第170話 酒場でよく響く声
夜鳴鳥亭のディナータイムは以前より賑わいを増していた。
いや、正しくは混雑していたと言ったほうがいいだろう。以前の閑古鳥だった酒場の雰囲気はどこへやら。
人種が雑多に入り乱れる様はバックサイドサークルのようである。その内訳は人間の多くがコレクタで、キメラリアの多くは貧民街から顔を出した者たちだ。
金を持つ者たちには普段通りの食事を、金を持たない者達にも安くで食べられるものをと、ハイスラーは客層の取り込みに奔走していたらしい。メニューもかなり拡充されていた。
「アマミさんの歌が人気を博していまして、この店に泊っていたという話をポロっとヤスミンがお客様にしてしまったところ、ウチもこんな様子でしてね」
「僕はここに居ないのに、わざわざですか?」
「最初はなんというか、また英雄が来るかもしれないみたいな感覚だったのだと思います。ただ最近は、キメラリアやコレクタが縁を結ぶ場のようになりましたが」
王都のコレクタユニオンは、クローゼの意向でリベレイタに対する待遇改善に伴い、人間のコレクタと同じ権限が与えられたことから、一気にキメラリアからの就職人気が高まっているらしい。
その方法の1つとして仲間を募って、成り上がろうという者が夜鳴鳥亭に集うようになったのだとハイスラーは語った。
「王都のコレクタユニオン支部には、酒場のような施設がありませんからなぁ」
「ん、特色ができたのはいいこと」
「皆様のおかげですよ。ありがとうございます」
よいことだと頷くシューニャに、ハイスラーは深々と頭を下げる。
自分が有名になることは面倒としか捉えていなかったのだが、知り合いの役に立てたのならばそれは無価値ではなかったのだろうと思えてくる。
とはいえ、その立役者は今もホールをパタパタと駆けまわっていたが。
「お父さん! そろそろキッチンに戻ってよぉ!」
「おっとこりゃいかん、未来の女将に怒られてしまった。では皆さん、ごゆっくりどうぞ」
客が増えたせいかヤスミンは一層強くなったらしく、キッチンへと慌てて戻っていくハイスラーの尻を叩く勢いで何か指示を叫んでいる。
子供の成長というのは恐ろしく早いなぁ、などと思いながら改めて食事にとりかかろうとすると、隣に腰かけていたポラリスがクイッと僕の袖を引いた。
「あの子って、わたしと同い年くらい?」
「あぁ、10歳だと聞いていたから、一応ポラリスと同い年かな」
「ふぅん……」
青空のような瞳で、彼女はジッとヤスミンを見つめる。
考えてみれば、ポラリスは研究所から連れ出されて以来、同年代の接触は皆無と言っていい。本来ならば遊びたい盛りであろうに、周りには年上しか居ないという特殊な環境に置かれていた。
これには教育を担当していたシューニャやアポロニアも同じ考えだったのか、小さく頷きを返してくる。
ならば、少しくらい世話を焼くのも年長者の仕事だろう。
「ヤスミンちゃん、いいかな?」
「はぁい!」
返事も高らかに、ピナフォアドレスの裾を翻してヤスミンはこちらへ駆けてくる。
「ご注文の追加ですか?」
「いや、少し君にお願いがあってね。酒場のお仕事が終わった後、少し時間をくれないか」
「へっ? えっと、お父さんがいいって言えば、きっと大丈夫、ですけど」
小さな彼女の頭上で大きな赤いリボンが揺れる。
内容が理解できずキョトンとした様子だったが、内容に関しては敢えてぼかしたのだから無理もない。
友達はポラリスが自ら作るべきだ。だから僕は場のセッティングだけに行動を絞る。
「じゃあハイスラーさんから許可が出れば、また教えてくれるかい?」
「は、はい。おとーさーん!」
よくわからないという表情のまま、ヤスミンはキッチンへと駆けていく。
彼女の走る姿は周囲の客から見ても微笑ましいのか、多くの者が顔を綻ばせていた。
ただ、自分と共にテーブルを囲む面々は、何故かげんなりしていたが。
「あの聞き方は不味いんじゃないッスかご主人」
「何が?」
スープに渋柿でも混ざっていたのかと思う程、苦し気な表情を作るアポロニア。
その理由がわからず僕が首を傾げると、全員がアポロニアに同意するように首を振った。
「奇遇ですね犬。ボクもそう思いました」
「多分、ハイスラーが凄い勢いで走ってくると思う」
