第166話 新居お披露目会
ユライア王国には四季があるらしい。
肌寒くなり始めていたこの頃、本の虫として地下に籠りっきりだったシューニャに聞けば、もうすぐ雪が降る季節がやってくると言う。
作戦終了から1ヶ月。女性陣からあまり動かず療養をせよと厳命されていた僕は、四六時中ファティマやアポロニアの訓練を眺めたり、シューニャの質問攻めに答えていたりと自堕落な暮らしを送っていた。唯一それなりに苦労したことと言えば、検査服らしき恰好を嫌がったポラリスのために、古代物の衣類を地下から捜し出したことくらいであろう。おかげで彼女は今、裾に紺のラインが走る白い長袖セーラーワンピースを身に着けている。
ちなみにマオリィネは、どうにもオブシディアン・ナイトの件が揉めているようで、1ヶ月経った今も王都から戻らない。
そして彼女が帰ってくるより早く、ダマルからのホウヅク伝が届けられた。
至る現在。
木枯らしが紅葉した落ち葉を舞い上がらせる中、僕らは2週間ぶりに喋る骸骨と再会していた。
「これは……大きいな」
「おかげでかなり自由にやらせてもらったぜ」
ダマルの背後に立つ自分たちの新居に、僕は驚きを隠せなかった。
漆喰と石レンガの壁に黒い瓦屋根、広い前庭と大きな井戸。外観を見るだけでも、なるほど貴族が使っていたことがよくわかる。
そして早くもダマルの手による改造点が見つかった。明らかに後付けの巨大な木扉が1階部分の隅に作られていたのである。
「1階部分のあれは?」
「ああ、玉匣隠すのにはちょうどいいだろうと思ってな。だだっ広い食堂潰してガレージにさせてもらった。ついでに、マキナの整備ステーションも突っ込んだし、元食糧庫だったらしい地下室にはエーテル発電機も放り込んである」
「エーテル発電機なんてどこから?」
「地下研究所の予備発電機をかっぱらった」
一応テクニカの地下にある研究所にあるものは、自分たちの所有物とされているため問題はないだろう。しかし、一体どうやって運び出したのか。
「ダマル、意見がある」
しかし、僕がその理由を聞くより早くシューニャが声を上げた。
振り向いた先で彼女は大型の井戸を指さしており、同じようにファティマとアポロニアも不思議そうにそれを眺めている。
「井戸に重い蓋がされていては使いにくい。というか、ファティじゃないと開けられそうにない」
「おいおい、いきなり開けようとすんな。せっかく水中ポンプやら受水槽やらを運び込んでまで、きっちり水道ひいたんだからよ」
「スイドウ?」
「ま、見てもらった方が早ぇな。玉匣を中に入れてくれ」
ダマルが発した聞いたことの無い単語に現代人3人組は揃って顔を見合わせたが、僕が玉匣をガレージの中へ入れると、それに続いてぞろぞろ歩いてくる。
ここからダマルは水を得た魚の如く、自らが技術を振るった建物の中の説明に明け暮れた。
まず彼女らが驚いたのはキッチンである。特に反応が大きかったのはアポロニアだ。
「水が出るッスよこれ!? さっき言ってたスイドウって奴ッスか!?」
僕やダマル、果てはポラリスにとっても普通なのだろうが、現代では井戸や水源から水を汲む以外に生活用水を屋内へ持ち込む方法はなく、蛇口を捻れば水が出るということは家事担当者に感動をもたらした。
「これ、排水はどうしてるんだい?」
「井戸から離れた地面まで溝作って流してる。トイレは雪石製薬が手掛けてたどこでも使える高性能バイオトイレだから、勝手に分解されて土の中で肥料になって消えていくぜ」
「ほんと、無駄にハイテクだねぇ……」
「なんかわかんないッスけど、立派な調理場があるのは気分上がるッスね!」
