第126話 妖精の願い
不思議なことに、地位の高い人物は建物の最奥や最下層、または頂点部に居たがる習性を持つ。
それは防衛のために有利であるという合理的な理由からか、あるいは労働者層のような民衆とは一線を画すのだという虚栄心からか。いや、実際偉いのだから虚栄心というよりは権威の象徴としてと言うべきかもしれない。
だからこそ、案内された王座の間とでも呼ぶべきその空間に、僕とダマルはとんでもない違和感を覚えさせられていた。
「従業員詰所って書いてあったから予想通りなんだけど、なんていうか……ねぇ?」
「雰囲気ねぇにも程があんだろ……」
過去には労働者たちが書類の束や納期と戦い、クレームの対応を迫られ、上司の愚痴を言い合いながらコーヒーマシン相手にため息をついたであろう場所。そんな歴史を現代人たちが知るはずもなく、王座を置くには場所的にちょうどいいと考えただけに違いない。
でなければ、現代では国家並みの発言力を持つと言われるテクニカの長が、どうして飾り気のない白い空間に座することがあろう。
「この部屋、面白いでしょう? どうぞおかけになって下さい」
「あ、そ、そうなんですか……失礼します」
ローテーブルを囲んで立派なソファが設置された場所。それは王座の間というよりは、むしろ応接室と言った方がしっくりくる。
フェアリーに勧められるまま僕はソファの中央に座り、その左右をシューニャとマオリィネが固め、ダマルはお誕生日席に1人でつき、キメラリア2人は背後に立って布陣を完了した。
「それでは改めまして、貴方がたが何を求めてテクニカへいらっしゃったのか。それを聞かせてくださいます?」
「いや面接かよ」
ダマルが咄嗟にツッコミを入れたが、そもそも面接と言う言葉自体が存在しないのかフェアリーはキョトンとして小首を傾げる。
「ん゛ん゛っ! ぼ、僕らがテクニカに来たのは少々特殊な取引のためです、はい」
確かに自分も、制服組の上官や出入り企業との面談のように思えたのは否定しない。しかし、余分な話を増やして時間を浪費するつもりはないので、僕はわざと大きく咳ばらいをして、カタカタうるさい骸骨を黙らせる。
そんな自分たちをフェアリーは微笑まし気に見守りながら、しかし不思議そうに首を傾げていた。
「取引、ですか? 研究員になりたい、とか、ヴィンディケイタとして勇名を馳せたい、とかではなくて?」
「少なくとも自分が望むのは、必要とする遺物を獲得することのみです。テクニカならば、望むものが手に入る可能性が高いと考えまして、可能ならば何かと交換して頂きたいのですが」
ちら、とシューニャを見ながら、僕はしっかりと言葉を選んで目的を告げる。
これは彼女が目指した、テクニカ研究員になれる最大の機会なのだ。だからこそ、自分は敢えて物資確保を自分の目標としたのである。
あとはシューニャが自らの口で、テクニカ研究員として雇ってほしい、とでも言えば、コレクタユニオンからの推薦も含め、その道が開かれたことだろう。
しかし、ちらと左へ視線を流した僕に対し、シューニャは翠玉の瞳でこちらを睨み返すと、不機嫌そうに小さく頬を膨らませ、フェアリーに対してハッキリと言い放った。
「訂正する。これは我々、アマミ・コレクタが共有する目標。他に望むものはない」
「シューニャ、君はそれで――」
「家族、だから」
ポツリと零された聞き逃しそうなほど小さな声に、僕は全ての言葉を失った。
シューニャはこちらを見ようとしない。けれど、色白の耳が薄赤く染まった様子に、自分は苦笑しながら彼女の頭をポンと撫で、フェアリーに向き直った。
「――という話なのですが、いかがでしょう?」
「相応の対価が頂ければ、遺物を渡すことは構いませんが……貴方がたにそれが払えますか?」
「それほどに高価である、と?」
シューニャの様子が微笑ましいのか、彼女はクスクス笑いながらも、個人でどうこうできるものではないと緩く首を横に振る。
