令嬢と婚約と魔術
魔術の説明が長くなってしまいました。
すみません。
お茶会から帰る頃には、より親しげに会話をしていた。
「殿下じゃなくて、名前で呼んで欲しいな」
「はい、ルドルフ腐男子殿下」
「……。いや、まあ、間違ってはいないんだけど……」
「申し訳ございません、ルドルフ様。色々とインパクトが強かったので、つい」
「あ、うん……。それと二人きりのときは、殿下をつけなくていいし、口調ももっと柔らかくしてくれると、僕も気が楽だなあ」
「善処します」
「それ日本人の典型的な断り文句だよね? いやそんなことより、僕はハーフェルナって呼んでもいい?」
「いきなり呼び捨てですか。流石は王族、流石はルドルフ様ですね」
「えええ?! じゃ、じゃあ、ハーフィ?」
「欧米文化に順応して慣れ慣れしさ全開、流石はルドルフ様です」
「?! 欧米に謝って! いや、そもそもここは欧米っぽいけど欧米じゃないよね?! というか、僕に何を求めてるの?!」
「ハーフェルナさんか、ハーフェルナちゃんで」
「……見た目はハーフェルナちゃんがしっくりくるけど、中身は……」
「清純で可憐なすずらんにも、毒はあるんですよ」
「ハーフェルナちゃんはすずらんというより青とか黒のバラじゃ……」
「ハーフェルナちゃんで決定ですね」
「……はい」
お陰で、お互いに名前で呼び合うようになった。
そしてその日の夕食の席で、私はお父様とお母様に、
「ルドルフ様から婚約の申し込みがありましたら、お受けします」
と伝えた訳だが、まあ大変だった。
「ルドルフ様?! いつの間に親しくなったんだい、ハーフィ?!」
叫ぶお父様。
「ハーフィに殿下が王宮で何かしたのでしょう。私のレイピアをここに」
静かにそう言い、侍女を呼ぶお母様。
「馬の準備と、全ての領地へ伝令を」
淡々と指示を出す家令。
いつの間にか腰に短剣を2本差したアンナは、私の後ろで騎士の礼を執り、
「最優先警護対象はハーフェルナお嬢様、警護期間は王家がお嬢様との婚約を諦めるまで、警護手段は問わない。ハーフェルナお嬢様付き侍女、アンナ・ヴルカーン、これより第一種警護態勢に入ります」
と、凛々しく宣言した。
我が家が近衛伯の爵位も持っている訳が分かった気がした。
職権乱用ではないかという不穏な考えもよぎったが、キルシュトルテ近衛騎士軍の人間は一切含まれていないと聞いて、一先ず安心した。同時に我が家が抱える人材について、という別の疑問や不安が生じはしたが。
こういった理由で、それからの約1か月間、陛下はさぞや苦労されたことだろうと思う。
勿論私も、それなりに苦労した。
何とか周りを落ち着かせようと頑張った。
が、2日で諦めた。3日坊主以下だが、状況判断は素早く正確に行うべきであるし、人生には非情な決断を下さなければならないときもあるのだから、仕方がない。私は英断を下したのだ。
だから婚約が認められるまでの間、住み込みの家庭教師達の下で、私は学院入学までに必要な学習に集中することにした。
このゴタゴタの間に11歳の誕生日を迎えた私は、来年の9月になったら学院に入学し、寮に入る。
その為に、公爵領にいた去年までは、礼儀作動や、(国の法で中等教育機関入学後に開始と決まっている魔術学を除く)基礎的な学問を習ってきた。
礼儀作法については、4歳頃から少しずつ教わってきたので殆ど問題ないが、6歳から習い始めた学問には四苦八苦している。言語学だけでキルシュトルテ語とデセール語の二か国語。それから基礎的な数学と理科。王都に来てからは、理科の代わりに化学を学びだし、古代語の基礎課程とキルシュトルテ国の歴史も加わった。
更に上流貴族として、国外の歴史や貴族社会についての学習、ダンスに刺繍に芸術も学ばなければならない。ついでに我がシュヴァルツヴェルダー公爵家は、代々国唯一の近衛伯として軍務に関わる地位に就いているため、もう少し背が伸びたら、乗馬と剣術も習うことが決まっている。
兄か弟がいれば違ったのだろうが、私は一人っ子なので、一通りやらなければいけないのだ。こままいけば、いずれ領地経営についても勉強することになるだろう。
時々、やる気のないルドルフ様の顔が浮かんできて、イライラしながらの授業にはなったが、何だかんだ言って順調に進んだ。
学びたいだけ学べるこの環境って、素晴らしい。
そしてお父様とお母様に報告してから2週間が経った頃、私はキルシュトルテ語の基礎課程を修めた。
時間が余ったその日、ずっと疑問に思っていたことをヒンメル先生に質問した。ヒンメル先生は言語学に精通している初老の紳士で、学院で教えていたこともある人だ。
「先生、どうして魔術は中央学院や職業学校に入ってからの学習になるのですか?」
「ハーフェルナさんは、どれくらい魔術について知っていますか?」
「私が知っているのは、魔術は言葉によって理に干渉して発動するということと、その為、言語学や数学、化学の基礎を学ぶ必要があるということです。あとはこの国の成人した人なら、生活で使うような必要最低限の魔術は使えるということです」
ヒンメル先生に聞かれて、魔術についてのごく初歩的な知識を答える。
「ですが、言葉によって理に干渉するということが、今一つ分かりません」
「なるほど。ハーフェルナさんは、誰かが魔術を使っているところを見たことがありますか?」
「灯りや水回りの道具——ランプやお風呂——自体に、魔術が使われているとは聞いたことがあるので、そういう意味では見たことがあるのかもしれませんが、直接は……」
