとは思わなかったが。


「どうする!? 従わないなら、容赦しないぞ!」


「ふむ……そう、だなぁ」


 身体能力で勝るキメラリアらしく、素手での格闘にもそれなりの自信があるのだろう。

 それに対して僕は言葉遊びで納得させるべきか、腕を組んで悩んだ。

 これが数日前までならば、ファティマの自由意思に任せるとでも言ってさっさと逃げただろうが、ふと金色の視線がジッとこちらを見つめていることに気付いて僕はその選択肢を破り捨てた。


「うん、お断りだ。ファティを連れて行きたいなら、僕を倒してからにしてくれ」


 僕はしっかり歯を見せて笑ってやった。今シャッターを切れば、デンタルクリニックの広告にでも使えたに違いない。

 誰が自分を想ってくれている愛らしい少女を、今あったばかりの相手に解放しろなどと言われて渡せるものか。

 それにファティマはぽかんと口をあけて、シューニャは目を大きく見開き、客人2人は揃って口を押さえてまぁと声を上げた。

 無論、そんなことを言われて堪えられようはずもなく、サフェージュは奥歯を鳴らす。


「こんのゲス野郎……!」


「人の家族を攫っていこうって奴に言われたくはないかな」


「言ったな偽英雄! 覚悟しろ――こゃァっ!?」


 突然、ドン、という鈍い音が部屋に響きわたる。

 それと同時に、今にもこちらへ飛び掛かろうとしていた少年は、真横に吹き飛ばされて壁へと叩きつけられ、気づけば現代アートのような姿になっていた。


「……うん。見事な背面体当たりなんだけど、ファティ?」


 突っ込んでくることを予想して構えようとしていた僕も、これには呆気にとられる。

 しかし、さっきまでの剣呑な空気などどこ吹く風で、ファティマは飛び込むように僕の腕に絡みついてきた。


「おにーさんがそんな風に言ってくれるなんて思わなくて、ボク、とっても嬉しかったです! えへへぇ」


 満面の笑顔はまるで大きく開いたマリーゴールドのようで、長い尻尾を小刻みに震わせながらぐりんぐりんと頭を擦りつけてくる。

 これまでなんとも思っていなかったスキンシップに僕は少しだけ照れながら、けれど状況をなんとかせねばと咳払いして無理矢理意識を戻した。


「そ、そりゃよかった。だが彼、どうするんだい?」


「ボクにお任せですよ、森にでも捨ててきますから!」


 ぱっと身体を離したファティマは、それこそ自分が適任だと胸を叩いて見せる。

 流石にこれにはジークルーンが慌てて止めに入ったが。


「待って待ってファティマさん!? あとでちゃんと誤解を解いてあげて!」


「えぇ、なんでボクがそんな面倒なことを……」


 縋りついて懇願するような彼女に、ファティマは心の底から面倒くさそうな声を出す。何なら表情にもそれがありありと表れている。

 とはいえ今回の原因は主にファティマの鋭すぎる表現にあるため、誤解のまま野獣の餌になれというのは余りにも酷だと思い、僕もジークルーンに加勢した。


「僕からも頼むよ。流石に寝覚めが悪い」


「むー……まぁ、おにーさんがそー言うなら」


 まさに渋々と言った様子でファティマは納得すると、壁にぶつけられて目を回しているサフェージュを肩に担ぎあげ、まるでゴミを捨てるかのように再びベッドへ投げ込んだ。

 しかし僕は、彼がぶちあたった壁面の漆喰が零れていることに、少々やりすぎではとシューニャに声をかける。


「サフェージュ君、死んでないかな……?」


「フーリーはそこそこ頑丈と聞くから、多分大丈夫」


「だと、いいんだが」


 ただの人間が生身で受ければ全身骨折しかねない威力に、僕は加減を覚えさせなければとため息をつく。

 なんせ凄まじい威力の体当たりに、客人女性2人は完全に血の気が引いているのだ。

 そんなことを考えていた僕の袖を、シューニャが小さく引いてくる。


「……これはもしもの話だけれど」


 真っ直ぐエメラルドのような瞳がこちらを見て、けれどどこか歯切れが悪く彼女は呟く。


「私がファティの立場だったら、キョウイチは断ってくれた?」


 その目に浮かぶのは僅かな不安。

 余りに衝撃的な事態に忘れていたが、今日はまだシューニャの日なのだ。それを思い出して僕は彼女の頭にポンと手を置いた。


「勿論だ。まぁ、そんなことが早々起こってほしくもないけどね」


「……ん。同感」


 シューニャは目を瞑って、小さく頷く。

 ただでさえ彼女は一度拉致されたことがあり、もう二度とあんなことには巻き込みたくないと心から思う。


「ふぁ――甘いなぁ」


 そんなどこか蕩けたような声を上げたのは、こちらをじっと眺めていたジークルーンだ。

 これまた完全に失念していたが、今この部屋は家族だけの空間ではなく、自分の顔が熱くなるのを感じた。それはシューニャも同じらしく、ふいと顔を逸らしてしまう。


「あ、い、いやこれは失礼を……」


「ううん、いいのいいの。むしろ是非続けてほしいです」


 だらしなく口を開き、両手で頬を押さえて身体をくねらせる彼女は、貴族というプライドをどこかに捨ててきてしまったらしい。

 乙女オーラ全開の女性に、僕は今日何度目になるかもわからない苦笑を、また顔に貼りつけたのだった。

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