第156話 重装甲の悪夢
荷電粒子砲に貫かれた通路の先は、まるでアリーナのような広いドーム状の空間だった。
そこはマキナが余裕で跳び回れるほどの天井高に加え、様々な障害物や遮蔽物が放置されているなど、まるで兵器の屋内試験施設か訓練場である。
製薬会社の研究所にはあまりにも不似合いな場所だったが、狭い通路とは比べ物にならない程戦いやすく、これならいくら圧倒的な火力と装甲を誇るシンクマキナ相手でも時間を稼ぐことくらい容易だろう。
しかし、そんなことをコンテナの影に身を隠しながら考えていた矢先、自分の想定はダマルからの通信によって軽々と打ち砕かれてしまった。
『シンクマキナが隔壁を……!?』
『あぁ、そのキノコ野郎、想像以上の演算能力だぜ。お前と交戦しながら、施設のセキュリティシステムを乗っ取ったんだからな』
物理開放もできそうにねぇ、という骸骨の絶望的な一言に、僕は小さく息を呑む。
シンクマキナは研究所全体を檻としてでも、自分たちを逃がさないつもりなのだろう。情報戦で敵わない以上、時間を稼ぐことの意味は完全に失われてしまったと言っていい。
『キノコ君にお願いすれば、壁を荷電粒子砲でぶち抜いてくれないかなぁ』
『カッ! そりゃいい考えすぎて涙が出るぜ! 演算能力に優れるシューニャ以上の頭でっかちが、自分で閉めた檻をぶっ壊すようなヘマするかよ』
『だろうね。となると、やっぱり懐に入り込むしかないか』
『とにかく無理すんじゃねぇぞ。役に立てるとは思えねぇが、援護には向かってるからな!』
『了解』
無線機の奥から、私の頭はそんなに大きくない、という苦情が聞こえた気がしたが、とりあえず聞かなかったことにしつつ、突撃銃に最後の弾倉を叩き込む。
相変わらずシンクマキナの攻撃は止まず、ちらと障害物から顔を覗かせれば、それだけで雨あられと機銃弾が飛んでくる。
状況は変わらず不利なまま。だが自分とて、皆が脱出を図っている間、何も考えず囮を務めていたわけではない。
ゆっくり息を吐きつつ数えること3秒。青い脚で地面を蹴って飛び出せば、その瞬間、敵の射撃はピタリとやんだ。
――やはり、敵も完璧な状態じゃない。800年間無整備だったんだから、無理もないが。
銃身が異常加熱するからか、あるいは旋回砲塔の駆動系が狂っているからなのか。
旋回機銃は一定時間以上の連続射撃を行った際、必ず僅かな攻撃の空白を生む。
それはほんの一瞬に過ぎない。だが、自分が旋回機銃の銃身に狙いを定めるには十分な隙だった。
『遅いッ!』
扱いやすさと射撃精度の高さこそ、火力不足の突撃銃がいつまでもマキナの主兵装だった最大の理由である。翡翠の射撃制御と組み合わされば、ジャンプブースターを用いて移動している時でも、狙い通りに弾が飛ぶ。
それが何発目だったのかはわからない。だが、再びシンクマキナの旋回機銃が動き出したところで、向かって左のタレットから伸びる銃身に連続して火花が走った。
如何に機体の全体を分厚い装甲で覆っても、武装そのものに施せる防御には限界がある。それも重武装重装甲なシンクマキナは、旋回機銃の広い射角と動作速度によって機体の鈍重さをカバーしており、片方でも射撃不能に陥れば近接防御が難しくなってしまうはず。
実際、自分の読みは的中したらしく、旋回機銃を損傷したシンクマキナは、鈍い動きでなんとか逆側の機銃だけでこちらを排除しようと試みてきた。
『残念だが、重量級の設計が命取りになったな!』
甲鉄よりもなお低速な旋回動作で、機動力に優れる翡翠を捉えようなど片腹痛い。
本来ならば複数の無人機を操って何重もの防御を敷き、敵を近づけないようにするのだろう。だが、いざ肉薄されてみれば、背面に装備された荷電粒子砲も小型誘導弾も役に立たず、肩から先が外部ユニットと連結されているように見える腕では格闘戦も不可能であり、右半身全体が明らかな死角となっていた。
弾を撃ち尽くした突撃銃を投げ捨て、背面から収束波光長剣を両手で引き抜き振りかぶる。