諦めたように笑うファティマと、澄まし顔を崩さないシューニャに、疑問は更に深まっていく。
自分がヤスミンにお願いした内容を振り返ってみても、ハイスラーが暴れ出すような文言は含まれていなかったはず。
だが、自分の想像力不足は今に始まった事ではない。それは現実に直面するまで、危機を理解できないということと同義だった。
「あああああああ、アマミさぁぁぁああああああん!!」
木製の床をメキメキ鳴らしながら、周囲の客がドン引きするのも気にせずハイスラーは駆けてきた。それも片手にレードルを持ったままである。
鬼気迫る、とはまさにこのことだろう。おかげで僕は座ったままで上半身をのけぞらせた。
「ど……どうしました? 何か問題、でも?」
「ついに、ついにこの日がアマミさん! いや、キョウイチくん! 私のことをお義父さんと呼んでくれていいんですよ!?」
「あの、あまりにもぶっ飛びすぎてて何が何やら……それに、またそんなこと言ってるとまたヤスミンちゃんにぶん殴られ――ヤスミンちゃん?」
今までハイスラーがこの手の話題を話し始めると、迎撃装置としてヤスミンから天誅が下されていた。だが、今日に限って一切反応がない。
むしろ今こそ助けて欲しいのだが、とハイスラーの身体を避けて背後に視線を流せば、何故か頬に手を当てて真っ赤になっているヤスミンと目が合った。
「ほ、ほにゃぁ……」
少女は何故か蕩けている。それはもうピザの上に置かれたチーズのように。
自分がぼかした先の言葉から、一体どういう妄想を膨らませればこんな結果を招くのか。困り果てた僕は頼れる相棒に助けを求め視線を向ける。
「まぁそーなるだろうとは思ったぜ。お前、ほんっと誤解生ませるの得意だよな」
しかしダマルは身体を背もたれに預けたまま、兜の隙間から器用にエールを流し込んでいるだけだった。
余りにも薄情なその姿に、このクソ骸骨、と叫びたくなったが、残念ながら衆目に晒されている状況で相棒妖怪宣言を軽々しく行うわけにもいかず、恨みを込めて睨みつけるだけにとどめた。
そんな僕の心中など露知らず、ハイスラーはこちらの腕を強引につかむと引き摺るようにして歩き始める。
「少し奥で話しましょう! 今後の未来の展望を! ヤスミンも来なさい!」
「ちょっ、いやハイスラーさん、細い癖に力強いな!?」
火事場の馬鹿力とでも言うのか、あるいは宿屋家業が凄まじい肉体労働なのか、抵抗空しく僕はキッチンの奥へと強制的に連行されたのである。
彼らの誤解が解けるまで、その日は眠りにつくことができないことを悟った。これは言わば拷問であろう。
■
「ありゃあ暫く帰ってこねぇだろうな。店どーすんだよオッサン」
恭一が連れて行かれたカウンターの向こう側を見て、ダマルはハァとため息をつく。
夜鳴鳥亭は今まさに最も忙しい時間であろうに、周囲の客も突如起こった猛然たる店主の行動に呆気にとられ、苦情の1つも上がらなかった。
無論、状況理解できていないのは有象無象の客だけに留まらない。
「キョーイチはなんで連れていかれたの?」
「大人の事情って奴ッスよ」
ねぇねぇと袖を引くポラリスに、アポロニアは微妙な笑みを浮かべて応対する。その裏には、子供にどこまで話すべきかという苦悩があったに違いない。
逆にファティマとシューニャは、最早どうでもいいと言わんばかりに、自身が注文した食事に平然ととりかかっていた。
「おにーさんのご飯が冷めちゃいますね」
「今回のは完全にキョウイチが悪い。冷めたご飯を食べるくらいの罰は受けるべき」
「意外と容赦ねぇよな、お前」
ダマルは、フラれてなおゾッコンな癖に、と思ってしまったが、口に出すのはやめておいた。
――不器用なのは、アイツもコイツも一緒ってか。
どうにもあれから動きを見せない相棒にも呆れているが、さりとて女性陣も手をこまねいている風に見えて、骸骨は最近フラストレーションが溜まっていた。
ポラリスという根幹を揺さぶる存在が現れて、恭一が変化を余儀なくされているのは間違いない。だからこそ、今こそ攻め時であろうに、ファティマもアポロニアもいつもの行動から1歩踏み込もうとはせず、シューニャに至っては相変わらずスキンシップすら苦手な様子だ。
ここで恭一が全員受け入れるくらいの気概を見せれば、少しは見直してやれたかもしれない。だが、その気配もない以上、放置しておけばこのまま絶好の機会を逃すことになるだろう。