「言葉を発して魔術を発動しているところは、見たことが無いのですね。生活に使われる道具は、内部に呪文の言葉が文字として記述されているので、誰でも簡単に使えるようになっている訳ですが。一度実際に見た方が分かり易いでしょう。小規模の簡単な魔術を今から実演しますね」
ヒンメル先生はそう言うと、私から離れて部屋の中央まで移動し、左手を体の前に軽く伸ばして、言葉を紡いだ。
「我は理を選ぶ。朱く石榴の如き小さな炎よ、アルフレッド・ヒンメルの手の上、その眼前に顕現せよ」
——ヒンメル先生の左手の30センチ程上に、10センチ位の朱い炎が現れた。
「これが、言葉によって理に干渉するということです」
(呪文がなんだか……)
「普段私たちは、当たり前に言葉を使います。勿論それらも、理に対して干渉する力が全く無い訳ではありません。ですが、それは非常に弱いのです。それ故、特別な言い回しや単語を使用する必要があるのです」
(ああ……)
「また、理に干渉して自分の望むものを発現させる為には、その内容を正確且つ、具体的に定義することも必要です。そしてそれには、やはり言葉にすることが最も効果的です。干渉力も強くなりますし」
(だから厨二病的になるのか)
何とも言えない気分になる。
ヒンメル先生は何か短く呟いて炎を消すと、机の上の紙に、サラサラとさっき使った呪文を書いた。
「先ほどの魔術は、炎を発現させる為のものでした。まずどのような大きさかを定義します。『石榴の如き』と『小さな』がそれです。次に炎の威力・炎の温度は『石榴の如き』『朱く』『小さな』で、どこに出現させるかは『アルフレッド・ヒンメルの手の上、その眼前に』で定義します。そして『顕現せよ』で、発現させます。ここまではよろしいですか?」
「はい」
「このように、魔術の発動・発現に言葉、しかも日常ではあまり使われない様々な表現を使用するため『言語』の学習が必須となっているのです。そして自分の望むことを正確に発現させるためには、理自体を出来る限り理解する必要があるので『数学』と『化学』も学ばなければならないのです。例えば『温度の低い炎』を発現させたいのに、思い付きで『青い炎』という表現を使ってしまったら、危険の伴う結果になるかもしれません。」
「だから、基礎学習が終わって中央学院や職業学校に入るまで、魔術の学習がないのですか?」
「それも理由の一つです。が、もう一つ非常に単純な理由があります。初心者が魔術を練習出来る場所が、中等教育以上の機関にしかないからなのです」
「魔術はそこまで特別な学問なのですか?」
これだけ普及しているのに、学べる場所が限られていることが不思議だった。
「騎士や兵士の訓練をイメージして頂けると、分かり易いでしょう。騎士や兵士が訓練するには、ある程度広さがあって、決まった人以外は入れない場所が必要ですね。何故だか分かりますか?」
「安全性を確保するためと、情報漏洩を防ぐためです」
「その通りです。そしてそれらは、魔術の学習と練習においても同じです。簡単な魔術の中には、呪文が既に定型文になっているものもあります。それでも最初のうちは本人や周囲の安全をかなり考慮しなければいけません。また、魔術は軍事にも利用されますから、いつでも誰でも立ち入り可能な環境であってはならないのです」
「もし、中等教育機関に所属しない者——例えば12歳に満たない者——が、勝手に自宅で魔術の学習をした場合は、どうなるのですか?」
「然るべき許可を得ずに行った場合、確実に憲兵が動きます。貴族でしたら、最低でも2つ以上の降爵になります。王族であっても、処罰は受ける筈です」
「厳しいですね」
こっそり魔術について調べようとかしなくて良かった。そんなことをして一歩間違えれば、悪役令嬢にならなくても、人生が詰んでしまう。
「そもそも、魔術を使える者が多くても、指導出来るレベルの者は少ないのです。指導者なしに魔術を学習するのは危険ですし、許可を得ずに指導者を置くのは、国にとっても指導者にとってもリスクが高いですから、厳しくなっているのです。昔は随分大変だったようですから」
「そうなのですか?」
「昔は魔術師をきちんと把握出来ていなかったので、個人がお金や権力を使って無理矢理働かせるということが、度々あったそうです。今は、この国で魔術を扱う職に就く場合『魔術使資格』を取る必要があるので、そういったことはかなり減りましたが」
更に職業によっては別の資格も必要になることがありますし、と言うと、先生は先程とは別の紙に、3つの資格を書き出す。
一定以上の魔術を扱う技師や研究職に必要とされる『魔術技使資格』
軍などで魔術系の士官になる為に必要な『魔術騎使資格』
魔術の指導者になる際に必要な『魔術導使資格』
これらによって、魔術に関する人や物事が国の管理下になる代わりに、保護もされている為、他国からキルシュトルテへと移って来る魔術師が、未だに絶えないそうだ。それ故、キルシュトルテの魔術を始めとする様々の学問うや技術が発展したらしい(他にも宗教的な要因があるそうだが、長くなりますからと言われたので、別の機会に調べることにした)
ちなみにキルシュトルテ国では、魔術使資格を持つ者は『魔術使』、持たない者は『魔術師』と呼ばれている。
「先生にお願いがあるのですが」
魔術学の話を聞き終わった後、私はヒンメル先生に、キルシュトルテ語の中等過程を教えて欲しいと頼んだ。
先生の説明を聞いて、言語がとても大切なことがよく分かったからだ。そのことを伝えると、ヒンメル先生はとても喜んでくれて、
「教本が揃い次第、始めましょう」
と言ってくれた。