どれほど分厚い装甲を持っていようとも、所詮はマキナ。戦車や戦闘艦の装甲をバターのように切り裂く、収束レーザーの刃を防ぐことなどできはしない。
勢いをつけて深く踏み込み、全身にありったけの力を込めた。
『ガハ――ッ!?』
だが、剣を振り下ろす直前、何か身体に激しいショックが走ったことで、僕は斬りかかった勢いで頭から床に倒れ込んだ。
あまりにも一瞬の出来事に、何が起こったかわからない。システムがモニター上で何かのエラーを表示しているが、読み取れたのは収束波光長剣のレーザー照射機に異常が発生したということくらい。
身体の方も全く自由が聞かず、唾なのか血なのか分からない液体が口から零れている。声を出そうにもよくわからない呻きが漏れるばかりで、視界は青白く明滅しながら暗くなっていく。
――何が起こったにせよ、このまま意識を手放しては駄目だ。直ぐに逃げなければ荷電粒子砲に焼き殺されるぞ。眠るな、動け、動け動け。
頭でどれだけ命じても、腕も足も口も、まるで自分の物ではなくなったかのように言うことを聞かない。
床から伝わる振動は、重々しい動きでシンクマキナが振り返ったからだろう。目前に迫る死ばかり、薄れゆく意識の中で鋭敏に感じ取れる。
ただ、視界が暗転する直前に自分が聞いたのは、荷電粒子砲のチャージ音ではなく、何かわからない爆音だったが。
■
それはちょうど俺たちがドームに着いた時だった。
凄まじい電撃が床を駆け抜け、明らかな指向性をもって翡翠を直撃したのである。
マキナの絶縁を貫くなど常軌を逸しているとしか言えないが、発電所のようなエーテル機関を搭載しているコイツならば、考えられない話ではない。いやむしろ、この鈍重な機体にとっての防御として、これほど優れた方法はないだろう。
だが、敵対者にとっては悪夢そのものであり、倒れ込んでいく翡翠を見た俺たちは、半ば破れかぶれに武器を構えて飛び出すしかなかった。
「野郎、食らいやがれッ!」
肩に軽い衝撃を残したタンデム弾頭は、赤い尾を引きながら凄まじい速度で飛んでいく。
対戦車ロケット弾発射器など使ったのはいつ振りだろう。点検作業では時々触っていたのだが、実際に発射したことなど数回程度しかない。
おかげで当てられる自信なんて欠片もなかったが、先に実射訓練もしていないアポロニアが1発で当ててみせた以上、一応にも軍人だった自分が外すわけにはいかないと意気込んだ。
ただ、あまりにも大きく動きの鈍い的であったため、実際撃ってみればそこまで難しい物でもなく、敵機側面に吸い込まれるように直撃した。
突如飛来した爆発物には、流石のシンクマキナも大きく身体を傾がせ、それを脅威と感じたのか、細いアイユニットをゆっくりとこちらへ向ける。
正直なところ、囮などまっぴらごめんなのだが、最早なりふり構っていられる状況ではなく、俺は下顎骨を大きく開いて叫ぶ。
「ファティマ、マオリィネ、行け! 引き摺ってでもいいから、あいつをキノコ野郎の傍から離すんだ!」
「はいっ!!」
「死んだら恨んでやるぅ!」
対人行動だからか、敵は機銃を放ちながら近づいてくる。その隙をついて、ファティマとマオリィネは迂回するように駆け、素早く翡翠に取り付いた。
マキナの中で翡翠はかなりの軽量機ではあるが、生身の人間が1人2人程度では、引き摺ることなどとでも不可能である。だが、キメラリア・ケットという種族の力なのか、あるいは彼女が相当に必死だったからか、マオリィネと2人がかりでなんとか通路の中へと動かしていく。
その間、俺とアポロニアは使い捨ての対戦車ロケット弾発射器を取り換え、射撃の合間を縫って、決死の想いで障害物の影から飛び出した。
「オラ、こっちだ来やがれキノコ頭ァ!」
「もっぱつくれてやるッス!」
弾ける音と共に再びロケット弾が飛翔する。