我が仕事場との自負からか、アポロニアは元から設置されていたであろう大きな竈と、新たに作られた水回りを見てご機嫌である。
この後同じような問答を抗劣化機能付き冷蔵庫でも繰り返したのだが、家庭用程度の物しか見つからなかったと、ダマルは少し凹んでいた。
続いて案内されたのは各自の部屋である。
現代において1人1人がプライベート空間を持てるというのは、上流階級でなければまずあり得ないことであり、ことシーリングライトとベッドに至っては現代の代物ではない。
これに声を上げて喜んだのはファティマだ。
「玉匣のよりフカフカですよー!」
「どーん! アハハハハ!」
長い尻尾を立てた彼女は、誰が止める間もなくベッドにダイブすれば、楽しそうな光景に目を輝かせてポラリスも、白い衣を翻して後に続く。
白いシーツと柔らかなマットレス。上には毛布やら掛布団やらと、800年前の寝具そのままが置かれているが、これの出どころは流石に僕もすぐに理解できた。
「研究所の居住区にあった奴かい」
「御明察だ。生命保管システムよりも働いてる人間が多かったんだろうな。予備の取り置きが多くて助かったぜ」
枕に頬ずりしているファティマに、毛布にうつ伏せになって笑うポラリスという、どこまでも微笑ましい光景に僕は目を細め、ダマルは誇らしげに鼻骨を掻いた。
「ポーちゃんは行儀が悪いッスねぇ」
「ファティも大概」
「かたいことはいいっこなしですよー」
ここ1月教育役をしていたシューニャとアポロニアは、彼女らの行動に苦言を呈するものの、布団と戯れる2人が聞く耳など持つはずもない。
ファティマはマットレスの反動を利用して器用に立ち上がると、その勢いのまま小柄な2人を抱えこんだ。
「ちょ、ちょっとファテ――わぷっ」
「キャンっ!?」
よいしょ、という気の抜けた掛け声と共に猫娘が再びベッドに倒れ込む。2対1でも力で敵わない2人は纏めて掛布団に投げ捨てられ、しかしその柔らかさに暫く絶句していた。
「ふかふか」
「こぉれはいいッスね。木の板で寝てた頃からしたら天国ッスぅ~……」
「これで2人もドーザイだからね!」
ようやく口を開いたと思えば、出てきた言葉がこれでは教育係としての威厳などあるはずもない。
その様子に妹分のポラリスもケタケタと笑っていた。
揃いも揃って女性陣が古代寝具に陥落した以上、一応にも年長者である自分が諫めなければ話が進みそうにない。
心底幸せそうな彼女らを寝台から引き剥がすのは心が痛んだが、流石にいつまでも戯れてはいられないと、一歩前に出た。
「おにーさんもどーですかー?」
だが、ファティマに先手を打たれて、僕はそろそろ行こうという言葉を飲み込んでしまう。
何より、彼女の言動に一瞬思考が硬直したのが問題だっただろう。戦場なら頭に風穴が開いていたに違いない。
「いや、その中に僕が入っていくのは流石に――」
「とぉっ」
おかげで、気が付けば僕は足払いを受けて宙を舞っていた。
ただでさえ体操選手のように柔軟で、強化服を着た人間よりも力のあるファティマが相手である。呆けていて技を躱せるはずもなく、瞬く間に寝台の上で天井を仰がされた。
「アハハハハハ! キョーイチもきたー!」
「きょ、キョウイチ……ッ! その、ち、近い」
「ぐぇっ――ご、ご主人。重い……ッス」
「えへへ、おにーさーん」
5人分の体重を受けてベッドフレームが軋んでいた気がする。
左腕の上には小さな頭を乗せるポラリスが居て、右側には額がつきそうな距離にシューニャの顔があり、アポロニアの身体に足が乗っていて、腹の上でファティマが喉を鳴らしている。
本来なら慌てて離れるべきなのだろうが、三者三様の表情を見回して、僕はなんだかどうでもよくなってしまった。きっと教育係だった2人も同じ感覚に襲われていたことだろう。