「私たちは収集した古代技術から、人類社会にとって益をもたらす技術や道具を生み出し、それを国家や集団に提供しています。これを最大の資金源としている以上、遺物を取引するとなれば、場合によっては金貨が必要になりますよ?」
「金貨、ですか……」
それは国家や大店の商店でしか用いられないとされる、銀貨にして何枚になるのかもわからない大金。
今思えば、ミクスチャを撃破するというのは、それくらいの価値があったのかもしれないが、少数で撃破するということ自体が異例であるために、正しい相場など存在するはずもないのだ。その上、仮にあの場で金貨を1、2枚貰っていたとしても、自分たちには必要な遺物が多すぎるため、どう転んでも取引はできなかっただろう。
全員の顔を見回しても、解決策はないと揃って首を横に振られる。こうなっては遺跡を探した方が無難だろうと、僕は大きくため息をついた。
「とても無理ですね。すみません、取引の話はなかったことに――」
「そう焦らないでくださいませ。お金だけが全てではありませんわ。それにわたくし、貴方がたの持っている知識を見込んで、試していただきたいことがあるんです」
悪戯っぽいフェアリーの笑みに、浮きあがりかけた腰が止まる。
だが、先に提示された金額がとんでもない物だったからか、僕がその内容を問いかけるより先に、今まで静かに話を聞いていた骸骨がガチャリを鎧を鳴らして指を組んだ。
「なぁ妖精さんよ。俺たちが必要としてる遺物は結構な数なんだ。1つ貰う度にそっちのお願いを聞いてたんじゃ、流石に割に合わねぇぜ?」
「まぁそう仰らず、お話だけでも聞いてくださいな。それに、わたくしの願いを貴方がたが叶えて下さったのなら……望むものの全てを差し出してもいいのですから」
「……いくら冗談でも、そんなことは仰らない方がご自身のためですよ」
取引おいて自分の全てを差し出すと言うのは、自ら奴隷になろうと言っていることに変わりない。いくら遺物が絡んでいるとはいえ、それはまったく割に合わない話になってしまう。
だというのに、フェアリーは躊躇った様子もなく笑う。
「うふふ、ご心配ありがとうございます。でも、冗談ではありません。わたくしの人生を費やした悲願ですから、権力でもお金でも遺物でも、わたくし自身の身体でも――欲しい物は何でも差し上げます。いかがですか?」
言葉が紡がれるにつれ、声は徐々にねだるような甘いものに変わり、豊満な胸が両腕に寄せられて、ドレス越しに変形する。
その様子にはダマルも閉口し、僕は自然と生唾を飲み下していた。
ただ、そんな邪念を年頃の女性陣が読み取れないはずもなかったらしい。隣からシューニャに思いっきり足を踏まれ、背後からアポロニアとファティマに数本ずつ髪の毛を引っ張られた。痛みに耐える訓練の成果か、あるいは交渉の緊張感からか、なんとか叫ぶことなく僅かに表情を引き攣らせるだけで済んだが、正直に言えば泣きたいほど痛い。
「わ、れわれは、遺物が欲しいだけです、ので、とりあえずお話だけ聞かせていただいても……?」
僕は大きく息を吐いて心を整え、座り直すフリをしながら3つの攻撃を振り払う。
報酬を遺物取り放題に絞ったところで、彼女の依頼は金貨を支払うだけの価値があるものであり、どんな無理難題が出てきてもおかしくない。それも人生を費やした悲願とまで言うのだから、背中をジワリと汗が伝った。
そしてフェアリー自身も、今までのような柔らかな雰囲気を消すと、薄く開いた糸目から金銀のオッドアイを輝かせ、しかしハッキリとその内容を告げた。
「私の望みは今まで誰もなしえなかったこと。このテクニカの下層にある、封印された扉の解放です」
■
非常灯だけに照らされた薄暗い空間を、玉匣は履帯を鳴らしながら走る。