しかし、先ほどの1撃を学習したのか、シンクマキナは僅かに身体を揺すって射線をずらし、1発が奥の壁に向かって外れ、もう1発は分厚いモジュール装甲を軽く焦がしただけに留まって、まともな損傷は与えられなかった。
「シューニャ、次!!」
「もうない」
「カッカッカァ! さっきのでカンバンってわけだ!」
再び障害物に身を隠すや否や、それはもう高らかに。何とか通路に引きずり込まれた翡翠を横目――目というより孔だが――で一瞥しながら、これ以上ないくらいの笑い声をあげてやった。
そんな俺の姿にアポロニアは一瞬呆然としながらも、何を思ったのかやがて尻尾を大きく振って目を輝かせる。
「な、何を笑って――ッ! もしかして、何かいい作戦があるってことッスか!?」
「あん? 何言ってやがる、万事休すだ」
「あ……あああああああ! アホぉーっ!!」
阿呆とは失礼な。現実を見ていると言ってほしいものである。
自分の手の中には何が残っている。アポロニアと俺は自動小銃をぶら下げて、マオリィネはサーベルを腰に差し、ファティマは斧剣を背に結いつけて、シューニャはなんだ。確か、回転式拳銃をベルトに突っ込んでいたか。
全てを確認したところで、どう転んでもまともにマキナとは戦うことはできない。ただでさえ、翡翠の火力でビクともしない相手である。対戦車ロケットを使ったとはいえ、僅かな損害与えられたことだけでも半ば奇跡だった。
その上、相手は確認された武装から、こちらの脅威レベルを引き上げたはずだ。そんなに警戒しなくても、小型誘導弾1発ぶち込むだけで十分ひき肉にできるというのに。
「おにーさぁん。起きてください、ねぇってば」
「ほら、しっかりなさいな!」
通路に翡翠を引き摺り込めただけでも、俺たちにとっては得難い戦果であろう。
正直言いたくはないが、この中で生き残る可能性があるとすれば、着装状態で行動不能に陥っている相棒くらいだ。もしもそんなことになれば、アイツは今まで以上に酷い心の傷を負うだろうが、それでも全滅するよりはるかにマシである。
やれやれと肩を落とした俺は、ただの鉄管になった対戦車ロケット弾発射器を床に投げ捨て、自分の胸ポケットに突っ込んであった電子タバコをしっかり咥えた。
リキッドが底をつきかけていたため、長い間糞不味い現代の煙草で我慢してきたが、これが最期なら出し惜しんでも仕方ない。
「あーあ、終わりってのは呆気ねぇもんだな。電子タバコがうめぇわ」
道半ばとはいえそれなりに面白かったなァ、などと考えながら、頭蓋骨の穴から蒸気を立ち昇らせる。
障害物の向こうで聞こえてくる重厚な動作音に、これが自分の終わりなら、せめて格好をつけて終わりたいと、深く深く白い息を吹いた。
「ねぇねぇ」
だというのに、それを妨害する奴もいる。
それは大きな空色の瞳をした子供。アポロニアでさえ空気を読んでか、あるいはただただ絶望してか、硬く口を噤んでいると言うのに、こういう浪漫的空気感は子どもに理解できないらしい。
しかし、コイツも目覚めて早々可哀想だな、なんて思ってしまえば、腹の奥から怒りなど欠片も湧いてこず、ため息をつきながら袖を引く手に振り返った。
「なんだよ?」
「アレを止めれば助かる?」
「ハァ? お前何言って――」
自分の素っ頓狂な声は、ついに障害物を貫通してきた旋回機銃の掃射音にかき消される。
ポラリスというホムンクルス少女が、最後に何を言おうとしたのかはわからない。いや、正直なところ、小娘1人がどう動いたところでどうにもなりはしないのだ。
おかげで俺は、この骸骨生の終わりにもやもやした気持ちを残させやがるものだ、などと思っていた。
だが、自分の命を奪うはずの機銃弾はいつまでたっても飛んでくることはなく、その代わりにバリバリという不可解な音が辺りに響き渡る。
骸骨に視界を塞ぐための瞼は何処にもない。だから誰よりも先に、俺にはその原因が見えてしまった。それこそ、自分が死の間際にあって、狂気に侵されたというのでもなければ、だが。
「こいつぁ、一体……?」