自らを唯一恋愛強者と見る骸骨としては、それは断じて許しがたい行いだった。おかげで暗い眼孔に、再び赤い炎が宿る。
しかし、ダマルが作戦会議だと切り出す前に、横合いから邪魔が入った。
「な、なぁ、アンタら」
思考の海から現実に引き戻されたダマルが見たのは、机の端に並ぶ数人の男女である。誰も彼もが腰に剣や手斧、あるいは鈍器を帯びているあたりコレクタか荒くれ物かなのだろう。
しかし武器を持っているにしてはやけに引けた物腰であり、どうにも情けない印象を受ける。
「何ッスか? 酒なら奢らないッスよ」
そういう連中に慣れているらしいアポロニアは、散れ散れと手で追い払う素振りを見せた。所詮酒場で人に絡むようなのは所詮チンピラに過ぎないと、彼女は思っている。
しかし、本来なら怒りを買うであろう行動にも、その連中は一切気にかけず違うんだと首を振った。
「教えてくれ。さっき店主が、その、アマミって――」
「げ」
しまったとばかりにアポロニアが顔を引きつらせる。
それに確信を得たのか、代表して話していた男を押しのけるように、周囲が騒ぎ出す。
「さっきの彼、黒髪に黒い目で細身の男だったわよね? あれが噂に聞く英雄様?」
「そっちのケットは助けられたって言う姉ちゃんか!」
「ミクスチャを殺したってのは本当なのか!?」
口々に飛んでくる違いますと言えない言葉の奔流に、対応していたアポロニアは慌てて仲間たちを振り返る。
しかしそこで彼女の目に映ったのは、各々の諦め顔だった。ダマルに関しては見えなくとも、その雰囲気で察せられる。
「ハイスラーの叫び声は店中に響いていた」
「それもそーですね」
「あの野郎、とんでもねぇ爆弾置いていきやがったな。こりゃ冷めた飯くらいじゃ割に合わねぇぞ」
押し寄せる熱狂状態の人々。それが声を上げてしまえば、波は瞬く間に店中へ駆け巡る。なんなら開かれた鎧戸の向こうから、通りすがりが覗き込んで店外にまで拡大しつつあった。
シューニャはどうにかして隠れる方法を考えはじめる。なんせ宿の部屋に籠ろうとも、外で出待ちされては面倒極まりないのだから。
だが、ダマルはそれの収束を早々に放り投げていた。走り始めた噂を押しとどめることが不可能なことくらい、情報社会に生きた記憶が雄弁に語ってくれるのだから。
「何? ねぇ何?」
唯一状況を理解していないポラリスは、キョロキョロとシューニャとアポロニアの顔を見比べて、困り果てている。
そして幼く小さい彼女が押しつぶされてしまわないようにと、それを保護したのはファティマだった。
これもまた、ハイスラーが店を閉めるまで続いたのである。
■
夜鳴鳥亭で窓際に配された角の席。
そこから、ざわめく人垣越しに耳を立てつつ、その人物は小さくビスケットを齧っていた。
その口元には僅かな微笑が宿り、紫色の瞳は皿の上に落とされている。
音だけで十分だった。そこに居ることが分かれば、追いかけることは難しくないのだから。
しかし自分が動かずに居ると、それを不思議そうに覗き込みに来る変わり者も居たりする。それは若い男であり、見た感じだけで駆け出しのコレクタらしかった。
「アンタは行かないのか? 英雄様とお近づきになるチャンスだろ?」
「あんなのと一緒にしないでください。何も考えてない奴だと思われるのは嫌です」
決して興味がないわけではない。
だがここで欲をかいて英雄たち一行に、火に集まる羽虫のような有象無象と一緒くたに考えられることは、ビスケットを齧る者にとって好ましくないことだった。
だが、駆け出しコレクタの男はそれを硬派だと受け取ったのか、へぇと面白そうに口角を上げる。
「変わったフーリーだな、アンタ。リベレイタ志望か?」
「そんなところですが、どこでもいいなんて思ってませんので」
「つれないな。可愛い顔してるから誘ってやろうかと思ったのに」
「結構。間に合ってます」
可愛い顔、と言われてビスケットを齧る者は素直に嫌悪感を表情に貼りつける。
キメラリアへの差別撤廃を叫ぶ王国で、周囲に居る連中がこの程度では話にならないと鼻で笑う。
しかし、だからこそ円座の中で尻尾を揺らす姿に、自分は目を離せなくなったのだろう。
「……ありえるもんか。あの姐さんだぞ」