800年前には、この場所を多くのトラックが行き来していたことだろう。それを受け入れるための広い地下駐車場とプラットフォームが、爆撃に耐えられそうな程分厚いハッチの下に隠されていた。
だが、目指す先は地下駐車場よりも更に下層。まるで海底トンネルへ向かうかのような、入口と出口以外はひたすら直線のランプウェイを下っていく。
それが退屈なのか、ハンドルを握るダマルはあーあと妙な声を出した。
「いくら好条件だっつっても、駆け引きもなしに安請け合いってのはどうなんだ?」
「クラッキング作業1つでほしい物が得られるんだ。それも違約金とかのリスクもないんだし、試して損はないだろう?」
「だが扉開けるだけで望むもの全部ってのは、流石に気味が悪ぃぜ。それに美人の甘言にゃ気ぃつけたほうがいい」
特にお前、とガントレットの人差し指をびしりと突き付けられる。
ただ、その余りにも説得力がありすぎる忠告に、僕は呆れたように笑うしかなかった。
「随分実感が籠ってるねぇ。僕ぁ美人より老婆の方が怖いと思うけど」
「カーカッカッカ! あんな妖怪みてぇなクソババァが、その辺にゴロゴロ居るかっつーの!」
口ではそう言いながらも、骸骨には量産型グランマが想像できたらしい。ハンドルをガンガンと叩きながら爆笑したが、ひとしきり笑うと急に冷静になった。
「――あの女、何を求めてると思う? 雪石の地下にある価値ってのはなんだ?」
「さぁ……なんだろうね」
雪石製薬は医学薬学の分野において絶対的な力を持ちながら、人間工学に沿った武器や兵器の設計などにも関わっており、玉泉重工をはじめとする軍需企業とも提携していた巨大企業である。
しかし、その企業が作った地下深くの施設で、現代人が望むものと言われると、途端に目的が見えなくなる。ただでさえ封印が施されている施設の内側など、覗けるはずもないのだから。
「扉の向こうには無敵になれる薬が眠ってるー! なぁんて伝説はどうッスか?」
答えに窮する僕に対し、いつから話を聞いていたのか車体後部から顔を出したアポロニアは、自分の背中にのしかかるようにしながら、適当な思い付きを言い放つ。
だが、それすら否定できないことに、ダマルはカカカと空虚な笑いを響かせた。
「どっかの酔っ払いが言った適当なホラ話が、尾びれ背びれつけて地下に潜ったってか? 馬鹿みてぇだが、それならあの女の目標は世界征服だな」
「いやいや、ご主人みたいにミクスチャ倒して、世界の英雄様になりたいのかもしれないッスよぉ?」
「随分規模の大きな与太話ね。本物の酔っ払いみたいに思えてくるわ。大体、あの女が何を望んでいようと、貴方たちが必要な物に変わりはないんでしょ?」
どうせ考えてもわからないのだから、と笑うアポロニアに対し、荷物室の扉にもたれかかったままのマオリィネは、長い黒髪を払って呆れたように肩を竦める。
「ごもっともで。封印を解除できたら、望むものはなんでもくれるらしいから、その時に目的は聞いてみるとしよう」
「いよいよ封印とご対面ってわけだ。お前ら、よく周り見とけよ」
ダマルの声に僕は車両後方に戻って、座席側の外部モニターで周囲の状況を確認する。既に車体はランプウェイ終端のコーナーを既に抜けており、正面には何かの駐車スペースらしき開けた空間が広がっていた。
――予想通り、シェルターか何かの隔壁か。
件の封印とやらは、駐車スペースの最奥で静かに佇んでいる。何を防ぐためなのか、分厚い金属で作られているらしいそれは、はた目から見れば扉と言うより壁だった。
「あれが、テクニカの封印……」
「王都の近くにあったのとは違いますね」
「ちょっとファティマ。そこ変わってよ、見えないじゃない」
今まで静かに座っていたはずのシューニャは、いつの間にか自分の脇腹辺りから頭を出してモニターを覗き込み、合わせてファティマも背にのしかかるようにして顔を出す。更にもう1人、貴族の娘が覗き込もうと努力しているようだが、彼女らが如何に細身であるとはいえ、車体後部の小さなモニターに全員で貼りつくのは流石に無理があった。