その様子を傍観していたダマルが、大きく長い溜息を吐くまで、僕はあらゆる思考が停止していたようにさえ思う。
「おい、流石に、の続きはなんだよスケコマシ」
「ファティに格闘技教えたの、間違いだったかなぁ、って」
結局僕が身体を起こしたことで、ようやく満足いったらしい女性陣は寝具の魔力から離れ、壊れたらどうするんだと呆れるダマルに謝りつつ、住宅説明会が再開された。
2階部分に設けられた各自の個室と空き部屋の数、照明スイッチの場所から物置まで案内され、最後に1階部分のリビングに行きつく。
食堂の代わりにテーブルを備え付けたそこは、元々応接間だったとダマルは語った。
「シーリングライトと食事用にテーブル置いた以外はほとんど触ってねぇ。デカい暖炉もそのままだ」
「おぉー……かっこいい」
800年前で暖炉と言えば、小洒落たカフェか山小屋のような施設で僅かに使われていた程度である。
ただでさえ研究所から出たことの無かったポラリスには、まるで絵本から飛び出してきたように感じたのだろう。耐熱レンガで作られたそれに、彼女は目を輝かせていた。
「これで大体の部屋は回ったかい?」
「いんや、次がお前向けの本命だ」
「僕向け?」
騒がしい一行を背に、僕は首を傾げる。
自分に向いた物と言えば、最初に見せられたガレージであろうと思うのだが、ダマルの様子を見るにどうもそうではないらしい。
骨に導かれて1階廊下を突き辺りまで進むと、そこには確かにまだ開けていない扉が1つ残されていた。
「覗いてみな」
ダマルの含みがある言い方に怪訝な顔を向けながらも、僕は言われるがままにそのドアを押し開く。
そして中が見えた瞬間、僕は骨の含みを即座に理解した。
「これは……」
眼前に広がるのは見紛うことなき風呂だった。
石造りの浴室は広く、奥には湯を満々と湛えた長方形の浴槽が横たわり、脱衣所と浴室こそわかれていないものの、木製のラックが置かれた一角は必要十分な要件を備えている。
「まさか、わざわざ作ったのかい?」
「いや、ここを前に使ってた貴族が沐浴好きだったらしくてな。だからあのクソでけぇ井戸まで掘らせたらしいんだ。湯に関してはエーテル発電機の排熱で沸かす前線方式だが、お前知らねぇのか?」
「言われてみればあったねぇ、そんなの」
野戦陣地の中に簡易的ながら整備された風呂があったことを思い出した。
まさか発電機の排熱を利用していたとは思いもよらなかったが、簡易とはいえ同時に10人は入れる軍の仮設風呂を維持していた以上、この湯量を確保できるのも納得できる。
「お風呂ひろーい」
「まとめて5人くらいで入るつもりだったッスかね?」
「貴族の道楽」
浴槽の湯に触って遊ぶポラリスを見ながら、庶民だった2人はどうにも納得いかないと鼻を鳴らす。
別荘に風呂までしつらえるような貴族が居る傍らで、寝床に藁すら敷けない人々が居ることを思えば彼女らの憤りも理解できなくはないが、自分たちもそちらに片足を突っ込んでいる以上文句も言えない。
そして社会的にどう見られようと、僕は目の前に風呂がある事に感動している。
「おにーさん、嬉しそうですね」
「そりゃあ嬉しいとも。いつでも風呂に入れるんだから」
「ボク、お風呂苦手なんですけど」
「そのうち慣れるよ。楽しみが増えたなぁ」
ぺったりと耳を後ろに伏せるファティマの頭を撫でながら、僕は無責任に笑った。
最早脳内の想像は1番風呂のことしかない。なんせ季節が1つ進もうかという程長い間、まともな入浴ができていなかったのだ。
石鹸が現代でも手に入ることがわかった以上、気兼ねなく数か月に渡る心身の汚れを落とせる。
だが、そんな僕の様子にシューニャが僅かに後ずさった。