逆にアポロニアは、車体後部が混雑することを予見していたらしい。運転席のモニターをダマルの横から眺めているらしく、無線機越しに、ほえー、と間の抜けた声が響いていた。
『なんていうか……感動が薄くなってきてる自分が嫌ッス』
「確かに、目新しさはない」
「全部一緒に見えますしね」
犬娘の現代人にあるまじき発言にも関わらず、シューニャもファティマも小さく頷いて同意する。
「慣れてきてるんなら、私にも見せてったらぁ」
ただ、遺跡に潜った経験が薄いであろうマオリィネは、僕の背後でうにょうにょと姿勢を変えつつ、なんとかしてモニターを覗き込もうと必死だった。しかし、僕が少し身体を横にずらせば、何故かファティマもマオリィネの視界を遮るように移動してしまう。
「……どういうつもりかしら?」
「ぽっと出からおにーさんを守ってます」
「敵じゃないんだから守る必要ないでしょ!? それに、ぽっと出ってなによぉ!」
意味が分からないとマオリィネは両手を握り込んで叫んだが、肩越しに振り向くファティマ目線は冷ややかだった。
「ボク、知ってるんですからね。昨日の夜、おにーさんとこっそりお話ししてたでしょ」
「べ、別に大した話じゃない、わよ?」
真実を突きつけられて、マオリィネの声が明らかに動揺する。
以前にもファティマは、アポロニアが持ってきてくれた差し入れのことを知っていたことから、もしかすると眠っている時にまで周囲の音が聞こえているかもしれない。
そんなファティマの告発に対して、小脇に抱えるような位置から頭が生えるシューニャも、鋭い視線をマオリィネに投げかける。
「今朝から呼称が変化している。大した話じゃないなら、内容を詳しく聞かせてもらいたい」
「なんでそんなこと気にしてるのよ。友好を深めれば愛称で呼び合うくらい、普通でしょ」
マオリィネは癖のように長い黒髪を払いながら、ため息混じりに目を閉じる。同時に香水の甘い香りが鼻をくすぐったが、匂いに敏感なファティマはそれに小さく眉を寄せた。
「怪しいですね……おにーさんはあげませんよ」
「いや、僕ぁファティの所有物じゃないんだが」
「同感。今のところキョウイチは共有財産」
「君ら、僕のことマキナの部品だと思ってたりしないよね?」
マオリィネに対する詰問のはずが、何故か自分の心にダメージが入る。
皆は口で家族と言いながら、自分が玉匣の備品として数えられている気がして、唐突に不安が押し寄せてきた。
挙句、貴族の娘はそんな会話にフフンと小さく鼻を鳴らす。
「あら、そういう意味なら欲しいわよ?」
忘れてはならないが、このデミ貴族は翡翠と自分のセットを、王宮にお持ち帰りすることが本来の目標である。
無論そうされるつもりは微塵もないが、彼女ら全員に生体部品扱いはなおも続いていた。
「シューニャ、今この鳥女、欲しいっていいましたよ!」
「誰が鳥女よ! 一応半分は人間なんだからね!」
「ぽっと出の癖に」
シャーと叫ぶ猫、冷たく影のある視線を向ける娘、目じりを釣り上げて怒る貴族。
台風のような彼女らに対して僕は、考えるのを止めてそっと距離を置いた。雪石製薬なので、どこかに精神安定剤が落ちていることに期待したい。
『あの、ご主人? 自分はご主人のこと家族だって思ってるし、辛い時はいつでも甘えていいッスからね』
「アポロ……君は、優しい、なぁ」
年長者だからか、それともアステリオンという種族が故か。
無線から聞こえてきた天使の声に、僕は小さく鼻を啜っていた。アラサー男の涙腺は緩いのだ。
『お前らそろそろ仕事しろよ。解放準備が進められねぇだろうが』
そんな中、無線機から聞こえてきた相棒たる骸骨の声は、至極真っ当でありながら、全員に対して平等に辛辣だった。