「たの、しみ……その、この間は皆でという話をしていたけれど」
彼女の記憶力をここまで呪ったことはないだろう。なぜ勘違いの一言だけをこうもハッキリ覚えているのか。
あらぬ疑いに僕はこめかみを押さえた。シューニャはそれはそれは利口な少女だが、何故この誤解は解けないのだろう。
「沐浴の時から混浴はしていないだろうに、何故風呂にかぎって公序良俗をかなぐり捨てなければならないんだ」
「キョーイチとなら、私は一緒に入ってもいーよ? こんな広いお風呂なら、1人で入るの勿体ないって」
湯で遊んでいたはずのポラリスが、いつの間にか真下からこちらを見上げていた。
その大きな瞳は期待に輝いていたが、風呂と言う安らぎの場を奪われるわけにはいかぬと、僕はこれ以上ない笑顔を貼り付け、柔らかさを失わない程度にハッキリそれを拒否する。
「ハハハ、それはシューニャたちにお願いしようか。というか、1人で入らせてくれ」
「キョーイチとがいい」
「はいはーいダメッスよポーちゃん。女の子が裸を男に見せるのははしたないことッス」
拒否されて尚、風船のように膨れて服の裾を掴んで折れないポラリスだったが、それを見ていたアポロニアが眼を細めながら腰から抱き上げて引き離しにかかる。
だが、ポラリスとてされるがままになるはずもなく、木にしがみつくカブトムシのように抵抗を試みた。
放っておけば予備を含めて2着しかない軍服が伸ばされてしまいそうなので、僕もアポロニアを応援する形で小さな手を解きにかかる。
すると物理的な抵抗で敵わないことを悟った彼女は、両手足を振りながらとんでもないことを口走った。
「なーんーでー! 未来の旦那さんなのにー!!」
なるほど、これが氷の魔術というものか。
ポラリスの能力は熱を奪うものだと聞かされていたが、まさか感情と言う温度さえ奪ってしまえるとは恐ろしい能力である。
「おにーさん?」
凍り付いた空気の中で、機械仕掛けの死神が三日月のような笑みを浮かべる。
ここ数か月の経験上、こうなってしまえば我が身を守れるのは自分だけだ。ハハハと乾いた笑いをしながら僕は両足に力を込めた。
「御免ッ!」
大河ドラマのような口調になったが、その様まさに脱兎の如く。
いきなり扉を蹴破らん勢いで廊下に転がり出ると、木の床を踏み均しながら全力で駆け抜けた。
「逃がしませんよーっ!! おにーさぁぁぁぁぁん」
「アハハハハ! まてまてー!」
一瞬呆気に取られていたファティマも、僅かに遅れて追撃を開始したらしい。背後から響く声に怯えつつ、僕は必死で逃げた。何故ポラリスまでついてきているのかはわからないが。
あの言葉は子供の戯言であると釈明する方法を考えながら、僕はほとぼりが冷めるまで隠れられる場所を探して走り回ったのである。
■
嵐が去った後に取り残された3人は、ギィギィと鳴く扉をぼんやりと眺めていた。
「あのロリコン野郎逃げやがった」
危機管理という意味では成長しても、感情面でほとんど変化のない相棒を想いつつ、ダマルはため息をつく。
逆に小柄な女性陣2人は顔を見合わせて唸った。
「やっぱりご主人ってそういう性癖なんッスかね?」
「……ん」
アポロニアは自分の胸を見下ろしながら、武器ではなく枷か、などと悩みを口にする。
逆にシューニャは、想い人の趣味と無闇に合致しているらしい我が身を想い、複雑な感情が芽生えるのを感じていた。
「キョウイチは、なだらかなのが好き?」
敢えてそう表現した彼女に、ダマルはカッ、と笑いを零した口を咄嗟に押さえる。
とはいえ、漏れてしまったものは拾えない。功労者であるはずの骸骨が、その後どのような目にあったのかは、敢えて語るまでもないだろう。




